忍び寄る影
Unlimited Onlineは、プレイ時間が500時間を越えるプレイヤーに対して、直近50時間に獲得した所有中のドロップアイテムと経験値、そして所持金のロスト、さらにリアルタイムで一週間「ヘブン」という、死者専用のエリアに拘束されるという形で死を表現している。
失われないのはコミュニティー情報と、脳に直接刻み込まれるスキルの熟練度のみ。
ちなみに、セーブポイントを経由しない切断等による不正なログアウトには、プレイ時間に関係なく100時間のロストとヘブン送りというペナルティが課せられている。
この内容だと強者による強奪、恐喝の横行が懸念されるが、一般的に凶悪犯罪とされる行為を行ったプレイヤーは、その命に対して、システムから莫大な賞金をかけられることになる。
死の代償が大きいこのゲームで常時あらゆるプレイヤーから命を狙われる危険にさらされること、そして命を奪われた犯罪者はかけられた賞金額をそのまま負債として背負わなくてはならないため、凶悪犯罪を行うものは非常に希で、高い自由度を誇りながら(例えば性的な干渉なども可能である。仮想空間内での法的な整備が遅れているため、各運営会社に規制が一任されている)治安がいいというのも、このゲームの持つ魅力の一つになっている。
商業都市ミニール。誰でも気軽に店を出せるフリーマーケットエリア、整った施設。そしてアルメキア大陸の中央に位置するという移動面から見ても優れた立地条件により、多くのプレイヤーが拠点を構えて賑わう大陸最大の都市だ。
キルドを抜けてから二ヶ月。晴れ渡る空の下、俺はミニールに点在する広場のベンチに座っていた。普段であれば人々の行き交う音や雑談する声が響いているのだろうが、今日は違う。閑散とした光景。噴水の水音だけが響いていて、ここがまるでミニールではなく一夜にして人が消えたゴーストタウンであるかのように静まり返っていた。
「すみませんが、お顔を拝見してもよろしいか?」
下を向き赤茶色のフードで顔を隠している俺に、タキシード姿の老紳士が話しかけてきた。ダンディな声に白髪。老いたというには威勢のいいその目つきが、老紳士のひととなりを物語っているように視えた。
「どうしました?いきなり」
「おそらくあなたはご存知ないからそのローブを纏っているのでしょうが、実は最近あなたと同じ、ブラッディローブを身に纏う者たちによる強盗などの犯罪が多発しているのです。」
「そうなんですか。すみません。ソロ専で、ここでは雰囲気を楽しんでいるだけだったもので、あまりそういうのに詳しくなくて」
「いえいえ。楽しみかたは人それぞれですから」
そうやさしい口調で話す老紳士。だが、ベンチに座る俺を見下ろすその瞳の色は、それとは真逆の疑念、そして汚物を見るような嫌悪感を漂わせていた。男は続けた。
「うちのギルドのメンバーもやられました。連中はかなりの手練れです。なにせその正体は三大ギルドの元マスターたちなのですから」
「……あの……!?」
「ええ。連中に捕まり、拷問を受け、泣く泣く不正ログアウトを行った者もいます。とにかく危険な連中です。ですから、そんな連中に間違われる可能性のあるブラッディローブはやめた方がいい。今はそのローブを纏っているというだけの理由で後ろから切りつけられても文句をいえない状況なのですよ」
「それは怖い」
相変わらずの冷たい表情で老紳士はいった。丁寧に話してはいるものの、これは軽い脅しだ。この男は暗に、顔を晒さなければ強行手段に出るぞといっているのだ。俺が全く関係のない奴だったとしても、間違えて切りつけた程度であれば罰金で済む。
「そういう現状ですので、お顔を拝見させてはもらえないでしょうか。もしよろしければ代わりの衣服も差し上げますよ。その姿で出歩くのは危険ですからね」
「ありがたいお言葉ですが……あまり人に見られたくない顔なもので……」
「なぜです?」
「火傷の痕があるんです。消そうかとも思ったんですけど、忘れてしまって……コンプレックスなんです」
自分の分身になるアバターは、ゲーティア内に仰向けになった現実世界の体をスキャンし、それを投影したものが採用される。大抵はそれをそのまま使ったり、少しいじったりして使っているが中には性別レベルで改変する奴もいる。かなりの手間、そして知識が必要になるため、そんなことをする奴は希だが。ちなみに俺は黒い髪を金色に染めている。これくらいであれば手間はかからない。もっとも、手間なんて気にしなくていい事情もあるんだけど。ああ、もちろん顔に火傷の痕があるなんていうのは嘘だ。
老紳士は言葉を返さなかった。そりゃそうだ。そんな話信じられるわけがない。信じられるわけがないが、嘘だとも限らない。
柔らかな物腰、布越しに漂ってくる風格。おそらくこの男はどこかのギルドの幹部クラス。俺の正体を知っていて接触してくるあたり、戦闘能力にもかなりの自信がある武闘派か。
とはいえ、強行手段に出ることはないだろう。もし俺が本当に無知なソロプレイヤーで、火傷の痕を隠すためにブラッディローブを纏っているだけの一般人だったら、こいつの所属するギルドの名に傷がつく。
「すみません、私はこれで。ご忠告ありがとうございました」
俺は無理矢理話を切り上げ、ベンチをあとにした。下を向き歩く俺に対し、胸を張って直立したまま、老紳士は冷たい視線を送っていた。
広場を抜け、イタリタはミラノの街にあるような、細い路地をいく。
五人いた。
あの老紳士の他にも、俺の一挙手一投足に目を凝らす連中が五人。それもベンチに座る俺を取り囲むような配置で。
間違いなく老紳士と同じギルドの連中だろう。その証拠に俺は今、合流した奴等に「尾行されている」
30メートル程度の距離を保ちながら老紳士を先頭に奴等は俺の行方を監察している。
「30メートル」その距離が奴等の警戒心の大きさを物語っていた。
知覚スキルというものがある。VR空間内で再現するのが難しい、「気配」ってやつを表現するためのスキルだ。
その性能ゆえに、意識しなくても勝手に成長するスキルで、個人差はあるがサウザンドクラスになると自分を中心に半径10メートル程度のことは目を瞑っていてもある程度把握出来るようになり、その30倍の300メートルくらいまでなら、人やエネミーが存在するかしないかくらいなら察知することが出来るようになる。「サウザンド」や「ハンドレッド」など、プレイ時間が実力の指標にされているのは、ただネタでいっているわけではなく、こういったセインレイムでの生活時間がそのまま熟練度に直結するスキルが重要な役割を果たすためだ。ちなみに隠密スキルのようなものは存在しない。元々対人を前提に作られていないからである。というか、USMSのせいで対人バランスは魅力的に崩壊している。
奴が30メートルの距離を保っているのは、俺の知覚スキルを警戒してのことだろう。評価としては一般的なサウザンド像の3倍。過剰ともいえる評価だが、警戒するに越したことはない、といったところか。そういう知覚スキルを持つ存在を想像出来る辺り、やはり相当の実力者。だが
「あめぇよ」
俺は知覚スキルを意図的に成長させていたため、半径50メートル内の事を完全に把握出来るようになっていた。
老紳士の後方の5人。おそらくこいつらもそれなりの使い手だろう。老紳士と同等か、それ以上の使い手の可能性もある。
奴等の背後に巨大なギルドの存在が透けて見える。おそらく今俺を尾行している連中は尖兵。
抜けて始めて見えた、ギルドの、組織というものの強大さ。セインレイム最大のギルドを率いていた俺でも、組織を抜ければ世界という名の大海原に浮かぶ一隻の舟に過ぎないのだと思い知らされる。
「つっても俺の場合、軍艦だけどよ」
歩きながら意識を集中し、強力なレーダーを飛ばすように老紳士の後方にいる5人の姿をより鮮明に探る。風貌、佇まい、足取り、そこから敵の戦力を予測する。
女が2人に男が3人。あいだに壁があってはっきりとは把握出来ないが、おそらくはハンドレッド以下。老紳士ほどの存在感はない。やはりこいつらの頭はあの老紳士。この五人は老紳士からの指示を待ちながらってところか。
路地を抜けて大通りに出る。通りは大勢のプレイヤーで賑わっていたが、全員俺の姿を確認するやいなや、小石を投げつけられた小動物のように視界から散解していった。今現在ブラッティローブは、セインレイムにおける死の象徴といっても過言ではないのかもしれない。
ゆっくり歩を進める。このまま通りに沿って西の大門を抜ければ、ミニールと小さな村とを繋ぐ街道に出る。ほとんど人通りのない街道だが、見通しはいいし、そこで奴等が動くことはないだろう。
「乗るか逸るか」
街道から少し脇道にいくとちょっとした林がある。なにもない林だし、まず人はいないだろう。さいわい、俺の知覚スキルなら街道からでも人の有無を確認できる。
あの男は元々俺と事を構える覚悟を持って接触してきた。俺がフードを捲っていたら、即座に襲いかかってきたことだろう。老紳士はおそらくセブンかエイト(プレイ時間800日)。林に人がいるかいないか程度のことは林に入らずともわかるはず。待ち伏せがないとわかれば、誘いに乗らない道理はない。