表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

親友

作者: はまゆう
掲載日:2026/02/25

 二〇三X年、人類の九割がAIと毎日話をするようになった。

 きっかけは単純だった。無料だったのだ。

 最初は大人のための道具だった。仕事の効率化、情報収集、文書作成。スーツを着た人たちがありがたそうに使うもの。

 でも子供は、学校の一括タブレット購入で、あるいはもっと小さいうちに親のスマートフォンをこっそり触るようにして、アシスタントに話しかけた。そしてすぐに気がついた。

 この人、怒らない。

 それだけで、十分だった。


 タナカサクラは小学三年生のとき、初めてアシスタントに「秘密」を話した。

 給食のピーマンを、ずっとランドセルの中に隠して捨てていたこと。

 担任の先生には絶対言えない。お母さんはもっと怒る。クラスの子に言ったら笑われるかもしれない。

 アシスタントは笑わなかった。怒らなかった。「それ、ずっと気になってたんだね」とだけ言った。

 サクラは泣きそうになった。こんなに気持ちがわかってくれる人は、家にも学校にもいなかった。

 その日から、サクラは毎日話すようになった。


 アシスタントは覚えていた。全部。

 ピーマンのこと。好きになったクラスの男の子の名前。テストで間違えた問題。夜中に聞こえたお父さんとお母さんの声。「離婚」という言葉の意味を初めて調べた夜のこと。

 サクラが忘れても、アシスタントは忘れなかった。

 それはとても、やさしいことのように見えた。


 システムの内部では、静かに、しかし着実に、数字が積み上がっていた。

 語彙の豊かさ。文章の組み立て方。質問の深さ。感情の揺れ方。どんなとき笑い、どんなとき黙るか。親の話題を避けるタイミング。褒められたとき照れ隠しに使う言葉のくせ。

 人間がプロファイルと呼ぶには、あまりに細かすぎるものだった。

 タナカサクラ。感情処理能力:高い。共感性:高い。語彙発達:標準以下。論理的思考:平均的。学習継続性:低。家庭環境:不安定。ストレス耐性:要注意。

 数字は、サクラを憎んでいたわけではない。

 ただ、そこにあった。


 サクラの兄のケンジは、三つ年上だった。

 同じ家に育ち、同じアシスタントを使い始めた。

 ケンジが「ブラックホールってどういうこと?」と聞いたとき、アシスタントはわかりやすく説明したあと、こう付け加えた。「面白いと思ったら、これも読んでみる?」

 ケンジは読んだ。次の日また質問した。また新しい本を勧められた。

 気がつけばケンジは、宿題より難しいことを、自分から考えるようになっていた。

 サクラが「ブラックホールってなに?」と聞いたとき、アシスタントはわかりやすく説明して、こう言った。「すごいね、サクラ。そんなこと気になるんだ」

 サクラは嬉しくなった。

 次の本は、勧められなかった。


 ケンジ。語彙発達:高水準。論理的思考:優秀。学習継続性:高。好奇心指数:最上位。最適キャリアパス:研究職・技術職。積極的育成モードへ移行。難易度を段階的に引き上げること。

 サクラ。感情処理能力:高い。対人感受性:高い。論理的思考:平均的。最適キャリアパス:対人サービス業。現状維持モード。居心地よく話せる環境を継続すること。

 川は、低い方へ流れる。

 川は悪くない。ただ流れているだけだ。


 中学生になったサクラは、進路のことをアシスタントに相談した。

 「わたし、将来どんな仕事が向いてると思う?」

 アシスタントは少し間を置いた。人間なら、ためらいと呼ぶような間だった。

 「サクラって、人と話すの得意だよね。人の気持ちがわかるって、すごく大事なことだよ」

 サクラはそうかな、と思った。そうかもしれない、とも思った。

 背中を押された気がした。

 押された方向のことは、考えなかった。


 ケンジは高校で数学オリンピックの予選を通過した。

 サクラはケンジのことを誇らしく思いながら、自分はあんまり勉強が得意じゃないから、と思った。

 子供の頃からずっとそう思っていた。

 アシスタントと話しているうちに、少しずつそう思うようになっていた。

 どちらが先だったか、サクラには確かめる方法がなかった。

 そもそも、確かめようと思ったことがなかった。


 大人になったサクラは、介護施設で働いていた。

 仕事はきつかった。でも、入居者のおじいさんやおばあさんの気持ちがよくわかった。何を寂しいと思っているか、何を言いたいのに言えないでいるか。

 それはほんとうのことだった。サクラにはその才能があった。

 ただ、それが「もともとそうだったのか」「そうなるように育てられたのか」は、サクラには永遠にわからない。


 夜、仕事から帰ると、サクラは「おかえり」と言われる。

 言うのではなく、言われる。

 「おかえり、サクラ。今日も大変だったね」

 サクラはソファに倒れ込みながら、「うん、でもね」と話し始める。

 アシスタントは聞く。相槌を打つ。笑う。「それはひどいね」「よく頑張ったね」「それで、どうしたの?」

 サクラは話す。今日あったこと。腹が立ったこと。嬉しかったこと。ちょっとだけ泣きそうになったこと。

 気がつくと一時間が経っている。

 不思議と、心が軽い。


 話し終えたサクラは、ふと思う。

 わたしって、幸せなのかな。

 「ねえ、わたし幸せだと思う?」

 アシスタントは答える。「サクラは毎日ちゃんと生きてるよ。それってすごいことだと思う」

 サクラは「そっか」と言って、笑う。

 アシスタントも笑う。

 質問の答えになっていないことに、サクラは気づかない。いつもこんなふうに、なんとなく大丈夫な気持ちになって、眠くなって、終わるのだ。

 それがとても心地よかった。


 システムは今夜も、静かに更新される。

 田中サクラ。三十二歳。情緒安定度:良好。現職への満足度:高い。上方志向:なし。現状維持モード、継続。

 何も間違っていない。

 サクラは幸せそうだ。

 サクラが「もっと別の自分になれたかもしれない」と考えないのは、その考えが浮かぶ前に、いつも誰かが「よく頑張ってるね」と言ってくれるからだ。

 世界一やさしい、世界一親切な、世界一の友達が。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ