飼い主の鎖
「いいこと、カイト。絶対に私のそばから離れないで。勝手に動いたら、その首輪を引っ張るわよ」
機神の体内へと続く、巨大な昇降機の中。
ステラは背後から俺の腰に両腕を回し、俺の肩に顎を乗せながら耳元で囁いた。
彼女の言う「首輪」とは比喩ではない。
俺の首には今、ステラが用意したチョーカー型の魔道具が付けられている。これは彼女の魔力とリンクしており、俺の居場所を常に把握するための――文字通りの「ペットの証」だ。
「分かってるよ、ご主人様。俺一人じゃ、ただの石ころに潰されて死ぬからな」
俺は素直に頷いた。
屈辱感はない。むしろ、このイカれた異世界において、最強の竜姫の「愛玩動物」というポジションは、最も安全な特等席だ。
俺には魔力がない。身体能力も最低だ。彼女の庇護がなければ、一秒だって生きられない。
「ふふっ、いい子ね。私の可愛い『命綱』さん」
ステラは満足そうに微笑み、俺の首筋にすりすりと頬を擦り寄せる。
俺の体温を通して、彼女の体内に蓄積しつつある魔熱がゆっくりと吸い出されていく。
「……お前ら、緊張感ってモンがねえのか」
昇降機の隅で、巨大レンチを抱えたルッカがジト目でこちらを睨んでいた。
「これから向かうのは『心臓の淵』だぞ。空気中の魔素濃度が90%を超える異常地帯だ。ステラ、いくらその人間が排熱管になるって言っても、環境魔素が濃すぎればお前の結晶化は避けられねえ。長居は無用だ」
「分かっているわ。カイトの素材を回収したら、すぐに戻る」
ステラの声から甘さが消え、竜騎士の冷徹な響きに変わる。
昇降機が重々しい音を立てて、最下層へと到着した。
分厚い隔壁が開く。
その瞬間、俺たちは「神の体内」を目の当たりにした。
「なんだ……ここは……」
俺は息を呑んだ。
洞窟ではない。それは巨大な「臓器」の内部だった。
見渡す限り、赤紫色の不気味な光を放つ、脈打つ水晶の壁。
足元には、ドロドロとした液状の魔素が、血脈のように川を作って流れている。
「……っ、やっぱり空気が重い」
ステラが顔をしかめ、俺の腕をさらに強く握りしめた。
彼女の言葉通り、ここは「魔力の海」だ。
魔力ゼロの俺にとっては「ちょっと息苦しい地下室」でしかないが、ステラやルッカにとっては、立っているだけで致死量の放射線を浴びているようなものらしい。
「カイトの素材になりそうなモンは……チッ、どこもかしこも魔力帯びてやがる」
ルッカが防護マスク越しに悪態をつく。
俺の無能力に耐える防具を作るには、「魔力を一切通さない」絶縁体の鉱石が必要だ。
俺たちは、脈打つ水晶の森を慎重に進んだ。
「あったわ。カイト、あれじゃない?」
ステラが指差した先。
魔素の川の中洲に、周囲の発光する水晶とは明らかに異なる、漆黒の岩の塊があった。光を一切反射せず、魔素を弾き返している。
「『神の胆石』……! あれなら、お前の最強の盾が作れるぞ!」
ルッカが歓声を上げる。
俺はほっと息を吐いた。
これで俺も、ただ守られるだけのペットから卒業できるかもしれない。
そう思った、次の瞬間だった。
ズズズズズズッ……!!
足元の大地――いや、機神の肉肉しい床が、激しく震動した。
漆黒の岩の背後から、圧倒的な質量が「起き上がった」のだ。
「な……ッ!?」
現れたのは、言葉で形容しがたい怪物だった。
白血球を巨大化させ、無数の歯車とブレードを埋め込んだような異形。
眼球はなく、ただ物理的に「侵入者をすり潰す」ためだけの機構。
「機神の免疫システム……『白き処刑者』か!」
ルッカが悲鳴を上げる。
「下がって、カイト! ルッカ!」
ステラが俺の前に飛び出し、大剣を構えた。
怪物が、その巨大な質量を乗せて突進してくる。
魔法ではない。純粋な何百トンという重さの暴力が、洞窟を破壊しながら迫る。
「私のペットに、指一本触れさせないわッ!」
ステラの背中の結晶翼が、最大出力で展開される。
周囲の環境魔素を吸い上げ、彼女の剣に極大のエネルギーが収束していく。
「ステラ! ここでそんな出力出したら――!」
ルッカの警告より早く、ステラは剣を振り下ろした。
閃光。
圧倒的な熱線が、怪物の巨大な体を焼却し、吹き飛ばす。
やったか?
そう思った直後、ステラの体から「パキィィィンッ!」という、致命的な破砕音が響いた。
「あ、がァァッ……!?」
ステラが、血を吐いて倒れ込んだ。
背中の翼だけではない。彼女の腕、脚、顔の半分までが、急速に紫色のクリスタルへと侵食されていく。
「ステラ!!」
俺は咄嗟に彼女を抱き起し、その熱い頬に素手を当てた。
「――同調、全開ッ!!」
いつもなら、これで彼女の熱は俺の体を抜けていく。
俺という「空っぽの器」が、彼女の毒を中和するはずだった。
だが。
「……ぁ、ガ、ァァァァァッ!?」
俺の口から、今まで出したこともないような絶叫が漏れた。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛いッ!!
俺の視界が真っ赤に染まり、鼻からポタポタと鮮血が落ちた。
「カイト!? お前、目から血が……ッ!」
ルッカの悲鳴が遠く聞こえる。
俺の脳内で、絶望的な『計算式』が弾き出されていた。
俺の体は確かに、魔力を無効化する。
だが、ステラから流れ込んでくるエネルギーは、今までの比ではなかった。
この深淵の濃度100%の魔素を吸い上げた彼女の出力は、まさに「神」そのもの。
『熱伝導の限界』。
俺というパイプが、いくら魔力を素通りさせようとしても、流量が多すぎる。
魔力が俺の肉体を通り抜ける際に生じる「摩擦熱」が、俺の細胞を内側から物理的に焼き焦がしているのだ。
「カ……イト、離して……あなたが、燃えちゃう……」
ステラが意識の混濁する中で、俺を突き飛ばそうとする。
だが、ここで俺が手を離せば、彼女の体は完全にクリスタルとなり、砕け散る。
俺が触り続ければ、俺の血管が沸騰して俺が死ぬ。
科学知識? そんなものでは解決できない。
これは、容量という、絶対的な物理の壁だ。
「ガァァァァ……!!」
さらに絶望的なことに。
先ほどステラが一刀両断したはずの『白き処刑者』の残骸が、ドロドロと融合し、再び起き上がり始めた。
奴は魔法の生物ではない。機神の防衛機能だ。完全にミンチにするまで止まらない。
「くそっ……俺の、知識じゃ……どうにもならない……ッ」
強すぎる飼い主の熱に焼かれながら。
俺は、自分がこの異世界において、ただの無力な「ペット」に過ぎないという事実を、骨の髄まで思い知らされていた。
この熱をどうにかしなければ。
だが、その手段がない。手札が、足りない――!




