不可視の凶刃
「試してやるよ」
ルッカが不敵な笑みを浮かべ、俺と握手を交わそうとした――その刹那だった。
パリィィィィンッ!!!
屋敷の巨大なステンドグラスが、外からの衝撃で粉々に砕け散った。
降り注ぐガラス片の雨。
そして、その破片に紛れるようにして、三つの「黒い影」がリビングに滑り込んできた。
「なッ……!? 侵入者!?」
ルッカが巨大レンチを構えるが、遅い。
影の一つが、床に奇妙な「杭」を打ち込んだ。
ドォン! という重低音と共に、部屋全体がドーム状の半透明な結界に包まれる。
「――『魔封じの檻』、展開完了。これより、標的の処分を開始する」
機械的な声。
黒装束に身を包み、顔を仮面で隠した暗殺者たちだ。
「くっ……! 貴様ら、元老院の犬ね……ッ!」
ステラが剣を抜こうとして――その場にガクンと膝をついた。
「ステラ!?」
俺が駆け寄ろうとするより早く、ルッカもまた「がはッ」と血を吐いて倒れ込んだ。
「あ、アホか……ただの魔封じじゃねえ……この空気、高濃度の『対竜毒』だ……!」
ルッカが床を掻き毟りながら喘ぐ。
結界の内部に、紫色の濃密なガスが充満していく。
それは、強大な魔力を持つ者ほど劇症化する、最悪の暗殺結界だった。
「無駄だ、竜姫」
暗殺者のリーダーが、毒ガスの中で悠然と歩み寄ってくる。
「お前の『結晶化病』が限界を迎えていることは、元老院も把握している。この毒の中では、魔力を練ることすらできまい。大人しく死ね」
ステラは荒い息を吐きながら、必死に立ち上がろうとしていた。
だが、強すぎる魔力が裏目に出ている。彼女の皮膚が再び赤く発光し、毒と魔力が体内で反発し合って、内臓を破壊しようとしていた。
「はぁッ、はぁッ……! 私が、こんな、ところで……!」
暗殺者が、漆黒の刃を振り上げた。
狙うは、ステラの細い首筋。
「――おい」
俺は、暗殺者の背後に立っていた。
そして、その肩をポンと叩いた。
「……あ?」
暗殺者が、間の抜けた声を上げて振り返る。
「邪魔だ。どけ」
俺は、手に持っていた消火器(ルッカの部屋にあったやつだ)を、フルスイングで暗殺者の顔面に叩き込んだ。
ガガンッ!!
「ゴベァッ!?」
鈍い音と共に、暗殺者の仮面が割れ、血しぶきを上げて吹っ飛んでいった。
静寂。
残りの二人の暗殺者が、信じられないものを見る目で俺を凝視した。
「な、なぜだ……!? なぜ貴様、この結界の中で動ける!?」
「呼吸も乱れていないだと……? 貴様、何者だ!」
何者も何もない。
俺はただの、通りすがりのオタクだ。
「対竜毒? 魔力封じ? 悪いが、俺には魔力回路が一切ないんでね」
俺は肩をすくめた。
「ただの『ちょっと空気の悪い部屋』にしか感じないよ」
そう。
魔力を持つ者にとっては猛毒のこの空間も、「魔力ゼロ」の俺にとっては、ただのスモークだ。
彼らの最大の切り札である結界は、俺に対しては完全に無意味だった。
「バ、バカな! 魔力がない人間など存在しない! 殺せ! そいつを先に殺せ!」
二人の暗殺者が、俺に向かって突進してくる。
刃が迫る。
当然、俺に剣術の心得はない。まともに戦えば一秒で斬り捨てられる。
だが、俺には「分析」がある。
彼らの動きは速いが、直線的だ。結界の維持に気を取られている。
俺は逃げるふりをして、床に突き刺さっている「結界の杭」へとダイブした。
「馬鹿め! その杭には高圧の防御呪詛が張られている! 触れれば炭になるぞ!」
暗殺者が嘲笑う。
だが、俺は躊躇なく、その杭を素手で掴んだ。
バチィィィィンッ!!!!
すさまじい放電音が鳴り響いた。
だが、焦げたのは俺の肉体ではない。結界の杭の内部構造だ。
「――同調、ショート回路形成」
俺の体を通じ、杭に込められていた膨大な魔力が、一瞬で大気中へと放電される。
パリンッ!
ガラスの割れるような音と共に、部屋を覆っていた紫色のドームが跡形もなく消え去った。
「な……ッ!? 絶対結界が、素手で壊された……!?」
暗殺者たちが絶望の声を上げる。
空気が正常に戻る。
それと同時に、俺の背後で、圧倒的なまでの「殺気」が膨れ上がった。
「……よくやってくれたわ、私の調律者」
振り返ると、そこには立ち上がったステラの姿があった。
毒から解放され、俺が結界を壊したことで魔力が完全に戻っている。
いや、ただ戻っただけじゃない。
彼女の背中の結晶翼から、怒りに任せた極大のエネルギーが溢れ出していた。
「ひっ……!」
暗殺者たちが後ずさりする。
「私の寝室を荒らし、私の技師を傷つけ、あろうことか……私の『所有物』に刃を向けた罪」
ステラが、大剣を片手で軽々と持ち上げる。
その眼光は、まさに文字通りの「竜」のそれだった。
「その命で贖いなさい」
閃光。
それ以上の描写は不要だった。
ただ一振りの剣閃が、暗殺者たちを――彼らが逃げようとした壁ごと、文字通り「蒸発」させた。
灰すら残らない。
これが、縛りのない状態の、最強の竜姫の力。
「……やりすぎだろ、壁に穴が空いてるぞ」
俺が呆れて言うと、ステラは剣を放り捨てて、一直線に俺に抱きついてきた。
「カイト! 無事!? 怪我はない!?」
「ちょっと待て、お前の方がまた熱暴走しかけてるぞ! 抱きつくな、熱い!」
「いいの! カイトが冷やしてくれるから、いくらでも暴れられるわ!」
満面の笑みで俺にすりすりしてくるステラ。
さっきまでの冷酷な処刑人はどこへ行ったんだ。
「おーい……お前ら……いちゃつく前に、私に解毒薬を……」
瓦礫の陰から、真っ青な顔をしたルッカが這い出してきて、パタリと気を失った。
異世界転移、第一日目。
俺は最強の竜姫の「ストッパー」として、この歪な世界で生きていくことになったらしい。




