馬車
「……よかろう。第三王女の主張を認める」
長い沈黙の末、議長が苦々しい顔で木槌を鳴らした。
「その素性不明の人間は、これより『特級危険物』として第三王女ステラ殿下の専属管理下に置く。もしその『爆弾』が街で少しでも被害を出せば、殿下、貴様にも全責任を取ってもらうぞ」
「ええ。承知しているわ」
ステラは優雅に一礼した。
法廷内にざわめきが残る中、俺たちは踵を返し、衛兵たちが怯えて開けた道を堂々と歩いて退室する。
重厚な大理石の扉が背後で閉まった瞬間。
「……っ、危なかったぁ……」
俺は大きく息を吐き出し、そのままズルズルと壁際でしゃがみ込みそうになった。
「カイト!?」
ステラが慌てて俺の身体を支える。
「悪い、ご主人様。十五キロの鉄の塊をあんなドヤ顔で持ち上げ続けてたせいで、左肩の筋肉が完全に悲鳴を上げてる……」
「もう、無理するからよ。ほら、私の肩に掴まって」
法廷の外に出たことで、機神の防衛機能のエリアから外れた。
空気に再び、チリチリとした魔素の重みが戻ってくる。
だが、今の俺にとっては、魔素の毒よりも純粋な筋肉痛の方が大問題だった。
王宮の裏手に用意されていた竜公国の豪奢な馬車に乗り込むと、ステラはすぐに客車の防音魔術を起動した。
外の喧騒が完全に遮断され、ビロードのシートに沈み込む俺と、俺の隣にぴったりと身を寄せるステラだけの空間になる。
「ねえ、カイト」
ステラが、俺の黒鉄の義腕をそっと両手で包み込みながら、探るように上目遣いで見てきた。
「さっきの法廷での話……あれ、本当なの? 私の魔力を圧縮して溜め込んでるって」
「ん? ああ、あれか」
俺は痛む肩を右手で揉みながら、あっけらかんと言った。
「全部嘘だ。ただのハッタリだよ」
「……え?」
ステラが目を丸くする。
「熱力学の基本だ。熱は高いところから低いところへ移動する。俺の体はただの『通り道』であって、魔熱を貯蔵するタンクみたいな機能はない。お前から吸い出した魔力は、全部空気中に捨ててるよ」
「じゃ、じゃあ……メスで切られても爆発なんて……」
「しないしない。血が出るだけだ。超痛いけどな」
俺が笑って言うと、ステラはしばらくぽかんと口を開けていた。
やがて、彼女の肩が小刻みに震え始める。
「ふふっ……あははははッ!」
彼女は声を上げて笑い出した。
いつも背筋を伸ばしている王女が、お腹を抱えて、涙目になるほど笑っている。
「嘘……あんな、元老院の古狸たちを相手に、ただのハッタリで……っ! あいつら、カイトが爆発するって信じ切って、顔を真っ青にしてたわ!」
「魔法しか知らない連中には、科学用語を並べ立てれば魔法より恐ろしく聞こえるモンさ。まあ、ルッカがいたら『物理法則を舐めんな!』ってツッコミを入れられてたかもな」
ひとしきり笑った後。
ステラはふと真顔になり、俺の右手に自分の指を絡めてきた。
「……でも、怖かったでしょう。魔力がないあなたが、国の最高権力者たちを騙すなんて。もしバレたら、その場で斬り捨てられていたわ」
「そりゃ怖かったさ。膝が震えるのを隠すのに必死だった」
俺は正直に白状した。
俺はチート能力を持った英雄じゃない。ただの、口が回るだけの人間だ。
「だから言ったろ。あれはご主人様を守るための、ペットなりの精一杯の威嚇だ。本物の牙を持ってるのはステラ、お前だけなんだから」
俺がそう言うと、ステラの瞳に、あの深淵の底で見せたような、ひどく熱っぽくて重い感情が再び浮かび上がった。
「カイト」
彼女は俺の膝の上に乗り上げるようにして、俺の顔に自分の顔を近づけた。
吐息がかかる距離。
銀色の髪がサラリと俺の肩にこぼれ落ちる。
「あなたは本当に、ずるい人ね。そうやって自分の弱さを隠そうともしないで、私の庇護欲を煽るんだから」
「煽ってるつもりはないけどな。事実だし」
「元老院の奴らは、あなたのことを『特級危険物』って呼んだわ。……でも、ある意味でそれは正しいのかもしれない」
ステラは俺のネクタイをゆっくりと緩めながら、うっとりとした声で囁いた。
「私の熱を奪い、私に自分の命を預け、私の心をこんなにも狂わせる。……あなたは、私にとっての劇薬よ」
「お手柔らかに頼むよ、ご主人様」
俺が苦笑すると、彼女は俺の唇に、触れるだけの短いキスを落とした。
それは契約の印のようでもあり、所有物へのマーキングのようでもあった。
馬車は機工都市の石畳を滑るように進んでいく。
俺たちの前には、元老院という明確な政敵が立ちはだかっている。
だが、俺の隣には最強の竜姫がいて、俺の左腕には絶対の盾がある。
ペットと飼い主の、歪で強固な共犯関係。
この理不尽な世界を生き抜くための準備は、これで完全に整った。




