白亜の法廷
仕立てのいい黒の礼服は、左半身だけがマントのようにゆったりと作られていた。
ルッカが徹夜で用意してくれた、黒鉄の義腕を隠すための特注品だ。
それでも十五キロの重りをぶら下げて歩くのは骨が折れる。法廷の被告席に辿り着いた時点で、俺はうっすらと汗をかいていた。
「大丈夫? カイト、顔色が悪いわ」
隣に立つステラが、俺の右手をきゅっと握る。
豪奢な純白のドレスに身を包んだ彼女もまた、どこか息苦しそうだった。
見上げるほど高い天井、大理石の柱。
すり鉢状になった議場の最上段から、十数人の老人たちが俺たちを見下ろしている。
ここが竜公国の中枢、元老院本会議場『白亜の法廷』。
機神の防衛機能を利用した、絶対魔力禁止エリアだ。
「空気が、ただの空気だな」
俺が小声で言うと、ステラは小さく頷いた。
「ええ。魔素が完全に遮断されているわ。私の竜の力も、ここでは普通の小娘の腕力と変わらない」
だからこそ、元老院の老人たちは余裕の笑みを浮かべていた。
最強の武力を封じれば、政治の舞台では自分たちの方が上だと確信しているのだ。
議長席に座る、顔の半分が水晶化している老人が、重々しく口を開いた。
「第三王女ステラ殿下。貴様が禁忌である深淵に立ち入り、神の遺物を持ち出した件、本来なら国家反逆罪に問われる事案である。だが、我が元老院も慈悲はないわけではない」
老人は、虫けらを見るような目で俺を指差した。
「貴様の隣にいる、その素性不明の劣等種。魔力を持たぬ忌まわしき存在。……そいつを国家研究機関に引き渡せ。解剖し、兵器転用の糸口を探る。それに同意するなら、不問に付してやろう」
ステラの手に、ギリッと力がこもった。
彼女の指が俺の右手を痛いほど締め付ける。
「断る」
ステラは凛とした声で、議長を睨み返した。
「彼は私の所有物よ。誰にも指一本触れさせない。それに、彼を解剖したところで、あなた方の浅知恵で解明できるような存在ではないわ」
「戯れ言を!」
別の議員が机を叩いた。
「魔力を持たぬ肉塊など、神の骸に湧いたウジ虫も同然! 王女ともあろう者が、そのような汚らわしいペットに執着し、あまつさえ国益を損なうなど言語道断である!」
次々と浴びせられる罵声。
ステラは反論しようと唇を噛むが、魔力という「威圧感」がない状態では、政治的海千山千の老人たちの声に押し負けそうになっていた。
「衛兵! そのウジ虫を王女から引き剥がし、地下の研究室へ連行しろ!」
議長が命令を下すと、法廷の扉が開き、槍を持った四人の兵士が近づいてきた。
ステラが俺を庇うように前に出る。だが、魔力がない今の彼女の腕力では、武装した大人の男四人を止めるのは難しい。
「ステラ」
俺は彼女の細い肩に手を置いた。
そして、マントの下に隠していた十五キロの黒鉄の義腕を、ドスッ、と重い音を立てて手すりに乗せた。
「俺が話す」
「でもカイト、彼らは……」
「大丈夫だ。ちょっとご主人様の名を借りるよ」
俺はステラの横をすり抜け、一段高い被告席の手すりに身を乗り出した。
近づいてきた衛兵たちが、俺の黒い左腕を見て一瞬警戒して足を止める。
「解剖するのは勝手だが、あんたたち、リスク管理はできているのか?」
俺は法廷全体によく響く声で、議長に向かって尋ねた。
「リスクだと? 魔力を持たぬただの獣に、何のリスクがある」
老人が鼻で笑う。
俺は肩をすくめた。
「あんたたちの情報網なら、俺がステラの『結晶化病』を抑え込んでいることは知っているはずだ。……ステラから吸い出したあのアホみたいな量の魔熱、俺の体の中でどう処理されていると思ってる?」
議場の空気が、ピタリと止まった。
「俺の体は、ただの空箱じゃない。深淵の魔素と、竜の呪いを高濃度で圧縮・保管する『生体廃棄物処理場』だ。もし俺の体をメスで切り裂いたり、無理やり解剖しようとしたらどうなるか……想像できないほど馬鹿じゃないだろ?」
俺はハッタリを口にした。
本当は吸い出した熱はそのまま大気に放熱しているだけなのだが、この世界の連中は熱力学の法則など知らない。「溜め込んでいる」と言えば、そう信じるしかないのだ。
「馬鹿な……。貴様の中に、ステラ殿下の過剰魔力が蓄積されているとでも言うのか……!?」
議員の一人が青ざめて立ち上がった。
「そうだ。俺の皮膚を一枚でも裂けば、圧縮された魔熱が暴走して爆発する。この王都の半分が消し飛ぶレベルのバイオハザードだ」
俺は手すりに乗せた義腕の指を鳴らした。
金属の冷たい音が、静まり返った法廷に響く。
「俺の体内のエネルギーを安全に安定させられるのは、俺と生体リンクを結んでいるステラだけだ。俺を引き剥がすってことは、安全装置のついてない核爆弾を、自分たちの寝室に持ち込むのと同じことだぜ?」
衛兵たちが、怯えたように俺から後ずさりした。
ただの無力な人間が、触れれば爆発する最悪の呪い持ちへと、彼らの脳内で一瞬にして変換されたのだ。
「き、貴様……我々を脅す気か……ッ!」
議長の顔が屈辱に歪む。
「脅しじゃない、事実の確認だ。俺はご主人様のそばにいないと、いつ爆発するかわからない欠陥品だからな」
俺が振り返ると、ステラは驚いたように目を瞬かせた後、俺の意図を察して、ひどく悪い笑顔を浮かべた。
彼女は優雅な足取りで俺の隣に並び、俺の右腕に自分の腕を絡ませた。
「そういうことよ、元老院の皆様。この子はとっても危険なペットなの。私以外には絶対に手懐けられないわ」
ステラが議長を見下ろして微笑む。
魔法が使えないこの空間で、俺の「知識のハッタリ」が、元老院の権力を見事に封じ込めた瞬間だった。




