元老院からの招待状
「……重い」
退院して屋敷のリビングに戻った直後。
俺は自分の左腕を見下ろし、思わずため息をついた。
ルッカの作った漆黒の義腕『神の胆石』の性能は、確かに素晴らしい。
魔力駆動ではないのに、指先の精密な動きまで俺の意思と完全にリンクしている。
だが、致命的な問題があった。
腕そのものが「純度100%の鉱石の塊」なのだ。推定重量、およそ十五キロ。
米俵を常に片手でぶら下げているようなものである。
「いてて……肩が外れそうだ」
左腕を持ち上げようとしただけで、生身である肩の関節と背筋が悲鳴を上げる。
義腕の握力は1トンを超えているらしいが、それを振るうための「俺自身の筋肉」が全く足りていない。
「ほら見ろ。いくらパーツが最強でも、土台が貧弱な人間じゃあ宝の持ち腐れだ」
ソファーでふんぞり返りながら、ルッカが鼻で笑う。
「あのな、俺は元々インドア派のオタクなんだぞ。重い物なんてキーボードかマウスくらいしか……」
「カイト! 駄目よ、無理して動かしちゃ!」
キッチンから飛んできたステラが、慌てた様子で俺の左腕を下から支えた。
「ほら、座って。喉は渇いていない? クッションはこれくらいでいいかしら。……ルッカ、カイトの肩をマッサージしてあげて」
「なんで私がテメェのペットの肩揉みしなきゃなんねーんだよ!」
ステラは俺をソファーに座らせると、まるで壊れ物を扱うように俺の周りをウロウロし始めた。
「ステラ、大げさだ。俺は病気じゃない」
「でも、少し歩いただけで息が上がっていたわ。やっぱり、私がずっと抱っこして移動するべきね」
本気で言っているらしい。
彼女の瞳には、一切の冗談の色がない。
俺が深淵で腕を失って以来、彼女の俺に対する過保護っぷりは異常なレベルに達していた。
「いいか、ステラ。俺のこの腕は『魔力による攻撃』を防ぐための盾だ。でも、俺の身体能力は相変わらず最弱のままだ」
俺は彼女の目を見て、はっきりと言った。
「もしその辺のチンピラに鉄パイプで後頭部を殴られたら、俺は死ぬ。……だから、物理的な脅威からは、今まで通りお前が俺を守ってくれ。俺はお前の後ろに隠れるから」
俺がそう宣言すると、ステラは嬉しそうに目を細めた。
「ええ。もちろんよ。カイトに近づく羽虫は、全部私が焼き払うわ」
彼女は俺の右手に頬を擦り寄せる。
自分はあくまで「ペット」であり、戦力としては数えられないという事実。それを俺が自覚していることが、彼女の独占欲を心地よく満たしているようだった。
その時だった。
ピィィィィィン……!
窓の外から、甲高い耳鳴りのような音が響いた。
ルッカが顔をしかめ、腰のスパナに手を伸ばす。
「……なんだ? また刺客か?」
音の正体は、窓の隙間から滑り込んできた「銀色の折り鶴」だった。
金属製のそれは、テーブルの上に着地すると、自らパタパタと展開し、一枚の薄い金属板へと姿を変えた。
金属板の表面に、紫色の文字が浮かび上がる。
『竜公国・第三王女ステラ・ドラゴニアへ。
貴殿の私邸における不祥事、および機神の深淵への無断侵入の件について。
明日の正午、元老院本会議場『白亜の法廷』にて審問を行う。
なお、連れ帰ったとされる「未登録の特異個体(人間)」も必ず同伴すること』
文字を読み終えた瞬間、ステラの周囲の空気が急激に冷たくなった。
いや、冷たくなったのではない。彼女の怒りで、魔力が空間を歪めているのだ。
「……元老院の、タヌキ共」
ステラが金属板を睨みつけると、それだけで板が熱を持ち、ドロドロに溶け始めた。
「暗殺に失敗したから、今度は政治でカイトを奪い取るつもりね」
「おいおい、最悪のタイミングじゃねえか」
ルッカが頭を掻きむしる。
「『白亜の法廷』ってのは、機神の防衛機能を利用した絶対魔力禁止エリアだぞ。あの中じゃ、ステラ、お前はただの小娘と同等の腕力しか出せなくなる。ステラの武力抜きで元老院と交渉するなんて、自殺行為だ」
完全に相手の土俵だった。
暗殺という「非公式」な手段が潰された彼らは、「公式」な裁判で俺の存在を危険物として処理する気なのだ。魔法が使えない法廷なら、ステラが暴れるすることもできない。
「行く必要はないわ」
ステラが冷酷な声で言った。
「こんな紙切れ、無視すればいい。もし兵士を差し向けてくるなら、私が屋敷ごと吹き飛ばす」
「待て、ステラ」
俺は彼女の肩に右手を置いた。
「出頭拒否は、あいつらに『反逆』の口実を与えるだけだ。お前を王女の座から引きずり下ろすのが奴らの本命だろ」
「でも……! あの法廷に行けば、カイトが……」
俺の身を案じて、彼女の声が震える。
俺はソファーからゆっくりと立ち上がった。義腕の重さで少しよろめいたが、なんとか踏みとどまる。
「魔法が一切使えない空間、か」
俺は、鈍く黒い光を放つ自分の左腕を見た。
「つまり、あいつらも魔法が使えないってことだろ?」
ルッカが目を丸くした。
「まあ、そうなるな。元老院のジジイ共も、法廷の護衛兵も、魔力がなけりゃただのひ弱な亜人だ。……お前、まさか法廷で殴り合う気か!?」
「まさか。俺の体力じゃ、十五キロの腕を振り回す前に息切れするよ」
俺は苦笑して、重い左腕をソファーの背もたれにドサッと乗せた。
魔法使い同士の社会では、権力=魔力だ。
それが封じられた場所では、今まで通用しなかった「現代の知識」や「論理」という武器が初めて役に立つ。
「俺はただのペットだ。でも、ご主人様の立場が危ういなら、少しは役に立つところを見せないとな」
俺がステラを見ると、彼女は不安そうに俺の服の裾をぎゅっと握りしめていた。
「約束して。もし少しでも危険だと思ったら、すぐに私の後ろに隠れるって」
「ああ、約束する。一番安全な場所だからな」
ステラは少しだけ不満そうに唇を尖らせた後、小さく息を吐いた。
「ルッカ。明日着ていく礼服の準備を。カイトにも、最高級の服を見繕って頂戴」
ルッカが「へいへい」と肩をすくめて部屋を出て行く。
ステラは俺のネクタイを直すような仕草で、俺の胸元にそっと手を当てた。
「法廷では、私の許可なく喋らないでね。あなたは私の大切なものなんだから」
俺は彼女の銀髪に触れ、無言で頷いた。




