第8話 『塔の調査官ジル、学院と激突』
扉が軋む音とともに、
ジル=グランツは結晶室へ足を踏み入れた。
黒い外套。
銀の瞳。
冷気のように静かな気配。
彼が一歩進むだけで、
室内の魔力がわずかに“沈む”。
まるでそこに立つだけで
周囲の魔力を従わせてしまうようだった。
アイラが杖を向ける。
「ジル。
学院の許可なく特例生に接触することはできないはずよ」
ジルは淡々と答える。
「それは“通常の生徒”の話です。
昨夜の反応……あれは明らかに異界波形。
塔として、確認しないわけにはいかない」
ミナトが前に出る。
「確認なんて口実だろ。
お前らの目的は……ケントを“持っていく”ことじゃねぇのか」
ジルの瞳が一瞬だけ細くなる。
「ミナト・グラヴェル。
父親譲りの短気は治っていないようだ」
ミナトが歯を食いしばる。
(俺の家のことまで把握してやがる……)
リオンが静かに言う。
「ジルさん。
あなたの冷静さは知ってる。
でも……この少年を見る目が“道具”に向けるものだ」
ジルは否定しない。
「その通りです。
彼は道具以上の価値をまだ証明していないので」
ケントは言葉を失い、影が大きく揺れた。
ジルはその揺らぎに目を細める。
「……反応している。
やはり昨夜、完全に目覚めたな」
アイラが叫ぶ。
「ジル! これ以上近付いたら――!」
だがジルは一歩踏み込む。
その瞬間――
ケントの影が床から“跳ね上がった”。
黒い波紋が床を裂くように広がり、
影は生き物のようにジルへ牙を向ける。
ジルは微動だにせず、手を伸ばした。
白い光が瞬き、
影の波紋が弾かれた。
ケントは叫ぶ。
「やめろ……! 勝手に出てくるな!」
影は主の声に反応し、震えながら萎んでいく。
ジルはその挙動を興味深そうに見つめた。
「自律反応。
主の意志とは無関係に守りかかる……
実に危険な兆候ですね」
ミナトがジルの前に飛び出す。
「危険でもなんでもいい。
ケントは俺たちが守る」
リオンも横に並ぶ。
「塔のやり方には任せられない。
彼の力は確かに荒れているけど……
それは“目覚めたばかりの子鹿”と同じだよ」
アイラは杖を掲げ、
結晶室の壁に学院の紋を浮かび上がらせた。
「塔であっても、学院の保護下にある者へ
強制干渉はできないはずよ、ジル」
ジルの口元がわずかに歪む。
「学院は、塔の下部組織です。
保護とは……塔が許した範囲において、成り立つもの」
ミナトが啖呵を切る。
「それを勝手に決めんなよ!」
ジルは静かに手を伸ばす。
ケントの影が再び逆立ち、
床の結晶がピキピキとひび割れた。
ケントは必死に影を押さえつける。
「やめろ……来るな……俺は……!」
ジルは歩みを止めず、
ケントを真っ直ぐ見る。
「――恐れるな。
君は塔が導くべき“特異点”だ」
ケントの目が揺れた。
(特異点……?
まただ……この世界に来てから……
俺だけが何か違うみたいに扱われて……)
アイラが叫ぶ。
「ケント! 惑わされないで!
塔はあなたを『ひとつの材料』としてしか見ていない!」
ジルが冷たく言い返す。
「材料で何が悪い?
世界を更新するには、優先順位が必要だ」
ケントの影が激しく波打つ。
リオンがケントの肩に触れる。
「ケント。
君は材料じゃないよ」
ミナトが拳を握る。
「お前は俺たちの仲間だ」
アイラは真剣に言う。
「あなたは、自分で選べる。
誰の力になるかを」
ケントの視界が揺れた。
そして――
ジルが最後の一歩を踏み出した瞬間。
結晶室全体が震え、
影の奔流がジルに襲いかかった。
「ケント、下がれ!」
ミナトとリオンが同時に彼を引き戻す。
影が渦を巻き、
黒い風がジルの外套を切り裂いた。
ジルは初めて、わずかに瞳を見開く。
「……ほう」
その一言に、
この男が本当に危険だということが
ケントの背筋に突き刺さった。
ジルは光の刃を指先に生み出し、
影を切り裂こうとする。
だが――その前に。
アイラが杖を叩きつけた。
「結晶結界、起動!」
室内に巨大な光壁が広がり、
ジルとケントたちを隔てた。
ジルは光壁を睨む。
「学院として……
塔の命令に逆らうつもりか?」
アイラは震える声で言った。
「間違っていると思う命令に
ただ従うほど……私は従順じゃないの」
ジルの瞳が冷え切った光を帯びる。
「ならば、学院ごと“再評価”が必要だな」
ミナトが叫んだ。
「無茶苦茶だろ、お前ら塔は!」
ケントは影の震えを抑えながら、
息を呑んで言った。
「俺は……
誰の材料にもならない……!」
影が静かに波打ち、
ケントの意志に呼応する。
ジルはその変化を見逃さなかった。
「――なるほど。
確かに“世界を揺らす側”の素質だ」
不気味な静寂が落ちた。
塔と学院の衝突は、
ここから避けられない。
ケント自身も、
もう逃げるだけでは済まされないのだ。




