プロローグ:黄金の夜
――その夜、世界の時間は止まった。
サミウー大陸ホワイト領。
外れに位置する小国、グランベール王国。
穏やかな灯火に包まれていたはずの国は、
翌朝には“地図から消える”ことになる。
★
王城の奥、宝物庫。
封印の鎖が静かに震えた。
誰にも踏み入れられるはずのない、禁断の間。
その中心に置かれた一つの聖杯――
黄金に輝く杯が、不気味に脈動していた。
それに触れようとする影。
「ようやく……ここまで来たわ、ベヒモス。
始祖ミラ・ホアキンが遺した“時の魔導書”。
その力は、私が頂く。」
女の指が封印をなぞる。
途端――
カンッ。
乾いた“割れる音”が、宝物庫に響いた。
次の瞬間、
聖杯から溢れたのは光ではなかった。
沈黙。
空気が凍りつき、
壁が、床が、積まれた宝石が、
女の髪の一筋までもが金色に震え始める。
女は微笑む。
「……これが“時を奪う力”。
素晴らしい……完全に掌握できれば――」
だが、言葉は途切れる。
聖杯の奥から現れたのは、
獣の影のような禍々しい魔力。
魔導書〈黄金の魔獣ベヒモス〉。
封印を解いた途端、
魔導書自身の意志が暴走したのだ。
“黄金化”。
そして、
“存在から時間を剥ぎ取る呪い”。
波紋のように広がるその呪いは、
王城の壁を、街を、森を――
触れたすべてを一瞬で黄金へ変えていく。
★
城下町。
「エド! こっちへ来るんだ、早く!」
幼い金髪の少年――エドは、
父に抱えられながら走っていた。
背後で見たものは、
今も夢に出る“地獄”だ。
逃げ惑う人々。
折れた剣。
泣き叫ぶ子供。
それらが、
順に“黄金の像”へと変わっていく。
母の手が黄金に侵されながらも、
最後の力でエドの頬に触れる。
「エド……生きて……」
その笑顔のまま
母は金色の光となって固まった。
父も同じ運命を辿る。
エドを突き飛ばすようにして――
黄金に変わった。
エドの小さな足は震え、
声も涙も出ない。
黄金の波が迫る。
温度も、痛みも、何もない。
ただ、光だけが全てを奪おうとする。
エドは呑み込まれ――
光の中に消えた。
★
王城の上空。
黄金の風を浴びながら、
女王がゆっくりと目を細める。
「……王国は滅んだ。
だが――あれは何?」
黄金の波の中。
わずかに“揺らぎ”が見えた。
黄金化の中心で確かに“動いたもの”。
誰かの影。
それが何なのかは、
この時の、女にも判別できない。
だが――
「ふふ……生き残り?
まさかね。でも……もしそうなら。
“器”たり得る子かもしれない。」
女は、
崩れ落ちる王宮を背に、闇へ姿を消した。
グランベール王国はその夜、
誰一人として戻らない“黄金郷”となった。
ただし歴史に記録されなかった事実が一つ。
――あの金髪の少年が、
あの地獄を生き延びていたということ。




