40.恒川紅葉と二人きりの夜 (前)
ホテルの二階には、広々とした洋食レストランが設けられていて、宿泊客なら誰でも無料で夕食を楽しめるらしい。朝食も昼食ももちろんOKだとか。
俺と恒川は部屋でちょっと休んだ後、佐々木先生に連れられて、みんなと一緒にレストランに向かった。
味の方は……まあ、悪くはなかった。けど、正直、洋食はあんまり好きじゃないんだよな。適当に口をつけて、さっさと部屋に戻ることにした。
「はぁ……つまんねえな……」
ベッドにダイブして、ぼーっと天井を眺める。部屋は静まり返っていて、時計の針の音さえ聞こえるんじゃないかってくらい。何をすればいいんだろう……
家にいたら、この時間には絶対マンガを読んだりゲームしてるのに!
よし、マンガにしよう! 確か前に読んでたのは……
ガチャンッ——
この時、ドアが勢いよく開いて、恒川が部屋に入ってきた。
手には何やら袋を持っているけど、中身は見えない。なんだろう……気になるけど、聞くのも面倒くさいな。
「おっ、もう食べ終わったのか。」
「うん、まあまあ美味しかった。でも、なんかちょっと物足りなかった。」
「なんかさ、それって美食家がシェフの料理を批評してるみたいだな……」
「いや、そこまでじゃないよ。ただ、こういう料理は前からよく食べてたから、一口でだいたいの出来はわかるんだ。」
……よく食べてた? まさか、お嬢様とかそういうタイプなのか?
「ってことは、お金持ちの子女?」
「え? なんでそう思うの?」
彼女は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに普段の顔に戻り、自分のベッドに腰を下ろした。そして、カバンに手を突っ込み、何かを探し始める。
「だって、こういう料理、普通の人が頻繁に食べられるようなもんじゃないでしょ?」
彼女はそれを聞いて、カバンの中を探る手を一瞬止めた。しかし、すぐにまた動き出し、そのまま探し続けながら、口元を少しだけ緩ませた。
そして、カバンから文学関連の本を一冊取り出し、数ページめくった後、ふっと息をついてから、私に逆に質問を投げかけてきた。
「見崎くん、あなたにとって『お金持ちの子女』って、どんなイメージなの?」
え? なんで急にそんなこと聞く?もしかして、俺の認識が偏ってるってこと?
「そ、そりゃ……文字通りの意味だと思ってんだ。つまり、親がお金持ちで、その子女はお金持ちの子女ってことじゃん」
「じゃあ、もしあのお金持ちの息子や娘が、親からの愛を感じられなかったら、その人はまだ『お金持ちの子女』なのかな?」
「なんで急にそんなこと聞くんだよ……」
「別に。ただ、あなたがその言葉をどう捉えてるのか、ちょっと知りたかっただけ。」
彼女は口元を緩ませたが、声には出して笑わなかった。彼女のこの質問に対して、俺の答えは——「角度による」だった。
「それは、どの角度から見るかによるよ。見る角度が違えば、答えも変わってくるからさ」
「へえ~? どんな角度があるの?」
そう言いながら、彼女はベッドの端に座り、足を組んで俺を見つめた。まるで俺がこれから「講義」をするのを楽しみにしているかのように。
「どう言えばいいかな……まあ、簡単に言うとね、血縁関係の角度から見れば、その人が何を経験しようと、その人が親の子供であることに変わりはない。でも、『愛』の角度から見ると、二つの場合に分かれる。一つは、その人が勝手に『親からの愛を感じられない』と思い込んでいる場合。実際には親は愛や関心を注いでいるのに、本人がそれに気づいていないだけ。この場合は、愛の角度から見ても、その人はやっぱり親の子供だ。もう一つは、親が本当に愛を与えていない場合。むしろ、その人を道具のように扱っている場合。この場合は、たとえ血縁関係があっても、そんな親は親じゃない。ひどいことを言えば、クズだよ」
「へえ~、そんなことまで考えてたんだ。てっきり、あなたは食べて遊んで寝るだけの人生だと思ってたよ」
恒川はからかうような目で俺はを見て、左手で顎を支えた。
「仲良くなる前に、勝手に人を決めつけないでくれよ! そんな人間じゃないって!」
「それは仕方ないでしょ?だって、普段の見崎くんはほんとにだらだらしてるから。そういう認識を持たざるを得ないんだよね」
「た、確かに普段はちょっとだらけてるかもしれないけど、だからって豚みたいに食べて寝てばっかりってわけじゃねぇよ!」
……まあ、生活リズム的にはほぼそれに近いけどな。でも、それは俺のせいじゃない!
この不公平だらけの世界で、俺はただ、もがくのをやめただけだ。どうせ人はいつか死ぬんだ。名声や富を手に入れたところで、結局はそれを棺桶に詰めて、誰も知らない世界へ旅立つんだから。
毎日を平凡に過ごすこと——それが普通の人にとって最高の人生なんだ。
生きるということは、ただ死を待つ過程にすぎない!
「うーん~どうやら、ちょっとあなたへの認識を変えなきゃいけないみたいだね。」
「『変えなきゃいけない』って何だよ?俺のこと、まだ悪く思ってるところがあるの?」
「いや、そういうわけじゃないわよ。あなたの言った通り、やっぱり人って、お互いに少しずつ理解していくもんだろ?ってか、私のこと、どう思ってるの?」
——実際のところ、俺は「ただの堅物なやつ」って評価してるけど、こんなこと言ったら、殴られたりしないよな……?
「どう言えばいいだろね……最初は悪くなかったかな、顔も良いし、なんか近づきにくい雰囲気もあったけど、俺が反省文書くの手伝ってもらった時、意外と良い奴だなって思った。」
「最初?じゃあ、後はどう思ったの?」
「後は……なんかいつも堅物で、たまに水を差してくるから、ちょっと嫌な奴だなって思う時もあった。けど、数日前に、お前のライブを見た後、結構熱い心を持ってるって知って、今は、ちょっとウザくて熱血な奴だって思ってる。」
俺の評価を聞いた彼女は、思わず口を押さえて笑い出した。
「何笑ってんだよ?」
「いや、なんか、あなたって意外と観察力があるんだなって。」
ということは、彼女も自分がそんな人だって認めてるってことか?
「まあ……そんなもんかな。」
「じゃあ、話を戻すけど、愛の視点から見て、自分の子供を道具みたいに扱う親はクズだよね?」
「そうだよ、どう考えても。」
「じゃあ、あの人ってお金持ちの子女じゃないってことになるよね?だって、ただの道具に過ぎないんだから。」
愛がなければ、親になる資格なんてない。子供を道具のように扱うなんて、それこそクズだ。
でも、恒川は今、そんなことを言ってるけど、もしかして、彼女がその道具の子供なのかよ?
「そ、そんなふうに言われると……まあ、そうとも言えるけど……なんで突然そんな話を?まさかお前、その道具の子供だったりする?」
遠回しに言うのではなく、ストレートに彼女に聞いてみた。もし彼女がその道具の子供なら、精神的にサポートしてあげたいと思っていたからだ。
だが、彼女の返答は予想外だった。
「ただ、さっき本でそんな話題を見かけたから、ちょっとあなたに聞いてみたくなっただけ。」
そう言って、彼女は本を掲げて、わざわざ俺に見せてきたが、正直言ってよく見えなかった。
なんだよ!結局ただ本で見かけた話題だったのか!?
てっきり彼女がその道具の子供だと思って、ちょっと同情してたのに……クソ!こんな簡単に俺の同情を引き出しやがって。
やっぱり俺、優しすぎるな。
「なんだよ、それで……てっきり俺は……」
「てっきり、私がその道具の子供だと思って、同情してたの?」
えっ?こいつ、どうして俺の心の中がわかるんだよ?前回も、今回も……まさか、本当に読心術でも使えるのか?
「お前……意外と当たってるじゃん……もしかして、読心術でも使える?」
「もちろん違うよ。ただの心理学の基本的な知識をちょっと知ってるだけ。さっきの表情を見て、あなたの気持ちがだいたいわかっちゃった。」
恒川は口元を抑えて「ふふふ~」と笑いながら言った。こいつ、心理学まで知ってるのか?もしかして、これが本を読むことの利点ってやつか?
よし!俺も普段からちょっと本を読んでみよう!
結果、漫画を一冊また一冊と読み進めて、最後には何も学べず成績も下がる——エンド!
うーん……やっぱり本なんて見たくないけど、ラノベなら許せるかな!
「まさか、心理学の本まで読んでるの?」
「基本的には、どんな本でもちょっとは読んでるよ。それが私の趣味みたいなもんかな。いろんな本を読むことで、違った楽しさを感じられるから。」
これが天才か?本に興味を持てるなんて、俺、絶対無理だ!ラノベは別だけど!
「なるほど、だから国語が得意なんだね。やっぱり本をよく読んでるからか。」
「多分そうだね。本を読むことにはいいことがいっぱいあるんだ。でも、悪い点もあって、姿勢が悪かったり、光の加減が良くなかったりすると、目を悪くするんだよね。」
「そりゃそうだよ……あれ?そういえば、確かお前って近視だよな?」
「うん、そうよ。昔、姿勢が悪かったり、暗い場所で本を読んだりしてたから、こうなっちゃった。」
目の問題があるなら、ちゃんと治療して眼鏡をかけたほうがいいだろう。じゃないと、近視が進んだら大変なことになるぞ。
「じゃあ、なんで眼鏡かけないの?」
「だ、だって眼鏡って不便だし。」
不便だから眼鏡をかけない!?その理由は何だ?目の健康の方が重要だろうが!
「それだけ?」
「う、うん!そう!」
「なんだよ……本当にわからない。とりあえず、早く治療したほうがいいよ。じゃないと、どんどん悪くなる一方だよ。」
「わかってる、でも、私は……あ、わかった!暇だったら行くから。」
なんだよ?恒川、今日はちょっとおかしいなぁ……
でも、どこが変なのかはよくわからない。さっき、何か言いかけて止まったような気がするし……何を考えてるんだ、こいつは?
「まあ……わかりゃいいんだ。」
ベッドに寝転がり、さっきの漫画本を手に取った。恒川との会話はそこで止まって、その後は漫画を読む時間になった。