54・回想/レイラ・アンドヴァリの思い残し
「嫌だ」
涙が頬にかかる。温かな雫が、ぽたぽたと頬をぬらす。
「レイラ、嫌だ。僕をおいていくな、ゆるさない。……なんで、やっと夫婦になれたのに」
幼い頃に助け出して、立派な魔術師に育ったシュヴァルツ。
泣かないで、だって私がやらなければ、あなたが怪我をしてしまう。
それに兄さまも両親も言っていたもの。私はアンドヴァリ公爵家の魔術師。
国を守るため、皆を守るため、強い力は使うもの。
私はそうやって生きてきた。だから後悔はしていないわ。
(でも、なぜかしら)
(私が消えてしまうと、あなたの涙を拭えなくなるのね)
(あなたを泣かせてしまうことになるのね)
すっかり忘れてしまっていた。
そうだ。私は世界を救う代わりに、世界で一番大切な人を泣かせるのだ。
魔術師としては後悔はない。けれど。
(ごめんね。お嫁さんとしては失格ね、私)
体が消えていく。意識も溶けていく。強い魔力の奔流そのものになって、湖に、森に、空気に溶けていくのを感じた。体が薄く、遠くまで広がっていく。
(お嫁さんになったときは、やりたいことはいっぱいあったのよ? 未練がないわけではないのよ?)
希薄になっていく『私』にあらがうように、なぜか頭にやり残したことが浮かんでいく。
考えるのは、シュヴァルツの事ばかりだ。
(あなたを応援したかった。あなたを見守って、一生さみしくないように寄り添っていたかった)
(あなたとたくさん楽しいことがしたかった。やっと平和な時代になったんだもの、一緒に冒険したいところはいっぱいあった。一緒に過ごしたい夜はいっぱいあった)
ふと、幼い初めて会った頃の彼が浮かんだ。
(子供も遺してあげたかったわ。あなたの子供は絶対かわいいもの。あなたはとってもきれいだから)
私は無のなかに揺蕩っていた。
温かく、優しく、全てが溶けた世界。時間の感覚も己の肉体の感覚も無い。
意識と魔力だけが、海のような広さでそこに存在していた。
(そうね、貴方によく似た青い瞳で、私の銀髪で……初めての子供が男の子だと、あなたはやきもちをやくかもしれないわ。だから最初は女の子で……)
私の中で、シュヴァルツが銀髪の女の子を抱きしめている様子が頭に浮かんだ。
私によく似た、それでも表情の動きや瞳の色はシュヴァルツそっくりの、元気で優しい女の子。
シュヴァルツの生きがいになってくれる子。シュヴァルツに未来を与えてくれる子。
私の生きた証。『大自在の魔女』でも『アンドヴァリ公爵令嬢』でもない、レイラを継ぐ命。
無の中で、ゆっくりと何かが育まれていく感覚がする。
『大自在の魔女』の力は、物質に作用する力。
その力で魔物を浄化したならば、無に漂った中から、新たな命を構築するのも可能だった。
シュヴァルツの魔力と、レイラの魔力。そして大地に宿る魔力が絡み合っていく。
ゆっくりと、ゆっくりと、無を母胎として、何かが生じていく。
私は微笑んだ。
(よかった。……あなたに、遺すことができた。もう私は、悔いはない……)
満たされた。
そう思った瞬間、私は急に体が何かに引き寄せられる感覚がした。
肉体を感じる。五感を感じる。その衝撃に頭が真っ白になる。何も考えられない。
――リリーベルとして生まれた時、レイラは既に何も覚えていなかった。
第一部完結です!
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一旦休止期間を空けて、改めて第二部の更新再開する予定です。
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