52・次世代の『魔女』
ギルバートが空間魔術で飛ばそうとしているが、形が常に動くスライムを捕らえるのが困難で、罵倒しながら舌打ちする。
「くそ、全ての魔術と相性が最悪すぎる……!」
10年間、王国はこの魔物にどれだけ手こずったか。
理論上魔力の元を絶って枯らし尽くせばいいのだが、それができなかったのでレイラは命をかけて魔物を分解、浄化する必要があった。
(でも今、命を賭けるわけにはいかない!)
私はシュヴァルツを見た。
「追加の浄化ポーション、この部屋までどのくらいで届きそうでしょうか?」
「既にジョアンが来る前から準備しているが、転移装置からの持ち出しに時間がかかっている。総出で運ばせているから数分、時間稼ぎができれば……!」
「数分……」
ドレインスライムは確か、宿主にした生物と近い存在を次に狙う。
ジョアン・シブレットの血を引いているのはこの部屋で私だけだ。
(大丈夫、落ち着けば『大自在の魔女』の力で防ぎ続けられる!)
その時。
突然扉が開く。追加の浄化ポーションではなく、現れたのは――心細くなったエリファだ。
部屋の中を見て、彼女は青ざめる。
「お母さま……っ!?」
彼女が顔を出した瞬間、ドレインスライムの動きが変わる。彼女も狙い始めた!
カトリネが叫ぶ。
「エリファ! ダメよ!」
カトリネは必死の形相で、エリファを部屋から突き飛ばす。
次の瞬間、カトリネの後頭部にドレインスライムが張り付く。
「あああああああっ!」
あっという間に顔を覆い、全身を覆い、カトリネの魔力を食らい尽くす。
ジタバタと手足を悶えさせ、ばたりと倒れる。
彼女の生命力と魔力を吸い上げ、どんどんドレインスライムは質量を増す。
「っくそ……! 余計な邪魔しかないのか……!」
ギルバートはずっと空間魔術で別の空間に飛ばそうとする。
しかし全部が飛べる前にドレインスライムはぐにゃりとゆがみ、部屋に飛び散ることで逃げる。
そして部屋にいる人間達にくっついて、魔力を吸ってますます膨らむ。
風魔術で壁を作れば体を覆われることは防げるが、壁から魔力を吸い上げられるからドレインスライムはますます力を増すばかりで。
なぜこのポーションが禁術扱いなのか。
それは、人間に魔物を喰らわせて魔術を使わせる非人道的ではないのももちろん理由だし、暴走したら飢えつづけた魔物が暴れるからだ。
次々と、魔術を吸われた魔術騎士、関係者達が倒れていく。
「ええーい! レイラ様のかたきうちですわ!!!!」
ミントローズが治癒作用のある人工透明スライムを投げて、スライム同士で食い合いをさせている。だが圧倒的に質量を増したスライムには対抗できない。
シュヴァルツとギルバートの魔力も尽きていく。私も自分が狙われているので、『大自在の魔女』の力で自己防衛するのが精一杯だ。
ギルバートがうめく。
「まだか、研究所の応援は……!」
その時。
大きな塊に収束したドレインスライムの動きが、私の体を覆わんと飛びかかってくる!
「リリーベル!」
私を抱きしめ、シュヴァルツが倒れる。
シュヴァルツに襲いかかろうとするスライムを、私は無我夢中で引き剥がす。
シュヴァルツのマントを外して、思いっきり包んで遠くに飛ばす。
しかしそれでも微量なドレインスライムがシュヴァルツに絡みつく。
(離れて! 私のシュヴァルツを、食べるなんて許さないんだから!)
頭の隅に、前世の記憶が鮮烈によみがえる。
湖まるごとドレインスライムになった絶望。
空を突くように広がり、古城を飲み込むドレインスライム。
国をまもるため、シュヴァルツを守るため。
私は己の全部の力を使って、ドレイクスライムまるごとの物質を分解し、浄化したのだ。
(……これくらいの量なら、命を落とさずにも浄化できるかも)
(私がしなければ、みんなが倒れてしまう)
私は立ち上がり、メイドキャップを外す。ふわっと髪が広がった。
レイラの時は銀髪だった長い髪。今の私は金灰色のふわふわの髪だ。
「下がっていてください、旦那様」
髪に力を入れようとしたその時。
倒れたシュヴァルツが、私の足首を掴んだ。
「やめろ!」
喉が張り裂けんばかりの叫びだった。
「それだけは絶対にやらせない! 君にやらせたら……僕はレイラに顔向けができない!」
その声に、死を迎えた私を見下ろしたシュヴァルツの絶望の慟哭が重なる。
あの頃はまだ、変声期の名残が残る掠れた声をしていた。
『僕はあなたに守られてばっかりじゃないか、レイラ。僕は……まだ……なにも返せていないのに……!』
熱い涙が頬に落ちる感覚が、生々しくリリーベルの頬によみがえった。
(私は何をしているの? また、シュヴァルツを悲しませるの? せっかく、次こそは幸せにするって決めたのに)
私の逡巡とシュヴァルツの叫び。時間にすれば数秒にもならない時間の間に、私はめまぐるしく思いをはせていた。
(この人を守りたい。次こそは命だけじゃなく、心まで)
(でも、この状態で、どうすれば……)
その時。
扉が思いっきり爆散した。――文字通り、爆散した。
転移の鏡が、思いっきり扉を突き破ってきたのだ。
「おまたせ! もってきたよ!」
扉を破壊した粉塵の向こうから聞こえてきた声に、私たちは声を揃え叫んだ。
「ユーグカ!」
「ユーグカお嬢様!」
ユーグカは『大自在の魔女』の力で、壁ごと転移装置をくりぬいて持ってきていた。
本来転移装置は壁に設置するものなので、こうやって運ぶものではない。
どしんと地響きを立てて転移装置を置くユーグカ。
「よくやった! ユーグカ!」
「義兄上、それを想定してユーグカを……!?」
「今はポーションを撒くのが先だ! やれ、ユーグカ!」
私はユーグカに駆け寄る。
そして一緒に『大自在の魔女』の力で転移装置を支える。
二人で顔を見あわせ、頷いた。
「りーねー!」
「いっせーの!」
「やっちゃえ!」
ユーグカが言った直後。
鏡から、大量の浄化ポーションの奔流が部屋の中に注がれる!
私はとっさに窓と出入り口を『大自在の魔女』の力で密閉し、ユーグカを頭より高く抱え上げる。
「ユーグカ様! 部屋そのままをうがいみたいにがらがらぺーします!」
「わかった!」
私も含め、ユーグカ以外の全てが浄化ポーションに飲み込まれる。
喉の奥に入って苦しいけれど、万が一を考えると全部浄化させた方がいい。
『大自在の魔女』の力で椅子や机といった危ないものは水流で流されないようにする。
ポーションがぐるぐると部屋の中で渦を巻き、部屋の中のドレイクスライム全てを飲み込んでいく。紫色でもがくように漂っていた塊が、ある瞬間を境にすっと透明になって消えた。
――浄化が完了したのだ!
『大自在の魔女』の力を使って、水流を研究所のほうへと押し流す。
向こうは向こうで対策を練っているだろう、多分。
数分後、部屋の中は丸洗いしたような状態になっていた。
殆どの魔術師は気絶して転がっている。シブレット男爵夫妻は二人とも、カラカラになるまで魔力と体力を奪われているものの命に別状はなさそうだ。
げほっとむせて、シュヴァルツが身を起こす。
全身びしょ濡れで、体に髪も衣服も張り付いている。
「……おわった、のか……」
「旦那様! ご無事ですか!?」
私が駆け寄ると、シュヴァルツは心から安堵したようにふにゃりと笑った。
「君が無事でよかった」
「ユーグカ様のお陰です」
首から下をびしょ濡れにしたユーグカが、重たくなったドレスでぺちぺちと近づいてくる。
そしてシュヴァルツと私に抱きついた。
「ぱぱーっ! りーねーっ! ゆーぐかね、ゆーぐか、みんなをまもれた?」
「ユーグカ……」
「ゆーぐかね、みんなにめーわくばっかりかけてたけどね、ゆーぐかも、やれるんだよ!」
誇らしさと、達成感の喜び。勇気をいっぱい出したことで興奮してるみたいだ。
シュヴァルツは一瞬わずかに泣きそうに目元をゆがめた後、ぎゅっと、強く強くユーグカと私を抱きしめた。
「ありがとうユーグカ。……辛い思い出を塗り替えてくれて、ありがとう」
私とユーグカを抱きしめるシュヴァルツを見て、立ち上がったギルバートが濡れた髪をかき上げふんと鼻を鳴らす。兄らしい安堵の表情だ。
(兄さま。ユーグカを信頼してくれてありがとう。……シュヴァルツのポーションの力に賭けてくれて、ありがとう)
結局。
レイラは『大自在の魔女』の力を、個人の働きにしか使えなかった。
一人で強くて、一人で全てを守って、シュヴァルツという伴侶を置いて消えてしまった。
けれどユーグカは違う。
みんなで力を合わせて協力して、『大自在の魔女』の力の可能性をもっと広げたのだ。
部屋の中にはつぎつぎと研究所の職員や宮廷魔術局の職員達が入ってくる。
ミントローズを抱きかかえたセージがやってきた。
「無事だったか!」
「ああ。彼女は?」
「気絶してるだけだ、別状はない。……ったく、はらはらしたぜ」
「よくあれだけの浄化ポーションを用意できたな?」
「ああ、あれは……」
説明しようとして、セージは言葉を切った。
「それよりも先に全員風呂入らないとだろ。ポーション臭くてたまったもんじゃない」
私たちは笑った。
無事に、シブレット男爵家の問題は解決した。
そして――レイラの悪夢から、一歩大きな前進をしたのだ。





