29・裏庭世界ピクニック
「嬉しいわ! メイドの少女にまで私の信念が伝わっているなんて、会長冥利に尽きるわ! そうよ、良い家庭を作るにはまず、女が健康に美しくならなくちゃ。もちろん体がこわばった殿方にもおすすめだわ、是非おしえさせてちょうだい、さっ、簡単なものから始めるわよ」
彼女はいそいそとマットの上に座り、あぐらの姿勢を取る。
「まずは胸を開くの、目を閉じて、胸いっぱいに静かに、息を……」
その隙をシュヴァルツは見逃さなかった。
唇を震わせる程度の詠唱で、彼は催眠魔法をかける(催眠魔法は水魔法の一部だ)。
血流を操作され、体が強制的にリラックスし、アンナアンナの体が揺れて……。
ふかっ。
私はマットに枕を挟み込み、彼女の頭を保護する。
「こーしゃふじ、ねちゃったの?」
「ああ~、リラックス効果が高くて、お疲れなので、つい寝てしまわれましたね~(棒)」
布団をかけて、彼女をぽんぽんと叩く。アンナアンナは心地よさそうに熟睡した。
シュヴァルツが白々しく言う。
「しかたないな、ご夫人に触れるわけにもいかないので、ここで寝て貰おうか(棒)」
「でしたら私が一応の見張り役として、一緒に寝ますね(棒)」
「名案だ、すまないが頼めるか(棒)」
きょろきょろと私たちの顔を見ていたユーグカの表情が、ぱっと輝く。
「りーねー、いっしょにねていいの?」
「はい、一緒に寝ましょう」
「わーい!」
アンナアンナを気遣って小声でばんざいしたユーグカは、私の手を引っ張って、ベッドに潜り込ませてぎゅーっと抱きしめた。
「えへへ。りーねー」
私とシュヴァルツに挟まれる形で嬉しそうにするユーグカは、今日一番無邪気な顔をしていた。
シュヴァルツが後ろからユーグカの頭を撫でる。
「さあ寝ようか。また明日会おう」
「うん、またあした、あそぼーね」
指切りをして、ユーグカは幸せそうな顔をして眠りに就いた。
眠ったユーグカを見つめるシュヴァルツは、ユーグカを通して何か別のことを考えているようだった。
私はなぜか、ずっと聞きたくて聞けなかった言葉が出てきた。
「……そんなに、レイラ奥様の事が好きだったんですか?」
「ああ。愛している。今も」
私の中のレイラの部分が、かすかにどきっと胸を高鳴らせる。
落ち着いた声音で、大人の体格で、優しく娘を見つめながら愛を語るシュヴァルツ。
他の誰も入り込めない、強い質量の愛が滲んでいた。
「レイラがいなくなったとき、僕は全てを壊しそうになった」
「レイラが僕の全てだった。レイラのいない世界なんていらなかった。……勝手だと思ったよ。レイラは僕に幸せを教えて、僕がレイラなしで生きられないようにしてから、綺麗な笑顔で散っていった」
今まで聞かされなかった、父親の顔でもなければ、シュヴァルツ・リヒトフェルト魔術伯でもない、素顔のシュヴァルツの吐露だった。
何も言えずにいると、シュヴァルツはふっと微笑んだ。
大人としての仮面を付け直した、穏やかな微笑みだった。
「だがレイラが世界を守らなければ、君は生まれていなかった。ミントローズも、他の子供達も、みんな、レイラが守った世界で生まれた、全てはレイラの遺してくれた愛なんだ。レイラの愛が生き続ける世界を、よりよいものにしていくのが夫としての、仕事のパートナーとしての役目と思っている」
「シュヴァルツ様……」
「そう思えるようになったのは、ユーグカが生まれてくれたからだけどね」
柔らかく、本当に愛おしそうに、シュヴァルツはユーグカを撫でた。
「ユーグカは僕の宝だ。……だから、ユーグカを……守ってくれて、ありがとう」
シュヴァルツはそういいながら、そっと目を閉じて眠ってしまった。
私はしばらく、同じ寝顔をするユーグカとシュヴァルツを見つめた。
(ええ、愛しているわ。二人をちゃんと、一生幸せにするから)
――翌朝。
「あらあらやだやだ、私ってばこんなところで寝ちゃったの!? 恥ずかしいわ~!」
「いえいえ、それだけストレッチが効果的なんだなと感じました! ありがとうございます」
「うふふ、また一緒にストレッチしましょうね」
シュヴァルツが寝ているうちにと言わんばかりに、アンナアンナは部屋を出て行く。
足音が去ってから、シュヴァルツがばっと身を起こした。
「なんとかなったな」
私たちはねむねむのユーグカを囲んで、ぱちんとハイタッチした。
◇◇◇
アンナアンナはイスカリエさんと共に、城のあちこちを見学して回っている。
今は退屈してないけど、退屈したらまた猛攻が始まるだろう。
やっと回復してきたシュヴァルツに心労はかけたくないし、ユーグカも心配そうだ。
仕事に支障が出たら大変だ。なにより、アンナアンナが夫ギルバートに叱られたらちょっと可哀想だ。
というわけで私は目標を「ギルバートが迎えに来るまで、穏便に日々を乗り切る!」に定めた。
日々を穏便に楽しんで貰うために、工夫をしなければ。
「あら、いい香りね」
「こーしゃふじ!」
キッチンでお茶を淹れていると、屋敷を一通り見たアンナアンナがやってきた。
キッチンでどんぐりを並べて遊んでいたユーグカが、ぱっと顔を上げる。
「それは……試飲サイズの紅茶?」
「はい。魔力糖ができあがりましたので、どの紅茶と合うか試飲の準備をしておりました」
「まあ! 綺麗だわ、食べられるの?」
「もちろんです」
私が作業台に置いた試食用の薄切りを見て、アンナアンナは目を輝かせる。
そこには宝石のようにきらきらと輝く、透き通った魔力糖があった。
砂糖と水で液を注いだあと、魔力を込めてぷるぷるに固めて宝石のように作るお菓子だ。
「ピンクに青に、グラデーション、透明もあるわ。着色はどうやって?」
「魔力です。魔力の力や要素によって、様々な色に固まるんです。とある国では、魔力検査の時にこの方法で魔力を判別することもあるそうですよ」
「そうなのね。……私もできるかしら?」
「もちろんです。ご興味おありでしたら、後でご準備しますね。ところで相談なのですが、これから裏庭にピクニックに行きませんか?」





