第三話 面影 1/7 泥の味
「もう、おかーさんも起こしてくれてもいいのに」
健人たちと同い年くらいの黒髪の少女が、ポニーテールを揺らしながら、軍港に停泊しているレイザー艦の搭乗タラップを上っていた。
高校の制服のスカートが風で翻る、のを、かろうじて手で押さえる。あぶないあぶない。
「一人で起きられないアンタが悪い。ホラ寝癖」
医者である〈オリヴィア・フィール〉女史は、階段を上りきった所で少女を待っていた。
「あっ、おかーさん!」
無理矢理ポニーテールにしたもんだから、少女の髪はところどころビヨビヨはねていて、オリヴィアが優しく手櫛でといてやる。
「ほんとに緊張感のない……。なんでここに呼ばれたのか。話、聞いてんだよね、ユイ?」
黒髪の〈ユイ・フィール〉は、少し考えたような仕草を見せると、不意に「えへへ」と照れ笑いした。
「おバカ! ほら、いくよ」
「待って、おかーさん! おいで、ハナコ」
レイザー艦へと入るオリヴィアに続いて、ユイと小型の猫耳作業ロボット〈ハナコ〉は、跳ねながら入っていった。
「ユイちゃん!」
慌ただしく搭乗員たちが行き交う艦内で、少女に抱きつこうとする不審なオッサンが現れたが、オリヴィアが平手で制した。
「おとーさん、元気? 元気だね!」
吹っ飛ばされたオッサンに、ユイはしゃがみ込んでつんつんしてみる。
「全く、親子揃って恥ずかしい。私たちみたいな『シロ』が、レイザー様の艦に乗れるなんて滅多に無いんだよ?」
呆れてしまったオリヴィアの前に、当のレイザーが顔を見せた。
「相変わらず仲が良い。羨ましい限りだよ」
すぐさま敬礼する両親に、少し遅れてユイも敬礼する。なんかちょっと……なんかちょっと、ふにゃふにゃしてるし、手が逆だ。
皇子様と会う時でも学生は制服で済ませちゃえばいいから、ずぼらなユイにとっても、それを監督するオリヴィアにとってもありがたい。
「改めて、謝罪させて欲しい。サツキのことは……」
「それは十分聞きました。私たちもあの子も、覚悟はしていました」
オリヴィアの言葉に、すまない、とレイザーはやはり頭を下げた。
ユイは、努めて明るく振る舞っているが、姉の話題になると楽しかった頃を思い出して俯いてしまい、オリヴィアは気遣って肩を抱いてあげた。
「それで、レイザー様……その男、本当に砂月の子供だっていうんですか?」
サツキとユイの父親である〈黒須譲治〉は、改まって皇子に尋ねた。
「……取り敢えず、会ってくれ。皆さんの判断に委ねる」
電子ロックは、彼らの心情を慮ることなく機械的に解除され、その男との対面を急かした。豪華な絨毯、ベッドと机と椅子とソファ、備え付けのバストイレ、モニターにキッチン、冷蔵庫もある。
部屋の中央では、立ちあがった青年が、緊張の面持ちで待ち構えていた。
「……はじめまして、黒須樹です」
〈クロス・イツキ〉と名乗った男は、どう見てもただの人間では無かった。レイザーも頭を掻く。
「はるばるアルカドまでありがとう、黒須譲治だ」
ジョージは少し躊躇っただろうが、それを表には出さず、魔族の男と握手を求め、男もまた一瞬躊躇って、すぐに固く手を握り返した。
オリヴィアとユイも笑って握手を求め、ハナコも仕方ねぇなとばかりに作業用アームを捻り出し、器用に握手的な事をやってやった。
「話を聞いた時には驚いたよ。砂月に息子がなぁ……」
幼い頃のサツキを思い出したのか、ジョージは感慨深そうに話す。しかし、すぐに娘の相手について聞き出そうとし、オリヴィアに呆れられた。
その勢いに背中を押されるように、イツキは少しずつ口を開いていった。
「俺は、魔王の血から生まれました」
その発言は、流石にレイザーも想定外だった。
「お前、魔王の息子なのか⁉︎」
「いえ、あくまでも『魔王の血』、なのです。魔族の博士の実験で、母に魔王の血が投与されたのです」
魔王の血が投与されたサツキの体はすぐに変化していき、まるで魔族のようになってしまった。しかし、その血の力の全てを体に治めることが出来ず、イツキという別の命として排出された。
「にわかには信じられん……」
こんなことが起こせるのは魔王だけで、他の魔族は至って普通に子作りをする、とイツキはエイリアスから教わったそうだが。
「魔族の中にも魔王の血を与えられた者がいて、俺の他にも何人かの子供がいるようです。中には、男の魔族から生まれた者もいるらしい。ただ、その血の力に耐えられない者は、苦しんで死んだ、とも」
レイザーは改めて、異種族の文化……いや、生態の違いに恐怖した。同じ言語を話すとして、和平は叶うのだろうか。
「しかし、初めは面食らったが」
静観していたジョージは、おもむろに口を開いた。
「確かに面影がある。ホラ、目元の凛々しいところなんて砂月そっくりじゃないか」
オリヴィアも、そうね、と頷いた。
不意にそんな空気にされたものだから、イツキの眼は思わず涙を溜めた。
「お、俺は……俺のせいで、母が」
「そういうことは、言うんじゃない。育ててくれた砂月のことを否定しないでやってくれ」
イツキの肩に触れ、ジョージは続けた。
「俺たちはな、皆、血が繋がってないんだ。砂月は俺が拾って、オリヴィアと育てた。ユイもそうだ。お前は確かに砂月と血が繋がってるかもしれん。だけど、俺たちとお前が、家族になれるかは分からん。でもな、砂月のことを思ってくれるお前と、仲良くなりたいよな」
「初対面ですからね。焦らずいきましょう、イツキ」
オリヴィアも、もらい泣きしながら優しくイツキの頭を撫でた。
「えへへ……おにーちゃん、なのかな? よろしくね」
「サツキの息子なんだから、甥っ子でしょ」
「ユイは叔母だな」
兄が出来たと一瞬喜んだユイだったが、オリヴィアとジョージのツッコミで現実に引き戻された。もうすぐ十八歳になるというのに大分幼さの残る少女には、叔母という響きも、年上の甥っ子という事実も、ちょっと刺激が強かった。
「腹減ったな、飯にしよう。イツキ、何が食いたい?」
「いや、俺は、料理の名前とか、まだ」
「じゃあ、カレーだ。カレー!」
「かれー?」
「めちゃくちゃ美味い泥」
「おとーさん、最低」
「ジョージ。全人類に謝れ。しね」
レイザーは和やかな家族から離れ、ひとり退室していた。部屋の外で主人の帰りを待っていた従者のエヴァは、レイザーの半歩後ろを静かについて歩いていった。
「うわっ⁇ この泥うまい……⁉︎ 泥すごく美味い‼︎」
◆
第三話 面影
「おはよう」
朗らかな声と供に、猫耳の少女が覗き込んできた。聞き覚えのない声だった。
「おはよう、えっと……」
「マジェリカだよ、マジェリカ」
その名前に聞き覚えはあった。魔族の少女兵。こんなに、はつらつとした明るい声だったか。
「大丈夫か? 自分の名前を言ってみろ」
マジェリカの側に立つ長身の仮面の男が、そう促す。
「……アッシュ。そう呼ばれていた記憶がある」
仮面とマジェリカは、互いに顔を見合わせ「ああ」と、何かに納得したように頷いた。
「そう。お前の名前は、アッシュ。アッシュ・クロウカシス」
仮面の男が告げた。他人の名前のようだった。
「俺は、セラ・クロウカシス。お前の家族だよ、アッシュ」
セラ……何処かで聞いたか、仮面の彼の雰囲気は懐かしいもので、確かに会ったことがあると感じる。そして、家族という響きは、とても温かい気持ちにさせてくれた。
「私もマジェリカ・クロウカシスだよ。アッシュのお姉ちゃんだね」
「おい」
「いいでしょ、セラちゃん」
何やら揉めているのか、アッシュは痛む頭を振り、話を振った。
「ここは? ニーブックか?」
マーク博士が管理する研究所。ベッドとシャワー、トイレ、洗面台、薄ら薬品の匂いがする、灰色のコンクリで固められた簡素な一室。
アッシュは、アルカドとの戦いで損傷したらしい、とセラとマジェリカは言う。頭でも打ったのだろう、後で博士の検査を受けなければ。
「健人と浦野は、どうなった?」
「ああ。無事だよ」
良かった。あいつら、危なっかしいから、俺が面倒みてやらないと。アッシュは友人の無事に安堵した。
「もう少し休め。まだ本調子じゃないんだろ。ただし、休んだ分は働いてもらうからな」
「分かった。ありがとう、セラ、マジェリカ」
「おやすみ、アッシュ」
マジェリカの優しい声と共に、部屋のドアは閉じられた。
アッシュは、部屋に備え付けられた洗面台の鏡を見つめた。見慣れた赤髪の少年の姿が、確かに映った。
「誰だ、お前は」
自分の顔のはずなのに、不意に疑問が零れた。閉じきっていなかった蛇口から、雫の音が鳴り続けていた。