第十三話 歪み 4/8 雷雨
「もう少し南下してみます」
「私は帰るよ。休憩の途中だったんだ。嬢ちゃんはどうする?」
リラに言われて、ユイはマナと離れないのだと宣言した。
「……そうかい。くれぐれも、気をつけるんだ」
リラはアッシュに目配せして、彼への秘匿通信で語りかけた。
「一応、艦長には報告しておく。アンタも気をつけな」
「……さっきのは冗談のつもりですよ」
マナの正体の話だ。
「アンタは自分で言っときながら、その実、認めたく無いんだな。あまちゃんだよ、全く」
「しかし」
「いいよ。悪者になるのは大人の仕事だ。その代わり、あの寝癖の嬢ちゃんだけは守ってやんな。大事な人なら尚更ね」
「……了解」
「……難儀な奴だね。アンタ、普通に生きるのだけでも大変そうだ」
リラは筋肉の相手の方が自分の性に合っていると言い残して、コード・サマナーのバイクを噴かして帰艦していった。
「どうしたの、ケント? 行こう?」
「いこう、ケント!」
「ああ。了解」
コロニーに、再び暗雲が立ち込め始めた。
◆
雨は、次第に勢いを増していった。雷に怯えるマナは、見た目で受ける印象よりも幼い少女に感じられた。ホワイトノエルの動きが散漫になり、アッシュが目を離そうものなら、すぐにはぐれてしまいかねなかった。
「なんだ……? 前方に建築物を確認。ひとまず、そこに」
言いかけた口を噤む。アッシュの眼前に飛び込んできたものが何なのか、彼らには嫌というほど身に覚えがあった。
「ケント?」
「……見て、ユイ。古代の遺跡、大樹だ」
リューシ王国からそこまで距離があるとは思えない。東に行ければ、アダトの街が望める距離の筈。
「いつの間に、深部まで来てしまった?」
いや、違う。コロニーは空間をさえ自ら割いて、絶えず変化をし続けている。深部にあったであろう遺跡がアルカドの近くに現れたとて、不思議に思う事は無いのではないか。
「僕らがいた遺跡じゃないな」
「でも見て、入り口の蔦が斬られてる。誰かいるのかな?」
「駄目だ。カノープスに戻……」
雷鳴が轟いた。マナは脇目も振らず遺跡へと突入していった。
「菫!」
アッシュの中に、嫌な予感が渦巻いた。
◆
ガンドールが悠に踊れる無機質な通路、だだっ広いエントランス。つぎはぎの街はトグロを巻き、フィクションの世界のスペースコロニーのように円筒型の壁面に立ち並ぶ。
そう。あの日見た光景と、瓜二つの世界。重力異常は、今のところは感知されていない。
「マナ! ユイ!」
必死に捜す。ホワイトノエルとのスペックの差が如実に現れた。アッシュの焦りに、隻腕のセカンドも不安そうな異音を発する。ユイの修理を受けられていれば、こんなことはなかった。
「ケント! こっち!」
ホワイトノエルはうずくまり、その中ではマナが怯えて泣いていた。ユイは優しく抱きしめて、その不安を取り除いてあげようと頭を撫でた。アッシュは、胸を撫で下ろした。
「えへへ。なんだか思い出すね、ここ」
故郷を知らないユイにも、確かに存在するアッシュとの記憶。あの日一緒にいてくれた菫と健人は、既にこの世を去ってしまった。
「大丈夫か、マナ」
アッシュはセカンドから降り、ホワイトノエルの腹部で彼女たちと顔を合わせる。
「ケント……ひかりが、ピカって光るの……。そしたらね、空からゴロゴロ音が鳴るんだよ?」
「雷が怖くて、こんなところまで……?」
マナの姿は、まるで初めて体験するような反応だった。宇宙育ちという訳でもないと思うが。
「だーいじょうぶ! ケント強いんだよ? 怖いのは、きっとすぐ退治してくれるからね」
「無茶言うな。マナ、自分で立ち向かおう」
アッシュは、マナの肩に触れた。酷く震えて、金色の瞳からは、大粒の恐怖が零れ落ちた。
「嫌!」
「僕と一緒に、ユイを守ってくれ」
「……ユイ? まもる?」
「うん。ユイはね、願力が無いんだ。一人じゃ、ガンドールで悪者と戦えない。僕はいつもユイに助けられているから、ユイが困っていたら助けたいんだ。マナは、どうしたい?」
ユイは黙ってマナを撫でた。光と音は、それでも止まらないから、マナは必死に恐怖を抑え込もうとしていた。
少しだけ、時間が必要だった。二人は静かに、彼女を待った。
「……ん。わたしも、ユイをまもる」
「マナ……」
ユイの目からは、温かい愛しさが溢れた。マナはそれを拭ってあげると「こわくないよ」とユイの頭を撫で返してあげた。
雨は、次第に音を失くしていった。ゴロゴロピカピカは遠くに退治されて、ユイを守ったマナは、誇らしそうに自らの涙を手で拭った。
「こんなの……ただの子供じゃないか」
何も恐れることは無い。得体が知れないのは、自分の方こそ同じなのだ。アッシュはユイの手に触れて、それをそのままマナの頭に持っていき、二人で少女を撫でてあげた。
「ごめん。ユイの願力を引き合いに出すのは卑怯だった」
「そんなことない。ありがとう、ケント」
新しい音が彼らを包んでいった。セカンドから流れる警報音は、雷よりもずっと小さく、少女の胸をざわつかせることは無い。
「おや? この反応、こんなところでお会いするなんて」
「……お前!」
「お久しぶりです、灰庭くん」
灰庭健人の同級生、ニーブックで魔族に捕まり、NUMATAの開発部門で働いていた、沼田春歌。遺跡の外に停泊させたゼーバの空中戦艦ペリカーゴから、不快な声を響かせた。
◆
「成程、理解した」
「まあ、坊やの勘だろうけどね。良い線いってるんじゃないか? 用心するに越したことは無い」
リラの報告にはクラウザも驚いていたが、マナを信用出来ないとは考えていた為、アッシュの推測をすんなり受け入れた。
「准尉たちは?」
「先程からロスト。直後から大型の反応あり。ゼーバの空中戦艦と思われます」
「不味いな。総員、戦闘配置」
しかし、捉えようによっては好機だ。
「奴らの背後から奇襲を行う」
◆
「何しに来た?」
「こちらのセリフですよ? ここは我々ゼーバの所有物ですから」
「それにしちゃ、鍵もかけずに不用心だな」
アッシュは春歌の気をひきながら、情報と時間を稼ごうとした。マナにはユイが付いているから、下手に動く事はしない筈だ。
「ええ。コロニーというのは厄介で、少し目を離すとすぐに私から離れていく。嫌いなんでしょうね」
「殊勝な事を言う」
「自分の価値は、自分が理解し、認めていれば良いのです。他人の評価なぞ、糞食らえ」
「商売人の言葉とは思えない」
「私も、だいぶ前に理解しました。私って、頭が良いじゃないですか?」
(知るか)
「多分、俗物への商売より、自らの研究に没頭する方が向いているんですよ」
「研究?」
「マーク・キュリー博士の研究を引き継いだんですよ」
遺跡の入り口から数体の超願導人形が、行儀良く列を成して雪崩れ込んできた。
「行きますよ、エイリアス様」
「了解」
「了解」
「了解」
「なっ……⁉︎」
三体のブレイン・ヒーロ。三人のエイリアスが、隻腕のセカンドへと突撃を仕掛けた。
一体目が牽制、二体目が射撃、三体目が接近戦。アッシュは副腕と右腕のブレードでなんとか対処していく。
「なんだ、左腕は直していないのか! エイリアス様、奴の死角を狙うのです!」
「了解」
「了解」
「了解」
フィンセントはセカンドの相手をエイリアスたちに任せ、自らはティガ・ノエルでマナへの雪辱を晴しに向かっていく。
「覚悟しろ、化け物ノエル!」
「なんなの、この……犬?」
「しゔぁ犬かな?」
「貴様ら! 言ってはいけない事を!」
ピコピコ動く犬耳を、ユイは触りたくて仕方がない。
「性懲りも無く! また融合分裂か!」
「ああ。そんな時代遅れ、もう使っていません」
時代遅れのセカンドとアッシュは被弾を増やしていく。ユイの調整を受けたわけではないから、どうしても動きがおぼつかない。
左肩の願導マントはボロ布と化し、右脚の脛に付けたシールドから欠片が飛び散った。
「彼らはクローンです。ね? 量産が容易な筈でしょ?」
「随分と直球な。肉体の高速培養には限界があるから、コロニーの時間の流れの違いを利用したって事か?」
「そうそう! 嘗て、この遺跡があった場所は、ゼーバ本国よりも時の流れが早くてですね、だからこそ、私もこんなに歳をとってしまったのだけど」
エイリアスたちの機体を経由して、皺を増やした顔をアッシュへの通信に曝け出す。沼田春歌は嘗ての面影を残さず私腹を肥やし、祖父である沼田照明より歳上で、マーク・キュリーよりも悍ましい俗物に成り果てた。
「お前の見た目。過ぎた時間は四、五十年といったところか? それにしては、超願導人形とやらの性能は、それほどでも無いな」
「クローンの制作と量産に手間取りましてね。機体の方はゼーバ本国に任せていましたから、二、三年の技術革新しかしていませんね。しかし私の方は、気付けばこんなにも歳を重ねていました。全く、私って研究者気質じゃないですか?」
(知るか)
「集中してしまうと、周りが見えなくなるのが玉に瑕!」
(知ったことか!)
クローンといっても、それが成長するには時間がかかる。時間の流れが隔絶されたコロニーの深部を、一方通行のタイムマシンとして利用したのだ。
「現在は、マーク・アイと名付けた個体群に管理運営を任せています。マーク博士と同様の頭脳、見た目を持ち合わせた管理用クローン。いえ、より高性能に作り替えた、ハイブリッド・クローンなのです!」
「ヒャー! なんじゃ、騒々しい!」
「ヒャー⁉︎ ブレインセカンド?」
「ヒャー? なんで、まだ生きとるんじゃい!」
目に見える範囲で、ざっと二、三十体。年齢こそバラバラだが、面影のある怪しげなネズミ男が、お揃いの半纏羽織ってミカン片手にずらっと並び立った。
「悪趣味な奴!」
「ですがクローンと言えど、オリジナルと同じ成長、思考をするとは限りません。そこで」
「融合分裂の記憶の継承に目をつけて、それを技術として昇華させたか」
「御名答! 御明察! 流石は融合分裂体一号機、アッシュ・クロウカシスですね! 話が早い人は本当に助かります。ゼーバって、意外と馬鹿が多くって大変なんですよ」
春歌の顔は、ノイズに塗れて余計に醜悪に歪んで見える。自分を優秀と信じて疑わないばかりか、他人を平気で見下す姿に、アッシュのイライラは積み重なったまま、吐き出す出口が無い。
生前のマーク・キュリー博士は、もしもの時のバックアップとして、自身の願力を利用して記憶を焼き付けた願導人形を遺していた。
願力を通して願導合金に記憶の情報が焼き付くのは、シオン・シリーズに始まる融合分裂の実験からも確認されている。なにより、セラの記憶を引き継いだアッシュ自身が証拠である。
しかし、分解して再構成される融合分裂の記憶の継承とは違って、一度で全ての記憶が合金に焼き付けられたとは思えない。
何度も何度も、根気強くトライアンドエラーを繰り返したのだろうが、学者ならば当然に経験する事だから、博士が特別というのではない。
焼き付いた記憶をデータとして吸い上げて、安定させて継承させるには、マーク・キュリーのオリジナルの人生は及ばなかった。
「それを引き継ぎ完成させたのが、お前ってことか」
「まあ、そういう事にしておきましょう」
「討ち砕く」
「討ち砕く」
「打ち砕けぇ!」
三体のエイリアスは、絶えずアッシュを狙って攻撃している。何度目かの突撃で、パターンは把握された。
「あなたが倒したエイリアスの死骸を素体にした、マーク・シリーズの二番体。このマーク・ヴァイスたちを、弱体化した今のあなたが倒せますか?」
「揺らぎがある。連携が甘い……!」
セカンドの左脚の膝が、微かに前面に稼働した。
「エイリアスを名乗るなら、誰であろうと、何度でも、殺す!」
左膝に備えられた〈ただの装甲板〉は、僅かな距離を鋭く飛んで、接近した三体目のエイリアスの腑を一瞬の内に穿った。
何が起こったか理解出来なかったのか、春歌は肉に埋もれた醜悪な眼を丸くした。
「そんなに目を肥やして凝らさなくても、見覚えくらいあるだろう? あの日ニーブックを襲った、暴食の牙だ」




