第二話 神の国 4/5 ターニングポイント
「なにを、馬鹿な」
レイザーがニーブックの惨劇でサツキと別れてから一ヶ月。それ以前に彼女に子どもがいたなんて話は聞いていない。目の前の魔族は、どう幼く見積もっても十代後半から二十代半ばの男だ。二十歳のサツキの息子というのは無理がある。
「サツキ様の息子……? サツキ様は、生きておられるのですね! 今何処に⁉︎」
ルミナはブレない。だがお陰で、一同が驚きの中でも話は進み出した。
「母は、亡くなりました。最後まで、祖父の故郷ニーブックを思って……」
ルミナは絶望した。勝手に期待してしまった分、ショックは大きかった。願力で動くガンドールは、それがダイレクトに反映されて、ふらつきだした彼女の機体を従者のボルクが支えた。
「……その機体は? 魔族が乗っていた筈だ」
ずっと探していたエイリアスの手掛かりが目の前に現れたのだ。アッシュはたまらず、クロスイツキと名乗った男に話しかける。
「はい。エイリアス・クロウカシスという魔族と、黒須砂月、そして生まれたばかりの俺は、ブレインの力でモンスターの巣の中心に飛ばされたのです」
コロニーの内部は未だ未知の領域であり、レーダーへの干渉も強く、中心と言ったが、それはエイリアスたちの推測だとイツキは付け加える。
アッシュは、消えたエイリアスがどこを探しても見つからなかった為、サツキが生きているのならレイザーと接触すると考えた。その為、自らアルカドに潜入することにしたのだが、現れたのはその息子を名乗る男であった。
「生まれたばかりの頃に飛ばされたのか? 君は今、何歳なのだ」
レイザーの問いに、何故そんなことを質問するのか不思議に思いながら、クロスイツキは二十歳だと告げる。
「馬鹿な! 砂月と別れてから、まだ一月なんだぞ」
しかし、事実だと言う。初めの五年は三人で過ごし、エイリアスが行方不明になってから七年後、サツキは死んだ。それから、あてもなくコロニーをブレインと共に徘徊し、一人の魔族と出逢ったが、モンスターとの戦闘中、自分だけ此処に飛ばされたのだと言う。
「時空の歪みというものか」
時間の流れは相対的なものだ。重力は、時間と空間さえ歪ませる。若しくは、空間の歪みが重力で、歪んだ空間を移動する事になるので、時間(だと思われるもの)を消費する。
それが一種の檻のようなものになって、彼らのコロニーからの脱出を阻んだとでもいうのだろうか。推測の域を出ないが。
「信じろと言うのか」
「俺だって、混乱している。外では、たったの一ヶ月だって? 母の苦悩の日々は、何だったんだ……!」
自分が消えた後も、残してきたニーブックの民を思い、悩んでいたサツキ。彼女の時間で十二年間、とても気が気でなかっただろう。
一般相対性理論では、重力が時空を歪ませるらしいから、重力の弱いとされるコロニーの内部が速くなったのではなく、重力の強い外界が遅れている、という話になる。
それにしては、イツキの二十年に対して外界の一ヶ月というのは遅れすぎている。理さえ歪んでいる異常さは誰の目にも明らかだ。
(妙な感覚だ)
殊更、古代人であるアッシュは、それを如実に感じていた。自分が生きていたとされる古代の世界とは、何かが違う。
「貴方は、これからどうするのです?」
ルミナの問いに、イツキは真剣な眼差しで答えた。「母の無念を晴らす。ニーブックを解放する」と。
離れ離れになった魔族の仲間は気にはなるが、何が原因でここに飛ばされたのか分からない以上、すぐに助けに行けないことも察しはついていた。
「……了解した。取り敢えずは機体から降りてくれ。別々に接収させてもらう。念の為だ、許してほしい」
レイザーの指示に従うと言うイツキの安堵と苦悩の表情は、指揮艦のオペレーターの叫びによって、すぐにまた驚きへと変わった。
「接近する熱源反応……ガンドールです!」
◆
高速で飛来する物体のコックピットの中は、凄まじい振動に襲われている。願導人形の動力に、重力質量と慣性質量を制御する副次的効果があるといっても、限度がある。
「クッ……こいつ!」
ラスティネイルを、健人は制御できない。その願力を利用されているだけである。パイロットはただの部品、とでも言いたげな傲慢な骨董品が、戦場に舞い戻った。
古代人の遺産、ブレインとラスティネイルが、あの時とは出現経緯も立場も逆転し、再び相見えた。二体は挨拶とばかりに激しく右腕をぶつけると、反発で大きく吹き飛んだ。
(健人か? いや、アイツがアルカドと戦えるものか。背後霊め。制御できないのなら、アルカドに奪われかねん。不味いな)
アッシュはルミナを背後から撃つと、全速力でラスティネイルへと駆け出した。
「姫様…………姫様⁉︎」
息をするような、あまりに自然な一瞬のことに、ボルク含め誰も動けなかった。
「……アッシュ! 貴様ァ!」
レイザーの慟哭を背に、アッシュはようやく、この世界での初めての友人である健人と再会を果たした。
「よう、久しぶり。なんだ、凄え顔してんな!」
「……ごめん、僕には、止められない」
ラスティネイルに振り回された健人は、それだけで消耗していた。悪いと思いつつも、健人のやつれっぷりにアッシュは笑いながら、互いの機体を入れ替えることを提案した。
「さっき、なにをしたんだ? アルカドの皇族機を撃ったのか?」
「隙だらけだったからな。ブレインが見つかったんだ、もう『敵国』にいたくもない。いけなかったか?」
「……そうか。来てくれてありがとう」
健人は、この機会にアルカド軍にニーブックの現状を話そうと思ったが、皇族を撃ってしまっては彼らに信用されるわけがない。
しかし、アッシュも健人のことを思っての行動だろうから、批難は出来なかった。健人をアルカドと戦わせないよう、アッシュは気を遣い、逃そうとしてくれる。そんな風に仲間を想えるだけの優しさは、ちゃんと持っている。
「だけど、君一人で戦うなんて無茶だ。僕だけ逃げるのは」
「馬鹿。俺だって戦うつもりはないよ。俺のアートを大事にしてくれ。エイリアスから預かった、大切なものなんだ」
アッシュにとって、記憶と「同胞」は何よりも大切なものだ。アッシュはエイリアスを裏切るようなことはしない。そこが健人との決定的な違いである。アルカドと戦うことのできない健人が、ここにいても邪魔なだけだ。
「わかった、君の宝もの、大切にする。君も無茶はしないで。すぐに新任の魔族の指揮官が来る筈だ」
「そいつは楽しみだ」
健人の言葉はただの予想だが、ジュードの立場と立ち振る舞いなら間違ってもいないだろう。アッシュは健人のありがとう、ごめんという言葉と別れ、漆黒と対時した。
◆
この時の「違和感」に、健人もアッシュも気づけていたのなら、未来は少しだけ変わっていたのかもしれない。
しかし、健人の疲弊していた脳では、そこまで考えが及ばなかったし、アッシュも自然と「それが出来る」と思い込んでいた。
巨大な機械が動く為には小さな部品が必要なように、物事には、そこに至るまでの理由が存在する。
◆
アッシュは、ブレインと戦うつもりだった。自分は家族と一月も一緒にいられなかったのに、アイツは五年も一緒だったと言う。
しかし、それだけならまだいい。
自分は一ヶ月の記憶しかないのに、後から生まれた筈のコイツは、自分より沢山の思い出を獲得していた。それが、なんだか無性に悔しくて、気に入らなかった。
(ククク……! 勝てるのか、お前?)
「黙れ、人形。クロスイツキだったか。お前は、俺の敵だ」
「クッ……沈まれ、右腕!」
イツキの願いも虚しく、荒ぶる機械人形は戦うことを選んだ。
気絶から目覚めた友矢は、状況が理解できなかった。
姫様は重傷、艦の外では、謎のガンドールたちが争っている。純白が針を縫うような正確な射撃でコックピットを狙えば、漆黒は圧倒的な願力で身を守る。
黄金の右腕から重力波が発せられ、躱す紫色は煌めく光となり宙を駆けた。幾何学模様の魔法陣が灰色の空に描かれては、閃光と結晶が飛び交い、眩いばかりに輝き消滅する。
およそガンドールのものとは思えないモンスターバトルに、少年は不謹慎ながら興奮した。
「クソッ!」
皇族らしからぬ言葉が漏れる。今のウィシュアには、アンティーク同士の戦いに加わる程の技量は無いが、何もせず奴らの好きにさせる気も無かった。
アッシュの戦いに憧れ、そのアッシュが姉を撃った。抑えようのない感情が、逃げる純白アートの追撃に走らせた。だったら、従者のフローゼもそれを追うしかない。
「待て、ウィシュア!」
制止を振り切るウィシュアの姿が、レイザーには、あの日のサツキと重なって見えていた。
「行ってくださいレイザー様」
「エヴァ……しかし」
「ルミナ様はドクターに任せるしかありません。アッシュの相手はイツキ様に任せるしかありません。ならば、あなたの出来ることを」
暫しの沈黙の後、レイザーはエヴァとボルクに妹を任せ、既に遥か先を行く愚弟を追った。
「何故だ⁉︎ お前は、アルカドじゃないのか⁉︎」
「そんなこと言ったか? 化け物め」
ぶつかり合う二体のアンティーク。接触通信で聞こえるアッシュからの悪口に、来訪者イツキもムカついた。
「俺が化け物なら、それと戦えるお前も、十分化け物だ!」
「……ハハハッ! 光栄だな!」
ブレインのアンティークパーツは右腕だけの筈だが、にもかかわらず、ラスティネイルと互角に戦えている。クロスイツキの強力な願力がそうさせるのか、はたまた、アッシュの力が弱いのか。
「それは認めるが、健人を帰らせたのはミスったな」
二人が揃わなければ、ラスティネイルの真の力は引き出せない。しかし「背後霊」に利用されれば、今度こそ自分が自分で無くなってしまう、そんな恐怖がある。
「碌に記憶も持たない化け物が、自分がなくなることに怯えるのか。ハハハ……!」
アッシュは、自嘲した。だけど、二人だけの戦いは、ここがモンスターのコロニーであることを忘れさせていた。住処を荒らす侵略者に、蟲の群れが襲いかかる。
「餌が来たか!」
魔法陣から飛び出したラスティネイルの腕の牙が、蟲を頭から喰らっていく。
「脱皮した⁉︎ 暴食の力か!」
巨大な両腕と、水棲生物を思わせる鰭持つ尻尾。
天が定めた世界の理、それに反逆するのを生業とする悪魔を象った顔面に、剥き出しの歯が微笑む。
新たな装甲に着替え、ラスティネイルは一段と加速していく。
「適応してみせろ、アンティーク!」
「チッ、どっちが化け物だ!」
二機を尻目に指揮艦を守るエヴァの〈コード・サマナー〉は、魔法の杖のような形状のライト兵器〈ワンドバズーカ〉と、願導合金繊維の鞭を巧みに操り、有線式の遠隔誘導砲瓶、通称〈願ドローン〉で蟲を蹴散らしていく。
「イツキ様、我々もレイザー様を追います。貴方も、アッシュを振り切る事は出来ませんか?」
「アッシュ……? やってみます」
イツキは、自分を敵視する男の名を知った。母の悲願成就には、まだ遠そうだった。