第十一話 3/7 その名はゴリラ
「あれは、黒いシリウス?」
簡易滑走路を巨大な影が覆っていた。ニーブックに訪れた新造艦、コロニー探査用小型実験艦シリウス級二番艦、カノープス。
「やあやあ。出迎え御苦労」
「遠路はるばる、お疲れ様です。沼田副社長」
恰幅のいい壮年の男が降り立った。沼田照明は、春歌の祖父にあたる人物である。
「おお、レイザー様! 我が社の小型イルミネーターの性能、如何でしたかな?」
「ありがとうございます。こちらの要望以上の仕事振りには感服致します」
「貴方からもたらされた設計図には、我が技術チームも舌を巻く程でしたよ」
「いや、なに。彼女のお陰です」
レイザーは誇らしげにエヴァを紹介した。
小型イルミネーターが古代の技術だとすれば、その性能の高さも納得は出来たが、結局のところ、魔王とラスティネイルを退けたのは、ライトアーム含め古代人の遺産頼りだったことにもなる。
「それは、やっぱり嫌だよな」
「なに? どうしたの?」
アッシュの傍らで、ユイは可笑しそうに彼の顔を見上げた。唐突に呟かれても、他人には伝わらない。アッシュには、こういうところがある。
「いや、頑張らないとな」
「コロニーだもんね。よし!」
胸の前で小さく拳を握り気合を入れる。ユイの微笑ましい仕草に周囲は和む。ユイには、こういう力があった。
沼田照明はレイザーから耳打ちをされ、春歌の事を聞かされていたと見える。彼の笑顔が蒼白に歪んで一目瞭然だったが、アッシュは居た堪れない。
「よう! クラウザ・クランベル!」
「ジョージ・クロス。そうか、お前がシリウスの」
アダトの兵を率いていたクラウザは、司法取引によってカノープスの艦長に抜擢されていた。言ってしまえば、家族をレイザーたちに人質に取られているようなものである。
「敵だったのだ。気に入らなければ撃てばいい」
「正直誰が艦長になっても、ユイちゃんを預けられるに相応しい奴なんていないと思ってたんだ。だけどまあ、お前程の男なら……」
ユイはアホヅラを晒しながら、ジョージの制服の裾を掴んで尋ねた。
ニーブックのジョージとアダトのクラウザは、アルカド軍の士官学校の同期でライバルで戦友であったそうだ。
「ほえー」
「ライバル? 私とお前が?」
「違うの?」
「……まあ、いい」
旧友との再会に、クラウザも思わず硬くひん曲がった口を緩めた。
「こいつはパイロットとしても優秀だったからな。とんでもない奴だよ」
「昔の話だよ。お前たちには部下が何人もやられた」
「おい、それは」
慌てるジョージを見て、冗談だとでも言いたげにクラウザは微かに笑みをこぼした。
「わだかまりはお互い様だ。隠す必要は無い。これから、共に航海に出るのだからな」
クラウザの言葉に嘘は無いと見える。きちんと着こなされた制服からは、実直な糞真面目さが全身から滲み出ている。アッシュは一歩前に出て、彼を見据えた。
「灰色の……?」
「アッシュ・クロウカシス准尉です。これから貴官のお世話になります」
「あっ、ユイ・フィールです! ……えへへ」
ユイの敬礼は、なんかちょっと……なんかちょっとふにゃふにゃしてるし、手が逆だ。
「クラウザ・クランベルだ。よろしく頼む」
クラウザは手袋を外して、彼らと握手を交わした。タコと皺と筋肉と傷痕に塗れた、歴戦の戦士の手だ。
「丁度いい。クルーの紹介もしておこう」
「ギゼラ・キャンベル。オペレーターを務めさせて頂きます」
金髪をショートに整えて、眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の二十代くらいの女性。その姿を見るや、ダニーが煙を巻き上げて一目散に駆けつけてきた。
「ギゼラだ! やった! 彼女も自分と同郷なのです! なら、自分はコロニーに行かなくても良いですよね⁉︎」
「げっ……私も、こいつとは行きたくありません」
「なんだ? 命令だぞ? 現地に明るい者は幾らいてもいい」
糞真面目クラウザの一言に、メガネ二人が項垂れた。ギゼラのダニーを見る目は、本当に汚らわしいものを見る目で、作戦に支障をきたしかねないオーラがありありと見てとれた。
そもそも優秀ではあっても信用ならないクソメガネを危険なコロニーの深部に連れていくのは如何なものか。他に候補が有るのなら、その方がいい。仕方ないので、ダニーはシリウスで預かる事になった。グリエッタかわいそう。
「……オーランド・オーウェンス」
ぶっきらぼうに、短髪の青年パイロットが名乗った。シロの兵士オーランドは、クラウザの部下として惨雪に乗り幾度となくシリウスと交戦した男だ。アルカドに再び併合する事に不満たらたらと言った面持ちである。
「……ケッ!」
特にアッシュには敵意を剥き出しにしてくれた。「女を侍らせやがって」だそうだ。
「……面白いじゃないか、このやろう」
腕まくりして牽制するアッシュに、ユイは一人であたふたし始めた。
「退きな、小僧共」
カノープスの長いタラップから、巨大な影が降りてきた。二メートル近い長身に、筋肉質の引き締まった体。純白の願力を纏う、美しい背筋の老婆であった。
「リラ・ゴラリゴだ。神の盾から来た。厄介になるよ」
「ゴリ……?」
うっかり呟きかけた友矢を、強烈な眼光が射抜いた。森の賢者の学名は、ゴリラゴリラゴリラというとか言わないとかいや特に意味はない雑学だけど。
「随分と幼い嬢ちゃんだけど。この子がコロニーの深部からの帰還者なのかい?」
リラは背を大きく屈めてユイを眺めた。アホヅラの少女は照れながらふにゃふにゃとした敬礼を返した。
「なっとらーん!」
「ぎゃーっ⁉︎」
ユイのお尻に平手が飛んだ。いつかはこういう日が来るのだろうと、誰もが思いながらも突き進んだ道である。知らず、聞かず、一体どれだけの間、かわいいからという理由で放置して来たのだろう。
糞親父が老婆に殴りかかってきたので、それはレイザーが必死に阻止していた。
「おい、誰だ! ゴリ……ゴラリゴ殿を呼んだのは!」
「レイザー様ではなくて?」
リラの独断らしい。神の盾が前線に出る事は滅多に無い。グリエッタとその護衛たちも、ダニーの越権行為が無ければ神都で引きこもっていたのだろう。
リラはジョージの顔にも張り手をして、レイザーの頭を殴った。教育がなっていないというのだ。ゴリラに殴られれば、人は無事では済まない。
「……偉そうに。それほど力が有り余っているのなら、今まで何をしていた」
アッシュはユイを庇いながら、リラを睨みつけた。
「なんだい、小僧」
「聞かれた事を答えろ、ババア」
アッシュは殴り飛ばされた。ババアの最初の「バ」の時点で殴られていた。恐るべき反射神経のババアである。ユイは慌ててアッシュの介抱に走った。お尻はまだ、ジンジンとしていた。
「……上等だ、クソババア!」
「ちょっと! どうしたの、ケント⁉︎」
アッシュはサブアームを曝け出して、ババアと取っ組み合いをはじめた。確かに、今までのアッシュには見られなかった光景だったのかもしれない。
レイザーもルミナも、友矢でさえも、驚いて戸惑いながら彼らを引き剥がしにかかった。
やはり、アッシュの精神は異常をきたしていた。溜め込むのは良くないと、ユイに言っていたのはアッシュである。
「面白い腕だね。だけど、肝心の筋肉が」
「菫は死んだんだぞ!」
「……なに?」
「イツキも、健人も! ニーブックは! お前たちは! 何が神の盾だ! 今頃ノコノコと! 守らなければならないのは!」
「筋肉が弱い!」
アッシュはやっぱりダメだった。ゴリラに人間が勝てる筈が無い。いや、アッシュは人間では無いが、ババアはゴリラである。
ゼーバとの決戦は死闘だった。今までも、楽な戦いなんて無かった。神の盾は、前線で戦う戦士たちを放置して、今の今まで何もしていない。
アッシュで無くとも、怒りを抱えた者は多かった。ここに集った兵士たちは皆、アッシュと同じ気持ちだった。リラは一人、アウェーに立たされた。
「健人? 今、健人って」
階段から四人の男女が降りてきた。支え合いながらゆっくりと歩く不惑の男女と、それを見守る若者二人。
「……母ちゃん……⁉︎」
アッシュが見間違える筈が無かった。健人の母と父、双子の弟の康平、それともう一人。
「……すまない、アッシュ。彼らは俺が呼んだ。作戦前に、家族と話をする機会をつくってやりたくてな」
レイザーが静かに告げる。バタバタとした簡易滑走路での一幕は、急に落ち着きを取り戻し、瓦礫を撤去する機械の音が鳴り響いた。
リラも流石に落ち着いて、アッシュに告げた。
「護衛して来たんだ。悪かったよ。アンタの怒りに比べたら、私の不満なんてくだらないことさ」
これから共に旅立つ事になるアッシュの素性は、既にデータとして見ていたのだろう。
彼女も、もどかしさを抱えていた。しかし大人の世界には、しがらみというものがあった。彼女一人が無茶をすれば、周囲の者に皺寄せが行く。
事実、フローゼやグリエッタがダニー如きにそそのかされてここまで来たせいで、神都防衛の見回りシフトなんかは滅茶苦茶になった。
リラはそれでもやるべきと思ったから、後進の育成や引き継ぎを終わらせて、近い者たちに根回しをして、それでようやく今回の作戦に参加をすることが出来た。
ニーブックの攻略には間に合わなかった。しかし、「あの日」から五ヶ月以上もの時間が経っているのである。あまりにも遅すぎた。アッシュが怒るのも当然ではあった。
「でもね。仕事をくだらないと思った事は無い。神の損失は、アルカドという国にとって一大事だからね」
ほら行っといで、とアッシュのケツを叩いて、リラはニーブックの基地へと向かって行った。
「……あの」
「健人、なんでしょ?」
「レイザー様たちから聞いてたよ。本当に、健人なんだよな?」
母と父はアッシュの肩に手を置いて、少し戸惑っているのか、震えたような声で尋ねた。
「信じてもらえないと思いますけど、僕は」
「健人、こんなにやつれて! ちゃんと食べてるの?」
母は疑いもせず、アッシュの顔を撫でた。アッシュの方が驚いて、戸惑ってしまった。
「随分と男前になったじゃないか。自分の子供じゃないみたいだな」
父の手は、自分の目頭を覆っていた。
「バカ、冗談になってねぇよ、父ちゃん」
背の高い青年が、父にハンカチを手渡した。
「康平……」
「……よう」
二人は一卵性の双子だったから、昔はよく似ていたし、張り合って色んな事をしたものだ。
「なんだよ。背、縮んだか、兄ちゃん?」
「うるさい。お前がデカすぎるんだ」
「……生きてたんだな」
「うん……生きて、生きてたんだ、僕は……」
アッシュの心は、涙を求めた。求めただけだった。
「ごめん。こんなところまで来てくれて」
「来るでしょ、家族なんだから!」
「母ちゃん……」
塞ぎ込んでいた母は今、泣きながら笑っていた。
「生きてるって、信じてた」
「……父ちゃん」
母を支えて、父も随分やつれて白髪を増やした。
「俺は、死んだと思ってた」
「康平、このやろう」
康平の眼にも涙が溢れた。アッシュで無く双子の健人なら、彼と同じ反応をしただろう。
あの日。
このニーブックの街を襲った災厄から、灰庭一家は奇跡的に再会を果たした。失ったものは多く、守れなかった人たちに詫びる言葉を、アッシュは持ち合わせていない。
自分たちだけ生き延びて、再会出来たことに罪悪感さえあった。いつもの冷静な自分が見つめる中で、しかし、心は嬉しさに沸き、体はその和を乱さぬよう機械的に挙動を遂行した。
「良かったね……ケント」
灰庭一家の再会に、ユイはやっぱり泣き出して、オリヴィアからティッシュを貰って盛大に鼻をかんでいた。
「よっ。康平、久しぶり」
友矢には、気になる事があった。
「……なんで、委員長までいるの?」
「ああ、俺たち」
康平と彼女の左手には、眩いばかりに煌めく石が輝いた。
「「結婚しました」」
「うわあああ⁉︎」
「友矢ー!」
その脳内に爆発音が鳴り響いた。光る石から迸る熱い幸せ光線はライト兵器のように友矢の脳を破壊して、無常にも一人の生きた屍を生み出した。
委員長こと鈴木奏さんは、移り住んだフーシヤの街で灰庭一家のお隣さんになり、そこからの縁でなんやかんやで康平と仲良くなって「お幸せにー! うわあああっ‼︎」
友矢は泣きながら走り出した。
「彼、もしかして?」
「あ、うん……」
「マジか……気付かなかった。悪い事したか」
そう言いながら、康平は灰庭奏さんと仲睦まじく手を握り合っていた。
アッシュは、新たな家族を笑顔と共に迎え入れた。