第九話 家族 6/7 刀光剣影
「いい加減鬱陶しいんだよ! 人間!」
レイザーの相手に忙しかったファーファは、魔王の元へと走り出した。遊撃騎士団には沼田春歌を抑えることが出来ず、彼女の撤退を許すしか無かった。
「クッ……! 惨雪はシオンの拘束を続けろ! 我らは魔王討伐に向かう! 総員、奮起せよ!」
暗雲が、西の空から蠢き出していた。
◆
「外した……い、いや! ボクのせいじゃ……」
フローゼは、千載一遇のチャンスを逃してしまった。動揺がコード・アーチャーへと伝播して、弱々しい少女のように縮こまらせた。
「顔を上げなさい。悪いのは、無茶を言ったあの漆黒でしょう?」
グリエッタは諭してみたが、自分の無力さも痛感していた。傲慢な純白至上主義者の最たる結晶であっても、それくらいの分は弁えていた。
「やっぱり友矢がやった方が」
「いやいや、フローゼが無理なら俺なんかじゃもっと無理だって! あいつの狙撃は最強なんだぞ!」
「人を素直に褒められる友矢が好き。だから僕はお前以上を知らない」
アッシュに言われれば、友矢に自信が湧いてくる。単純に、純粋に、親友を信じられる。それが彼の持ち味だ。
「あれが魔王……」
ランスルートにとっては、魔王の姿はどうでも良かった。人型を保っているのだから、思っていたよりもずっと普通だとさえ感じていた。
「ね、ランスルート! 凄いでしょ、魔王様!」
「ああ。そうだな」
魔王を取り込んだラスティネイルの力に、空間さえも震えて見えた。しかし、ただの暴力に見えた。ランスルートは、そこに信念を感じられなかった。
「あの日」見た、互いに庇い合う巨人と少女の姿――あれ以上にウィシュア皇子の心を掴む光景は、二度と現れないのかもしれない。
それなのに、当の本人である筈の今のシオンとマジェリカからも、感じられるものは何も無かった。
「……無様だな」
とても醜い。ランスルートは落胆した。
◆
「魔王様!」
「新しい餌かい?」
ラスティネイルの元にファーファが馳せ参じた。イツキとルミナはそれを許さず、リ・ブレインをすぐに割って入らせた。
「今更ファーファと遊ぼうったって! もうテメェに用はねぇよ、偽物野郎!」
「俺を魔王の偽物というか! 勝手な奴!」
「猫耳のお嬢さん、俺に寄越せよ、その体!」
「やらせません!」
テティスは傍観している。ゼーバのお城でも、遠くから一目見るだけだった偉大なる魔王様の御姿に、心を奪われていた。
魔族の兵士たちは、魔王の強制バフにより暴れていたのだが、中にはその強すぎる力に呑まれ、ケラドゥスのように吐血し、全身から血を噴き倒れるケースもあった。
それは、神の盾セプテントリオンたちにとっては反撃の機会になった。少しずつ、じわりじわりと態勢を立て直し、グリエッタを中心とした陣形を組み直していった。
「フハハハ! 踊れ! ディス・プリズム!」
「イツキ、此方も!」
「坂巻け! ディス・プリズム!」
二つのアンティークが結晶と光を眩く煌めかせた。その間隙で、ラスティネイルはファーファを喰おうと目まぐるしく動いたが、イツキとルミナは目敏く阻止していった。
「もう! 恋敵!」
「なんてしつこい!」
かつてファーファは魔王の血に貫かれ、テティスとディオネを産み落とした。彼女には既に、魔王との繋がりが出来ている事になる。そもそもの体の相性が良いのと相まって、ラスティネイルがファーファを魔王のパートナーにしたいと躍起になっているのには、そういった理由があった。
「……一気に仕留める。ケント!」
こういう時に頼りになるのはアッシュだ。イツキは迷わず助けを求めた。
「無事なんだな? イツキ」
「心配かけた」
「それはしてない。頼らせてくれ」
「こっちこそ!」
アッシュがファーファを抑えて、機体を横に回転させた。願導マフラーは鞭のようにしなり、惨雪ごとファーファのノエルを巻き取って絡め取り、押し倒した。
「いきなり出てきて、なんだよ、テメェ!」
「……」
接触通信で、嫌でも惨雪に響いた。アッシュは、輩と話す事はしなかった。
「……ありがとう。親友」
穏やかさから敵意に。イツキの視線はアッシュから強敵へ向けられた。
「勝負といこうか、魔王」
「義理は無いが、魔王に歯向かう愚かしさに免じて受けてたとう。勇者よ」
二つの輝きが上空へと舞い上がる。アルカドの兵士たちは少ない白に祈り、ゼーバの戦士たちは圧倒的な黒に湧き立った。
ラスティネイルとライトアームから魔法陣が放たれる。幾重にも連なる複雑怪奇なそれが、歯車のように回り出す。相手の願力の三倍の出力で撃ち放つ禁断の力〈嫉妬の焔〉。自らの身すら蝕む破壊の火が燃え上がった。
「フハハハハ! この身が悲鳴を上げている!」
互いが嫉妬の焔を発動させるという異常事態にしか起こり得ない我慢比べ。相手より上へ、更にその上へ。二つのアンティークの出力が、際限無く高まり続けた。
「イツキ! もう、これ以上は!」
「まだだ! 限界を超えろ! リ・ブレイン!」
周囲に熱が広がる。大気を焦がす。秩序が加速する。破壊の神が、幕引きを強引に手繰り寄せた。
「爆ぜろ!」
「打ち砕け!」
「「ディス・エクス・マキナ‼︎」」
◆
「魔王様!」
マフラーを振り解いて駆け出したファーファのノエルは、アンティークが放つ爆発に呑まれて光に消えた。アッシュはサヴァイブシールドとファングブレードを盾にして、辛うじて惨雪を守り切った。
「イツキーー!」
アッシュの叫びの先、砂塵の果て。
――光が晴れ、ラスティネイルのコックピットハッチが、小さな軀を貪り喰っていた。
「ああ……魔王様」
かつて「血」だけを投与された日から、焦がれ続けていた夢の終着点。愛する魔王様と、ファーファは遂に体を重ね合った。
「魔王、様?」
恍惚としたファーファの顔が、次第に違和感に歪みだした。
「なんだ、お前……。魔王様の中から出ていけ!」
(おお、怖っ。女の勘って奴? 男の趣味悪いぜ、猫耳お嬢さん。……ん? そもそも性別あるのか、魔王?)
ラスティネイルの中、ファーファは念願だった魔王とのリンクを果たす。それは、このアンティークの願導合金に焼きついたバンデージの王に、全てを支配されるに等しい。
(殺せ。人間を殺せ)
「フフフ……成程。人間に対するその怒り。魔王とは、我々バンデージの願いの結晶なのだな! 通りで、俺とよく馴染む!」
ファーファの口を借りて、ラスティネイルの笑い声が高く響いた。
「嫌だ、やめろ! 気持ち悪い……! 魔王様、まおうさま」
体の相性は、欲望の相性となった。貪るようにリンクした魔王の巨体は、小さな猫耳を文字通り喰らっていった。
最早、操縦桿は意味を成さず、硬いシートは魔王の外骨格に取り込まれ、コックピット全体が魔王に侵食された。光が糸を成し、繭となってラスティネイルを覆っていく。ラスティネイルの中、魔王とファーファは一度砕け散り、溶け合って、やがて新たな「三つ」となるだろう。
ラスティネイルが魔王となったのか、魔王がラスティネイルになったのか。古代人バンデージの王は、ラスティネイルという機械の体で現代に目覚めて、そして今、また新たな体で羽化する時を蛹の中で待っていた。
「イツキ! ルミナ!」
アッシュの声がリ・ブレインへと響いていた。前後に伸びるコックピットの中、前面に座ったイツキが目を開けた。リ・ブレインと二人の力をもってしても、魔王を止める事は叶わなかった。
「うわぁぁ⁉︎」
「助けて!」
「おやめください、魔王様!」
魔王ラスティネイルの繭から、無数の触手のような糸が伸びた。それは、ガンドールや願導人形を取り込もうと蠢き這いずり出した。まるで――
「怠惰のフェグール」
――いや、魔王が人型モンスターであると仮定すれば、アンティークなラスティネイルとの融合は、アッシュとユイがコロニーで遭遇したモンスターのマザー「アルファング」を思い起こさせるものである。
「冗談じゃない」
アッシュは、ブレードの牙で出来る限りの命を救いに走り出した。
「地獄か」
ジョージは、急ぎ味方機の回収にシリウスを向かわせた。犠牲者の中には遊撃騎士団や神の盾セプテントリオンたちも少なくなかったが、ゼーバの戦士たちさえ被害に遭った。
「艦長! 何がどうなってんだ?」
「分かるか。分からんから、皆んな救う!」
羽化する為の栄養素を取り込んでいるのか。アッシュでは無いが、ジョージの予想も的外れではあるまい。
その「糸」を断ち切ることは容易では無かった。願力を纏ったライト兵器で受け流し、イルミネーターの砲撃で弾くのが精一杯で、被害を遅らせる事に終始された。
「ああ⁉︎ グリエッタ様!」
シリウスのダニーが叫び出した。セプテントリオンの間を縫って、純白の姫君グリエッタへも触手は伸びていった。コード・セイヴァーの手脚を這うように、糸が蛇のように鎌首をもたげ絡みついていく。
「ひっ……いやぁぁっ!」
「……頼む! リ・ブレイン!」
ギチギチと機械音を鳴らして、リ・ブレインはスラスターを爆発させて飛翔した。先程放った「嫉妬の焔ディス・エクス・マキナ」の残光が宿る右腕の高出力ならば、糸を切り裂く事も可能だった。
「くっ、あああ!」
その隙をつかれた。グリエッタに代わって、モノクロのブレインは腹部を糸に穿たれ、全身を激しく揺らした。
「私を守った……? クロスイツキ」
「ルミナの妹なら、守らないと……! 家族は、大切な宝物なんだ」
守るだけでは駄目だ、大元を叩かなくては。
イツキは、力を使い過ぎて眠り姫に陥ったルミナを背中に感じながら、リ・ブレインで再び駆け出した。
◆
「殺してやる人間は殺してやる殺す殺す殺す」
菫を失ったマジェリカは、ジュードさえも失してしまい、心まで失くそうとしていた。魔王が蛹の眠りについても尚、寄る辺亡き彼女と蠍のシオンには、その支配から脱するだけの力が湧いてこなかった。
「拘束が」
「もう保ちません! レイザー様!」
惨雪たちの奮闘虚しく、マジェリカと蠍のシオンは解き放たれた。情報はユイからアッシュへと届く。シリウスの中にいるユイにはどうすることも出来ない。戦う力なんて無い。焦りが体を縛る。ジグ爺さんの喝が飛んだ。
「残念だ」
ランスルートは見るに堪えなかったのか、マジェリカと蠍のシオンから顔を背けた。あの日、自分の胸を熱くさせてくれた無垢な愛は、まるで感じられなかった。
「ジュード様、人間は殺す、ジュード、ころ、ニンゲン」
最早誰でも良かった。今の健人と菫に、分別はつかない。ランスルートのセカンドを襲う。軽くあしらわれて、顔面から地面へ墜落した。
「殺す。人間。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す」
「……眠れ。俺が救ってやる」
純白が、迷うことなく彼女を撃ち抜いた。
「菫……?」
「先輩……ごめんね」
アッシュの目の前で、菫と健人は閃光の果てに消えていった。耳鳴りが、アッシュの頭を駆け巡った。
無力感が絶望と怒りを超えて、ただ、アッシュをその場に立ち尽くさせた。それでも、そんな自分を上から見下ろすいつもの冷静な自分が、いつまでも、どこまでも、ついて回っていた。
(殺せ。奴を、殺せ)
「ユイ」
アッシュの漆黒が、彼女を急かした。
「……倒して。ケント」
アッシュに促されたからなのか、再び復讐心に駆られたからなのか。それとも、ランスルート・グレイスを野放しには出来ないと直感で理解したのかは、ユイ自身にも分からない。震える手で作業をこなす。カタパルトに火が点る。涙で濡れた心が、火を吹いた。
「あいつを! ケント!」
「来い! セカンド‼︎」
無人のブレインセカンドが、哀しみの空を切り裂いて飛び立った。