第八話 シリウス 4/7 柑橘類
「なにやってんの?」
「わぁ⁉︎」
シリウスの通路の角っこで、ユイがヒソヒソと隠れ忍んでいた。
「ケント、ケント! 隠れて!」
ユイは強引にアッシュを角に押しやると、彼の上に被さる形で再びコソコソと隠れ、通路を見張り始めた。
「だから、なにやってんの?」
「姫様とお話ししようとしたんだけどね、イツキくんが先に部屋入っちゃって、野暮かと思ったから待ってるんだけど、なかなか出てこないの」
若干早口で説明する。
「ああ……。この行為も野暮では?」
「そういうことは分かるんだよなぁ……」
「……分かるさ?」
ユイは呆れた。しかし、アッシュの言うことにも一理ある。今日は諦めて、また明日話そう。次の瞬間、ユイはアッシュを押し倒……押し潰した。
「グエッ」
「バカ、静かに!」
部屋から出たイツキとルミナは、ただならぬ関係に見えた。少女には、それだけで刺激が強かった。
「あわわわわわ」
「なあ、やっぱ野暮」
ルミナは、イツキの襟元を正してあげていた。「もう、しゃんとしなさい」そんなことを言っているようにアッシュには見える。
「……ちゅ、ちゅーするかも」
「え……?」
ルミナとイツキは向かい合い、互いの顔に手を触れ合わせた。
「うわぁぁぁっ、ほら、ちゅう、ちゅーするよ!」
「ハハハ、痛い痛い」
興奮したユイは、アッシュの肩をビシバシし始めた。少女の手に、徐々に力がこもっていく。
「痛い!」
クリティカルヒットしたせいで、ルミナとイツキは二人の方を振り向いた。ユイは咄嗟にアッシュを押し込めて、難を逃れた。
「ドキドキしたぁ〜!」
「ズキズキする……」
「なにやってんの?」
背後に立つ恐ろしき影。ルミナに叱られたのは、言うまでも無い。
◆
イツキの予感は、気のせいでは無いだろう。やむを得ないこととはいえ、リ・ブレインを起動させてしまった事で、ライトアームと因縁浅からぬラスティネイルの目覚めも近いはずだ。
未だ襲ってこないのは、修復が完了していないのか、新しいパイロットの選定にでもてこずっているのか。いずれにせよ、シリウスにいたのでは分からない。
「ニーブック攻略が始まるまでは温存したかったけど、仕方ないね」
レイザーの作戦も、シリウスのクルーに先程話した。だからこそ、ジョージは万全を期したかった。
「しっかし、本当にうまくいくのかね。なんか、トラブル続きだけども。この艦、呪われてるんじゃないの?」
「大丈夫。普通、建造時とか出航時にお祓いするものだから、呪いなんてないよ、友矢」
「運が悪いだけだよね、参ったね」
「なお悪いわ!」
ジョージとアッシュが友矢を宥めようと、口八丁を目論んだ。
「最初に立てた作戦がうまくいくことなんてそうそう無いのだよ、トモヤくん。戦場は生き物って言うでしょ?」
「うまく運べるように手を尽くして、それが駄目だった時の代替案を幾つも用意して、どうにかこうにか切り抜けるんだよ、友矢」
「行き当たりばったりとも言うね」
「なんとかなるもんですね」
アッシュとジョージの、何だかわからない以心伝心っぷりが腹立たしいのは、友矢だけではないだろう。アッシュが糞親父の防波堤になると思っていたアリスは、まずい二人が手を組んでしまったんではないかと身震いした。
「……じゃあ、そろそろ始めますね。ウラノスミレさん。ようこそ、シリウスへ!」
ルミナの音頭で、拍手が鳴った。
「あ、ありがとうございます」
「ささ、飲みたまえ、スミちゃん!」
「ありがと……こぼれてる、ユイ!」
シリウスの食堂に並べられた料理は、オリヴィアとルミナの手作りだ。普段は携行食やら保存食やレトルト食品で済ませることが多いのだが、レイザーからいただいた食材で、栄養士の資格も持つ先生が張り切ってくれた。
小型艦シリウスに、無理にでも食堂をつけてくれ、と頼み込んだジョージは有能だ。美味い食事は、モチベーションに繋がる。揚げたての鶏の唐揚げが異様に美味く感じるのは、気のせいでは無い。
「ユイとケントの帰還と、灰庭健人くんのお誕生日のお祝いでもあります。主催は私、ルミナ・アークブライトが勤めさせていただいております……誰も聞いていませんね!」
ルミナはイツキと乾杯しあった。ふたりは当然のように隣り合った席に座っている。友矢も流石に察して、不貞腐れていた。割と本気でルミナに恋していたようである。委員長はどうした。
「成人か、ケント? 作戦終わったら飲みいくぞ」
「お酒は二十歳」
「あ、お前ニーブックの人か」
こんなところでも地方自治の齟齬があった。アリスの故郷では十八の時から飲酒解禁なので、当時既に呑んだくれである。ワインで有名な街だった。
「しかし実際に二十歳になる時が来たら、灰庭健人は誕生日ですけど、僕の方はどういった扱いになるのか」
「メンドクセ!」
アリスの絡みもめんどくさそうだったのでアッシュは断りたかったが、その時が来たら、まあ、行くしかないだろう。ダニーは艦橋任務の為、ここにはいない。
「あっ、そっか。アリスちゃん、成人してるんだよね」
「良い度胸だな、ユイ。後で説教だ」
「えへへ」
「なに喜んでんだ、こいつ」
おねーちゃんとも違う、別のタイプのおねえさん。しっかりした性格に反して、見た目がかわいいようじょすぎるので、アリスを眺めるたびユイはニヤニヤ蕩けだす。
「あ、この場にお酒はありませんよ。念の為」
ルミナの注釈が入る。ジグ爺さんは小さく舌打ちした。こんな時でも、安全第一のヘルメットは外さない。
「ありがとね、アリスさん」
「……なにが?」
「いや。色々と」
「おう。お前も、お疲れ」
今まで自分の事を気に掛けてくれていた件に関して、アッシュはアリスへと礼を述べた。説明せずとも理解しているのか、彼女は聞き返して来なかった。こういうやりとりは、アッシュも嫌いじゃない。アリスも満更でもなさそうだった。
「お前、ホントに髪チリチリだな!」
「やめて。やめろ、アリス。……アリス!」
悪戯っ子のように無邪気に笑う彼女は、アッシュの一回り歳上である。ジョージの飲み会の誘いには、宅飲み派だと言って断っていた。
「いや、さっきアッシュのこと誘ってたじゃん⁉︎」
実際は酔うと泣き上戸になってしまうので、仕事仲間と飲む訳にはいかなかったのだ。昔、それで失敗したのは察していただきたい。
「改めて。二回目だけど、おめでとう、ケント」
ユイは少し照れくさそうにお祝いして、アッシュのグラス(割れないタイプ)にジュースを注いでくれた。菫がハラハラしながら見守る中、今度はこぼすことはしなかった。
「ありがとう。ユイも二ヶ月前の誕生日、おめでとう」
「えへへ……ありがとう」
菫は正直言って、場違いだと思っていた。ユイと健人くんと、ついでに燈間先輩はいいとして、他のクルーが自分の事をどう考えているか、判断がつかない。
「スミレちゃん、口に合わない?」
「え? いや、そんなことは」
借りてきた猫のような菫に、オリヴィアの助け舟。ユイがすかさず、菫の小皿に料理を取り分ける。
「好き嫌いある? おかーさんのポテサラ、オススメだぜ?」
「ユイ、僕にも」
「ケント、食い過ぎ! カレーもどうぞ!」
美味い旨いと、アッシュは食いまくった。美味しそうにいっぱい食べてくれる人がいると、オリヴィアも作った甲斐がある。考えすぎで糖分が必要になるせいか、この男は無駄に燃費が悪い。よく知る先輩の姿に安心したのか、菫も箸を動かし始めた。
「スミレは、ケントの事が好きなのか?」
「ぶっ」
「イツキ!」
不躾すぎる。友矢は飯を噴いた。うちのイツキがすみませんとでも言うように、ルミナが慌て出した。アリスが唐揚げの食い方にやかましかったので、イツキの問題発言は近くに座るアッシュには聞こえてなさそうだった。
「そう……ですね。はじめは双子の弟の康平くんの事が好きなんだと思ってたんです。でも、彼に告白してみたら『お前が好きなのは、健人の方だと思ってた』って言われて。それで初めて、気づいた感じです」
菫は遠い日の記憶を辿る。猫耳と尻尾が落ち込み涙が零れかけたから、ルミナは優しく抱き寄せた。
友矢はストローを咥えてジュースをブクブクさせながら、菫の頭に押され「ふわっと」潰されたルミナの胸を恨めしそうにチラチラちら見した。
「ケントはな、アイツはやめとけ。めんどくさいぞ」
助言をしながら、イツキはルミナの手作りお子様ランチと格闘している。チキンライスに刺さった旗は、一体どういった意味があるんだ? 大きな子供イツキの奇行に、オリヴィアは笑いながら見守る事にした。
「まあ、イツキは単純だものね」
「なんだと⁉︎ あっ⁉︎」
棒倒しのように両脇から攻略していたのに、ルミナの言葉に気を取られ、あと少しのところで旗は倒れた。イツキは落ち込み、ツボにハマったオリヴィアは爆笑した。
「イツキイツキ! エビフライだぞ、エビフライ!」
「えび……?」
ジョージが執拗に尻尾だけを指さすものだから、イツキはエビフライの尻尾だけ食し始めた。イツキのオカンであるルミナは、からかったジョージを睨みつけた。
ユイは楽しそうに笑い出した菫に安心して、彼女の手を握って微笑んだ。
「それじゃ、スミレが食べられないでしょう、ユイ」
「あーんすればいいよ。はい、スミちゃん、あーん」
「やめろ、バカ! 姫様も真似しなくていい!」
これは、これで……。「あーん」「アーン」と谺する可愛い女の子たちの絡みに、友矢は新しい扉を開いていた。
「あら? ケントは?」
「ダニーが可哀想だから、任務変わってくるってさ」
ジグ爺さんが烏龍茶をチビチビ飲みながら、ルミナの疑問に答えた。唐揚げ美味ぇ。
「あの子は! 今日の主役の一人でしょうに! お誕生日ケーキもあるのですよ⁉︎」
主催者のルミナは、大慌てで追いかけた。
◆
「お前……やっぱり、いい奴だな!」
「違うんです、ダニー先輩。アリスさんから逃げてきたようなものなんです。先輩、いつもお疲れ様です……」
唐揚げにレモンかける派のアリスの拘りに、アッシュはぐったりしていた。普段は気が合うつもりでも、距離を置きたい時もある。
健人ともセラとも特に接点の無かったダニーは、しがらみが無い分、フラットに接する事が出来た。穏やかな性格と相まって、ユイと同じく、今のアッシュにとっては癒しだったのかもしれない。
誰とでも分け隔てなく、波風立てず、円滑に穏便に上手く付き合えるほど、アッシュの再構築は進んでいない。友人と呼べる関係でなく、職場の同僚であれば尚更だ。聖人君子ならば可能だろうが、頭でっかちなアッシュには、一生かかってもできないかもしれない。
それでも、偶然にも仲間となったのだから、アッシュは仲良くしていきたいと考えているのだが、そう思いつつも、唐揚げにレモンの気分もあれば、塩が欲しい時もあるのである。やたらめったら柑橘類をかければいいというものでもないとおもうのだがどうだろうか。
「まあな。でも、アリスさんにもいいところもあるんだ。なにより『みてくれ』はいい」
見た目だけなら、幼い美少女といっても過言じゃない。見た目だけなら、ダニーのストライクだったりする。見た目だけなら。見た目だけなら。
「は、はぁ……」
そういう欲が減衰してしまったアッシュには、良く分からない世界だった。
しかし、確かにアリスはあれで面倒見も良いし、さりげなくアッシュの事を気遣ってくれているのは、彼も察していた。
言葉使いは乱暴だが、照れ隠しの意味もあるのだと、アッシュは感じている。威嚇するような強い語気では無く、あくまでも言葉使いが乱暴なだけだ。素直になれないのだなと思えば、かわいいものだ。
アッシュは普段アリスの使用している席に座り、ダニーから仕事を教わる。綺麗に汚れを拭き取られたコンソールを見れば、彼女の仕事への真面目な姿勢を窺い知る事ができた。
レーダーには、特にこれといった反応は無い。尤もここはコロニーの内部だから、レーダーの精度は怪しいものだ。
「いた! コラ、ケント!」
「え? なにやってんです、姫様?」
「此方の台詞です! 貴方、主役でしょう! パーティーというものは、主役が離れてはいけないのです! ここはダニーに任せなさい。大丈夫です、彼の仕事です」
そんな言い方では流石にあんまりだとアッシュは思ったが、仕事だからと、ダニーは苦笑してアッシュを送り出す。
「あっ、えっと……ダニー先輩も頑張ってるんだから、何か特別手当とか、無いんでしょうか?」
アッシュは出来るだけ話を引き延ばそうと画策した。ダニーに労いを、と思ったのは本当だが、今戻ったら、また唐揚げレモン戦争じゃん。
「特別手当? そうですね、確かに可哀想かもしれませんね……私に出来る事であれば」
「な、なら。グリエッタ様に会わせていただくことは」
「却下」
即答だった。アッシュには、グリエッタなる人物の記憶がまるで無い。
「妹です。末の妹」
「超美少女! 十四歳!」
「私も、滅多に会う事を許されていません」
「超美声の持ち主で、お歌がお上手でらっしゃる!」
「神の盾で過保護にされて、純白至上主義を叩き込まれているのだと、お兄様はおっしゃってました」
「スリーサイズは上から『』『』『』‼︎」
※『』のなかにすきなすうじをいれよう!
「……ダニー?」
メガネがルミナ様に割られている横で、アッシュは絶望の苦笑いを浮かべた。