第七話 遺物 7/7 灰色の庭
建物は蔦に覆われ、外から微かな光と風が舞い込む。地上からは様子を伺えなかった「大樹」の屋上は、庭園の模様を呈していた。
イツキやエイリアスが使っていたファーストブレインには、アンティークの右腕が備わっていた。
アッシュたちの目の前に現れた願導人形は「右腕を失ったブレイン」としか形容できない、ファーストブレインのオリジナルだと感じさせる黄金の機体だった。
「……応答は無い。奴のコックピットにも生体反応は無い。ラスティネイルのように、機体に意志でもあるのか?」
それとも、願ドローンのように遠隔操作されているのか。
オリジナル・ブレインは周囲から何かを取り込む仕草を見せ、次の瞬間には融合分裂したかのように、巨大な卵を思わせる繭の塊を産み出した。
屋上には他にも生みたての繭が散乱し、そのどれもが蠢き、やがてモンスターとなり人間たちを襲うであろうことは誰の目にも明らかだった。
「モンスターのお母さんなの……? なんで、人間を襲うの?」
「そういう風にデザインされたから、ということなんだろう」
イツキたちは、これの存在を知っているのだろうか。イツキが知っていたのなら、必ず止めようとしたはずだ。なら、エイリアスや黒須砂月がイツキに教えない為にここを立ち去り、封鎖したということか。
それとも、やはりここには立ち入っていないのだろうか。
「いや、理由は今はいい。この施設が、こいつを生きながらえさせているというのなら、施設だけでも破壊できれば……しかし、出来るか? この情報を持ち帰り、後日改めて挑んだ方が……」
「倒そうよ、先輩! 私たちがこうなった、一番の元凶だよ⁉︎」
「状況を考えろ、アンティークのオリジナル・ブレインなんだぞ!」
「お兄ちゃんは分かるんだよ! あれを野放しにしちゃいけない! 私たちみたいな目に遭う人を、増やしちゃいけない!」
それは嘗て、アッシュが彼らに対して言った言葉。時間をかけて、菫と健人に確かに届いていた。
菫と蠍のシオンは、二人の漆黒を重ね合わせた蠍の鋏で、オリジナルの胴体を捉えに走った。
オリジナルを取り巻く植物の蔦は、その意志に従い蛇遣いの蛇のように縦横無尽にうねり、蠍の体を拘束していく。蠍はその脚を、鋏を引き千切られ、獣の悲鳴が周囲を満たす。
オリジナルより数段劣るであろう壊れかけのセカンドは、蔦やモンスターに阻まれ防戦一方で、彼女たちの救出どころでは無い。
刀や左脚に取り付けた義足から光弾を発して、辛くも蔦を躱していく。無重力ならば、水蒸気推進や義足のバーニアでも回避に貢献は可能だ。
「帰る手段が分からなきゃ、情報を持ち帰るどころじゃ無いよね……やろう、ケント」
ユイの眼は覚悟を決めたように、真っ直ぐにアッシュを見つめた。ハナコ似のクッションでさえ、決意に塗れたように眉を上げていた。
「……ごめん。ありがとう、ユイ」
アッシュは、大きく深呼吸を放った。
「いきます!」
ブレインセカンドは、無重力を駆け出した。手にした刀から出力を調整した鋭利な重結晶をばら撒き、義足からビームを放って、マニュアルで憤怒のディス・プリズムを模倣した。
一発のビームが乱反射で複数に分裂して、蠍を拘束していた幾つかの蔦を焼き切り、解放されたシオンもまた、鋏で蔦やモンスターを挟んでは、断ち切っていく。
「ありがとう、先輩!」
菫の漆黒がシオンの漆黒と混ざり合う。残された鋏と尻尾から、重結晶と願力ビームが渦を巻き放たれた。
「お返しだよ! どうだ!」
力の差は歴然だった。オリジナル・ブレインへのダメージは軽微、それが直様再生すると、シオンは蠍部分の胴体を蔦に穿たれ、ブレインセカンドは刀ごと右腕を失った。
やがて繭は割れ、今までに見たこともない、蠍ともカマキリともいえるようなモンスターが生まれた。
「なに、あいつ? お兄ちゃんに似てる……?」
「色欲のアデウス」
アッシュの口から漏れ出た名前は、セラの記憶かと思ったが、彼にもそんな小洒落たネーミングの記憶は無い。
色欲は翅を広げ、一際強い電波障害が発生。鱗粉のように合金粒子を撒き散らしていると判断出来る。
「合金粒子なの⁉︎ ケント、避けて……ケント?」
「だ、誰だ……お前は……」
◆
アッシュの意識は、あの研究室へと飛ばされた。ラスティネイルに乗った時、そしてウィナードと戦った時に見た、白衣の女性が語りかける。
「世界を救うの。分かるでしょ、アッシュ。私たちバンデージなら、それが出来る」
「エヴァリー・アダムス……⁉︎」
◆
「健人くん、セラちゃん! 良かった……ずっと一緒だよ。みんなで、ニーブックで生きよう……」
「スミちゃん? 何言ってるの……? ど、どうなってるの⁉︎」
蠍のシオンとブレインセカンドは、色欲のアデウスへと吸い込まれるように自ら抱きついた。アデウスの力である〈色欲のモノクローン・ドレス〉は、彼らに願い人の幻覚を見せ、取り込み、肉壁へと変えた。
「幻覚みたいのを見せてる? お兄ちゃんの健人くんにも効いてるの? 私には効かない……?」
取り込まれるセカンドの中で、ユイには、なす術はなかった。
「……ケント」
無重力のコックピットの中を移動する。ただ、ありったけの願いを彼の手に注いだ。彼女には願力なんて無い。涙が、自然と溢れていった。
「なんで、エヴァなんだ……! 勝手に逝きやがって、セラァァッ‼︎」
アッシュは取り込まれたことを逆手にとって、スラスターとブースターとバーニアを全開にして、アデウスのコア目掛けて機体を押し込んだ。
「僕を理解出来ないか、色欲!」
アッシュはエヴァと面識が無い。セラの記憶が彼女を幻視したのか、しかしそもそもあの白衣の女性がエヴァなのかそうでないのか、それも分からない。
ただ、エヴァはアッシュの願い人では無い上、彼の色欲は減衰していた。
なにより、ただの幻覚の白衣の女性とは違い、確かに感じるユイの温もりが、彼を物質世界に引き止めたのだった。
「うおおっ‼︎」
セカンドの体当たりでコアを失ったアデウスは、セカンドとシオンを解放し、砕け散った。
シオンと菫も、やられっぱなしではいられない。モンスターを産む元凶だけじゃなくて、半身であるアッシュと、危なっかしい歳上のユイにも負けてはいられなかった。
「ごめん、先輩! 私たちが食い止める! 逃げて!」
「嫌だ! もう置いていかない! 一緒に帰るぞ! 菫、健人‼︎」
アッシュの決意は硬く、ユイは静かに頷いた。
先程ユイが見つけたガンドールのパーツ……おそらくは、アンティークの残骸。失った右腕の間接に無理矢理接続、首に巻いていた願導マフラーで固定――
「いくぞ、セカンド!」
――願力を注ぎ込む。
ユイが旅で手に入れてきた数多のパーツ。その中にさえ、アンティークは紛れていた。セカンドの全身に撒き散らされた古代の遺物が、接続された右腕と共鳴して輝きを放った。
(カシス!)
(逃げて、クロウ。貴方だけでも)
声が聞こえた。
規格外のパーツに「侵食」されていき、セカンドは拒絶反応を示し、コックピットに尋常でないアラートが鳴り響いた。
「出力、上昇! レーダー、ダウン! モニター、願力伝達、共に異常発生! 出力……尚も上昇!」
「構うものか!」
破壊音を掻き鳴らしながら、大樹に覆われたこの施設のように、セカンドの全身が紫色に侵されていく。
「なに、あれ……羽みたい」
菫と蠍のシオンは騒動の観測者となった。彼女たちの目に映る、奇怪で不揃いに枝分かれした片翼のセカンド。
蠍のシオンが、唸り声を上げた。
「……お兄ちゃん?」
紫色の右腕に侵食されたセカンドと、黄金の右腕を失ったオリジナル。古の再現が、シオンの中の純白アートに焼きついた記憶を呼び起こす。
(……忘れない。お前だけは……アッシュ!)
「出力が……ケント!」
「一縷に賭ける」
高まる鼓動、ブレインセカンドのスペースニウムエンジンの出力は、上がり続ける。
セカンドの右眼は血を噴き出したかのように紅に染まり、波打つ願力のうねりが漆黒のマフラーとなってはためいた。枝分かれした片翼から推進力が放たれ、排気筒から光が漏れる。
「充分眠っただろう。さあ、目覚めろ……アンティーク!」
抑えつけられた力を解き放ち、ただ一つの目標へ向かって、片翼のブレインセカンドは飛び込んだ。
「喰らい尽くせ! エクリプス・ファング‼︎」
紫色の右腕から魔法陣と結晶の牙が発現する。牙は、蟲も蔦も、オリジナルの黄金の左手さえ噛み砕き、願導合金を取り込んで、暴食の力で更なる変質を果たす。
「そこだ!」
義足の大剣から放出されたワイヤーが目標を捕捉。右腕を黄金のコックピットへと突き立てた。
「エクリプス・ディス・プリズム! 砕け散れぇぇ‼︎」
突き立てられた牙を自ら握り砕き、右腕に展開された砲口から同一の魔法陣を二重三重に形成。
オリジナル・ブレインの腑。コックピットには誰もいない。古ぼけた願いだけが鎮座する黄金の部屋。迸る漆黒の雷光が、黄金の体内を駆け巡った。
抵抗するオリジナル、悲鳴を上げるセカンド。操縦桿を握るアッシュの手に、彼女の手が重なっていく。
「ユイ」
「大丈夫。この子を信じて」
「……ああ。自分のことを信じきれない時だって、お前のことは、疑ったことなんか無い! ブレインセカンド‼︎」
二人の願いに応えて、セカンドのオッドアイが、一際眩く、鋭く輝いた。
「「いけーー‼︎」」
セカンドは、オリジナルのコックピットに右腕を突き刺したまま、巨大な大樹から引き剥がし、菫とシオンとモンスターたちも置き去りにして、奈落の底へと迸っていく。
紫と黄金の二色の虹が、灰色の空を塗り替えていった。
激しい衝突、ディープホールへの激突音。つぎはぎの街は音を立て崩れ、黄金のオリジナル・ブレインは悶え苦しみ抜いた末、光の粒子となって消滅した。
五百年。いや、多分それ以上もの長い時を漂ったラスティネイルの右腕〈古代人クロウの願い〉も、役目を果たしたかのように光となって散っていく。
生き残ったブレインセカンドには、まだ役目がある。重力異常がそう告げるように、彼らを奈落から地上へと押し返していった。
母を失ったとしても、既にこの世に生まれたモンスターたちには関係が無い。セカンドを蟲から守る為に奮闘する菫と健人だったが、次第に数に押されていく。
満身創痍のアッシュとセカンドは、なんとかバインのブースターを切り離しモンスターへとぶつけ、最後に義足の左脚から、しみったれた願力の光弾を撃ち放ってブースターを誘爆させた。
遂に、願力は尽きた。
「ありがとう、ユイ、セカンド……ごめん」
「いいよ。えへへ……ありがとう、ケント。お疲れ様、ブレインセカンド」
「――打ち砕く‼︎」
セカンドに迫る蟲を、猛々しい声と、懐かしい光が振り払っていく。
「ケント!」「ユイ!」
漆黒と純白の翼、禍々しくも煌びやかな装飾。修復を終えたファーストブレインが、イツキとルミナを乗せて、傷だらけのブレインセカンドの前に駆けつけてくれた。
「脱出する! ライトアーム、やってみせろ! リ・ブレイン‼︎」
改修されたブレインこと〈リ・ブレイン〉の右腕のライトアームに、漆黒と純白が注がれていく。
願いの力が空間さえ砕き、彼らの帰るべき場所まで、光の扉から道が繋がっていく。
「お前たちも、急げ!」
セカンドを抱き抱えたリ・ブレインは、蠍のシオンの手を握り、開かれたゲートへと飛び込んだ。
「大丈夫、お兄ちゃん?」
菫の体が光に包まれた。それは、リ・ブレインや蠍のシオンも同様に見えた。全身を覗かれるような、こそばゆさがあった。ゲートを超えてすぐに、光は消えた。
「蟲が追ってきます!」
「振り切る!」
ゲートの中にさえ、灰色の世界が広がっていた。現世への怨み、妬み、後悔の念。世界粒子が漂う混沌の海。
「手を離すなよ!」
閉じ込めた彼らを逃すまいと、この世界の中心へ向かって風が吹き荒ぶ。
「黒い穴……⁉︎」
ブラックホール、高密度の天体。それ以外に形容する暇はない。リ・ブレインの推進機関を止めれば、最も容易く飲み込まれて藻屑と成り果てるだろう。
「させるかよ!」
ゲートの中に紛れ込んだ蟲に、追い風を受けた一条の閃光が煌めいた。
「健人!」
ゲートの出口から、友矢の狙撃が援護してくれる。
それすらも呑み込もうとするゲートに、コード・アーチャーは狙撃用の脚部アンカーを地面に打ち込み、コード・セイヴァーとコード・サマナーが支えて必死に耐える。
「来い!」
「帰って来い!」
「「飛べぇ‼︎」」
イツキとルミナは二人の願いを重ねて、翼は加速して、傷だらけのセカンドを労わりながら、出口へと駆け込んだ――。
◆
「――ユイ!」
リ・ブレインから飛び降りたルミナは、ユイへと駆け寄り、脇目も振らず抱きしめた。
「姫様……うわあぁぁぁ! ひめさまー!」
「ユイ……こんなになるまで……ごめんなさい……良く、頑張りました……」
コックピットから降りて砕けたアッシュは、立つ気力も残っていない。セカンドに寄りかかり、彼の光を眺めた。
「お疲れ、ケント」
「ありがとう、イツキさん……疲れたよ、ホント」
「ああ……生きてるって、信じてた」
「信じて……そっか。みんな、信じてくれてたんだ……」
イツキの眼にも、涙が滲んだ。ジョージやオリヴィアも、愛娘を思う存分抱きしめて、クッションじゃないハナコの仏頂面は、心なしか微笑んで見えた。
「おかえり、健人!」
「ありがとう。ただいま、友矢。ただいま、シリウス……」
シリウスは、あの日と変わらず白く輝いていた。
菫はシオンのハッチを開けて、そんな彼らの心地良い光る風を浴びながら、シオンと一緒に大きく伸びた。
「お前もお疲れ、ブレインセカンド」
セカンドは二人を無事送り届けると、満足そうにしばしの休息に入った。
アッシュは、自分たちを守り抜いてくれたこの相棒を、何よりも誇らしく感じていた。