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第七話 遺物 5/7 焚き火

 改修されたセカンドの左脚は、なんとか機能してくれた。常に水蒸気推進やバインの願力推進を使う訳にもいかないし、機体との一体感を増幅するのにも、脚は必要に思えた。

 バーニア代わりにしたノエルのライト兵器だって、襲いくる蟲に不意打ちを喰らわせるのにも、なかなかどうして便利に役立ってくれた。


 エレクトリックバレットは残り一本。予備は無い。


「ね、ねぇ……ケント、あれって」

「……あの、馬鹿!」

 コロニーを進むセカンドの前に、巨大な蠍がモンスターの大群を引き連れてやって来た。


「見つけた、健人先輩!」

「菫!」

「マージェーリーカー! この近くにいれば、先輩なら来てくれるって思ってたの!」


 近くに大樹がある。おそらくは、そういうことだろう。しかし、今現在差し迫っている案件を、まずはどうにかしなければならない。


「無事ならいい! 大群相手は流石にきつい、一旦距離を取って……」


「ん? ああ」


 モンスターの中にあって、一際目を引く大きな漆黒の蠍は、ジャンプキャンセルでもするように背後を振り返り、二つの鋏と新たに手に入れた尻尾から、漆黒のライトを垂れ流した。


「ええ……」


 あっという間にモンスターは片付いた。強欲や暴食の蟲たちは、数は多いが個々の力は上位種ほど高くはない。それでも、シオンと今のセカンドとのあまりのスペックの違いに、アッシュとユイには、どっと疲れが押し寄せた。


「もういいよ、さっさと帰ろう」

「どうやって?」

「そっちの健人の力でゲートを」


「だから、どうやって? 健人先輩の中のセラちゃんパワーとかで跳ばされたんじゃないの、私たち?」


 すごいな、セラちゃんパワー。そんなものはない。一同は、呆然とした。


「じゃあ、そこの女! そいつのせいで」

「私? 願力無いよ、私」

「はぁ? なにそれ、アンタ人間なの⁉︎」

「ど、どうかな? 自信なくなってきたよ……」


 ユイの笑顔は、いつもよりも力無く、アッシュの庇護欲を駆り立てた。


「彼女のせいじゃない!」

「彼女ぉ⁉︎」


 ああ、ややこしくなる! マジェリカのアッシュへの想いは、鈍感を自覚してるユイでも分かる。おねーさんは一人で慌て出した。


「あっ、なんか、お、おなかすいたなー! ごはんにしましょう! ね⁉︎」





 近くにあった川で一休み。水の確保は今のセカンドにも有難い。

 道すがらマジェリカから聞いた話では、大樹の周辺にはモンスターが点在しているが、クワガタとカブトムシ以外は倒してきたとのことだった。


「扉を壊してやろうかと思ったんだけど、蔦に塞がれてたから先輩は中にいないと思って。勝手に壊したら怒られそうだし」


「そんなに怒りっぽかったか? いや、健人先輩じゃなくて、僕はそうだったかもな……」


 アッシュは、辿り着いた川で顔を洗いながら答える。

 扉があるのなら、大樹はやはり、古代人の遺した施設なのか。貴重な物だし、帰還できなかった場合の拠点にもなり得る。マジェリカにしては珍しく冷静だったと言える。


「自分たちの命が危険だったら、僕らの事なんてほっといて中に入っても良かったんだぞ」


「うん。でも、ピンチは無かったよ。お兄ちゃんのおかげだね」


 マジェリカは蠍のシオンを見上げる。巨体を器用に丸めて寝転んでいる姿は、なんだか妙に生物的だった。魔王の血に触れシオンは強力な力を得たが、代償に力の制御が更に難しくなり、休みがちになってしまったらしい。


「健人くん、なんだよね? えへへ! はじめまして、ユイ・フィールです。あっちのケントの仲間なんだ。よろしくね」


 ユイは物怖じせず、シオンに近づき挨拶し始めた。「いい奴」であるアッシュの半身なら、シオンも「いい奴」だと思ってくれているのだろう。シオンはスルーを決め込んだ。


「マジェリカちゃん。この子、言葉分かるんだよね?」


「え? さあ? どうなんだろう」


 なんとなく、分かるといえば分かる。そんな感覚で、マジェリカとシオンは繋がっていた。


「あ、分かった! わんわん!」


 ユイは、シオンに「お手」のポーズをねだってみた。何が「あ、分かった!」なんだろう……アッシュは、訝しんだ。


「えっと……ユイさん、だっけ? 犬じゃねぇよ?」


「? 知ってるよ?」

 さも当然といったようにユイは答えた。マジェリカには、このおなごの奇行がさっぱり理解出来ない。


「昔ね、しゔぁ犬飼ってたの思い出したんだよ。柴犬のしゔぁっていうの、えへへ……。犬語で話すとね、駆け寄ってきてくれたの。尻尾振るんだよ、かわいいんだよ。わんわん!」


「犬語」


 アッシュは笑い出した。シオンには悪いが、どう見てもモンスターを連想する姿の自分の半身が、ユイにかかれば「かわいい人類の隣人」扱いである。


 そのシヴァは犬語が分かるんじゃなくて、ユイに話しかけられたのが嬉しくて駆け寄ったのだろうが。犬語って何だ。


 多分五月蝿かったんだろう。シオンは微かに反応を示した。「ほら、見て!」と上機嫌のユイは、笑うアッシュにショックを受けて、シオンの下半身が放つあくびを至近距離で喰らって、尻餅をついた。「ゔええ」と変な声が漏れた。


「なんで笑うの? 体がおっきくなっちゃったから、人間の感覚だけじゃ伝わらない事もあるかもしれないでしょ? この子も戸惑ってるよ。……たぶん」


「そうだね、ごめん。僕も融合分裂には驚いたもんな。魔王の血の影響まで受けて、人の言葉を理解出来なくなったとしたら、あいつだって戸惑うよな。だから犬語を試したの?」


「……えへへ。うんとね、もし人間の言葉が分からなくなってたとしても、それ以外のコミュニケーションができるはずなんだよ。マジェリカちゃんを乗せてくれてたし、健人くんなら生物だし。ケントだって、言葉が無くてもセカンドと繋がってるでしょ?」


 犬語はただのコミュニケーション手段の一つとして用いただけだ。なにも彼女だって、シオンが犬だと思ったわけじゃない。犬語って何だ。


「健人」は既に、健人でもケントでもアッシュでも無い「彼」になったのだ。それを思えば、アッシュは悲しくて、でも、同時に安心もしてしまった。


「かわいいよね。でゅふふ! あ、かわいいっていうのは健人くんのことで、ケントなんか、全然可愛くないんだけど!」


 ユイは、自分の拙い言葉にもアッシュが理解を示してくれた事に内心すごく喜んでいる。


「ね、ねぇ……あの子、大丈夫?」


 自分の頭を指差しながら、マジェリカは奇怪なものでも見るようにユイを眺めた。アッシュはマジェリカの手を取り、そのポーズをやめさせる。


「いい子だよ。ほら、お前も手伝え」

「はいはい」


 川で取れた魚を焼いてみる。度重なる失敗の経験から、岩塩やら香草やらを拾ってきていた為、命をきちんと美味しくいただくことができた。

 サバイバルにも、なんとか慣れてきた。文明人として、それでいいのかは置いといて。


「うえ、死んだ魚の目、気持ち悪っ!」

「贅沢な奴!」

 浦野菫はこんな奴だったな、と、アッシュは懐かしんだ。


「仲良いね。いいなぁ、同じ学校」

 マジェリカは、ユイにドヤ顔をかました。彼女が表情を変える度に猫耳や猫尻尾が動くのを、ユイは触りたくて仕方がない。


「ま、マジェリカちゃん! お願い!」

「なんなんだよ、お前! キモい! それに……臭い!」


 年頃の娘さんは、ショックを受けた。自分で嗅いでみても、確かに、なんだか臭う。道中、洗うことはあっても、同じ服を着続けていれば、こうもなろう。

 アッシュからすれば別に嫌いな匂いでは無かったのだが、転生のせいか猫のように鼻が効くマジェリカには、同性の女の匂いは気になった。ユイの目には、自然と涙が滲んだ。


「うわっ、泣くな! ……ええい! 来い、バカ女!」


「ないてない……ゔえぇ……。わたし、としうえなのに……」


「そんな訳あるか、バカ!」


「にかいもばかっていわれたー!」


「バカバカバカ!」


「わたし、けんとのいっこうえだもん! まじぇりかちゃんのせんぱい? だもん!」


 二人の女の子は昔馴染みの友人か、仲良しの姉妹のように、手を繋ぎながら川の下流へ行ってしまった。

 ナニをしているかを表せる筆を、アッシュは持ち合わせていない。想像に任せるしかないのだ。





「……健人」


 アッシュは、かつての半身に語りかけた。彼が今、何を考えているのか想像もつかない。今までどれだけの苦労があっただろう事も、アッシュは考えるだけで胸を締め付けられる。


「菫のことが好きなんだな。それは、僕にも伝わってくる。……お前、僕を恨んでいるよな」


 出会う度に、彼らを殺そうと思った。彼と菫の人生を破壊したのだから、彼らが人間を襲うのなら、それを止める責任がアッシュにはある。


「お前が望むのなら、この体も記憶も、お前に差し出しても良いと考えた事もあった。でも、もう駄目だ。僕もお前も、もう別の人生を生きている。アッシュ・クロウカシスの人生は、渡せない」


 アッシュの謝罪と決意に、シオンは低く唸り声を発しただけだった。表情なんか窺い知ることは出来ないのに、彼の寝顔は、なんだか安らかに見えた。





 夜になってもシオンは起きなかった。大樹を目前にしての足踏みは気を急かせるが、彼の力無くして、おそらく帰還は叶わないだろう。


「安心してくれてるのかな?」


 さっぱりとしたユイは、改めてシオンに謝って、そんでもってシオンの体に興味深々で、あちこちいじり回っていた。わんわんのシオンは、なされるがままである。


「くしゅっ」

「ぎゃーっ⁉︎ くしゃみかわいーー‼︎」


「マジで大丈夫かよ、ユイ」

 いつの間にやら、マジェリカはユイを呼び捨てにしだした。彼女もまた、その挙動にハラハラしっぱなしだった。


「お疲れ。すみ……マジェリカ」

「菫で良いよ。健人くん」

 降着姿勢のセカンドの脚に寄りかかるようにしたアッシュは、ようやく落ち着いて「菫」と会話が出来る機会を得た。


「悪かったよ。色々偉そうに」

「……ううん。先輩が怒るのも、今なら分かるよ」


 責任はある、だからアッシュは彼女と健人を止めた。だけどそれ以上に、彼らに罪を犯してほしくは無かった。


 菫はセラを失った。失ってはじめて、自分のやろうとした事の重さに気づけた。自分たちのような目にあう人を、自暴自棄で増やしてはならないのだ。


「マジェリカは、どうなったんだ。魔族のマジェリカさんの事だ」


「……うん。あの子は、あの日……死んじゃった。ジュードを庇ったんだって」


 あの日……灰庭健人が、融合分裂、転生をした日。


「その時乗ってたノエルにね、私が乗ることになった。強制融合分裂装置……みたいなこと、博士は言ってたっけ」


 願導人形とのリンクを強制的に引き上げる装置。名前からして、大体はそんなものだろう。非人道的な手段だというのは想像に難くない。


「あの子の記憶は引き継げなかった。見た目はこんなんなっちゃったのにね。あの子には悪いけど、ジュードも好きにはなれなかったな」


「ならなくていい。お前は、あの子になる必要は無い」


「うん……。それで良かったんだと思う。また、先輩の隣にいられる」


 菫は、健人先輩の肩にもたれかかる。こんな時を彼女は夢見ていた気がするのに、随分と長い回り道をしたのだと思う。


「良かった……」

「ん?」

「私、やっぱり浦野菫なんだ」


 お互い、見た目は変わってしまった。でも、彼女は彼の外見だけを好きになったわけじゃない。


 今自分は、彼の優しさにもたれかかって、この上なく安心している。それが自分が自分である事の、何よりの証明だと菫には思えた。


「そうだな。自分の正体については、僕も悩んだ。何者だろうと、最早不可逆なら、受け入れて進むしかない」


「ふふ……また小難しいこと言ってる?」


「こんなに生意気なお前は紛れもなく僕の知ってる菫なんだなって、そう言ったんだけど」


「嘘つけ。翻訳家連れて来い」


「ユイ先生ー」

「犬語はお呼びじゃない」


 この気持ちは、きっと間違いなんかじゃない。少なくとも今の菫は、幸福を感じていられるのだ。

 

「……お前の半身は?」


「…………実験に、耐えられなかった」


 長い沈黙が、その凄惨さを表しているようだった。甘い感情から苦い記憶を手繰り寄せて、焚き火に木をくべてから、菫は話を続けてくれた。


「ニーブックの人たちもね、たくさん実験に使われた。ママもパパも、みんなも……。でもね、私……みんなに何もしてあげられなかった。自分から分裂した巨人が辛そうにしてるのを見てたのに、自分だけ生き残って……」


 話しながら、彼女も現実を整理する事が出来た。


「私……お兄ちゃんを道具にしたんだ……」


 自分の半身が辛そうにしていた。あの子にも、感情があった。融合分裂体は、生物だ。それは、ここにいる蠍のシオンもおんなじだ。


 菫には、シオンの言っている事は分からない。それでも大きなノイズも無く繋がっていられたのは、菫がやりたかった事をシオンが察してくれていたからだ。


 灰庭健人の、お節介だ。


 自分の都合の良いように解釈して、シオンを道具として利用していた。彼の辛さを理解したフリをして、彼の優しさに甘えていた。

 

 突然、彼女はそれに気づいて、泣き出してしまった。


「ご、ごめんなさい……! 健人くん……みんな、ごめん……ごめんなさい……」


 先輩は後輩の頭を撫でてあげた。少しだけ力が入ってしまったかもしれないけれど、学生の頃とは違う猫耳が、否応なく手に触れた。


「お前のせいじゃない。健人もそう言ってる。それでも苦しかったら、僕を恨め」


「……出来るわけないじゃん、ばか!」


 焚き火が、高い音を鳴らした。火の粉が暗い空を撫でて、灰を降らせて散っていった。


「大変な時に側にいられなかった。頼りない先輩でごめん」


「ばか、ばか……!」


 いつの間にかセカンドに隠れるように側で静かに聞いていたユイも、涙を止められなかった。悲鳴のような風が、ニーブックの人たちの怨嗟の声に感じられた。


 涙と心に疲れ果て、菫は眠りについた。アッシュは彼女をユイに任せると、その日は自分の半身の下で目を閉じた。





 翌日、目覚めた菫は、自分を守るように抱いてくれているユイを見つめ、その寝顔に触れた。


 ユイの意外とおっきめの胸に顔を擦り付けて、マーキングするように所有権を主張する。自分も先輩と一緒にシリウスに行って、なんだか危なっかしいこの子と仲良くなりたい。そんな感情が芽生えてしまう。


(アルカドの姫様にも、八つ当たりしちゃったな)


 セラも、家族も、友達も、もういない。だけど、カイナやメアリとも仲良くなれたし、今さら裏切ってしまったら、きっと罪悪感がまとわりつくのだと思う。


「おはよう、菫。早速で悪いんだけど、ごめん、たすけて」


 シオンの蠍部分の口が、アッシュの下半身を喰む喰むしていた。


「うわぁぁ⁉︎ 先輩⁉︎」

「あ、だめだ、あー」


 あっ、喰われた。

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