第七話 遺物 1/7 誕生
「セラが、死んだ……?」
ゼーバの飛行戦艦へと逃げ延びたランスルートは、格納庫に帰還したばかりのカイナとメアリから、信じられない現実を押し付けられた。
「うそ……」
マジェリカは、出撃さえ出来なかった。度重なるマーク博士の強化でシオンは不安定になり、起動すらしなくなっていた。もはや機動兵器としても「健人」としても終わっていた。
「私たちは……セラの最後を確認することは出来ませんでした。しかし、純白の騎士が光の剣を振るった直後、ホワイトホーンの反応は……ロスト、しました」
「すまねぇ、俺が……チクショウ!」
メアリは申し訳なさそうに縮こまり、カイナの行き場の無い怒りは格納庫の壁を殴り付けた。
「光の、つるぎ……」
次の瞬間、ランスルートは笑い出した。テティスは何事かと飼い犬の正面に回り込んで、自分より背の高い笑い顔を見上げた。
「ランスルート……」
引き攣った笑顔から涙が滲み、やがて鬼のような形相へと変わった。とめどない憤怒は頬を伝って流れ落ち、真下にいたテティスは身動き一つできず、零れたそれを口内で受け取った。
彼女は、思わず彼を抱きしめた。
「奴は、レイザーは……俺を認めないばかりか、俺を認めてくれた人さえ殺したのか? 何故だ! あの人が、何故、あんな奴に殺されなければならない⁉︎」
「うん……うん……。強くなろう、ランスルート」
彼から手を離したテティスは、胸元から試験管を取り出した。赤い水は主から抜き取られてから、かなりの時間を辿ったというのに、まるで生きているかのように不気味に波打っていた。
「魔王様の血だよ。いいよね……?」
それを体内に注入された者は、すぐに体に変化をきたし魔族のような見た目へと変わる。しかし、その力の全てを取り込むことはできず、魔王の子供という別の命を排出する。ただし、その血の力に耐えられなければ、地獄の苦痛と絶望の中で死ぬことになる。
「恐れなど、初めから無い……!」
「良く言えました」
小悪魔の少女は、まるで聖母のように微笑むと、うんと背伸びをして、御利口な飼い犬の頭を撫でてあげた。
デジャヴが過った。ランスルートとテティスの姿を側で見ていたマジェリカは、菫だった頃の事、健人くんの髪の質感を、自分の手に思い出そうとした。柔らかくて、少しくすぐったい。懐かしい感触。
――思い出は、彼女の脳内にのみ残された。
いくら考えても、絞り出そうとしても、大事な体の記憶は抜け落ちて、空っぽの現実を突きつけた。頭では分かっている、覚えている。しかし、それは記憶があるというだけで、自分の体で感じた記憶だと思う事が出来なかった。
融合分裂は、彼女から肉の記憶を奪い去っていた。一度分解して再構成されたその時に、何処かへ溢れ落としてしまった。自分は、新しい体に記憶というデータだけをインストールされただけの、別人に思えた。
(健人くんも、こんな風に思っているの?)
急に不安に陥った。マジェリカ・クロウカシスは、本当に浦野菫なのか。
浦野菫なんて、初めから存在しなかったのでは無いか。
◆
格納庫に、獣の雄叫びが響いた。テティスは驚いて、魔王の血を入れた試験管を落として割ってしまった。
「健人お兄ちゃん……⁉︎」
「ヒャーヒャ、ヒャイー? なんで今動くんじゃい⁉︎」
戦艦に乗せたはいいものの起動しなかったシオンが、ここに来て目を開けた。
(いいこいいこ。すみれちゃんにしてもらった。もっかいなでてもらう)
――あの赤い奴があれば、また菫に撫でてもらえる。
テティスとランスルートの姿が、シオンにかろうじて残っていた健人の記憶を、歪んだ形で呼び覚ました。
菫に褒めてもらいたい。ただ、その願いの為に、床に落ちた魔王の血を異形の鋏で触れてしまった。
シオンの全身を形作る願導合金の外骨格に、真紅の線が血管を伝うように走っていく。激痛に叫ぶ獣の声が、その場にいた全てを怯えさせた。
外骨格は畝り、膨れ上がり「人型の上半身と、巨大な蠍を下半身に宿した」としか形容できない、半人半蟲の化け物へと変わった。
「そうか、こいつも純白……!」
クロスサツキと同じ事が起きた。ディオネのその直感は的外れでも無かった。
シオンの純白の願力は、漆黒へと変質した。この異形をもってしても、やはり魔王の血の力を押し留めることは出来なかった。硬い外骨格を突き破り、腹に当たるコックピットから、新たな命を現世に降臨させていく。
「……おぎゃあ! おぎゃあ!」
漆黒を放つ人間のような赤子、男の子だった。そうとしか言いようが無かった。
「健人お兄ちゃん」
大仕事を終えたシオンは、出産の激痛からは解放された。これを出産と呼んでしまっていいものか、命への冒涜となりはしないか。しかし、許しを乞うべき神など、ゼーバの誰もが持ち合わせていない。
「ご、ごめんなさい! ランスルート……! 魔王様の血が」
取り返しのつかないことをしてしまった。テティスの怯えた姿と声は、今のランスルートには届かない。
ウィシュア皇子は、ようやく気付いた。眼前で寄り添うマジェリカとシオンこそ、あの日見た、不変の愛に溢れた少女と巨人の成れの果てなのだと。
シオンは菫ちゃんから撫で撫でをしてもらうと、彼女をコックピットへと誘い、再び自らの半身を奪いに動き出す。ディオネは戦艦への被害を抑えるため、カタパルトのハッチを解放させた。
「うん……そうだね、健人お兄ちゃん。健人くんとセラちゃんを迎えに行こう」
――また三人で、一緒にニーブックで暮らそう――。
少女が望んだ小さな幸せは、叶うはずもない。
◆
セラの死の直後、合流を果たしたシリウスとレイザーたち遊撃騎士団は、傲慢のムカデクワガタとの戦闘を継続していた。
「うーん……こいつら、強くね?」
「上位種だって言ってんだろうがよ! だから、ケントがリスクが高いって進言してたのに!」
アリスの怒号がブリッジに響いた。ジョージの誤算は、ゼーバの攻撃が苛烈だったため手加減が出来ず、倒さざるを得なくなり、彼らにムカデクワガタを押し付けることが出来なくなった事だ。
この場合、小型艦シリウスは現空域から離脱する目論見だったわけだが、レイザーたちが合流したことで大所帯となり、それは難しくなった。
「持ち堪えろ、ブラッククロス!」
イツキの放ったバスターハンマーは強力だったが、機体は既に限界だった。ルミナのコード・ウォリアーは左腕を失い、友矢は辛うじてほぼ無傷のまま狙撃を継続していったが、硬い外骨格に阻まれ突破出来ず、唯一効果的なオーバーライトは連発が出来ない。
「レイザー様、作戦の準備はどうなったのです?」
「問題ない、信頼できる仲間に任せてある。シリウスは下がっていてくれ」
彼らが来なければ、ケントとユイの命は無かっただろう。ブレインセカンドは、未だ動けぬままだった。だけどいつかのように、それもすぐに終わりを迎えた。
「新たな熱源反応、二機! あ、いや、一機? ガンドール……え⁉︎ な、なんだ、これ……」
ダニーだって、レイザーに集められた精鋭の一人である。普段の言動は兎も角として、非常時にふざけるほど馬鹿じゃない。ジョージはその熱源の正体の解析を待たず、砲撃を指示した。
「見つけた、健人先輩」
変質した蠍のシオンが、ブレインセカンドを捉えた。命の危機に、ケントの体は機械的に的確な対処を起こした。セラの遺した大剣を掴んだセカンドは、半モンスターとも呼べそうな自分の半身と打ち合った。
「菫!」
「マジェリカ!」
「……マジェリカは!」
彼女の名前を訂正し、周囲の困惑を他所に、健人と菫は「三人」だけの戦争を始めた。
「帰ろう、先輩! セラちゃんはどこ?」
「……死んだ。ゼーバから聞いてないのか」
「嘘だよ。だって健人先輩、全然悲しそうじゃないもん。友達が死んだら普通は悲しいよ? ランスルートは号泣して怒ってくれたのに」
彼女の指摘に、ケントの心は再び傷を負った。それが目に見えないからこそ、治すことも、捨て去ることも、容易ではないことを知っている。
「浦野! その機体、ホントに健人なのか⁉︎」
友矢が狙撃で牽制しつつ、シオンの正体に言及してきた。
「誰かと思えば、お久しぶりです。灰庭兄弟の腰巾着先輩」
「その反応。テメェやっぱ、ムカつくな、浦野菫!」
「お察しの通り、お兄ちゃんは健人くんですよ。私が保証します」
保証……自分の正体すら曖昧な、今のマジェリカが言ったところで。彼女は自分の言葉を、自分の姿を、滑稽に嘲笑った。その時の笑顔が友矢の癪に触ったのは、マジェリカにはどうする事もできない。
アッシュだろうとシオンだろうと、健人として扱う。友矢は、自分の言ったことを実践しようとした。しかし、蟲のように這いずり回るシオンには、人の言葉は届かない。
下半身の蠍パーツには目や口まで付いていて、それが独立した一つの命にさえ見える。いや、端的に言って、モンスターに見えていた。
「健人! 帰ってこい、健人‼︎ 康平だって待ってんだよ! アイツのケツ叩けんのは、お前だけだろうが!」
友矢の言葉は、ケントには届いた。親友の優しさが嬉しかった。シオンは、そんな友矢やアルカドの戦士たちにさえ鋏を向けた。
「ありがとう、友矢」
ケントは、蠍の腹の下へとセカンドを飛び込ませた。大剣から重結晶を奔らせると、巨体は若干浮き上がる。
「こいつは殺す」
大剣の鞘から引き抜かれた刀に光を宿し、思い切り打ち込んだ。シオンは、悲痛な叫びを上げた。
「ケント……止まって、ケント!」
「ありがとう、ユイ。でも、あいつは駄目だ。生かしておいたら、被害が増える。なら、僕が殺す」
モンスターとは違う、感情の籠った叫び。しかし、ユイが耐えきれなかったのはシオンの叫びだけでは無かった。
「ケント……もういいよ。君が、そこまでやることない。ケントがこわれちゃう……」
ケントは、自分の為にユイが泣いていると、ようやく気づいた。
「あ、あなたがやるくらいなら、私が」
「何言ってんだ! ユイが手を汚すこと無い! 第一願力が無い!」
「女……? なに、そいつ? は? ふざけんな!」
周囲にムカデの死骸が積もり、戦場が願導合金の粒子に侵されていく。
不安定なコロニーの時空、この場で一際強い願いが、モンスターかアンティークのように変化した高密度の願導合金に増幅され、現実に力として顕現していく。
「異常反応! 空間が」
「割れた⁉︎」
セラやイツキも、隔離された世界から、こうやって外に出たいと願ったのだろうか。
「すごい……。世界が、呼んでるみたい……。行こう、健人くん」
邪魔者のいない、三人だけの世界へ。健人と菫とケントは、ユイを連れたまま、空間の裂け目へと吸い込まれていった。