第一話 アンティーク 2/3 ガラスの膜
人間の願力は白い色をしており、中でも強力な願力に目覚めた者は「純白」と呼ばれた。レイザー皇子が設立した〈遊撃騎士団〉は、そんな純白の若者を中心とした独立部隊だった。
騎士を模った制服に身を包み、騎士機〈コード・シリーズ〉を駆れば、それだけで機体との一体感は増幅した。格好いい戦士、可愛い魔法使い。機体とお揃いのコスプレは、有効な戦術となった。
腰の重い正規軍とは違う、ある種ゆるい部活動のような雰囲気は、若者特有の全能感と、眩いばかりの生命力の表れだった。
「来るな……来るなー⁉︎」
「嫌だ、助けてレイザー様‼︎」
軽口を叩く余裕は、既に無い。戦場を舐めていた訳でも無い。しかし、油断が無かったとは言えなかった。一機、また一機と、巨大な騎士は無様を晒す。
昨晩モンスターを退けた筈のニーブック西の山脈。対モンスターの最前線は、想定以上のハエトンボの大群に襲われ、防衛網は決壊した。
「このっ、墜ちなさい!」
重騎士機〈コード・ウォリアー〉が巨大な斧を振るう。ハエの悍ましい頭を砕き、トンボの翅をもぎ取った。
レイザーの従者である黒髪の美女〈黒須砂月〉は、蟲に犯される騎士団の中にあって、一際激しく輝いていた。
「歴代最強」と言われた願力を以ってしても、救える命には限りがあった。戦場に出る度に、自らの無力に涙を流した。
ノブレスオブリージュ、高貴なる者の務め。その力に目覚めた時から、サツキは戦う宿命を背負った。恋とか恋愛とか、夢とか結婚とか。普通の少女の幸せは置いてきた。今年で二十歳。一般社会では、もしかしたら、まだ幼さの許される歳である。
「……この感覚」
脳内に光が奔った。世界が彼女を呼ぶように、今までも度々あったそれは、モンスターの接近を察知するのに役立っていた。
「レイザー様、すみません。ここを頼みます!」
「なに? 無茶だ、戻れサツキ!」
サツキは、戦う術を持たない民間人を救いに急いだ。背後で、仲間たちの悲鳴が聞こえた気がした。
◆
曇り空にひびが入った。
亀裂は音を鳴らし、雑然とばら撒かれたモノクロを曝け出す。
天を穿った巨大な穴から、夥しい程の悲鳴が這い寄り、眩い雷鳴が、無数の怨霊の姿を浮かび上がらせた。現実に則したニーブックの地獄とは文字通り次元の違う、浮世離れした煉獄が拡がっていた。
窓の外から部屋の中に侵入するように、煉獄から光る巨大な機械の腕が伸びてくる。腕は割れたガラスの淵を掴んだが、こちらの世界に拒絶されるように、あちらの世界に引き戻されていく。
惨雪のパイロットは咄嗟に機体を走らせると、伸びる手を握りこちらへと引き寄せた。背後から迫った蟲には気付いていたが、これが現状を打開する最善だと願った。
「頼む、世界を」
最後の惨雪が無惨にも溶け墜ち、同時に空間は、割れたガラスが巻き戻る映像であるかのように修復された。
健人と菫は、そこから目を離すことが出来なかった。今日起きたことは全部夢だったんじゃないかと、少しだけ期待したりもした。
傷だらけのフレーム、僅かに残る錆びついた装甲。
今にも砕けそうな、頼りない釘を思わせる痩せっぽち。
明らかに異質な願導人形が、白昼夢を塗り潰して、彼らの現実に降り立った。
「古代願導人形……!」
健人がそう感じたのは、授業やニュースでそんなものの部品が発掘されたという話を聞いていたからで、直接この機体のことを知っていたわけでは無い。
「発掘って、これが……⁉︎」
今回が特例だとしても、何れにせよ、ここまで原型を留めているのは珍しいだろう。
突然のことに蟲たちも動揺したのか、首を捻ったり前脚を摩ったりして、アンティークにはまるで近づこうとしない。
硬直する世界の中で、ならば健人はこの隙を逃さず、菫を連れて走った。
◆
「なんだ、なにが……?」
アンティークのコックピットの中で、一人の少年が目を覚ます。全身を白い包帯のようなもので覆われ、痛む頭を押さえた右手が、少し癖のついた「赤い髪」を揺らした。
「ここは……俺は、誰だ?」
分からない、記憶が無い。顔を覆っていたであろう包帯は弛められ、マフラーのように首元にたなびく。
「ミイラ男かよ」
滑稽な姿に自らツッコミを入れる。怪我をしているわけでも無さそうだった。
少し硬いシートの感触、足元には二つのペダル、そして、おあつらえ向きの位置にある操縦桿。見覚えのない機械に囲まれ、困惑が彼のいる狭い部屋を支配する。
得体が知れない少年の目覚めに呼応するように、蟲たちはアンティークに飛びかかった。赤髪の頭に、鈍痛が響いた。
「うおぉ⁉︎」
モニターに突然映し出された化け物たちに驚いた赤髪は、操縦桿に触れてしまい、それがアンティークに尻餅をつかせた。巨体は、逃げる健人と菫へ向かって倒れ込み、二人を吹き飛ばしてしまった。
「なんだ、クソッ……こいつ!」
赤髪は機体を立て直す為、それの扱いを知っていたかのように、今度は迷いなく操縦桿を握ると、全身に力を込めて光を放った。純白の願力が錆びた機体を満たし、風を軋ませながら、再び迫る蟲を左腕で振り払う。左腕が、もげた。関節が砕けてすっぽ抜けた。
「ハァ⁉︎」
図らずも放たれた帰還不能のロケットパンチで一匹は追い払ったが、蟲は西の空から次々と押し寄せて来る。倒れたままのアンティークは遂に蟲に押し倒され、奴らの持つ「牙」が、涎にまみれていった。
赤髪は、アンティークの右腕近くに倒れた健人と菫をモニターに視認すると、アンティークの首元後ろ、肩甲骨の辺りにあるコックピットハッチを開いて、力の限り叫んだ。
「乗れ! 死にたいのか⁉︎」
健人には、考える余裕は無かった。これが愚かな選択だとしても、誰が責められるだろう。健人たちと同じ状況になり、その選択をしなかった者だけが、極限状況での行動を批難する権利がある。
「菫!」
健人は、未だ平常心を失ったままの菫の手を取り、不気味な錆色のアンティークへと乗り込んだ。
もう、後戻りは出来なかった。
◆
「複座の、ガンドール……?」
健人は困惑した。願力は願いの力。言い換えれば、意志、欲望の力である。
一つのガンドールに無理矢理二人が乗り込んでしまえば、二人分の欲望が機体を支配する。
欲望を少しでも違えてしまえば、パイロットの体には痛みが、機体への願力伝達にはノイズが走り、願導人形は忽ち木偶人形と化す。
その為、現代のガンドールは一人乗りとなっていた。
しかしながら、健人と菫という異物を招き入れたというのに、このガンドールは平静を保ち、彼らに痛みが走ることは無い。
横並びになった二つの操縦席の右側には、健人と同年代と思しき、得体の知れない赤髪の少年が座っていた。
「おい、お前! なんなんだ、あいつら?」
健人に尋ねる赤髪の様子から、状況が理解出来ないことは察せられる。これがアンティーク、古代願導人形だとすれば、彼は古代人だとでもいうのだろうか。
コックピットのモニター画面には、牙を剥くハエトンボの顔面が大写しになる。切迫した状況で、健人は聞かれたことだけを簡潔に述べた。
「モンスター、人類の敵、人は乗っていません!」
「……了解だ!」
アンティークの右腕が、兵士の遺したノコギリを掴んだ。
「うおお!」
赤髪はノコギリを思い切りぶん回して、覆いかぶさるハエトンボの顔面に叩きつけた。人ならざる悍ましい奇声をあげて、モンスターはアスファルトに窪みをつくった。
しかし、アンティークの反撃にも、蟲たちは次々と怯むことなく突っ込んでくる。右腕のノコギリを振り回すが、一瞬追い払うのが精一杯だった。
「おい、お前! 突っ立ってないで助けてくれ!」
赤髪は、健人にもう一つの席に座れと促した。
出会ったばかりの謎の全身包帯男と心を合わせる。冷静に考えれば、出来るとは思えない。
だけど。
確かに得体は知れないが、彼は健人と菫を死なせまいと機体の中に匿ってくれた。それが状況を把握するための手段だったとしても、決して悪人では無い。
健人は、刹那頷いた。
「先輩……!」
縋り付く菫の手を優しく解き、健人はもうひとつの席に腰掛けた。使い慣れた学校のシミュレーターと良く似た、あまり座り心地が良いとはいえない、簡素なシート。
「悪いな、彼女か?」
「違うよ。あの子に悪い」
初陣……健人の中から高揚感は湧いてこない。死にたくない、死ぬわけにはいかない。
目の前に敵がいる。なら、やることは一つ。
二人の少年は、それぞれの操縦桿を握り、錆びついた巨人に願いを託した。
◆
瞬間、健人は見知らぬ世界へ迷い込んだ。薬品や標本の散乱した、研究所らしき一室。白衣の女性が目に留まった。
「 」
なにを、言った? 分からない、聞こえない、記憶が無い。
これは、自分の記憶じゃない。
◆
衝撃で、健人は我に返った。ハエトンボが、アンティークの首筋に咬みついていた。
「「なんだ、今の」」
健人は頭を左右に振り、冷静になろうと努めた。赤髪も同じ仕草をとったように見えたが、一瞬のことだったので、よくわからない。
複座で願力なんて使うから、願いの混濁でも起こしたのか、ふたりが同じものを見たのか、互いの記憶を垣間見たのかも確認する暇はない。蟲の涎が、いい加減、鬱陶しかった。
「「いつまでくっついてんだ、蟲ヤロウ!」」
赤髪と健人は同時に叫び、首筋に齧り付く汚い蟲の頭にノコギリ銃を突きつけ、重結晶弾をぶち込んだ。
頭を潰されたハエトンボの躰は、骨董品のブリキの玩具のように暫くもがいていたが、やがてネジが切れたかのように静かになった。
「「心臓じゃなくてもいいのか。良いことを知った」」
アンティークは最小限の動きで蟲の接吻を躱しながら、ノコギリを使って次々と頭部を割っていく。菫にはそれが、テニスやらバドミントンを遊ぶようにさえ見えた。
「「ハハッ、どうした! 蟲共!」」
「健人くん……?」
広いとは言えないコックピットの中で、観測者の菫だけが、その異常に気づいていた。
まるで双子のように息のあった操縦を見せる少年たち。いや、言葉やその仕草のひとつをとってみても、双子というレベルじゃなくて、まさに一心同体というシンクロに見える。
この機体を操っているのは、明らかに健人くんじゃない。なら、この赤髪の少年なのか? 出会ったばかりの菫には、判断ができない。
蟲の頭割りに興じる赤髪と健人の視界に、先程ロケットパンチをしたアンティークの左腕と、共に吹き飛ばされたハエトンボが映った。
ハエトンボの牙に「魔法陣」が映し出される。その左腕を喰らい、貪って、そこに使用されている〈願導合金〉を取り込んでいく。
ハエトンボの歪んだ顔面は、空気を入れ直したタイヤのように、みるみるうちに膨らんで修復されていった。
「「なんでもありだな」」
願導合金は願力の伝達性に優れた金属で、願導人形の全身や手持ち武器(ライト兵器)にも使用されている。そして、蟲たちの外骨格(外部フレーム)もそれと同質のものであった。
修復された顔面を見せつけるように、そのハエトンボが牙を曝け出す。
「「暴食……『暴食のベルゼ』か。ああ、そうか、同類なんだな。ならば」」
アンティークはノコギリを放り捨てると、右腕の装甲を展開させ、内部から魔法陣と共に結晶の牙を生成させた。
「「喰らい尽くせ! エクリプス・ファング‼︎」」
まるでヒーローごっこをする子供のように、必殺の技名を宣言する二人の少年は、アンティークの牙パンチで、逆にハエトンボを顔面から喰らってやった。
牙が蟲の外骨格を吸収したのか、失われた左腕と装甲が、二人の高笑いと共に修復されていった。
「「おもしろいな、この世界は!」」
アンティークは、修復されたばかりの全身の装甲を更に展開し、そこから結晶弾を周囲に放出していく。尚も迫るハエトンボは、もはや遊び道具でしかない。
「「吹き荒べ! ディス・ライト!」」
開け放たれた装甲、全身の幾何学模様から、夥しい量の粒子が放たれた。熱を帯びた光が穿つ。周囲の蟲を焼き殺す。
「「さあ、踊れ! ディス・プリズム!」」
煌めく光が結晶に反射して、乱れた欲望が蟲と街を蹂躙した。
こいつは、周囲の被害を考えていない。健人たちを助けてくれた赤髪でも、もちろん健人でさえない。
至近距離で男の子のネーミングセンスを聞かされる菫は、頭が痛くなってくる。
◆
「なんなの、あれ」
東区へと辿り着いた騎士団のサツキは、異常な機体に面食らった。しかし、すぐさま気を取り直すと、アンティークへコンタクトを試むため、オープンチャンネルで呼びかける。
「私は、神聖アルカド皇国、遊撃騎士団所属、黒須砂月です。貴方は、何者ですか⁉︎」
「「何者……? 俺は、俺だ!」」
再び、面食らった。訳がわからない。ステレオで返答した理由が分からない。サツキには、二人乗りという発想は無かった。