第十八話 あかいいと 1/7 不器用
アルカドの季節は巡り、再びの冬。
ニーブックの街にて、カノープスと合流。レイザーは、ウィナードやゼーバとも協力関係に漕ぎつけ、アンティークすら手に入れたクラウザの手腕を褒め称えた。
「いえ。私の功績ではありません」
「そうだな。皆、この未曾有の事態に、出来ることを」
ニーブックに降りたディオネは愕然とした。康平たちから話だけは聞いていたが、出発前に見た復興の跡が瓦礫の山へと姿を変えていた。
「ディオネ様、お帰りなさいませ」
「うん。お前たち、良く無事でいてくれた」
「いえ……私たちが至らず、受け入れてくれたニーブックの街を、何度も戦火に晒してしまいました」
アルカドへと投降した魔族たち。魔王の憤怒から解き放たれたディオネと同じ穏健派は、ニーブックでレイザーたちの保護下にあった。
有事の際には、遊撃騎士団と共に率先して対処に当たった。ニーブックの人たちからの心象は、お陰で大分良くなったらしい。
とはいえ、自分たちが侵略者という事実は変えようが無い。
「矢張り、純白の蟲の仕業か」
「あれが神の盾だというのは本当なのでしょうか」
「ユイとケントが言うのだから間違い無い」
砂月世良の「見えない壁」が消失した後、セプテントリオンはゼーバにやったのと同じように、ほぼ決まった周期で各街へ攻撃を行った。
それは、かつて「日本」と呼ばれたこの島の全域がコロニーに取り込まれた事と、新たな周期を得た事を意味した。
かつてゼーバに支配された、ニーブック、アダト、ゲーデン、ザッタ、オーセツ。そして、亡国のリューシ・ニーブック、魔国ゼーバ、シャングラことウィナードの街。
神都を除くそれ以外の都市は、全て神の裁きで崩壊した。「神殺し」をする為の残された戦力は心許ない。
クラウザの家族たちはアダトの街にいた為、全員無事とのこと。矢張り、砂月世良のアッシュへのストーカー行為が隔離空間となって、神皇の重力波を防ぎ、結果的に彼らを救っていた。
リラの家族は、間違い無く神都だろう。敵は、セプテントリオン。二十年先へ進んだ神の盾、かつての仲間たち。
「全く。なんて老後だよ」
リラ・ゴラリゴ、齢ウン十歳。人生の最後にとんでもない試練が訪れた。おちおち死んではいられない。趣味の編み物だって、やりかけがあるのだが。
ハイド少年は甲斐甲斐しくハイネ嬢を出迎えた。手を取りエスコート、言葉は無い。彼女が何をしたいのか、誰を想っているのか。自分から押し付ける事はしなかった。
カノープスから降りたユイは、マナを思い切り抱き締めた。二人は互いに謝りながら、生きた温もりを噛み締めていた。
ギゼラもメアリも、グリエッタとディオネも。みんなマナの心配をした。ハナコが雪に滑って転んでしまったのが面白くて、彼女たちにも笑顔が戻ってくれた。
彼らを見つめるドライグには、言いようのない感情が込み上げた。寒空の下、心が発する熱が、活動するエネルギーを生んでくれる。
「よかったなぁ。なんだか分からんが、良かった良かった!」
彼らの為に何かがしたい。ただ食べて、戦う。それだけだったゼーバでの人生。ジュードを素体とした量産型ハイブリッド・クローンとして生まれても、そこには、確かに彼だけの心があった。
「ドライグもありがとう。ごめんね、心配かけて」
「心配? 我が輩、お前を心配してたのか」
いや、ただ単に、彼らと繋がりたかったのだ。閉じた弦だとしても、外へと溢れた想いが他者に届いてしまうんだ。
「やっぱり、故郷が一番だね」
「ボロボロだけどな」
「また復興だね」
灰庭奏が小さな瓦礫を拾う。道路だったところから、ちょっとだけ端っこに寄せる。それだけの事で、手が酷く汚れてしまった。
「……ありがとう、奏」
「うん。頑張ろう、康平」
動かなければ、心が寂れる。無理矢理にでも明るく振る舞う。この動乱の人の世で最も苦しんでいるのは、間違い無く彼ら民間人である。
「ここが、ニーブックなの……?」
フィリアの中には、灰庭健人の記憶がある筈だった。良く、思い出せない。何も、思い出せない。
「僕は」
その場に蹲る。動けなかった。
「でも、こんなの嫌だ」
知らず、涙が流れた。記憶が無くても、惨状を慈しむ情緒があった。雪を被った菫の造花が、一輪咲いていた。
「すみませんでした、爺さん。僕は驕っていた」
ジグへと言い放った言葉が、早速アッシュへと返ってきた。死者の力は、あまりに強大で、恐ろしかった。
「だがな、坊主。お前はこうも言ったぞ。道具は、力は使う者次第だって」
「わかってる」
「見せてみろ。このおいぼれに、可能性を見せてくれ」
「やるさ。信じてくれたあなたを、裏切らない」
「……それでいい」
挫けないアッシュの姿に、目頭が熱くなる。涙脆くなったのは、この地獄を生き抜いてきた証。皺の一つ一つに歴史がある。このまま、若者に業を背負わせたままにはしない。自分にだってまだ、やれる事は残されている。
◆
アリスの夫であるロバートは、その全てを写真に納めた。彼らが救国の英雄となるのか、反逆者とされるのか。それは今は分からない。
後の世の為、戦士たちの真実を、生きる限り魂へと刻む。
◆
ニーブックの街の西区。様々な施設が立ち並ぶ工業地帯。冷え切った体を温める。康平と奏に教わったハイドお手製のニーブック式ポークアンドベジタブルスープ。
「オー! トン・ジール!」
「おかわりは無しだ! 味わって食すように!」
ニーブックのみんなへの配給を行う。ディオネとグリエッタが率先して準備に勤しんだ。マナとフィリアも見様見真似で彼女たちに付き合う。
「グリエッタ様だ」
「グリエッタ様がスープをよそっておられる」
「グリエッタ様がスープをお飲みになっておられる」
「グリエッタ様がこっち来た!」
「グリエッタ様がお顔を真っ赤にしてこっちに来た!」
「「「「「かわいいぃぃっ‼︎」」」」」
「もう! なんなんですか!」
満更でも無い。遊撃騎士団でさえ、グリエッタの姿はレア物で、ついつい一緒に写真なんか撮ってる始末。
「アイドルかよ」
「グリエッタ大人気だね!」
大人たちからすれば、お給仕係のマナとフィリアも大概大人気だった。
「ありがとよ、嬢ちゃん」
「僕は男です」
「……それはそれで」
屈強な男の言葉を聞かなかった事にして、フィリアは作業を続けた。
「さっきは攻撃してごめんね?」
マナの謝罪に騎士団がたじろいだ。グリエッタと同年代の可憐な少女に頭を下げられては、にやけ面で配給を受け取った。
「皆、行き渡ったな? おろ?」
ディオネの前に、幼い少年が立った。ズボンには穴が空き、服はほつれて全身を砂埃が包む。
「……どうした。迷子か?」
少年は答えない。魔族の男が「彼は毎日家族を捜している」とディオネに教えた。
少年はゼーバの侵攻で父親を亡くし、ニーブックの復興作業中、セプテントリオンの襲撃で母親も失った。
「手を洗おう。お腹が空いたよな?」
小さな手を温かいお湯で濯ぐ。寒気から一転、赤くなって、少し痒そうだった。
ディオネの目は、薄らと涙を浮かべた。魔王の影響下だったとして、自分たちの行いだって、許される事では無かった。このニーブックで怠惰を貪り、堕落の王となっていた事を心の底から恥じた。
「おにぎり、食べる? 少しだけ、形は悪いけど」
彼女が握ったものは酷く不恰好で、他のみんなが握ってくれたものより随分と不味そうだ。
「……ごめん。ごめんな」
何に、誰に謝るでも無く、ディオネはただ、謝罪をしなければならないと感じた。
「ありがとう」
幼い手が、おにぎりを受け取った。
少年が絞り出した傷だらけの一言に、ディオネの瞳は耐えきれず、すがるように蹲った。
見かねたグリエッタが彼女の介抱に走った。少年には、魔族のみんなが毛布をかけてあげていた。
「ありがとう……」
ディオネは嗚咽に喘いでも、それだけでも返したかった。
子供が気を使うような世界は間違っている。彼らから笑顔を奪う世界なんて、間違っている。
「ディオネ」
「……私はやるぞ、グリエッタ」
決意を新たに、少女たちも立ち上がった。
◆
「お久しぶりです。アッシュ、クロウ、カシス」
「エヴァリー。あんたには聞きたいことが沢山ある」
ようやく落ち着いて話が出来る機会を得た。はぐらかされて、アッシュは随分と無駄に考えた。
「おい、アッシュ。ハイネからも話がある」
ハイドが手を取りながら、ゆっくりとした歩幅でハイネが近づく。エヴァリー・アダムスと二人、顔を見合わせた。
「貴女はハイネ、でしたね。貴女は、どこまで知っているのですか?」
「エヴァリーさんの前世、それくらいです」
「白衣のポーラじゃなかったのか?」
「ええ。私は、カシス。バンデージの王の娘でした」
エヴァが古代人カシスとしての記憶を取り戻したのは、ニーブックの決戦の最中。王が王として再臨したのがきっかけだった。
だから、セラ(古代人クロウ)との繋がりに違和感を覚えても、彼を殺そうとするレイザーを止めようとはしなかった。
クロウを殺す、その手助けをした。
「後悔はしていない、とは、言えない。だけど、私は」
「良いと思うよ。今のあなたは、エヴァリー・アダムスなんでしょ」
「……そのつもりです」
彼女の瞳は揺るがなかった。
「あなたはクロウでは無く、レイザーを選んだ。古代人カシスの記憶があるからって、感情までそれに支配されなくても良い」
そう言ってはみたものの、アッシュの心は酷く悲しんだ。古代人クロウとカシスの恋の結末にでは無い。友人のセラの最後を思って悲しんだ。
「好きな人の為に戦える。凄く素敵な事だと思います」
ハイネが言うのだから、重みがあった。
「俺は古代人の事情なんて知らねぇ。ハイネを巻き込むってんなら、容赦はしねぇ。当然ダスクもぶっ飛ばす。ブラックベルベットの加速と質量でぶっ飛ばす」
「もう。巻き込むとか、そんな他人事じゃないんだよ、ハイド。『ダスク』は、世界を壊そうとしてるんだから」
「おっ? 吹っ切れたな、ハイネ!」
「……まあね。ありがとうね、ハイド」
奴への恋心が色欲のアデウスになって排出されたからか、ハイネの顔は晴れやかだ。
「しかし。カシスとクロウの姿をした貴女たちは」
エヴァも奇妙な感覚に包まれていた。記憶の中の自分や仲間と、瓜二つの別人たち。彼女の疑問に、アッシュが、いつもの口調で予想を告げていく。
「彼らウィナードは端的に言えば人型のモンスターにあたります。モンスターは世界粒子から創られる。世界粒子は、今までの人類の生き様、歴史だ。そして、五百年前アルカドとゼーバを建国した僕らのご先祖たちは、世界中の人間が絶望のサイプレスによって強制的にリンクをさせられ、一度に融合分裂をした姿だと考えられる」
「古代の全人類が?」
「転生直後は皆、記憶が曖昧でしょう? 五百年前の記述によると、記憶を失った人類は、アルカドとゼーバに別れた、とある。融合分裂はその名の通り、一度融合したものが分裂をする。カシスの体と心、記憶も全人類と一つになり、エヴァリー・アダムスというパーソナルを得て転生をした。白衣のポーラの見た目になってしまったのは、ボルク・ウルクェダのようにその姿に何らかの執着があったのか、もしくは僕のように外的要因に影響を受けてしまったのかは分からない」
転生したボルクは、黒須砂月(ユイの姉)の姿になった。灰庭健人は、アッシュ(セラ)の記憶と姿に影響された。
「なら、セラ・クロウカシスが古代人アッシュの見た目だったのも」
「アッシュのビットを取り込んだってことだと思う。厳密には、貴女もカシスそのものでは無いし、セラもクロウでは無い。ダスク・ウィナードだって、何処までがアッシュなのか、自分でも計りかねているだろう」
だからこそ、奴は「それを正す」と言った。
「人間と魔族も元は同じ人類だった。ジグ爺さんの見た目がそのままだったから、人類軍の博士だと思っていたけど、あの人の記憶や心や技術だって、実はどこの科学者のものなのかは分からない」
それでも、罪を抱えて彼も生きることを選んだ。
「バンデージの王の願力はラスティネイルに宿った。ハイネたちが感じているアンティークの中の意思は、シオン・シリーズと同じように機体に宿った古代人そのものなんだと思う」
「彼らも古代人……」
「同類だと思ってるから、俺らに協力してくれてんのか?」
「モンスターもウィナードも古代人も、絶望のサイプレスによって生まれた兄弟みたいなものだからね」
シオン弐拾弐号機と百瀬千秋の例を見れば、協力態勢になれるのも頷ける。
遺跡の内部も同様に、周囲の街が融合したものと推測できる。絶望のサイプレスに乗せられた砂月世良の放つ願いが、争い合う世界を一つに束ねようとでもしたのか。なんて重い感情なのか。
しかし、砂月世良の見た目と「アッシュ」への恋心の一部は、絶望のサイプレスに残された。彼女自身も、融合分裂をしてしまった。
世良から分裂した「黒須砂月(ユイの姉)」は、無意識の内に「アッシュ」であるエイリアスを求め、二人は再会を果たした。その結果が、二人の記憶を呼び覚ます事になってしまって、エイリアスは自責の念から強硬に走った。
「あくまでも予想になる。当人がバラバラな以上、実態なんて、誰が把握出来る」
残されたのは、神皇の正体だ。
ゼーバの魔王がモンスターでも人間でも魔族でもアンティークですら無い、ただの憤怒の塊だったから、碌でもないものである事は想像に難くない。それが、アッシュの悪い勘である事を祈る。




