第十七話 虚飾の罪 7/7 証明
「サマンサ・サンドロスは、存在しない?」
「辛うじてデータベースが復旧できました。仮に特殊部隊にいたのだとしたら、素性が消されているのは、おかしくはないのでしょうけれど」
ゼーバに徹底抗戦を貫いたオーセツ軍。サマンサは、その生き残りだと言っていた。
真実でないとするならば、レイザーたちの見てきた彼女は、一体何者なのか。
遊撃騎士団へと入団する際、オーセツは既にゼーバに占拠されていた為、詳しい身辺調査は出来なかった。彼女の圧倒的な腕を欲したレイザーは、なりふり構わず引き入れた。
「色目を使うからです」
「今はお前一筋だ。許せ、エヴァ」
地方自治という体で、放置していたツケが回っていた。
神皇による粛清から生き延びた、雪深きオーセツの街。レイザー皇子とエヴァリー・アダムスは、突如として接近する機影に臨戦態勢へと雪崩れ込んだ。
「なに、この反応」
エヴァの全身が悪寒に包まれた。
「誰かいる。……邪魔しないで!」
マナのホワイトノエルは、一人ルミナの救出に向かっていた。目に見える範囲に限定された短距離転移を繰り返し、確実にカノープスを突き放す。
「白いノエル?」
「灰色の願力! ウィナードという老人の仲間か⁉︎」
アッシャーと重なる別次元、イェツィラー。願いによって歪められた次元は、ゲートを開いた時のみ、アッシャーと同じ大きさに観測者からは認識された。
そもそもの次元が違うので、ミクロでありながらマクロであり、距離や方向感覚も出鱈目だ。三次元以外の方向と言われても、人類にはさっぱりだろう。
アッシャーの尺度では図れぬ世界。イェツィラーとアッシャーの座標と縮尺の違いを正しく認識出来なければ、転移先で物質と「融合」しかねない。
「クッ! 全機、街を護れ‼︎」
レイザーの号令の下、生き残ったアルカド軍が「ウィナードのノエル」に刃を向けた。
「私の邪魔をするな!」
転移。ホワイトノエルがレイザーの背後に回って爪を振るった。すかさず、エヴァの願ドローン・ファントムが盾となって砕け散った。
「なに、このパイロット」
エヴァリー・アダムスは古代人として目覚めた。
老体ジグ・ジーグナーの体組織は日常の果てに入れ替わり、既に現代人レベルにまで「帰化」したのに対して、エヴァはまだ現役の古代人と呼んで良い。
「貴女、普通じゃない!」
「邪魔しないでよ!」
ホワイトノエルから放たれる異常さを、エヴァは全身で浴び続ける。マナの短距離転移に対処できるのは「モンスター」を察知出来る彼女しかいない。女の戦いに、レイザーは街に被害が出ないように見守る事しか出来なかった。
「いや。信じているぞ、エヴァ」
縦横無尽に寒空を駆けるファントムたち。放たれる光を切り裂いて、ホワイトノエルの背部推進翼がその手に握られた。
「クロススラッシャー! 打ち砕け!」
背中から分離し、投擲された妖精の翅が向きを変え、一定の方向へ推力を放出。ヘリコプターの回転翼かブーメランのように回りながら、願ドローンを粉砕して、その背中へ帰還する。白きノエルの両腕から、灰色の釘が連射された。
エヴァは撃ち落とされたファントムに繋がれていた鞭を操り、辛くもそれを薙ぎ払う。二人の女に、激痛が走った。
「あうっ⁉︎」
「また来る……これは、私……?」
閉じた世界を無理矢理こじ開ける。真紅の巨大な女性像が、見慣れた機体を傍に降り立った。
「マナ‼︎」
「来ないでよ、ケントなんか!」
ゲートの中からハイネのキールカーディナルと共に現れたアッシュとブレインセカンドは、全ての武器を捨てて少女と対峙した。
「悪かった、マナ。お前にはお前の考えがある。話してくれ。一人よりみんなの方が、ルミナを助けられると思うんだ」
「ケントは、ルミナのこと嫌いなんでしょ!」
「好きだ!」
「ならイツキは⁉︎」
「愛してる!」
ちょっと待て。レイザーは訝しんだ。
「なら、なら! 私の事は!」
「きみの事は、ごめん。よくわからない」
なんでだよ! 全兵士が思わずツッこんだ。この流れで、この男は。
「……ケントなんか!」
マナとホワイトノエルはセカンドへと駆け出した。両腕の爪を研ぎ、無防備な胴体へと突撃する。そこにインターセプトする紅い影があった。
「いけません、マナ」
「ハイネ! あなたも邪魔するんだ!」
「私のようになりたいの? 自分の信じたい事しか見ようとせず、好きな人の本当の気持ちに寄り添う事も出来ない。愚かな敗北者」
「なに、言ってんのか、分かんない!」
ハイネのキールカーディナルから、無数の糸が放たれた。重結晶の糸はホワイトノエルを縛り上げ、地面へと磔にして拘束した。
エックス字状の推進翼が塞がれて、純白の巨体はゲートを開けない。
「貴女……その顔」
「手を貸して、カシス」
エヴァリー・アダムスこと古代人カシスは、カシスの見た目をしたハイネ・ウィナードと共に、ホワイトノエルへ粒子を放出していく。粒子結界。
「さあ、アッシュ」
「アッシュ。あの子に、あなたの想いを。願いを」
「ありがとう」
ブレインセカンドがホワイトノエルの側へと単身降り立った。レイザーは固唾を飲んで見守った。部下たちへの臨戦態勢は解けない。
固く閉ざしたコックピット。天岩戸の前で、少年が騒ぎ立てる。
「マナ。話を聞いてくれるかな」
「いや!」
「じゃあ、いいや。僕は一人でルミナを助けに行く」
「駄目!」
「なんでだよ。お前だって、さっきそうしたじゃないか」
「ケントなんか、一人じゃ何も出来ないもん! わたしよりも弱い癖に!」
「僕は強い!」
「弱い! 私が幸せにするんだから!」
「なら、勝負しよう」
「いやだ! 今の健人くんは昔よりも弱いから、すぐズルするって知ってるもん!」
「ズルなんてしないよ」
「する! ずっと側で見てたから分かるもん!」
「ズルしなくても僕は強い。僕には仲間がいる。ハイネが僕の力になって、お前はここで負けた」
「ううう……また、別の女! なんで、なんで。いつも、いつも! 私がずっと側にいたのに、あの時も、あの時だって!」
「僕を幸せにするのは、お前じゃない。それは、きみの願いじゃない。お前は、マナじゃない! マナの中から消えろ、浦野菫‼︎」
彼女の表情が一変した。
「なんで。なんで、そんな事ばかり言うの。酷いんだよ、先輩‼︎」
「お前は死んだ! 死んでいろ! 彼女の心を蝕むな!」
「嫌だ! やっと先輩が私を見てる! 私だけを見てる!」
「お前なんか見ていない! 僕が愛した菫は、お前じゃない! 僕らのマナを返せ! 消えろ、悪霊!」
「大好き、先輩」
拘束は解かれた。マナの体を乗っ取った菫は、真紅の輝きに満ちていく。ホワイトノエル・クリムゾンクロース。全てを破壊する、羨望の灯火。
「失望のカレンデュラと同じエンヴィ・ハートか」
生への嫉妬、生命への羨望。マナという希望への憧れ。
「好き、好き。大好きだよ、先輩」
「どこが良いんだ、こんな男!」
言葉とは裏腹に、苛烈な攻撃がセカンドを襲った。炎乱れ、プラズマが舞う。荷電粒子が街へと降り注ぐ。反物質が空間を抉り取り、衝撃波が伝わった。
「護れーー‼︎」
レイザーたちが盾となり、傘となる。その身を挺して無辜の民を守り抜く。勇敢にも反物質にさえ盾となろうとしたので、そこは流石にアッシュが彼らを引き止めた。
「どういうことだ、アッシュ!」
「あれは悪霊です」
「何故そうだと言える。俺には恋する乙女にしか見えん!」
「好き、好き。大好き」
「あれだけ酷い事を言った僕を壊れたように好きだと言い続ける。そんなの人間じゃない。憤怒を凝縮された魔王と同じです」
「魔王と同じ? 人型のモンスターなのか?」
「人型のモンスターという呼び方は好きではありませんが、カテゴライズするなら、それは彼女たちウィナードの事になります。魔王はただの悪意の塊、人型を模した憤怒、悪性のウイルス、反射で動く物質のようなものです。あれをモンスターと認めてしまえば、蟲やウィナードへの失礼に値します。それをゼーバとカレンデュラが教えてくれました」
魔王の子供たちは、生命を持った人型の腫瘍である。
聞いた事もない専門用語を言われては、レイザーは理解するのを諦め、アッシュに託した。セカンドが矢面に立つ。街には被害を出させない。
「ルミナを、まもる。俺が、護る。打ち砕く」
悪霊と化した菫に引き摺られたのか、イツキの残滓までもがマナの中で牙を剥いた。少女の顔は、涙で訴えていた。
「いや……いやだ、わたしに入ってくる! 好き、健人先輩。やだぁ! 助けて、ケント!」
「俺に任せろ‼︎」
ウィナードとスリーアフターゼーバからの技術提供により開発された改良型スペースニウムエンジンに複数のエレクトリックバレットを直列装填。出力最大。
「オーバーライト!」
スペースニウムエンジンの重力質量制御を転用、セカンドの内部に局所的な高重力が発生。
グリエッタとディオネ専用機開発の過程で生まれた副産物。世界粒子を利用する外法。模倣、絶望のサイプレス。
傲慢のルシアフにより齎された重力制御機能を組み込まれたサブアームマフラー。畝るマフラーが指向性重力波を放ち周辺物質を吸引、機体内側に向かって徐々に重力を弱め、イルミネーターのバリアで粒子以外を弾き返す。
願いの粒子は惹かれ合う。世界粒子だけを飲み込み、重力源は更なる粒子を呼び込む。集まった粒子を、オーバーライトを発動させ重力源となった改良型スペースニウムエンジンへと投下。量子サイズの重力は極短距離で非常に強い力となり、無限に集まる粒子によって無限に潰され、高密度のマイクロブラックホールへと生まれ変わった。
マイクロブラックホールが、戦場に漂う「灰」を吸い込み、エネルギーへと変換する。
「アッシュ・ドライブ!」
ブレインを中心にして、埃色が渦を巻く。響き渡る怨嗟の声。悲鳴のような風の音。絶望に歪む願いの糸が、鈍色の空を哀しみで満たす。
発動された「縮退炉」アッシュ・ドライブが、世界粒子を、悪霊と化した願いを飲み込んでいく。
小さな黒き星は、やがて自らの存在に耐えきれず蒸発。
激しいエネルギーが、彼らを包んだ。
◆
「ケント」
聞き覚えのある声がした。力強く、優しい。かけがえのない戦友の声。
「イツキか」
「ルミナを助けたい。俺は、お前には負けない」
「その願いがマナを動かした! ……死んでいてくれ!」
「あり得たかもしれない可能性。マナは、俺たち二人の希望なんだ」
「誰の子供かなんてどうでもいい。俺はマナだから助ける! 邪魔をするな!」
「先輩。優しい先輩。なんでも背負って、人知れず傷付いてる。馬鹿な人」
「菫……!」
「だから、大好きだったよ。さようなら」
「……ああ。さようなら!」
◆
星に呑まれた粒子たちは、セカンドの中だけでは処理しきれず、余剰出力となって霧散した。願いの果てには、何も残らない。これが、本当に彼が望んだ結末だったのか。
言葉でいくら取り繕っても、心までは欺けない。悪霊となった愛した人たちを、その手で殺した。
アッシュの眼から、溢れ出す後悔。
こんな形で、人間味を取り戻したところで。
「うぅ。ケント……怖かっ、うわあああ……」
「ごめん、マナ。君の異変に気付いていながら、どうすればいいのか分からなかった。僕は、彼らに頼っていた」
マナでさえ、どこから何処までが自分なのか分からなくなっていた。全てを彼らに支配される前に救い出せた。それだけがアッシュの救いになった。
一度粉々に破壊され、息を吹き返したアッシュと、死んで漂うだけだった彼らとの違い。悪霊は浄化され、アッシュとマナを生かした。
〈アッシュ・ドライブ〉が、彼らが掴んだ技術の結晶が、生命の証明にはならないだろうか。
「……僕は、僕を信じる」
灰庭ケントは、紛れもなく一つの「生命」なのだと、胸を張って生きていく。
物言わぬ相棒は、灰色を取り戻したホワイトノエルとマナを、静かに抱き締めた。
◆
「あれが、奴の切り札か」
ランスルートが再び「運命の女性」を殺すことはなかった。
(ククク……やればできるじゃないか。これが量子テレポーテーションというものだよ、ゼーバの若き王)
彼らの戦場を上空から見下ろす影。ランスルートのブレインセカンド。
彼らが言うゲートという呼称は、回路の類いでは無い。一般的な、異なる世界を繋げる扉といったニュアンスで使用する。
「ホワイトノエルと、奴のセカンドが座標となった。俺の中の、忌々しい願力と共に。……転移のコツは掴んだ。ゼーバへ帰還する」
マナと謁見したランスルートは、自身が殺した筈の「浦野菫」をマナの中に見てしまい、頭を抱えた。フィリアの見た目が受け入れられず、つい手を上げてしまった。
醜い巨人さえ慈しむ、博愛の少女。
あの日の浦野菫の輝きが、ウィシュア皇子にはどうしても忘れられなかった。それを模倣するマナとフィリアも、穢したマジェリカ・クロウカシス自身も、全てが鬱陶しかった。
だけど、魔王となったランスルートには、もういらない。だから、セピアに変えて混沌の海へと排した。
「今回はお前が殺したんだ、ハイバ。虚飾に塗れたお前の口で、好きな女を殺した言い訳をしてみろ」
一瞥の後、ブレイン・グレイスは、悪霊渦巻くゲートの彼方へ消えていった。