第十六話 カノープス 7/7 霞んだ世界
「間違いありません! ブレインセカンド、アッシュ・クロウカシス准尉です!」
「よっしゃあ! ほらギゼラ、さっさと前進!」
カノープスのブリッジ、リラ・ゴラリゴの筋肉が唸る。
「ハナコさん、サポートを!」
高性能電子頭脳が、的確にルートを検出していく。メガネを光らせ、ショートヘアのギゼラの荒々しい操舵が閃いた。
「任せたよ、艦長! メアリ!」
「了解した」
「承りました!」
メアリが願ドローンのバイクを遠隔操作、クラウザの惨雪が跨って、実弾で道を切り開く。
「続きな、坊主!」
「やっと出番か! いくぜ!」
黒光りする巨体、太古の機械アンティーク。ハイド・ウィナードのブラックベルベットが地響きを上げて着地した。
「俺たちが人型モンスターだっていうのなら、お前たちを倒すのは、きっと俺たちウィナードの役目だ!」
全身の装甲から砲口が露出、魔法陣が覆っていく。灰色の閃光が、四方八方吹き荒れた。
「受けろ、俺たちの怒り! ディス・ライト!」
純白のモンスターの連携を崩し、彼女の道標が出来上がった。
「ケント!」
「ユイ!」
セカンドのコックピットハッチを開け放つ。願ドローンのバイクがドリフトしながら横についた。
黒髪のポニーテール。ぶかぶかの愛用ジャケットに、照れたような優しい笑顔。彼が、彼女を見間違える筈は無い。
手を取り、思いっきり引き寄せる。
生きた熱が、冷え切った二人を包んでいく。
この温かさは、間違いなんかじゃない。
自分の体が感じている、今、ここにいる証。
「良く生きていてくれた、准尉。この娘を頼むぞ」
少女を送り届けたクラウザは、それ以上野暮は言わず、再びバイクに乗って駆け出していった。
「ケントなんだよね?」
「泣いてるの?」
「うん……よく見えない」
ユイは嬉しくて、外も見えないほど涙を溢れさせていた。嬉しくて嬉しくて、どうしようもなく止められなかった。彼の声が、確かに涙を震わせた。
「鼻水」
「……えへへ。ケントだ」
「ユイはユイだね」
取り止めのない、いつもの二人がいた。
「ケント、仮面。右腕も……!」
「大丈夫。ユイの方こそ、なにもなかった?」
離れてはじめて気づけた。
彼らにとって、互いがどれだけ大切なのか。
こんな事はどこの世界にもある事で、彼らだけが特別では無いんだけど、でも、二人にとって、やっぱりふたりは特別だから。
「話したいことがあるんだ。きみに会えなくなってから、色んなことが」
「うん。いっぱい話そう。私たち、パートナーだもん」
彼女の眼から、途切れることなく大粒の涙が溢れてくる。視界がぼやけて、彼の顔が見られない。ずっと、ずっと見たかった、優しい笑顔なのに。
「灰庭健人‼︎」
再会に水を差す黒い影。エイリアスの姿のマーク・ヴァイスに記憶を継承させた仮面のフィンセントと、超願導人形イノシュ・バインが襲撃した。
「こいつ、性懲りも無く!」
「なになに⁉︎」
「掴まれ、ユイ!」
「はい!」
装備は烏月一振り。副腕で操る右腕よりも、セカンドの左腕へと持ち替える。イノシュ・バインの突撃を、微弱な願力の刃で切り抜けていく。
「こんな事をやってる場合か!」
「貴様さえいなければ!」
「ゼーバを護れよ! お前たちの国だろ!」
「先に死ね!」
「どうして……お前は!」
取り付く島も無い。カイナはイレギュラー相手に忙しい。カノープスも蟲に対処中。イノシュ・バインの右拳が、セカンドの顔面に直撃した。
「……この野郎!」
セカンドをやられては、アッシュは激昂した。
「ケントだけじゃないね。セカンドも不調みたい」
「ゼーバで勝手に弄られたんだ」
「リアルタイムアレンジ」
「頼む」
「任せて」
自分と一心同体となったセカンドの事は、誰よりも分かっているつもりだった。アッシュの自惚れなんか、整備兵として経験を積んできた彼女の足元にも及ばない。
「照準。……三、二、一、今!」
整備兵の手腕が、彼の声に合わせて誤差を修正。全身の電気の流れを細かに調整。願力伝達と制御、現在の体型にアジャスト。スラスターの一つ一つを丁寧に開閉してブレを抑える。パイロットのタイミングに合わせて、一気に解放した。
「斬り裂け!」
急加速して一太刀、左上からの袈裟斬りで右腕を破壊、振り下ろした流れのまま、刀の柄の頭に右掌を当てて胸部へと押し込んだ。
「急に動きが⁉︎ おのれぇ!」
イノシュ・バインのコックピットハッチ表層が損壊、そこにセカンドの右拳の手刀で、一気に深層までぶち抜いた。
「よくも! よくも、このエイリアス・クロウカシスを!」
イノシュ・バインの左腕がセカンドの右腕に圧力をかける。パワーで負ける、砕けていく。アッシュは、自ら刀でセカンドの右腕を切断し離脱した。
「エイリアスは生きているぞ、フィンセント」
「なんだと!」
「今は、ダスク・ウィナードと名乗っている」
「なん、だと」
フィンセントの願力が急激に衰えた。戸惑いが文字通り見て取れた。
小型イルミネーター量産までの囮だったシリウス。その位置情報をゼーバに与えたのが、当時のダスク・ウィナードだ。フィンセントも、その時奴と生身で出会っていた。
「違う。お前が、殺した」
「あれはクローンだ。今のお前の体もそうだろう。ゼーバの御家芸じゃないか」
「ち、違う! 私があのお方を見間違える筈が無い! 私に正体を明かさぬ理由が無い! 私の手の中で、あの方は死んだのだ! あんなに温かかったお方が、冷たく、切なく……お前が! んんんお前がぁぁぁ! シシシシステム、きどおおお!」
機体を構成するハイブリッド・クローンの融合分裂体が漆黒を引き出され、この仮面の魔族を飲み込んだ。シオンとフィンセント「二人」の願力が溶け合い、増幅されていく。
「殺す。人間は、殺す!」
猪突猛進。それ以外は考えない。ただ真っ直ぐに、復讐を誓う。
「あれ、魔王の憤怒みたい……機体にも願力が? シオン・シリーズ!」
「ああ。だからもう、終わりだ」
願力を願導人形に纏わせた時、多くは機体の最も外側へとバリアを張り巡らせる。
先程自ら切断したセカンドの右腕。イノシュ・バインのハッチへと突き刺さったそれは異物とみなされ、それを避けるようにハッチの損傷部の窪みに沿ってバリアが発生した。
切断された右腕には願力の膜なんか発生しないし、イノシュ・バインの左腕に潰され、既に脆い。アッシュの願力の波形が定着しているのと、フィンセントの思考が猪突猛進しているせいで、彼やイノシュ・バインの願力が即座に宿ることも無い。
憤怒でブーストされた二人の願力は瞬時に強力なバリアを発生。願力の急激な上昇により、ハッチの損傷部に発生したバリアは突き刺さったセカンドの右腕を挟み込み、ニッパーのごとく勢いよくそれを分断させた。
「ゲャーーー⁉︎」
分断された右腕の手刀の指先だけが、バリアニッパーに押されてコックピットハッチの中へとめり込んだ。システムに障害が発生、リンクが切断、突然の事にイノシュ・バインの願力も混乱に陥った。彼らは、自ら最後のスイッチを押したのだ。
「フィンセント⁉︎ 何したんだ、アッシュ⁉︎」
純白のイレギュラー相手に奮戦していたカイナは、尋常ならざる声に振り返り、アッシュへと憤った。
「襲われたから対応した。すぐに医務室にでも連れて行けばいい。蟲の相手はしておく。こっちもマナたちがまだ戻っていない」
「いいさ、これは貸しにしてやる。お前を倒すのは、俺だからな!」
カイナは部下たちにフィンセントのイノシュ・バインを運ばせると、ゼーバの古城へと進路をとった。
◆
「……なんとかなった」
賭けだった。フィンセントが刺さった手刀を引き抜いていたら、アッシュに勝ち目は無かった。
エイリアスの話を切り出す事で意識を逸らし、システムを発動させるように仕向けたのだ。
彼は融合分裂でエイリアスの姿になったのでは無く、別の体に記憶を継承されていた。転生特典の願力の高速伝達を使えなかったようで、それも功を奏した。
アッシュやボルクといった人型転生者は、願力の高速伝達能力を有していた。外部と能動的に繋がる、パイロットならではの動きだ。
対してシオン・シリーズは「自分の体と認識したもの」にだけ願力を行き渡らせる内向きな反応を見せた。蠍のシオンがファングブレードを使えず、他のシオンも手持ち武器を使用しなかった事からも察しはつく。
めり込ませたセカンドの右腕に、イノシュ・バインが願力を宿らせ(られ)なかったのも同じ事だ。彼らは異物に対して願力を纏わせる事が苦手だった。
弐拾弐号機の大砲のように自分と一体化した武器や、長い時間をかけて馴染ませたシオン用の義肢なんかがあれば話は違ってくるだろう。
わざわざ猪突猛進システムで願いの統一をしなければならなかったのは、パイロットさえも異物と捉え、彼らとの能動的な連携が出来ないからだ。
蠍のシオンと菫、弐拾弐号機と千秋、なにより、アッシュとユイとセカンドとの違いは、まさにそこにあった。
◆
「ごめん、セカンド。お前にこんな戦い方をさせた」
「右手、ほんとに大丈夫なの……?」
「セカンドは頑丈だよ」
「ケントの右手」
「……そっちか。セカンドとお揃いだな。これでリンクが捗る」
醜い戦い方だと自嘲したアッシュに、ユイは変わらず笑顔を向けた。
戦いに汚いも綺麗も無い。何をしてでも生き残らなければ。そうでなくては、今までの全ては何のためにあったのか。彼女は、それを分かっているから。
「私が整備して、ケントが戦う。だから、これは私たちの戦いなんだよ」
「ああ。一緒に生き残ろう。カノープスのみんなと」
ユイの瞳は涙に濡れて、変わらずアッシュを見つめていた。
「えへへ」
「なんだよ」
「やっぱり、仮面無い方がいいね」
「……古代人の顔だけど」
「ごめんね、いつも上手く言えなくて。あなたを笑顔にしたいの。一緒に笑顔でいたいの」
「……おお」
「コラ! お前ら!」
クラウザ先生の生活指導が飛んだ。いくら久々だからって、戦場の真ん中で何をやっとるんだ。
「お幸せにと言ってやりたいんだがな」
「まだそんな関係じゃないんです。僕は、そうなりたい」
「……ゔおお」
通じているのか、いないのか。進展させるつもりがあるのか、果たして進展しているのか。何故当人では無く、見せつけられる方がヤキモキしなければならないのか。
「聞こえてんだけどね」
カノープスのブリッジでは、リラとギゼラが初々しい二人のせいで、体温調節の手間を掛けさせられていた。
しかし、まあ、リラも二人の仲を引き裂くほどゴリラとして落ちぶれちゃいない。ギゼラも姫様のユイが嬉しいなら、それが何より嬉しい。
「それで、アッシュ。なにか敵の情報を掴んでいるのでしょう?」
メアリは真面目に戦況を見定めている。しかし顔は珍しく、どことなくニヤついて見えた。
「ああ。蟲の統率は最後尾の巨大な影が行なっている。あれがアルカディアや魔王の憤怒のようなバフを撒き散らしていると推測される」
「成程、了解した。俺の惨雪が突破口を開く。止めは任せるぞ、アッシュ」
「花持たせてやるか! 露払いはブラックベルベットに任せろ!」
口々に、思い思いに告げながら。カノープスの仲間たち(と、ハイド)は、アッシュとユイとセカンドの花道のエスコートに張り切った。
「……ちょっとまって」
ユイの顔は一転して、そんな浮かれた状況とは似つかわしく無く、いつになく不安に包まれて見えた。
「……どうしたの、ユイ」
「蟲って、なんのこと……?」
「……なに言ってんだ」
「純白のガンドールだよ」
「……なに、言ってんだ……?」
しかし、ユイが嘘を言っているとも思えなかった。
「涙で全然見えなかった。今なら見える。私がおかしくなったのかなって思ったの。ケントにまた会えて、それで……嬉しくて、涙で幻覚でも見てたのかなって。でも、ケント、あったかかったから」
幻なんかじゃ無い。確かに触れられる、愛する人。
「だから、多分、これは」
「色欲のアデウス……?」
「わかんない。でも」
「いや。お前を信じる」
アッシュがセカンドとユイを疑うことはしない。ユイには願力が無い。かつて、アルファングとの戦いで遭遇した色欲のアデウス。その時も、彼女の温かさが勝機を呼び込んでくれた。
全バンデージとの強制無自覚リンク。モンスターのマザー、絶望のサイプレスの持つ能力だという。
敵は、それを奪ったダスクなのか。
「メアリ! 粒子を!」
「任せてください!」
メアリの山羊角のオーグが背負った棺桶型の粒子貯蔵コンテナ。ウィナードとの技術交流で多少の小型化に成功。
巨大な影に向かって放出――願いは、引き寄せ合う。
「くっ……なにか、得体の知れない……! なに、これ……?」
いつもと違う。メアリが願導合金の粒子の扱いに躊躇い、戸惑うことなんて無かった。彼女の呪力結界にも、彼らは幾度となく救われてきた。
純白の背後、巨大な影から放たれる粒子に、メアリの粒子が押し負けている。
「皆、メアリを蟲から守って!」
おかしい、何かがおかしい。
純白のモンスターというだけで、アッシュもそれを受け入れていた。ゼーバでは、そういうものもでるのかと、それが日常なのだと割り切った。魔王やウィナードという、モンスターとは似て非なる存在が実在する事が、その考えを後押ししていた。
純白、大破したシリウス……。
「……それしかないよな」
残念ながら、答えは誰でも思いついた。簡単過ぎて、問題にすらなっていない。
「うっ……! 負けません!」
メアリの願力に、より一層の輝きが宿った。
巨大な影を護るため、最前線を張る純白のイレギュラー。巨大甲虫に、複座のような痛みが襲う。同時に、メアリのオーグにフィードバックの激痛が走った。
「んっ、あぁっ⁉︎」
甲虫から剥がれ落ちた虚飾、一瞬の真実。
アッシュの眼が、確かに「敵」の正体を見極めた。
「ブラッククロス……イツキ⁉︎」
「ブレインセカンド。お前が向かってくるのなら、俺は、なんであろうと、誰であろうと打ち砕く‼︎ ハイバケント!」