第十六話 カノープス 4/7 腕
「決まった時間に現れてくれるってのは、作戦が立てやすくて助かるね」
ゼーバの王都から国民たちへの生中継。タイタン王子の笑顔は、なかなかにテレビ映りが宜しい。灰庭健人と瓜二つの筈なのに、どことなく気品に溢れていた。
「ゼーバのみんな。恐れることはない。現在我らの最強戦力であるランスルート・グレイスが奮戦中である」
純白のモンスターとの交戦映像を差し込む。丁度良いタイミングで活躍シーンが映った。
「外の事は気にしなくていい。では、処刑の続きといこうか」
周囲を高い壁が遮る大広間。さながら闘技場とか、ともすれば檻のようでもあった。その中央、円形のステージ上で磔にされた大男、ハインリヒ・ウィナード。
両掌は杭で穿たれ、全身を縄できつく縛られ、其処彼処が鬱血し、余程強く噛み締めたのか、猿轡から血が滴る。息をするにも力無く、瞳から光が僅かに溢れた。
「我らが偉大なる父、魔王様を殺した大罪人! 勇者アッシュ・クロウカシス! 我が剣にて、その命貰い受ける!」
◆
「ランスルート、奴ら退いてくぜ!」
「ああ。……時間切れか」
いつもの周期が終わったのか、純白は霧に飲まれて見えなくなった。後には蟲の骸と、凄惨な獣人たちの成れ果てが残った。
「そんな、なんで……」
アッシュの眼前の艦体は外装を失い、骨組みしか残らず元の色も分からない。
絶望感が、脳を埋め尽くす。
「……解析完了。シリウスか」
カノープスでは無かった。ランスルートの言葉に一瞬でも喜んでしまったアッシュは、何より自分の醜さを恥じた。
ジョージは、オリヴィアは、アリスは、ダニー先輩は、ジグ爺さんは。友矢やルミナは無事なのか、康平や家族は。
「なんで。なんで、シリウスがこんな目に……」
自分たちがコロニーの中を彷徨っている間、アルカドに何が起こったというのか。そもそも、シリウスは神都に向かったのでは無いのか。
「ここは、アルカドなのか……?」
「馬鹿か、貴様」
コロニーは、絶えず形を変えている。この魔国ゼーバの周辺……いや、ゼーバそのものが、既にコロニーに取り込まれた。
ダスク・ウィナードが、願いの次元イェツィラーから絶望のサイプレスを奪って姿を消した。
中心に聳えたブラックホール(曰く、パロケト)の喪失により、異なる次元の理が崩壊し、そこと隣接する物質世界アッシャーにも影響が現れた。大体はそんなところだろう。
「もしくは、逃げたエイリアスがアルカドを滅ぼして回っているのかもな。雑魚の癖にイキがって、お前が奴を取り逃したせいだな、ハイバ」
今のアッシュには、ランスルートの皮肉も聞こえていなかった。腑抜けた今のこいつならば、どんなパイロットでもトドメをさせただろう。
「後で調査隊を編成する」
ランスルートは疲弊したゼーバの民を労うと、何より傷ついた自分の体の休眠に時間を割くべく、魔国への帰還の途についた。
変質した彼の肉体は、三年の月日では、まだ適応しきれていない。
「アッシュ……」
かつての家。自分を温かく迎え入れてくれた家族のようなシリウス。フィリアの声にも反応出来ず、アッシュは暫し、無言で佇んだ。
より深く灰色を重ねた空には、一等星シリウスも、カノープスも、姿を見せることはなかった。
◆
量産型ハイブリッド・クローンのマーク・ドライグたちは、純白のモンスターとの戦闘を終えて帰り支度の真っ最中。腹の虫の合奏が、近くで指揮をとるテティスを呆れさせた。
「生きているのだ、腹は減るものですぞ」
「テティス殿もご一緒に如何か」
「お前たちと食事なんてしたら胸焼けする」
接近する機影。旧式の汎用型願導人形、アートが一機。短距離にのみ通じるローカル通信で、コックピット内の映像を送る。
「失礼。テティス殿はどこか」
「私だ。見慣れぬ顔だな。所属は何処か」
「フッ……我こそは」
「ゲフンゲフン!」
同乗する少女の咳払い? が遮った。
「……話は後。貴国への土産を持って参った次第」
「土産だと」
「いやー、だれかー。たすけてー」
「痛い! ノイズが! ちょっと、狭いっ!」
通信に映されたのは、見慣れぬ魔族の男に拘束された幼い二人の少女たち。その内の一人の顔に、テティスは腑が煮え繰り返った。
「……ディオネ‼︎」
「うおっ? そんなに怒ることか? 久し振り、テティス」
◆
「……タイタンめ。作戦を早めたか」
戦闘中に事を進めるのは良い手だ。お陰で「勇者の処刑」に出遅れた。
「どうする、ハイバ? このままでは、あのお仲間がお前の身代わりで死ぬ事になる」
「お前たちは‼︎」
わざわざアッシュを伴って処刑シーンを見学しに来た。ランスルートのニヤけ面も、ゼーバの兵士たちも振り切って、アッシュ・クロウカシスが処刑台に駆けつけた。
「ハインリヒ!」
ウィナードの男はその腹に何度も剣を刺され、瀕死の重傷を負っている。彼が磔にされている巨大な機械が、獣のような唸り声を上げた。
「ご覧、叔父さん。これがニーブックのみなさんを化け物に変えた、強制融合分裂装置だよ」
願導人形のフレームに突き刺さった願導合金製の巨大な十字架、趣味の悪い装飾が走る。髑髏のレリーフが、ひとつ、ふたつ……数えきれない怨嗟の色は、かつて、同様の機械によって変貌した人々の嘆きか。
「あの髑髏は装飾品じゃないよ。失敗作の骸たちさ。強制的に融合分裂させるんだもん、上手く分裂出来なかった個体も多い。ハハッ、見てよ。ここなんて、絡まって気色悪い」
装置が光る。
命が消え入る時、雑念が消えた。ただ生きたいと願う本能が、機械的なリンクを果たす。
灰色が瞬き粒子が弦となり、幾重にも束ねられて包帯となって、やがて、巨大な繭を形成した。
「さあて、なにが出るかなー?」
「魔王降臨の儀式という訳だ」
遅れて登壇したランスルートがタイタンと立ち並ぶ。二人は視線を合わせ、口元に笑みを見せた。
「ハインリヒ・ウィナード。体組織を詳しく調べた結果、蟲との類似性が見てとれた。まあ、人型モンスターだよ。でもね、マーク博士の遺したデータだと、魔王はモンスターとも少し違うみたい。奴の『血』は、一体何なんだろう。叔父さんは、何か知っているのかな?」
「融合素材は、魔王の拘束具か。残留思念を吸わせたのか」
ランスルートが機械を観察しながら続けた。長年魔王を繋ぎ止めていた拘束具。願導合金製ならば、思念は記憶されている。タイタンは、装置にその欠片でも仕込んだのだろう。
「正解。義兄上は賢いなぁ。マーク・ゼクを使った実験では、耐えられなくてすぐに自壊しちゃったんだよね。魔王型のハイブリッド・クローンよりも、このオッサンの方がまだ魔王に近いみたい。春歌ちゃんも、まだまだだよね。義兄上がオッサンを拾っといてくれて感謝」
「ハインリヒ!」
アッシュの声は届かない。繭に触れた手が、粒子に弾かれ行き場をなくした。
「さあさあ、お立ち会い! 勇者アッシュは見事魔王様の器となり、新たなゼーバの礎となり得るのか?」
「違うな。勇者アッシュは、こいつだ」
ランスルート・グレイスは、腰に挿した刀を引き抜き、切先をハイバケントへと向けた。
「な、なんだってー?」
「白々しいぞ、タイタン」
わざとらしく驚いてみせる。中継するカメラを意識した、タイタン渾身の大根芝居。
「まさか、味方を身代わりにしたのか⁉︎ なんて外道なんだ、勇者アッシュ!」
「お前ら……!」
アッシュの背後を兵士が取り囲んだ。
「察したところで、死にゆくお前には関係が無い」
さあ、繭が割れ、中からは、悍ましい化け物二匹。
飛び出したるは、純白の巨人と、漆黒の肉塊。
「ありゃあ。こりゃダメだ。やっぱり魔王の血が無いと」
巨人と肉塊は呼吸も満足に行えず、鼓動を早めて、そのまま途絶した。
「ハインリヒ……こんな終わり方……命は‼︎」
仲間と呼ぶには浅すぎた関係だった。しかし、それはアッシュが憤ってはいけない理由にはならない。
「残念」
タイタンからは、言葉だけだった。
「それで? 次の手はなんだ、タイタン」
「計画通りにしよう、義兄上。魔王再臨が無理なら、新たな魔王が必要になる」
この場の視線が、アッシュへと向けられた。
「本物の勇者を倒した、新たなる魔王。その名はランスルート・グレイス」
「最後まで茶番に付き合えと?」
「タイタン派とテティス派で内部分裂なんてしてられないだろ。馬鹿馬鹿しい」
「そうだな。了解した」
初めから、どう転んでも良いように振る舞っていた。タイタンが望むのは、ゼーバの繁栄、ただ一つ。
◆
魔王崩御の報せを受けたゼーバ本国では、ナヴィア以上の願力を持つタイタンを擁立しようとするタイタン派が台頭。テティスに対抗する為、彼はコロニーの深部で無理矢理大人にさせられた。
しかし、ゼーバに帰国した彼らが出会ったのは、タイタンよりも強大な願力を獲得したランスルートだった。
姉のテティスによって抱き抱えられたランスルート。ゼーバのお家騒動は、タイタン派とテティス派の骨肉の争いとなる筈だった。
タイタンの考えはこうだ。
魔王を再臨させ、自分とテティスが両翼の補佐となる。
それが難しいのなら、自分が魔王に即位する。
それより相応しい者があるならば、自分はその参謀となる。
あくまでも、ゼーバの為を思った行動だった。
テティスは女の幸せを選んだ。いつまでも勇者アッシュを殺さずに、ランスルートの幸せだけを願っている。これでは駄目だ。ゼーバの疲弊は火を見るよりも明らかだ。
ならば、ランスルートはどうか。彼の中は、野望で満ちている。テティスに内緒で、タイタンの動きを探っていた。だから、二人は共謀したのだ。
ランスルート・グレイス、生まれながらに演技をせざるを得なかったウィシュア・アークブライト。立場と名前を奪われた、哀れな追放者。
望むように生きられなかったタイタンと、どこか似ていた。
◆
「覚悟してくれ、義兄上。ゼーバを背負う覚悟。自分の中のハイバケントを抱えたまま、これからも戦い続ける覚悟だ」
「問題無い。初めからそのつもりだった。これは、俺の力だ」
「……強欲め」
背水、アッシュに逃げ場は無かった。――こんな茶番。
テティスに内緒で計画を進めたのは、彼女の事を思っての事だ。タイタンのせいで、なし崩しにアッシュを殺したという状況をつくり、彼女の愛を傷付けないようにした、タイタンの姉への愛。そして、愚かなタイタンを許す事で、新たな王ランスルートの器の大きさを民に示せる。
だが、ランスルートは違う。もし、魔王の再臨が成ったとしても、それごと打ち砕くつもりだった。初めから、タイタンさえも利用するつもりだった。
これは、各派閥の信奉者たちを鞍替え、和解させる儀式でもある。「勇者」という分かりやすい敵の存在は、有り難かった。
「愚かなり、勇者アッシュ! あろうことか、ゼーバを心から想う優しきタイタン王子さえも欺き、自身の仲間をも身代わりにして、斬り捨てる蛮行! 万死に値する‼︎」
「……道化だな」
「今ここに! このランスルート・グレイスが裁きを下す!」
振り下ろされた刀。アッシュは手錠の鎖で受け止め絡ませて、自身の右手に奪い取った。
「義兄上、これを!」
タイタンから手渡されし王家の剣。今まで振るわれたことのない、正統なる魔王の後継者の証。魔剣、第六天魔王カッシーニ。
「終われ! 外道‼︎」
漆黒の刀身に願いの灰が積もる。アッシュの刀と鎖を断ち切って、そのまま勇者の右腕を切断した。
「うっ……、あぁぁっ⁉︎」
かつて感じた、体を砕かれる痛み。あの時「健人」が受けた以上の苦痛は、奴に斬られたという屈辱との相乗効果。
――血が止まらない。
「ゼーバの民よ! 見ろ! これが、かつて魔王様を討ち、我らに絶望を与えた愚者の真の姿だ!」
兵士が雪崩れて、アッシュの頭は石畳へと押し付けられた。無様な仮面に、ランスルートの手が掛かる。ベリベリと音が叫びを上げて、肉から皮膚が分裂していく。醜い赤い肉から、更なる紅が吹き出した。滴り落ちる色が、処刑台を無慈悲に塗り潰していく。
しかし、その命の水の喪失は、脳に立ち昇った憤怒を急激に冷却していった。
この「化け物」から雑念を消し去り、いつものように、周囲を観察させる冷静さを与えた。常に正解を導き出せる程、アッシュは万能では無い。
「死ね」
切断され石畳に転がっていた右腕が、ランスルートの左足首に掴み掛かった。
「な……っ⁉︎」
一瞬の動揺が、全てを変えた。
アッシュの体内の願導合金の欠片たち。切断された肉から、骨から。漏れ出た粒子は、はぐれた右腕と繋がったまま、ダスク・ウィナード駆る最古アートを彷彿とさせる遠隔操作をはじめた。
願力で願導合金を動かす事は出来ない。アッシュの体は脳からの電気信号だけでなく、願力での制御ができるように、自らも知らない内に、自らの願いによって作り変えられた。
涙は、流れない。まるで、小型のガンドール。
「死ねぇ‼︎」
アッシュの背中から伸びる副腕、兵士を薙ぎ倒す尖った爪先――
「……化け物め‼︎」
――ランスルートの左腕は、その爪に敢えて貫かれることで兵士を守り、右腕の刀で斬り上げた。
二人の眼に、互いのセカンドが重なる。
忌々しい記憶。
「よ、よせ! 叔父さん! 人質がいるんだぞ!」
くだらない時間稼ぎも、聞こえなければ意味はない。
凝縮されたアッシュの灰色が、副腕を襲う刀を弾く。再び爪先へ願いが集束されて、ランスルートの左腕を、噛みちぎるように薙ぎ払った。
「……ぐ、あああっ⁉︎ 貴様ァァーーッ‼︎」
「ランスルート⁉︎」
騒ぎを聞きつけたテティスが目撃したものは、それぞれが片腕を喪失した、血の惨劇だった。