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第一話 アンティーク 1/3 いつもの朝

 世界が終わる。



 重力は崩壊し、星は砕け、大地は浮遊を始めた。


 空間は、ガラスでも割れるかのようにひび割れ、悲鳴にも似た風の音が辺りを包んでいく。全ての色を混ぜ込んで、まだらに嗤う灰色の空が、彼らの脳裏に地獄の存在を想起させてくれた。


〈紫色の人型兵器たち〉は〈黄金の鳥〉を追い詰めたと思っていたが、それがいけなかった。


 破壊されていく仲間たちを盾にしてでも、彼らは突き進むしかない。意地か、プライドか。最早、取り返しがつかないことは、誰もが分かっていたのに。


 ああ。世界が、終わるのだ。


「カシス!」

「逃げて、クロウ。貴方だけでも」


〈カシス〉は事切れた。まだ十七になったばかりの女の子だった。〈クロウ〉と呼ばれた少年兵にも意地はあったが、それだけで現実は覆る筈もない。

 黄金の放った閃光は容赦なく、クロウの乗る紫色を焦がしていった。


 赤髪の男〈アッシュ〉の願いを見抜けなかったことが、彼らの敗因だった。


 体中に纏わりつく激しい光に侵され、クロウの全身にやさしい痛みが走る。やがて、激痛が右腕を光る粒子へと砕き、流した筈の涙は左眼と共に消されていた。言葉にならない呻きが、絶望に歪む口から漏れ出る。震えた声しか出せずとも、少年は叫ばずにはいられなかった。


「この体が消え去ろうとも、忘れない。お前だけは……アッシュ!」


 眩い光の中、その名前だけが、むなしく宙を彷徨った。







 灰北のブレイン




 第一話 アンティーク





 いつもの朝。


〈ニーブックの街〉東区の一軒家に住む十七歳の〈灰庭健人(ハイバ ケント)〉少年は、けたたましいアラームに殴られた。


「はぁ……」


 寝起きにあくびを一つ。黒髪黒眼、爆発したような寝癖と元来の癖っ毛が、健人を憂鬱にさせてくれる。


 十一月にもなると、朝は大分肌寒い。烏のような真っ黒な学生服に着替えて、二階の自室から一階へと下りた。

 玄関では、不惑(四十代くらい)の男が靴を履いていた。くたびれた背中に、中間管理職の悲哀が滲んで見えるようだった。


「父ちゃん、おはよう」

 健人は、背広に付いた白髪を払っておいた。


「なんだ健人? お前も送るか?」

「ん、僕はいい」

 そうか、と父は靴べらを置く。出勤がてら健人も車で学校に送ってやろうか、ということだったが。


「康平、いくぞ」

 父はいつもの低い声で、健人の双子の弟の〈康平(コウヘイ)〉を呼んだ。


「朝練? いってらっしゃい」

「……ああ」

 健人から受け取った靴べらを使って、康平もそっけなく家を出た。


「健人、さっさと食べちゃって」


 リビングでは、母が慌ただしそうに父と康平の食器を片付けている。健人は洗面所で、ちょろっと用事を済ませると、リビングのいつもの椅子に腰掛けた。


「いただきます」


 味噌汁を啜る。豆腐と油揚のやつ。健人と康平の好きなやつ。


「昨晩ニーブック西区周辺に現れたモンスターは、第二皇子レイザー様と、従者のサツキ様率いる遊撃騎士団により無事討伐されました。一時避難されていた住民の皆様は……」


 テレビのニュースには、騎士鎧を模った純白の制服姿の男が映る。歳は二十代くらい、銀髪、当然のようにイケメン。


〈神聖アルカド皇国〉の第二皇子〈レイザー・アークブライト〉である。健人は納豆を十回ほど混ぜ混ぜした。


「ニーブックの皆、そして我らが愛する神聖アルカド皇国の皆。脅威は去った。しかし、いつまた『蟲』達が現れるとも限らない。アルカドはこれまで防衛に徹してきた。だが、今こそ……」


 ニュースの音量を少し下げる。


「昨日のってさ、こっちに避難指示来た?」

 健人は味噌汁を啜りながら母に聞いてみるが、洗濯機の音で聞こえないようだった。


 ニーブック近くに(モンスター)が出るのは何度目か。初めは恐れていた住民も、被害に見舞われる前に軍が始末してくれるから、今では日常のこととして処理した。

 ニュースは他にも、政治だの、古代文明の遺産が発掘されただの、アイドルの不倫だの、いつものなんやかんやが滞りなく報道された。寒い朝には、NUMATA茶が体に沁みる。


「じじくせえなぁ、高校生」

「後やっとく。ごちそうさまでした」


 いつもごめんね、と母も仕事に向かう。健人が食洗機に手を翳して〈願力(ガンリョク)〉を流し込むと、それは自動で動き出す。その間に洗濯物の残りを干した。


〈願力〉は、誰もが持つ「光る生体オーラ」と教わっていた。魔法のような万能感は無いが、適応した道具(願具という)を起動出来るのだから、なんとなく便利なものとして日常に溶け込んでいた。一般人にとってはそんなものである。


 靴を履こうとしたが、黒いダイヤル式の電話が目に止まった。五百年前に存在したとされる骨董品アンティーク……のレプリカ。健人は、慣れた手付きで電話をかけた。


「おっす。なんだ健人、どうした?」


 幼馴染で友人の〈燈間友矢(トウマ トモヤ)〉は、未だ自分の家にいたようだった。


「おはよう友矢。康平もう行ったぞ、朝練」


 電話越しに慌てふためく声がした。昨日学校でそんな話をしていたのに、友矢はすっかり忘れていた。


「後、借りてたヤツさ……」

「ヤッベェ、また怒られる! 悪りぃ健人、ありがとう!」


 友矢はそそくさと電話を切った。相変わらずの親友に、健人は心の中でエールを送る。借りていた物は、また今度返せばいい。


 平日は、母か健人が一番最後に家を出る。ガスや電気もちゃんと消した。指差し確認、抜かりはない。放課後は最近はじめたアルバイトもあるから、友矢たちと「訓練」に参加するのは当分無理そうだった。


「今日も曇り」


 鈍色の空、厚い雲に覆われた太陽の光を、巨大なムカデのような影が遮った。宇宙では、モンスター同士の縄張り争いが地上以上に激化しているらしい。人類の宇宙進出は、まだ先のことだ。


 いつもの朝、憂鬱な朝。時刻は午前八時十四分。

 若干の寝不足の中、ゆっくりと健人は歩き出した。





 神聖アルカド皇国。


 代々〈神皇〉となる女性が治める国。

「街」と呼ばれる地方自治体の集まりで、街毎にその文化や風習に特色がある。


 ニーブックの街は海と山に囲まれ、中心を流れる大きな川が東西を分断していた。

 面積はそこそこ、人口はまあまあ。都会とは言い切れないが、田舎とも言い難い。西区には軍需関連の施設が立ち並び、住民は専ら東区に住んでいる。

 住民の多くは黒髪黒眼で、やや黄色がかった肌をし、名前も漢字表記と独自の文化が根付いている。金髪碧眼で白い肌の多い〈神都〉の人達からは、そこをいじられることもあった。



「先輩!」


 馴染みのある朗らかな少女の声を聞き、願具バスの停留所へ向かって登校中だった健人は立ち止まった。


「おはよう、浦野」


浦野菫(ウラノ スミレ)〉は、健人の一つ下の幼馴染。普段からお決まりのツインテールが目を惹く、人懐っこい笑顔の、小柄で可愛らしい少女。


「あ、違った。かっこわるい方だった!」

「どうも。じゃない方です」


 健人と康平は一卵性の双子だから、昔はよく似ていたし、ことあるごとに比べられてきた。最も身近なライバルにして、理解者だった。成長期に入ってから、康平はどんどん身長も伸びていき、まあ、モテた。健人が豊かで捻くれた人間性を育むには、少しだけ恵まれた環境だったと言える。


「双子なのに、随分差がついちゃったね」

 正面に立った菫は、健人の肩に片手を置き「よっ」と背伸びをして、もう片方の手で自分と背を比べてみた。背伸びしたのに、菫の方がちっちゃかった。


「見分けやすいように、心配りですよ」

 強がる健人を慰めるように、菫は頭を撫でてやった。そのまま彼に体を預けて、両手で髪をぐしゃぐしゃにしてやった。


「もじゃもじゃー!」

「やめなさい、セットが」

「セットが? んん?」

 菫は小悪魔のように笑って、健人の寝癖をいじくった。


「セットなんてしてませんでした。ちくしょう」


 物理的な距離の近さは、幼馴染だからと言うほかない。他意は無い。菫はケラケラと笑って、健人の胸から飛び退いた。日常は、崩壊した。


 街中にアラートが響いた。健人は咄嗟に菫を庇って地面に伏せた。灰色の砲弾が目の前に降り注いだ。突拍子もなく、情緒も無く、予感なんて見つけられず、衝撃と爆音が周囲を吹き飛ばし、通勤途中の会社員も、楽しげに棒切れを振り回していた子供たちも、皆等しく消えた。健人の体に何かがぶつかる。それが、彼らの成れの果てだと気付くのに時間が掛かった。脳では理解したが、感情が追いつかない。恐怖と認識するより先に現実は立ち止まらず進み、粉塵が晴れ、彼らを消しとばした砲弾の正体が浮かび上がった。


「モンスター……!」


 全長五、六メートルの巨大な蟲。二階建ての民家程の大きさを持つ、通称「ハエトンボ」。


「いやーー⁉︎」

 突如として降ってきた地獄に、菫はパニックに陥った。極限状況に健人の脳は事実だけを受け入れ、現状を把握することに費やされた。


 ――菫がこの状態ではまともに走れない。自分が囮になったところで、動けない菫では、後続が来たら無事では済まない――


 置いていく選択肢は無かった。引きずってでもこの場から逃すしか無い。


 現実は容赦がなかった。モンスターは菫の悲鳴に反応し、飛び込んでくる。あの巨体とスピードでは、逃げ切れるものでは無い。健人に出来るのは、盾になることくらいだった。掌をモンスターに突き出し、願力を集中……そんなもの、役には立たないのに。


 ――瞬間、モンスターは吹き飛んだ。それが健人の功績でないことは、彼自身が分かっていた。


 熱を帯びた凄まじい排気音、機械が擦れる重金属音。地面と空気を振動させながら、無骨な巨塊が目の前に飛び込んできた。


 人型兵器〈願導人形(ガンドール)〉。

 ニーブック所属の量産機〈惨雪(ザンセツ)〉である。


 無骨で堅実、無駄を削ぎ落とした機能美に満ち溢れ、いかにも量産機といった風体のロービジの機体。


 高速で接近した惨雪は、右腕のマニピュレーターに構えた「巨大ノコギリ」で、モンスターを横から殴り飛ばした。


「そこの人たち、退がりなさい! ……邪魔だ!」


 その口調から、パイロットにも余裕が無いのが伝わる。モンスターは、惨雪をターゲットとして認識した。


「菫ちゃん、立て! いくぞ!」

 健人は菫の肩を担ぎ、引きずっていく。苗字でなく幼い頃の名前呼びをしてしまったのは、健人にも余裕が無いことを示していた。


 三機で一小隊を築いた〈惨雪〉たちは、蟲に一斉攻撃を始めた。ガンドールの全身を伝って「通常の三倍」に膨れ上がった願力が、機体に白い物理障壁〈バリア〉を形成する。


「キモいんだよ! ムシヤロウ‼︎」


 マニピュレーターに携えた武器にバリアが収束していく。光の粒子は熱を帯び、一方向へと放たれ、蟲の外骨格を削り、露出した「コア」を貫いた。


 願力のバリアを変換して放出する〈ライト兵器〉。ガンドールのメインウェポン。


 願力ビームの粒子は、注視していれば躱せるだけの速さを持つが、その全てを運動エネルギーにする事は出来ず、熱が発生した。蟲の外骨格を瞬時に溶断する程ではないが、同じ箇所に命中させ続ければ、いずれ溶解させられた。


「良し。このまま後続を叩く!」


 パイロットが操縦桿に並んだボタンを操作すれば、マニピュレーターに埋め込まれた制御機構からライト兵器へと指令が下った。武器のモードを切り替え、ノコギリに願力を集中させる。儚いバリアが凝固して、先端にある銃口に、小さな白い結晶が形成されていく。


 願力という生命エネルギーを、結晶という重質量へと変換する。


 接近する蟲に発射。ビームを放つ〈ライトモード〉よりも弾速の遅い〈ヘビィモード〉の結晶弾は、呆気なく躱された。直後、結晶は蟲の背後で破裂し、無防備な背中を強襲する。怯んだ隙に他の惨雪もヘビィ弾で追い討ちをかけた。重さと硬さを与えられた冷酷な質量弾が、蟲の外骨格を確実に砕いていく。


 ノコギリの惨雪のパイロットがペダルを踏む、巨大な鉄塊が音を立てて緩やかに動き出す。すぐに脚部と背部、機能的に並べられた全身のスラスターは開放され、機体は高速の質量弾へと変化する。握らせたノコギリに、結晶の片刃の牙が「つらら」のように形成されていった。


「墜ちろ!」


 鋼鉄が宿す重い轟音を従えて、露出したコアへ白い牙が突き刺さる。軋むフレーム、唸りを上げる関節モーター。コンソールを操作、ギアレバーを入れ替え出力を上げる。

 パイロットはそのまま速度と質量に任せて機体を押し込んで、押し倒すと、ノコギリの使い方を思い出したように、蟲の硬い外骨格ごとコアを切って引き裂いた。


 赤黒い毒々しい血肉が、ロービジの機体と灰色の道路へと飛び散り、程なくして、蟲の蠢きは止まっていった。





「あれが、戦い……」


 菫を連れ、なんとか距離をとった健人は、初めて見る実戦に恐怖した。


 感情がようやく追いつき、急に疲れが襲う。張り詰めた心が、時間が経ち形を保てなくなった牙の結晶と共に瓦解する。白い結晶は季節外れの雪のように、すぐに溶けて消えた。


「うぅ……健人お兄ちゃん……」

「大丈夫。立てるよな?」


 泣きじゃくる後輩を必死に励ます。健人だって、叫び出したかった。



「うわあああっ⁉︎」


 絶叫の中、小隊長機は撃墜された。それに動揺した三番機が銃を乱射、街中にビームが拡散してアスファルトを溶かし、街路樹には文字通り火が灯った。


「嫌だ……お母さん!」


 また、一機墜ちた。蟲の願力ビームが動力炉に当たって二次被害を生む。爆発の衝撃が、民間人をビルに叩きつけた。

 願力は願いの力。パイロットの動揺が機体へ与える影響は大きく、また、生体エネルギーを燃料としているとも言えた。残るノコギリの惨雪も時間の問題だった。


「一匹でも多く、殺す」


 彼(彼女かもしれない)が覚悟を決めたのと同じ頃、機体の計器が狂い出した。いよいよもって不調を疑う、しかし、そうでは無い。


「先輩……!」

「空間が、割れた⁉︎」


 形容した健人の脳も、理解してはいなかった。


 光る巨大な右腕が、曇天を突き破り顕現した。

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