放課後の灰
お読みいただきありがとうございます。
小六のときのことだ。
新たな学年、クラスへの期待を皆が寄せる中で、僕は唯一人、下から桜の木を眺めていた。
優越感ではなく、哀愁に浸っていたわけでもなく、無心でもなく、ただ学校の窓に広がる薄く青い空を見ていたかった。それだけだ。
チャイムがなると皆はスタスタと教室に戻ってきて、次の授業の準備をし始めた。チャイムが昼休みの終わりの合図なのだと体に染み付いているからだ。それでいえば僕も同じで、皆との一種の共通点だったのだろう。
ただそんなことを言いつつ、五時間目が始まるのはいつも、準備が一通り終わって少し経ってからだった。昼休みと五時間目の間には五分のブランクがあった。大体の生徒は昼休みではなくその五分の間に準備していた気がする。にも関わらず時間は少し余っていた。準備って言っても筆箱と教科書とノート、場合によっては前の授業で使ったプリントとかを机の上に陳列するだけだ。僕にとってはその行為は先生に
「ちゃんと授業受けようとしていますよ!」
と言っているようにしか見えない。スーパーで、商品をお客さんにアピールしているあの人みたいだ。
...私達良い商品売ってますよ!
断じてスーパーの人たちをバカにしているわけではない。僕から見た皆の授業態度に合わせて例えたらこんな皮肉っぽくなってしまっただけだ。
余った時間、と言っても僕にはそれを有効活用する筋合いなどなかった。周りを見てみると友達と話している人、予習や復習をしている人だったり色々いたが。ちなみに後者についてはクラスメイトらから優等生だの天才だの言われる一部の生徒が当てはまっていた。僕から見れば教科書を見ているように見える。ただ席も遠いし半分くらい背中を向けている状態なのでもしかしたら小説かもしれない。
正直なところ僕は勉強は得意な方だった。ただ友達もいないのでそれを周りに発信するような出来事もなかったし、僕の能力を知っている人は親と先生くらいしかいなかった。塾にだって行っていないから外で成績を見せることもなかった。
大体授業が始まる三十秒くらい前に、先生がドアを開けて教室に入ってきていた。大抵右手に教科書とかなにかの茶色く大きな封筒とかを持っているので、ドアを開けるのはほとんどの先生が左手だった。
時々チャイムが鳴ってから入ってくる先生もいるが、その日の五時間目の授業の先生はそうではなく、ただ三十秒前でもなく一分くらい前に入ってきていた。
...そうだ、片岡先生だ。去年度の三学期から新しくはいってきた女の先生で、皆から人気がある先生である。その先生に対して皆はそれほど緊張感を抱かないようで、皆気づいてはいるものの静かになることはなかった。
チャイムが鳴り一気に静寂が教室を包む。その沈黙を先生が切り裂くまでにあまり時間は要さない。
―「はーい号令ー」
伸ばし棒が多い喋り方が片岡先生の特徴だ。喋り方はやっぱり昔からの過ごし方で変わってしまうものだろうか。バタフライエフェクトというやつだ。
ただ今一度思い出すのは、一度0になるともうもとに戻ることはできない。人生は足し算ではなく、掛け算なのだから...。
授業中は結局、僕の頭の中はごちゃごちゃしたままだった。そのまま授業は終わって、帰りの会は終わって、友達との帰り道...。はないか。そのまま教室から、校舎から、学校から出た。言葉にすると家に帰るまでの道が妙に果てしなく感じられてくる。
僕の目の前で火が放たれたのは、ちょうどその東京の桜が花を開き始めた日だった。