ハシビロコウの森
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ビル群を抜ける。
都会の気温はまだ高く、周りの人たちはヒートアイランド現象などと言って社会問題と結びつけようとする。ただ実際高温の原因が何かというのはわからない。
私は暑さのせいか、『歩く』以外の事をほとんど考えられなくなっていた。そしてそれしか考えられない原因としては暑さと、速く歩かなければならないという使命感が挙げられる。
周りを通り過ぎていく人々、と一瞬思ったが、ある人は信号待ちをしているだけだった。そしてそれを見て私はうっかり赤わたりをしようとしていたことに気づく。ギリギリ道路に足は接していなかった。
しばらく経って、実家に着いた。電車で通知を入れたので、もう私を待っていてくれているだろう。ピンポーンとインターホンの音が響くと、は〜いと波括弧の付いたような返事が私を出迎えてくれた。この声を聞いたのは何年ぶりだろうか。
私の場合、田舎で生まれておとなになって上京してきたわけではなく、東京で生まれて田舎へ引っ越したから、実家に帰るという表現にどこか違和感がある。最近ではそれも増えてきた、と言いたいところだが、私の頭の中を検索していくつもデータがヒットするなんてことはないから、なんとも言えない。それでも、私が東京で生まれたという事実は変わらないのだ。人生の基盤がこの東京で生まれた、そう考えると、何となく壮大なものを感じる。
その『壮大なもの』などというのは結局この実家にほとんどしまわれている。正直に言おう、私はインドア派だ。
ドアが開く。まず顔を出した母の第一声は
「おかえり。」
だった。そんな風に『帰郷』という雰囲気をしっかりと感じさせてくれる家族が私は大好きだ。この三日間は充実した日々になるだろう。
私はただただ暑くて、とりあえず中に入りたかった。母を押しのけたわけでもないが特に遠慮することもなく、玄関に足を踏み入れた。
この家は周りの家と比べて古めかしい造りをしている。意外なことに木造なのだ。それを聞かされた昔の私ははじめから知っていたので特に驚くこともなかった。
そしてその古い雰囲気に合わせるように、この付近には森がある。遠いわけでもなく、かといって近いわけでもない。ただあの森は熊だったりが出ないので、よく子供らが遊んでいた。今でも使われているのだろうか。どういうわけかこの付近は東京なのに田舎という雰囲気を醸し出していて、昭和にタイムスリップしたみたいだ。...無論、私は昭和の時を過ごしていない。
久しぶりに行ってみようかな。そんな事を考えていると、私の前には麦茶が置かれていた。無意識のうちに座布団に座っていて、冷たい机が置かれている。昔は団らんのためとして、皆で食卓としてだって使っていた。
父は老後も仕事に出ているので今はいない。そのことは昔から決意したように言っていたが、私は真似しようとは思わない。それで私の人生が豊かになると思えないのだ。
父は仕事に出ている、その事を知っていた私は両親に伝えなければならないことを思い出した。私自身の就職先だ。
「お母さん。」
向かい側に座ったすっかりおばあちゃんになった母は、私の発言を待ちわびていたようだった。
「私、東京で働くよ。」
今私の住んでいるアパート。その場所で風がびゅんと吹いた気がした。母は、ただただびっくりしていたようだ。
麦茶の水面が、少し揺れた気がする。
―わずか数年。その短い時を経て、私は東京に帰ってくることになったのだ。