旅路
岩と砂ばかりが彼の瞳に映る。荒廃した世界を彼は一人で歩き続けていた。戦争と環境破壊の末に人類が滅びた……などと彼は思いたくなかった。だから探し続けている。仲間を、亡骸ではなく生きた人間を。まったく手がかりないわけではなかった。吹き荒れる砂嵐から逃れ、入ったビルの残骸。そこの壁に文字が書かれていたのだ。
『我々はここを離れ、カデシュという町を――』
「『コランという町を目指すことにする。まだ緑が残っていると噂だ。方角は西。座標は』……か」
彼はそう呟いた。カデシュという寂れた町(もっとも、そのほとんどが残骸だが)にたどり着いた彼は、まだ形を保っている家を何軒か調べた。そのうちの一軒で、壁に『コランという町を目指すことにする』と書かれているのを見つけた。
あの瓦礫の地からここへ移り住んだ人々は、また移動したらしい。名もなき瓦礫の地からカデシュへ。そして今度はコランへ。
彼は灰が降り出しそうな曇天の空を見上げ、息をついた。帽子を深く被り、連中が置いて行ってくれたのだろう、食料などの物資を詰めた鞄を背負い、また風で舞い上がる砂に身を削られながら、彼は歩き続ける。
カデシュからコランへ、コランからサケムへ……サケムからヘーツェルへ……ヘーツェルからハブロン……ハブロンから……。
影なき存在を追い、町から町へと彼は旅を続ける。そこで新たに見つけた文字や人の痕跡が、彼の唯一の希望だった。
「本当にそうだろうか……」
彼は時折そう呟く。希望などあるのか、と。それは特に洞穴でじっとして、砂嵐が過ぎ去るのを待つ間に多かった。
人はいるのだろうか……。
まだ生きているのだろうか……。
会えるだろうか……。
待ってくれているのだろうか……。
安息の地などあるのだろうか……。
神は……いや、神はいる……。
彼は不思議なことに、生きた人間よりも神の存在を信じ、感じることができた。
それは彼がヘーツェルからハブロンの町へ移動している最中のことだった。暗い空の下。砂嵐に巻き込まれ、視界が死体に群がる蠅とひび割れた爪で全身をなぞられるかのような痛みに覆われ、彼はやがて方角を見失い、ついには蹲ってしまった。そしてそれが楽だと知った。歩みを止め、沈むことが。このまま砂の中に埋もれてしまえ。そうすればこの星と、方々に散る人々の亡骸といずれ一つになれると思った。それしかないとも。
しかし、意識を取り戻した彼の目の前にあったのは、ハブロンの町だった。もっとも、そこもまた空振りで、生存者の姿はなかった。しかし、どういうわけか体の疲労は取れており、また傷も治っていた。
ゆえに彼は神の存在を信じ、そして諦めようとした自分を恥じたのだ。神が見ていてくださる。そして、成し遂げよと言っておられる。彼はその時、そう強く感じた。
その気持ちを思い出した彼は立ち上がり、再び歩き出した。
「ラムトの町……来たが……」
ラムトの町。そこもまた空振りだった。人の姿はなく、壁に書かれた文字は『このまま進め』。まるで死者の川への案内板だった。彼はフッと笑い、町を後にした。彼の中には落胆も絶望もなかった。ただ信じるという気持ちだけがあり、それが彼にとって心地良かった。
彼は歩き続けた。寂寞とした大地を、死を唄う風の中を。
そして、ついに目にした。
それは、まさしく神の国だった。彼の見開いた瞳に映ったのは、雲の切れ間から差す日の光に輝く、半透明のドーム状の幕に覆われた白銀の都。
――間違いない。あそこに誰かいる。それも大勢だ。
彼は荷物を投げ出し、壊れかけの靴を脱ぎ捨て、犬のように走り出した。そして、荘厳な扉の前に辿り着くと跪き、叫んだ。
「ああ、神よ! どうかどうか私をあなたのおそばに――」
彼の呼びかけに応じるかのように扉が開くと、彼は息を呑み、言葉を失った。扉の向こうから彼の目の前に現れたのは……。
「ああ、おかえりなさい。さあ、どうぞ」
中から現れた者が彼にそう言った。
「今回は特に長旅でしたね。お疲れになったでしょう。あ、立てませんか? では私が抱えていきましょう。失礼してと、よし」
「神様、お帰りなさい。お疲れでしょう。メディカルルームへどうぞ」
「ああ、神様。ご無事で何よりです。ヘーツェルからの移動中の救援、あれはいいタイミングだったでしょう」
「町の前まで運んだのは余計でしたかね」
「いやいや、あの喜びようをモニターで見ただろう。ねえ、バッチリでしたよね?」
「ほら、感想は後に。まずは記憶を戻して差し上げないと」
「記憶……?」
腕に抱えられ、彼らに囲まれながら町の中を進む彼は、独り言のようにそう呟いた。
「ええ、すぐですからね。ああ、それはそうと、神様がお出かけになられている間に、若返りの研究が進みましたので、さっそく後で行いましょう」
「その、神様というのは……」
「ははは、私たちの生みの親ですから、そう呼べと仰ったのは神様自身じゃないですか」
「ほら、だから、ご記憶を」
「ああ、そうだった」
「しかし、神様も変わった趣味をお持ちですね」
「興味深い」
「その……人類は……他の人間は……」
「絶滅していますよ。もう衛星で何度も隅々まで探しましたから間違いないです。生存者はあなただけ。でも何も心配いりませんよ。私たちがずっとおそばにいますからね」
陽気に笑う彼らロボットたちは、彼を神と崇め、慕い続ける。またいつか彼は記憶を消し、再び歩き出すだろう。そのやるせなさを紛らわすために……。