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町外れの噂の安眠屋さん〜お疲れな若き伯爵様は今日も癒しを求めてやってくる

作者: 玖遠紅音

新作短編です!

短いので気軽に読んでくだされば幸いです!

 うっすらとした細長い雲が茜色に染まりゆく夕暮れ時。

 町外れの小さな店の店主は、達筆な字で営業中と書かれた小さなドアプレートをひっくり返した。

 そしてふぅ、と軽く息を吐いて中に入ろうとすると、後ろから何者かが声をかけてきた。


「……失礼。急なんだが、入れるか?」


「あら、お客さんですか――って、ええっ!?」


 腰まで届く鮮やかな金髪を夕風に靡かせながら振り返った少女は、そこに立っていた人物の顔を見てひどく驚いた。

 透き通るような美しい翠玉の如き髪を携えた美青年。

 派手さはないが、生地からして明らかに高級品と分かる服を身につけた彼は、世俗から離れた生活を送る少女でもよく知る人物だった。


「む……準備中、か。もう店じまいのところだったのか」


「え、えぇ…‥そのつもりでしたが……」


「……仕方ない。日を改めよう。失礼した」


「――あっ、ま、待ってください!」


 小さなため息を吐きながら振り返って去ろうとする男を、少女は慌てて呼び止めた。

 その声に反応して振り返った彼の顔は、どこか儚げで、人生に疲れ切ったと言わんばかりの酷い有様だった。

 これではせっかくの美顔が台無しだ。


「よろしければ、入ってください。本日最後のお客様として歓迎いたしますよ!」


「――いいのか?」


「もちろんですっ! ささ、どうぞどうぞ」


 そう言って笑みを浮かべながらゆっくりと戸を開ける少女。

 男はやや不審そうな顔をしながらも、誘惑に負ける形でふらふらとドアの奥へ吸い込まれるように消えていった。

 それを見届けた少女はゆっくりとドアを閉め、振り返った。


「ようこそ! 疲れ切ったあなたに癒しを与えるお店、安眠堂(あんみんどう)へ!」


 店主であるミリアは、満面の笑みを浮かべながら歓迎の意を示す。

 本日最後のお客様は、この領地を収める若き君主、オリヴァー・ルートマリアだった。


♢♢♢


 祖父が亡くなった。

 私が小さな頃から可愛がってくれた、大好きなおじいちゃんだった。

 そんな彼が残した遺言。

 それが私の人生を大きく変えた。


「ワシの店はミリアに継がせたい」


 祖父は、趣味で小さな店を経営していた。

 店の名は祖父の名にちなんで【レイン堂】。

 町外れの小屋のようなそのお店では、もともと冒険者だったという祖父が世界中から集めてきた様々な珍しいものを見学できる。

 気に入ったものがあれば、祖父の気分次第ではあるが販売することもあったらしい。


「親父がそう言い残したから、あの店はお前に託そうと思う」


 父も商人ではあったが、祖父とは別にお店を持っていたので、私にこう伝えて店の鍵を渡した。

 幼い頃から祖父の店のお手伝いをしていたので、場所は知っている。

 この町の外れにある、お世辞にも目立つとは言えない地味なお店だ。


「お邪魔しまーす……うっ、ごほっごほっ」

 

 無骨な太文字でレイン堂と書かれた看板が掲げられた店のドアを開けると、まずは埃風が私を出迎えてくれた。

 それもそのはず。祖父の入院が決まった時から、お店はずっとやっていなかったのだから。

 一応不定期に掃除にはきていたけど、最後に来たのは半年以上前だったかな……


「まずは掃除からかな……」


 そう言って私は、奥の部屋から箒とちりとり、はたきや雑巾など一通りの掃除用具を取り出してお店の掃除に取り掛かった。

 長らく店じまいだったとは言え、祖父の遺品はそのまんま残されているので、うっかり壊さないように気を付けながら少しずつ綺麗にしていく。


 そうだ。

 この間に私のことについて振り返っておこう。

 私の名前はミリア・アシュレイ。16歳だ。

 ルートマリア伯爵領に生まれた商家の次女だ。


 だけど、私にはまだ誰にも言っていない秘密を抱えている。

 あまり思い出したくないものではあるが、私には前世の記憶がある。

 私の前世は日本という国で社畜をやっていた。

 まあ、あまりにも忙しすぎて20代で過労死したんだけど……


 そんな苦い記憶を抱えているので、今世では多少貧乏でも気楽で楽しい生活を送ろうと決めていた。

 そんな訳で、掃除をしながらとある発想が思い浮かんでしまうのも当然だろう。

 それはつまり、


「もしかしてこれ全部売ったら私、一生遊んで暮らせる……?」


 至る所に散乱……もとい展示されている様々な遺品。

 祖父は宝物だと言っていたが、残念ながら私にはその価値が理解できずにいた。

 ただ、物によってはかなりの高値で売れるらしいので、このお店ごとこれらを相続できるなら私はもう一生お金には困らないかもしれない。


「……ま、あとでいっか! それよりも――」


 よくよく考えたら別に私、今はお小遣いに苦労していないことを思い出した。

 というのも、学校を卒業してからはバイトとして実家のお店の手伝いをしているので、それで給料としてそれなりの額を毎月もらっていたのだ。


 ただ、この店を相続するにあたって父からこう言い付けられている。


「せっかくならお前も何か店を始めてみたらどうだ。ある程度なら支援してやるぞ」


 と。

 これも社会勉強の一端だとして、父は私にバイトを一旦辞めさせ、この場所で何か商売をすることを求めてきた。

 お店…‥お店ねえ……。

 急にそんなこと言われても、アイデアなんてあるはずもない。

 

 お料理屋さんをやるにしても、別に私の料理スキルは人様からお金を取れるほどのものじゃないし、父のお店の支店にするのはなんか面白くない。


「うーん……うん? これは……?」


 私は一度雑巾の手を止め、机の上に無造作に置かれていた箱の中から、小さな棒を手に取った。

 それは人間の手のひらくらいの長さの細い棒であり、先端にはふわふわとした綿毛がついており、もう片方の先端は緩やかに折れ曲がっている。


「これ……梵天(ぼんてん)だ。うわぁ……なつかしー!」


 私はそれを手に取って、柔らかな綿毛を指で摘む。

 この感触、正直たまらない。

 だがこれはこうやって遊ぶためのものではない。


「これを耳に入れると気持ちいいんだよねぇ……」


 これは耳掃除の道具だ。

 折れ曲がった方の先端で耳垢を掻き出し、綿毛の方でそれを綺麗に集めとる。

 流石に今は掃除中なのでやらないけど、私はこの梵天で耳かきをされるのが大好きだった。


(……ま、前世では自分でやるか、ASMRで擬似体験することくらいしかできなかったけどね)


 ASMRとはAutonomous Sensory Meridian Response (自律的感覚絶頂反応)の略称で、超簡単に言えば人間が気持ち良くなるような音などを提供するコンテンツの事を指す。

 過労で毎日倒れそうになりながら帰ってきて、不眠症の影響でなかなか寝付けずに苦しんでいた私を救ってくれた偉大なものでもある。

 ネット上で流行していた耳かき音や囁き声のASMRをいくつも買い漁って聴くのが数少ない趣味だったんだ。


「――あっ、そうだ!」


 そんなことを考えていると、私に天啓が舞い降りてきた。

 これからやるお店の内容が決まったのだ。

 大した取り柄のない私でもできる、一部の人には確かな需要があるであろうお店。


「……ふふっ、我ながら名案だね!」


 こうして完成したのが、私が好きだったものをこの世界の人にも体験してもらう場所。

 疲れて苦しんでいる人を私が徹底的に癒して気持ち良く寝てもらう場所。

 それでも上手くいかなかった場合は、私は催眠魔法が得意なので、ちょっと強引にでも安眠してもらう場所。


「名前は安眠堂! 安直だけど、ピッタリな名前だよね!」


 私はグッドポーズを取って、初めてのお客さんを待つことにした。

 

♢♢♢


 町の中心部に位置する巨大な屋敷。

 その一室で、高貴な服装に身を包んだ男が、貧乏ゆすりをしながらペンを走らせていた。


「……くっ」


 それは急遽舞い込んできた、急ぎで進めなければならない仕事であり、本来の彼の仕事終了時間を大きく押している憎き存在だった。

 苛立ちを募らせながらも、決して手を抜くことなく丁寧に書類を処理していく。

 男の名はオリヴァー・ルートマリア。

 若くして全当主である父を亡くし、急遽ルートマリア伯爵家を継ぐことになった苦労人だ。


(あぁ……早くあの店に行きたい……癒しが欲しい……)


 そんな彼には、最近密かな楽しみがあった。

 それは町外れにある安眠堂という名の小さなお店だ。

 疲れが一気に取れた気がする、と一部で噂されていたのを聞きつけ、ダメ元で訪れてみたところ、すっかりハマってしまったのだ。


 そして今日もしっかりと事前に予約を取っていたのにも関わらず、この有様だ。

 これでは閉店までに間に合わないかもしれない。

 そう思うと余計に苛立ちが募るが、ここで適当にやると後が面倒なことになるのが分かっているので、泣く泣く気持ちを落ち着かせて仕事を進めていった。


 そしてそれから1時間半ほどが経過し、ようやく仕事の全てが片付くと、


「――旦那様。お疲れ様でございます。よろしければお茶でも……」


「すまない。私は少し出かける。少々遅くなるが、気にするな」


「は、はぁ……承知いたしました」


 仕事が終わったのを見計らって待機していた執事にそう言いつけると、オリヴァーは早足で屋敷から出ていってしまった。


「……旦那様は、また例のあのお店に行かれたのでしょうか。あそこの店主は年頃の少女だったはず……ご婚約に悪影響なければ良いのですが」


 そんな言葉を漏らしながら、用意した茶を持ち帰る執事だった。


 それから数十分後。

 急足で向かったためやや息を切らしながらも、安眠堂に辿り着いたオリヴァーは、ゆっくりとドアを開けた。


 時刻は間も無く日が落ちようとしている夕暮れ時。

 幸いまだドアプレートは営業中の文字を示していた。

 ほっと息をつきながら、彼は店の中へ進んでいく。


「――すまない。少々遅れた」


「あっ! いらっしゃいませ伯爵様。お待ちしておりましたよ! ささ、こちらへどうぞ!」


 店主であるミリアは、ソファで寛ぎながら眼鏡をつけて読書をしていた。

 あまり客は多くないというこのお店では、ミリアがのんびりと何かをしているのはそう珍しくない光景だ。

 ただ、メガネ姿を見るのは初めてなので少々胸がざわつくオリヴァーだった。


「さて、今日は何をご希望ですか? 何もなければ私のおまかせにさせていただきますが……」


「……耳かきを頼む」


「はーい。了解しました! それではこちらへどうぞ」


 本を畳み、改めてちゃんと座り直した彼女は、ぽんぽんと自身の細い膝を叩いた。

 最初こそその意味を理解できなかった彼だが、今となってはもはや自然な動作で頭をその膝に乗せた。


「ふふっ……伯爵様は本当に耳かきがお好きですよね」


「あぁ、まぁな」


 慣れてきたとは言え気恥ずかしさからか、やや口数が少なくなってしまうオリヴァー。

 しかし、これから待ち受ける最上の癒しのためならばこの程度の事など気にするに値しない。

 幼い頃に母親に甘えていたことを思い出すような、そんな懐かしさに包まれながら、今日も彼女に疲れをとってもらう。


(あぁ……やはり妻を娶るなら彼女のような……)


 そんな貴族にあるまじき思考を走らせながら、オリヴァーはゆっくりと目を閉じた。

 そして彼女が、普段の快活な声を潜めて囁くように問いかける。


「それでは伯爵様……お悩みなどがありましたら、お話しできる範囲でお聞かせください。私でよければ、相談に乗りますので……」


「……そうだな。実は今日――」


 このように囁かれては、ついうっかり喋ってはいけないことまで喋ってしまいそうになる。

 例えばこれからやや強制的に結ばされそうになる婚約についてなどの話だ。

 だが、そこは己のプライドに賭けてグッと堪えて、仕事の愚痴から吐き出し始めた。


 それと共に彼女の手に握られた細い耳かき棒が耳の中へ優しく侵入していき、敏感な肌に触れると体の奥底がゾワっとした感覚に襲われる。


 しばらくすると、溜まっていた疲れのせいもあってか耐えきれず彼の瞼は闇へ落ちていった。


「……ふふっ、おやすみなさいませ。伯爵様。今日も1日お疲れ様でした」


 屋敷では絶対に味わえない快感と共に眠りにつくオリヴァーに、ミリアは笑顔で囁いた。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

もし好評であれば連載化を予定しているので、ぜひブックマーク登録と⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価もよろしくお願いします!

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