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【短編小説】海の粉

作者: 青いひつじ

あなたの見ている景色は、誰かからの贈り物かもしれない。

「お父ちゃん、海の粉が見たい」

「海の粉ってなんや?」

「海の上でゆらゆら揺れて、光るやつ」

「あー、あれが見れたら奇跡やろ」


そう言って、父は吸っていたタバコを流木が散らかる砂浜に捨てた。



海の粉。

それは、海の上に粉雪が降って、それが太陽に照らされ、海と粉雪がキラキラと光って、嘘みたいに幻想的な風景になること。幼い私はそれを見たいと言って、お父さんをよく困らせていた。

確か、誰かが海の粉の写真を見せてきて、それが羨ましくて言っていたんだと思う。

しかし、私の住むこの島は年間を通して晴れていて、最後に雪が降ったのは、もう何十年も前らしい。



「お父ちゃんタバコやめなーよー。お母ちゃん怒るよ」

「いやぁ、これだけはやめられん」


 


父は、私が13歳の時に亡くなった。

咥えタバコが原因の交通事故だった。早いお別れだった。


火葬の日、焼却炉に入る瞬間、母は伯父に抑えられながらグチャグチャの顔で「このばか!戻ってきてよ!」と叫び続けた。

そんな母の姿を見たのは初めてで、私は動けず、静かに泣くことしかできなかった。


父が亡くなってからの母は、心をどこかに落としてしまったようだった。

父はたくさん話す方ではなく、よく、タンクトップに短パン姿で寝っ転がって新聞を読んでいた。いつも母がひとり、ラジオのように話していた。父は時々相槌を打ったり、笑ったりしていた。


電池が切れたような母に、私はたくさん話しかけた。母は笑ってくれた。でも、その心はまだ悲しみでいっぱいなことに、私は気づいていた。

無理に笑わせたい訳じゃないのにと、少しずつ、何を話せばいいのか、母が何を望んでいるのか分からなくなっていった。

母がだんだん知らない人になって、ある日突然、遠くに行ってしまったらどうしようと、得体の知れない黒いものに押しつぶされそうだった。





ある日の帰り道。

私は、父とよく歩いた海辺に寄った。 

誰かが捨てたタバコの吸い殻。どこからか流れてきた流木には、ゴミなのかワカメなのか分からないものがたくさん絡まっている。欠けたガラスの破片。テトラポットのもっと先は、空との境目に一本線が引かれているようだった。

決してきれいな海ではないけれど、私にとっては全てが特別な海。

倒れた丸太に座り遠くを眺めていると、風が強く吹いて、私は咄嗟に目を瞑った。



その時だった、頬に何か冷たいものがくっついた。雨かと思い見上げると、ハラハラと白い光が空を舞っていた。それは風にのり、たちまち海の上に広がって、景色は一瞬にして小さな光の世界へと変わっていった。



「海の粉や‥‥おとうさん!」



私は思わず叫んだ。

光はまるで私を包むように、空からゆっくりと降ってきた。


肯定された気がした。あなたは間違ってないよと、言われているような気がした。悲しくないのに涙が出て、溢れて、止まらなかった。


その日からだったと思う。

私は少しずつ、母と話せるようになった。






カラカラカラカラ。


「おばーちゃん!ミカちゃんが来たよ〜!元気ぃ〜!?」


女の子の声がして、ハッと目を覚ました。眠っていたようだ。


「こらっ、ミカちゃん走らないで。お母さん〜果物持ってきたよ」


病室をビュンビュン飛び回るこの子は、孫のミカちゃん。ビニール袋をぶら下げた、娘のハルカ。私は今年で70歳になる。


「あ〜、ちょっと寝てたみたい」


「体調は?」


「まあまあ」


ハルカは「桃でいい?」と、手際よく皮を剥き、ひとくちサイズに切ってくれた。


「いつもごめんなぁ」


「ごめんなんて、やめてや。ミカも毎日会えるん楽しみにしてるんよ」


それから、1ヶ月後の青い夜だった。


「おかあさん!!おかあさん!!!」

「おばぁちゃん‥‥」


娘たちの声が少しずつ、遠ざかっていった。





目が覚めると、私は白い服に身を包み、椅子に座っていた。目の前には、足を組み、私と向かい合う形で座るひとりの男性がいた。


「よく眠れましたか」

「‥‥あの‥‥ここは‥‥」

「ここは、空よりももっと上の世界ですよ」

「‥‥天国ですか?」

「下の世界の方々は、そう呼んでいるようですね。まぁここは、玄関という感じですかね」

「私は、いよいよ死んだんですね」

「はい。ご家族に見届けられて、幸せそうな最後でした」

「そうですか」


「そして、ここからは、あなたが選択する時間です」

「選択?」

「そうです。あなたの魂と引き換えに、願いをひとつ叶えることができます。叶えず、魂のまま天国に向かうこともできます」


私には、最後にひとつだけできることがあるらしい。

ただ、その願いを叶える代わりに、私の魂は完全に無くなり、空の上から娘たちを見ることはできなくなるという。


「たとえば、何が出来るんですか?」

「たとえば、生きている大切な人に何かを伝えるようなこととか」



その時、ひとつの風景が映像のように浮かんできた。



「選択のお時間です」








「お母さん、あれ見て」


「わぁ‥‥‥。そういえば、おばあちゃんが昔、1回だけ見たことあるって言うてたなぁ」


「きれいね」


「ほんまに、きれいやな‥‥」





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