7月22日:憎しみ
僕はのっそりと頭をもたげた。
スズメたちの声が聞こえる。
ああそうか、朝になったのか。
今日もきっと、クロはあの場所に来るだろう。
僕は、ずるずると引きずるようにしてベッドを出ると、寝不足でだるさの残る体で窓の下に座り、見上げた。
薄い青紫色の空を、カラスが舞っている。
一晩中、家族と過ごしたこれまでのことを思い出していた。
そして僕は、僕なりの結論を見つけた。
定位置の窓枠に飛び乗り、クロが顔を出すいつもの茂みをじっと見つめた。
草が揺れ、がさがさと葉擦れの音が辺りに響くと同時に、クロが茂みから顔を出した。いつものようにまっすぐ窓の下まで歩いて来ると、ストンと腰を下ろした。
僕は大きく息を吸うと、とびきりの笑顔をクロに向けた。
「今日は毛づくろいしないの?」
クロは僕の問いには答えず、にやりとした。
「ほう。自覚は出たようだな。」
「なかなか受け入れられなかったよ。今も少し動揺してる。でもね、見つけたの。僕なりの結論。」
クロは顔をしかめた。
僕の顔を見て、僕がどんな結論を出したのか分かったのだろう。
「面白くなさそうだね。」
「……フンッ。」
そっぽを向いた。やはり思った通りだ。
「聞こうと思わないの?」
「思わないね!」
クロは、憎々しい顔を僕に向けると、スッと背を向けた。
僕の答えがクロの期待通りではなかった。それが面白くないのだろうと思ったのだけれど、どうもそれだけじゃないらしい。クロは明らかに怒っている。
「俺には理解できない。」
背を向けたまま、クロは吐き捨てるように言った。
「人間なんて最低だ。この世で一番、最低な生き物だ。自らを『高等動物』と呼び、動物たちを『畜生』と呼ぶ。人間の何がそんなに偉いというんだ! 最低じゃないか!」
クロは、僕に金色の目をもう一度向けた。
「どうしてお前は、そんな人間をそこまで信じることができるんだ!」
クロの横顔は、憎悪で満ちていた。
お母さんもお姉ちゃんも、クロは不機嫌そうな顔をしているって言っていた。
たしかに、昨日も一昨日もそんな顔をしていたけれど、今は違う。
「クロ……。」
ちょっと丸顔だけれど、野生を思わせる凛とした顔立ちのクロ。その顔が、今は憎しみで満ちている。
「見ろっ!」
突然、クロがスッと立ち上がり、僕をちらりと見ると、僕を誘導するようについと視線を動かした。僕は、クロのなめらかに移動する視線を追った。
クロが導いたのは、僕の家の近くにある大きな建物だった。
「あの場所が何なのか知ってるか?」
クロの声は少しだけ震えていた。憎しみと悲しみが入り混じったような、そんな響きだった。
僕は、首を振った。実際、知らなかった。
「最近建ったのは知ってるけど……。」
「あれはな『保健所』っていうんだ。」
「『ホケンジョ』? 何それ?」
「お前、本当に知らないのか?」
クロはあきれたようにつぶやいた。
「……悪かったね。」
「だったら、覚えておくんだな。あの場所はな、いらなくなった動物たちの、処分場だ。」
「いらなくなった、動物たち?」
クロはそう言うと、視線を足下に落とした。
「ああそうだ。人間たちが、用済みになった飼い猫や飼い犬を捨てる『ゴミ箱』さ。」
クロが金色の目を僕に向けた。いつもの、いや、いつも以上に心を突き刺すあの視線。でもその中に悲しみが見えた。
「俺ら野良だって、捕まってしまえばおしまいだ。」
僕の頭はまた混乱した。でも一つだけ、かろうじて理解できた事実があった。
「ちょっと待って。ということは、君も危ないじゃないか!」
クロは、悲しそうな顔を僕に向けた。
「ああ、そうだ。俺も、お前も危ないんだ。」
クロにそう言われて、僕の頭はお湯が沸かせるのではないかと思うほど熱くなった。
「僕の家族は、僕を用済みになんかしない! するもんか! 僕は、僕の家族を信じる!」
僕は背筋を伸ばしてクロに言い返した。
「やっぱりそれが、お前の結論なんだな。」
「そうだ。僕は猫だし家族は人間だけど、僕は、僕の家族を信じてる!」
「……そうか。」
クロは、ゆっくり立ち上がって、フラフラと帰っていった。
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「保健所……。」
友はそうつぶやくと、相変わらず同じ場所にそびえ立つ、例の建物に視線を向けた。
「私はやはり、家族の用済みにはならなかったよ。」
「そうだろうな。見ればわかるさ。」
彼は、笑いながらそう言った。
「しかし……、何でそんなに人間が憎いんだ?」
黒い翼を持つ友は、野良であるクロに感情移入しているようだった。
もともと情の深い彼だが、クロを古くから知る友か、あるいは家族であるかのように気にかけている。
「うむ。正直なところ、私もそれは気になった。だから、次の日を待ったんだ。」
※ 保健所には、野良猫を捕獲する義務はありません。