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思い出の日記  作者: 福子
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8月17日:伝言


 昨日のユズの話が忘れられない。


 彼女が話してくれたシェリーの過去は、今はクロには話さないほうがいいかもしれない。


 僕は、悩んでいた。


 いつか話せるときが来たら言おう。そのほうがいい。タイミングというものも大事だ。


 そんな自問自答を繰り返しているうちにユズが来る時間になったらしい。壁にかけられた鳩時計が、僕に時間を伝えてくれた。


 一晩中丸めていた背中を伸ばし、水で喉を潤してから窓に上がった。


 人間の世界では、ちょうどこの時期をお盆と呼ぶ。

 焦げるように暑かった八月初めとは違い、風の中に、ほんの少しだけ秋の香りが混ざっている。

 僕は、カレンダーに目をやった。クロと出会ったのは七月二十日だった。数えると、明日で三十日となる。


 一ヶ月過ごせば季節も変わる。特に北国の夏は、あっという間に変わってしまうのを僕は知っている。そんな『当り前』を、僕は改めて思った。


 少しずつ夜の時間が長くなり、いつもの時間では、大好きな朝靄が見られなくなった。季節は、冬へと向かっているのだ。


「おはよう。」


 優しい声が聞こえて慌てて目を開けると、クロの場所にユズがいた。

 心地よい風に当たって自分の世界に浸っていたので、彼女が来ていたのにまったく気づかなかった。クロが教えてくれた、僕のクセ。


「ごめん。ぼーっとしてた。」


「健太。本当におもしろい子。」


 ここにクロがいたら、もっと楽しいのだろう。穏やかだけどきらめく時間を、クロとともに過ごしたい。そんな時間がずっと続いたらいいのに。いつかそんな日が来るだろうか。


「クロちゃん?」


 ユズの背後で草が揺れた。僕もユズも、動く草を見守っていた。


「あら、可愛い猫ちゃん。」


 茂みから、見覚えのある人間の女性と犬が姿を現わした。


「レディ?」


 まっ白の美しい毛並み。にっこりと微笑むその顔は、気品と優しさに溢れている。


「お久しぶりですね、健太さん」


 ふさふさと優雅に動く尻尾。彼女は、ユズとはまた違った美しさを持っている。まるでマドンナだ。


「かわいいわね。健太の彼女?」


「違うよ。クロのだよ。」


「あら。あの子、なかなかセンスあるのね。」


 クロの彼女が犬であるのを、ユズは意に介さないようだ。むしろ嬉しそうにレディを見ている。ユズに見られ、レディは恥ずかしそうに下を向いた。


「初めまして。私、ユズ。よろしくね。」


 レディは、ユズの挨拶に驚いたようすだけれど、クイーンのような美しさのユズに、愛らしい、はにかんだ笑顔を向けた。


「私、レディ。少し前までクロと暮らしていたんだけど、今は、このお姉さんが私のご主人さま。」


 ユズは、レディに紹介された女性を見上げた。女性はユズを手さぐりで探し、その頭を優しく撫でた。


「ほら、やっぱりかわいい。ユズ、初めまして。」


「どうして、私の名前を知ってるの……?」


 ユズは、その女性をぼんやりと見ている。彼女のそんなつぶやきを聞いて、お姉さんは楽しそうに笑った。


「ユズ、そのお姉さんは、僕らの言葉が分るんだ。」


「人間が? 私たちの言葉を?」


 僕は、お姉さんは特別な力を持つ人間であることをユズに伝えた。


「驚かせてしまって、ごめんなさい。」


 お姉さんは、優しくユズを撫でた後、そっと抱き上げた。


「それより、どうしてここに? 何か用事があるんでしょ?」


 クロがいないのを不思議に思わないなんておかしい。

 つまり、お姉さんたちは遊びに来たわけじゃない。何か用事があってここに来たんだ。


「さすが、健太くん。」


 お姉さんは、そう言ってニッと笑った。


「健太さんに伝言があるの。」


 レディの目はとても真剣だ。


「僕に? 伝言?」


「そうよ。」


 ユズを抱いたまま、お姉さんは微笑んで続けた。


「私たちね、あれからずっと話し合ったの。でね、やっぱりクロくんと暮らしたいって思ったのよね。だから昨日、クロくんにもう一度『私たちの家族になってください』って、お願いに行ったの。でもね、この前と同じ、断られちゃった。」


 そこまで言うと、お姉さんはレディのほうを見た。


「理由を聞いたけど教えてくれなかった。健太さんに最初に言うんだって決めているみたい。クロは頑固だから、こうと決めたら絶対に曲げない。だからね、いつか必ず教えてくれるって信じることにしたの。」


 レディは、まっすぐ僕を見た。


「明日、健太さんに話すって言っていたわ。」


 クロが明日、ここに来る。

 まさかその知らせを、レディから聞くとは思わなかった。


「クロちゃん、帰ってくるのね。」


 ユズの笑顔で、初めてクロが帰ってくると実感した。

 お姉さんとレディは、僕に伝言を伝えると、帰って行った。

 二人を見送ったあと、ユズはおもむろに立ち上がり、背伸びをした。


「ユズ、帰るの?」


 賑やかだったこの場所が、突然静かになる……。

 僕は戸惑い、寂しく思った。


「ええ、私も帰らないと。あなたの家族もそろそろ起きる時間でしょう?」


 僕の気持ちを察しての言葉だろう。ユズの、そんな優しさが嬉しかった。


「うん、そうだね。忘れてた。」


 壁の鳩時計は、家族の起きる時間を指していた。


「健太、……良かったわね。」


 やんわりとした、ユズの言葉。声も言葉も、まるで綿菓子を思わせるレディのとは違う、ユズ独特の響き。


 僕は、ここが好きになったのだ。

 そうか、僕は『恋』をしたのか。


「明日は、来ないことにするわ。」


 ぼんやりしていた僕は、ユズが何を言っているのか、よく分からなかった。


「クロちゃん、あなたと話がしたいんでしょう? 私がここにいるのを、彼は望まないと思うわ。」


 ユズはにっこり笑って、じゃあねと帰って行った。

 僕は、朝靄が消えて夏の顔に変わる街並みを、ぼんやりと眺めていた。



*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*



「いよいよ、帰ってくるのか。」


「クロさんの言葉が、気になりますね。」


 ふたりは、今まで以上に真剣な顔で話を聞いていた。この物語の幕が降りるときが来たのだと、おそらく察しているのだろう。そして物語の最後を迎えたとき、彼らは何を感じ、語るのだろう。期待と不安が入り混じる。


「さて、その次の日のことだが……、」


 私は、緊張の面持ちで彼らに最後の物語を語った。



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