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思い出の日記  作者: 福子
12/32

7月30日:レディ



 すがすがしい朝。


 個性的だけど、大好きな家族。

 大切な友だちは、人間嫌いの変わり者。

 僕の猫生は今、最高だと思う。


 満ち足りている。


 僕の周りすべてが、キラキラと輝いて見える。そして僕は、いつもの窓から外を見て、クロがやってくるのを待っている。


「おう。」


 草をかき分けて、クロが顔を出した。


「おはよう。」


 挨拶を返し、僕は微笑んだ。


「珍しいね、クロが挨拶してくれるなんて。」


 ぶっきらぼうな一言でも、クロが挨拶してくれたのが嬉しかった。でも、クロからの返事はなく、僕の目をぼんやりと見ている。


「お前、声は出るか?」


 クロは、何を言いたいのだろう。


「声? もちろん、出るよ。」


 そう言って僕は、ニャーと鳴いて見せた。


「そうか。」


 クロはまた、黙ってしまった。

 今日のクロは、いつもと違う。様子がおかしい。


「俺にはな、」


 沈黙の後、クロがぽつりと話し始めた。


「変だと思うかもしれないが、犬の友がいるんだ。そいつ、どうやら飼い主に捨てられたらしいんだ。」


 降り始めた雨のように、ぽつ、ぽつと話すクロは、シェリーの話よりさらに話しづらそうに思えた。言葉も、たどたどしい。


 僕は、クロをうながしたりせず、クロが言葉を紡ぎだすのをじっと待った。


「白い、ふわふわした、綺麗な女の子なんだ。初めて会ったのは、山の中の、俺の縄張りだった。」


 ふわふわの、白い犬……。

 僕は、そっと繰り返した。


「名前は、レディ。警戒心はまるで無く、出会った俺に尻尾を振って嬉しそうに駆け寄って来たんだ。さすがに俺も驚いて、最初は威嚇(いかく)したんだが、そいつの心の叫び声を聞いて、威嚇をやめたんだ。」


 僕は、しっかりクロの目を見て次の言葉を待った。


 クロはきっと、大切なことを僕に伝えるために言葉を紡ぎだしているに違いない。

 苦しそうに言葉を生み出すクロの様子は、『紡ぎだす』というより、なんだか、『絞り出す』といった印象を受けた。


「『助けて、お腹が空いたの。』って、その犬は訴えていたんだ。シェリーが死んだ直後だったのもあって、俺は、レディに近づいて事情を聞いた。」


「それで、捨てられたって分かったんだね。」


「ああ。だがレディには他の動物たちと明らかに違う特徴があるってことは、最初は俺も気づかなかったんだ。」


 今までとは違うざわめきが、胸の中を駆け巡った。


「いいヤツだったから、食い物を分けたりして何日か一緒にいたけど、レディが『違う』と知ったのは偶然だった。」


 クロは、何を伝えようとしているのだろう。今度は、どんな人間の闇が飛び出すのだろう。


「ちょうど恋の季節だったんだ。アイツ、俺に他の犬が近くにいると伝えたかったんだろう。口が動いているのは見えたんだが『何も聞こえなかった』んだ。」


「何も? 口が動いているのに?」


「ああ、『何も』だ。」


 落ちていくため息をついて、クロは続けた。


「犬は、猫と違って『吠える』よな?」


「そうだね。すごく大きな声だから、びっくりするよ。でも僕らにはできないことだね。」


「多分レディは吠えていたんだと思うんだが、まったく聞こえなかった。運良く近づいてきた犬には見つからなかったんだけどな、そんなことより、どうして何も聞こえなかったのか、俺はそっちが気になった。」


 ためらっているのか、クロは視線を落とした。


「だから、聞いたんだ。」


 僕の心臓が『聞いてはいけない、聞いてはいけない』と叫んでいる。



 知らないほうがいいことなんて、何一つないんだ。



 僕は、自分に言い聞かせた。そうしなければ、自分の声に負けてしまう。


「レディには、声帯がないんだ。」


「セイタイ?」


「声帯は、声を出すときに使うノドにある器官だ。それがなければ、声は出ない。」


 クロは冷静に、そして一つ一つ丁寧に説明してくれた。だからなのか、とても悲しく聞こえる。


「じゃあ、僕やクロにもあるんだね?」


「ああ。もちろん、……人間にもな。」


 声帯は、声の出る動物ならみんな持っているという。なぜレディには、それがないのだろう。


「手術したと言っていた。」


 クロの声は、やっと聞き取れるほど小さかった。


 手術をしたということは、重い病気にでもかかったのだろうか。


「まあ確かに、レディは病気のようなものだと言っていたが……。」


 今日のクロは、奥歯にものが挟まったような口ぶりだ。僕はクロの態度から、ある推測をした。


「あのさ、もしかして、飼い主に取られたんじゃないの?」


 クロは、僕の言葉に驚いていた。目をまん丸にして、口をぽかんと開けている。


「どうして……、それを?」


 やっぱりそうだった。


 僕はがっかりして、ため息をついた。


「前に、お母さんとお姉ちゃんが話していたのを思い出したの。あの頃は、何のことを話しているのかさっぱり分からなかったけれど、クロの言葉と態度でもしかしてと思って。正解したけど嬉しくないや……。」


 クロは、視線と肩をがっくりと落して、雨だれのように、ぽつぽつと話し始めた。


「その通りだ。レディは小さい頃、よく吠えて怒られたと言っていた。幼かった彼女は、吠えていいときと悪いときの区別がつかなかったんだ。彼女は何も分からなかっただけなんだ。それだけなのに、ある日レディは病院に連れて行かれて手術で声帯を取られたんだ。そのとき飼い主に『吠える病気だ』と言われたんだそうだ。」


 そもそも、犬が吠えるのは習性であって病気ではない。嬉しいとか怖いとか、あるいは威嚇とか、吠える必要があって吠えている。

 それに、僕ら動物は人間社会を知らないのだ。そんな僕らに吠えていいときと悪いときを、じっくり優しくしっかりと教えるのが、家族である飼い主たちの役割のはずだ。それなのに『吠える病気』だなんて、信じられない。


「声帯を取られても、レディは飼い主を恨まなかった。俺だって、彼女が幸せなら、こんなことを言ったりはしない。」


 ああ、そうだ。そうだった。


 クロは、首を横に振ってため息をつくことしかできない僕を見て続けた。


「あんなに可愛い、いい子が、声も奪われて、おまけに、おまけに、捨てられたんだ。」


 誰もいない山の中に、レディは置き去りにされた。クロと出会ったときは、どんなに心強かっただろう。白いふわふわの尻尾をちぎれんばかりに振って、喜びを表したのだろう。


 ぼんやりとした目を僕に向け、クロの言葉はまだ続いた。


「話が終わってから、レディに飼い主を恨んでいるのかどうか聞いたんだ。恨んでいないという答えが返ってきたが、問題はその次だった。」


 僕は飼い猫だ。レディの言葉は想像がつく。


「彼女は、『ご主人さまは私を必ず迎えに来ます』って言ったんだ。」


 クロの目が、憎悪の色に染まった。



「まただ! そんな言葉は、死んだお袋、シェリーでたくさんだ!」



 そこら中の動物たちすべてに聞こえるほどの大声で、クロは叫んだ。



*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*



「私の心の中は、泥棒に入られた後のようにぐちゃぐちゃだったよ。」


 話の最後にそう付け加えた。


「人間は本当に愚かな生き物だと、そのとき心から思ったんだ。」


 私は、ユズ、シェリー、そしてレディを思った。


「人間たちよ、お前ならどうだ!」


 人間には聞こえないことを、私はよく知っているけれど、もしかしたら誰かに届くかもしれない。誰か一人でいいから届いて欲しいと願い、心の声を響かせた。


 突然の私の大声に、翼を持つ二人の友は驚いて顔を見合わせたけれど、私は構わず続けた。



「自分の子どもを奪われたいか! 信じる者に捨てられたいか! 声を奪われたいか! レディにいたっては、おまけに捨てられ独りぼっちになったんだ! その心細さや悲しみが、お前たちには分からないのか!」



 鴉と鳶は下を向いて目をふせていた。

 私たち動物は泣いたりしないと、人間たちは思っているだろう。でも、私たちも『泣く』のだ。今まさに泣いている、彼らのように。



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