6.モフモフが苦手
「小学生の……ちょうど君たちと同じくらいの歳の頃だ。その当時は俺も、普通に動物は好きだった。けど、近所に野良犬がいて。ある日そいつに襲われた。手を噛まれたんだ。その時の痛み、恐怖。全部覚えている。……それ以来だな。動物に触れられなくなったのは……」
場所を移って、模布城公園のベンチに座りながら彼の話を聞く。周りには、ここに人気俳優がいると気づいた人はいなさそうだ。
なるほど。トラウマか。その時の経験を今も引きずっている。
「そんな。かわいそう……モフモフに触れないなんて」
「みんながみんな、お前みたいなのじゃないんだよ」
つむぎなら凶暴な野良犬にだって勝ってモフり倒すだろう。野生のクマにだって勝てそうな雰囲気あるし。いや、戦わせる気はないけど。
ショックを受けているつむぎは、もうひとつ思い至ったことがあって。
「でも、もふもふ侍にはモフモフと触れ合うシーンが結構ありますよね? 馬に乗るのは当然ですし、犬とか猫が出てくるシーンもあります。南蛮から持ち込まれたトラと対決するシーンとか有名ですし」
そんなシーンあるのか。すごいな昭和時代劇。
「今回もリメイクですし、正治さんも馬に乗ったりするんですよね?」
「それはそうだ。まだそのシーンを撮影していないだけ。リハーサルもまだだ。乗馬指導の先生に教えてもらう予定なんだよ」
「他にも犬と仲良くなったりとか」
「ああ。する。一作目にある、あのシーンのオマージュだ。そこの撮影もまだだ」
映画のストーリーの内容まで踏み込まれると、僕は話についていけなくなる。でもなんとなくわかった。
動物が苦手なこの男は、動物とたくさん触れ合う映画の主演になってしまった。
「なんでそんな仕事を引き受けたんだ」
「あの映画制作会社には昔からお世話になっていたから。大きなプロジェクトに、是非協力したかった。……まさか主演俳優に抜擢されるとは思わなかった」
脇役で、あまりモフモフとは関わらないキャラだと思ってたのか。
「確かに。初代もふもふ侍役の嵐山豪太さんは、正治さんとは違うタイプの役者さんですもんね。がっしりした体と、強そうな顔つきで。正治さんはどっちかというと、銀糸の世助の役とかが似合いそうです」
「そうなんだ。俺もそういう役のオファーだと思って受けたんだ」
だから。知らない名前と知らないキャラを出すな。
「イケメン枠というか、そういう層のファンにアピールするキャラが昭和の映画にはいたんだな」
なんでアユムが共感してるんだよ。というか、今もいるだろ。
とにかく話を戻すと、この男は思いがけずモフモフと触れ合う役に任命されてしまって、モフモフが苦手なことを周囲に言い出せないまま今に至ってしまった。
「これから動物と関わる撮影も出てくる。そして、今日のトークショーでもその話題が出てくる予定だったんだ。ファンが思っている俺は、動物にも優しく触れ合うようなかっこいい俳優。そう振るまわなければいけないのがプレッシャーで。それにファンのみんなの前で嘘をつくのが耐えられなくて……逃げた」
そして彼はまた顔を伏せた。トークショーに来なかった理由はそれ。
仕事を放り投げたことは責められるべきだ。そこを擁護はできない。けれど、根底の長坂正治という男の人の良さがあるのは伝わった。
嘘がつけない人なんだな。なのに隠し事をしている事実と、周囲の期待の板挟みになってしまった。
ちょっとだけ同情する気持ちは出てきた。
「正治さんは、さっき着てたファーは平気なんですか?」
「あれは噛まないからな」
「確かに。じゃあぬいぐるみは?」
「これも噛まない……と思うから平気だ」
つむぎが突きつけたシャチホコのぬいぐるみを、正治は恐る恐る撫でた。
シャチホコの口の辺りに手を近づけないあたり、ちょっと警戒しているのはわかる。
「じゃあ、ラフィオはモフモフできますか? 東京に住んでる正治さんも、魔法少女の戦いはテレビとかで見ていますよね?」
「ああ。見ていた。君があの白い獣なんだな……黒タイツたちに噛み付いて殺していて、なんだか怖かった」
「僕は人間を噛んだりしないよ」
「それはわかってるんだけど……どうしても想像してしまって」
これは大変だな。
「ラフィオ。わたし、この人を助けたい」
「気持ちはわかるけど、どうやって」
「モフモフに慣らせてあげるとか」
「慣らせる?」
「そう! モフモフを触れるようになれば、全部解決だよね! 正治さんだって、今のままじゃ駄目ってわかってるんですよね?」
「それは……もちろんだ。動物が苦手なのは、早々に克服しなければと思っている」
ニュースで主役をやると報道された上、あれだけ多くの人の前で公開撮影をしたわけだ。今更降板なんて言い出せない。
確かに、この男がモフモフを克服するのが一番穏当な解決方法なのは間違いない。
まあ、それに僕たちが協力する義理はないのだけど。よく知らない俳優が困っているとして、それに僕が手を差し伸べてやる必要はない。
ないのだけど、つむぎはやりたがっている。もふもふ侍の助けになりたいとか、そんな気持ちなんだろう。
暇な春休みの、良い過ごし方を見つけた、とかかもしれない。
余計なことに口を出すなと言いたいところだけど、残念ながら僕は、つむぎのことが好きだった。
やりたいと言うならやらせてあげたかった。
仕方がないな。