カエルのお守り
今年も夏のホラー企画に参加です。
平橋恵一くんは、小学校三年生の遊びたいざかりです。春夏秋冬なんのその。暑い夏だって、木陰を見つけて友達とゲームをするし、川のそばでは石投げして遊びます。寒い冬だって日が暮れるのも気にせず、ほっぺたを真っ赤にして遊ぶんです。
「早く、帰ってきなさいよ」
お母さんのお決まりのお小言もむなしく、恵一君は、はいはいはーいと元気よく返事をするばかり。一緒に住んでいる恵一君のおばあちゃんは、足腰は弱ってはいても元気なことに変わりありません。メガネの奥で目を細め、そんな恵一君をいつだってにこにこして見ているんです。
「いい?夕飯までには帰ってきてよ。ハンバーグだからね。ハンバーグ」
家を出る前、お母さんの言葉に、はいはいはーいと答えて元気よく出ていこうとしました。すると、茶の間でお茶を飲んでいたおばあちゃんが、のっそりと立ち上がりました。
「ちょっといいかい。けいちゃん」
なんでしょう。おばあちゃんまで、早く帰って来いと言うのでしょうか。
今まで、一度も恵一君に早く帰れと言ったことがありません。黙って待っていると、おばちゃんは小さなカエルの形をしたものを差し出しました。
「これなあに?」
「これはね。お守りだよ。必ず帰ってこれるようにって」
カエルの形をしたお守りはバッチでした。緑色の体に、目の色は赤い色。恵一君は、ちょっとカッコ悪いなと思いましたが、いつも帰りが遅いのを気にしていたので、文句も言わずに服につけました。
「それじゃあ、いってきまーす」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
はいはいはーいと外に出た恵一君。今日は何をして遊びましょうか。今日は外を思いっきり走り回りたい気分です。暑い日ではありますが、いつもよりは気温が低いので大丈夫でしょう。
友達の誰かを誘おうと、公園へ行く道をうろうろしていると猫を見つけました。黒っぽい色に白いまだら模様。まるで牛さんです。
「よーし。今日は、お前と一緒に遊ぼう」
猫は恵一君と遊びたくなんかありません。さっと近くの細い道に飛び込んでしまいました。
「おーい。ねこやーい。あそぼー」
猫を追いかけてあちこち走りまわった恵一君は汗まみれです。のどが渇いてきたので、近所の公園に戻って水でも飲みたい気分でした。恵一君が曲がり角を曲がると、小さな児童遊園が目の前に現れました。
「初めてみる公園だ」
ブランコにシーソー、小さな滑り台に、砂場もあります。水飲み場を見つけた恵一君は、走っていって蛇口をひねりました。
水しぶきが足に当たり冷たさに身体がほっとします。蛇口に口をつけないよう気をつけながら、ごくごくと飲むとすうっと気が楽になりました。
のどの渇きがおさまり、もう一度、公園をぐるりと見まわします。すると、先ほどまでいなかった女の子が、滑り台のそばに立っていました。
「こんにちは」
「こ、こ、こんにちは」
女の子に声をかけられて驚いた恵一君は、どもりながらも挨拶を返します。女の子はにこっと笑うとそばに寄ってきました。
「一緒に遊ぼ」
「え、いいけど。君、どこの子?」
恵一君の質問には答えずにこにこ笑っているばかりです。恵一君はおかしいなと思いましたが、近所の子に違いありません。知らない間に、近所でも知らない場所に来てしまったのです。
遊ぶ友達が欲しかった恵一君は、すぐに女の子と手をつないでブランコへ向かいました。ブランコでどちらが高くこげるか競争したり、滑り台をかわりばんこにすべったり、シーソーで遊んだり思った以上に楽しい時間を過ごします。
しかも、知らない間に、他にも男の子や女の子がやってきて、恵一君たちと鬼ごっこをしたり、缶蹴りをしたりと騒々しいことこの上ありません。同じ年ぐらいの子供たちが集まると、けんかもあるものですが、そういったこともなくただただ楽しく遊んでいました。
恵一君がおかしいなと気づいたのは、日が暮れるころでした。夏であっても夕方の五時や六時を過ぎれば、ひとり、またひとり家に帰る子がいるものです。誰一人として欠けることなく、それどころかどんどん子供が増えていくようでした。
さらにおかしいと思ったのは、先ほどまでの小さな公園ではなく、広くて大きな公園に変わっていることです。滑り台に、シーソーにブランコ、砂場は変わりませんが、子どもの人数に合わせて公園が広くなっているような気がしました。
「どうしたの?けいちゃん」
一番最初に会った女の子が恵一君の手を握りました。男の子はともかく、女の子は特に早く帰ることが多いのです。それなのに、女の子は帰るそぶりを見せません。
「うん。みんな、帰らなくっていいのかなって」
「帰る?」
「ほら、帰らないとお父さんとお母さんが心配するでしょ?」
恵一君はお母さんの顔を思い浮かべました。今ごろは、夕飯の支度をしながら、恵一君の帰りが遅いのを怒っていることでしょう。
「いいじゃない。帰らなくったって。みんなでずうっと遊んでいようよ」
このとき、ふと地面に目を落とした恵一君はひやりとしました。女の子の陰が、恵一君の陰に寄り添うようにしています。それだけじゃなく、どこからか黒い影がのびてきて、恵一君に陰に絡みつくようにしているのです。
顔を上げて、影の先をたどってみると、恵一君の方をじいっと見ている男の子と女の子がいました。影の向こうでは、夕日がどんどん沈んでいきます。
「ぼくは、帰らなきゃ。ハンバーグつくって待っていてくれるんだ。僕の大好物」
女の子の手をそっと放そうとしましたが、思った以上の強さで握ってきました。心臓がばくばくと音を立てます。女の子はにこにこ笑っているのに、目が笑っていません。そうっと視線を上げると、先ほどまでなかった角が二本、頭に生えていました。
「ハンバーグ。食べたいなら、うちで食べようよ。私のお母さんも上手だよ。ハンバーグ」
「僕は、家に帰って食べたいんだよ。僕のお母さんもとっても上手だからさ」
今度は思い切りよく腕をふって、女の子の手から逃れます。太陽はどんどん沈んで、今では藍色の空に星が輝きはじめていました。そのまま走り去ろうとした恵一君は、ずでんと転んでしまいました。誰も握っていたないのに、足首をぎゅうっとつかまれているようです。
「影だ、影が僕の足をつかんでるんだ」
絡みつくような子どもたちの影が恵一君を行かせまいとしているのでしょう。恵一君は、ぎゅうっと目を閉じました。
(かえりたい、かえりたいよ。だれか、たすけて)
この公園には子どもたちしかいません。遊んでいる間、一度として大人は通りがかりませんでした。恵一君は身体を震わせて、カエルのバッチに手をのばしました。
「帰りたい」
恵一君がつぶやいたとき、どこかでゲコゲコゲコ、カエルの鳴き声がしました。
かえりたい、かえりたい、かえろう、かえろう、お家へかえろう。なんてったって我が家が一番。
「何?カエルの鳴き声?なんか気味が悪い」
そばにいた女の子が耳を抑えながら後ずさりをはじめました。他の子どもたちも嫌そうに恵一君から距離を取り始めます。恵一君に絡みついていた影はほどけ、急に身体が軽くなりました。
かえろう、かえろう、さっさとかえろう。お家へかえろう。なんてったって我が家のごはんが一番。
「うわっ。いやだ!!」
女の子は汗をたらたら流しながら恵一君から離れていきます。他のこどもたちも蜘蛛の子を散らすようにして、公園から出ていきました。
かえろう、かえろう、さっさとかえろう。おうちへかえろう。よりみちなんかしないでかえろう。
にゃあんっとどこかで声がします。恵一君が立ち上がると目の前に、黒に白いまだらの猫がこっちを見ていました。恵一君は太陽の方を見ました、今にも沈みそうです。
かえろう、かえろう、はやくかえろう。おひさまがしずむまえに。すばやくかえろう。
「太陽が沈んじゃったら、やばいのかな」
よろよろと猫の後を追いかけていきます。先ほどまでの楽しい気分はどこへやら、足が震えて転びそうになるのを必死にこらえて走ります。
かえろう、かえろう、さっさとかえろう。闇夜にあっても道はひとつ。我が家へまっしぐら。
もうとっぷり日が暮れています。走りながら、恵一君はあちこちで変な声がするのを聞いていました。
「おやおや、わたしたちの仲間になるのかと思ったのにね」
「おかあさん、もうちょとだったのよ。わたし、けいちゃんのことすっごく気に入っていたのに」
「あ~あ。もっとあそびたかったな~。またおいでよ。今度は絶対、帰れないようにするからさ」
こそこそ、くすくす一体なんなのでしょう。恵一君は気が気じゃありません。必死で猫の後を追っていきます。
猫がぴゅっと曲がった先の角を曲がると、誰かにどしんとぶつかりました。
「けいちゃんい?」
「お、おばあちゃん」
恵一君はやさしいおばあちゃんの顔をみて泣き出しました。そう、家の前に出て恵一君が帰ってくるのを今か今かと待っていたのです。お家へ帰れたことがこれほどうれしかったことはありません。
かえった、かえった、ぶじにかえった。今日はおしまい。これでおしまい。これからは、もっと早く帰ろう。
ゲコゲコゲコ。どこからかカエルの鳴き声が聞こえてきました。
読んでくださりありがとうございました。