遺跡の街と、契約の話。
前話の文章に不備があったので、改良前にご覧いただいた方は再度ご確認をお願い致します。
大変申し訳ございませんでした。
「ーーすまない、準備に少し手こずった。」
少し時間がかかってラディアが戻ってきた。ローブはさっきと変わらず、背中には新しく大きな杖のようなものを装備している。
「えぇ、しゅんの靴は……」
「ぁ、えと……」
「無かったな。仕方ない、こちらの予備のを使え。」
そう言って、付近の靴箱らしき棚を開けて、中から靴を一足取り出す。所々に小さな傷があるが、長年に渡って大切に使われたような感じがする、襟の付いた革靴だ。
「え、いいんですか?」
「良い。街中は金属製のものがよく落ちているから、靴が無いと危ないのと、ちょうど古いのを処分したかったところだ。」
「処分って、予備じゃ……?」
「今度新しく買って、今のを予備にする。足に合えばいいが」
ラディアの矛盾にシュンはなんともいえないむず痒さを覚えた。契約をしてからというもの、とても気を使わせている気がする。
「ほら、履いてみろ」
それでも彼の言った通り、靴下のままでは足が辛い。というか、さっきまでよく何も刺さらなかったなとも思った。
シュンは素直に差し出された靴に、靴下を履いてから足を向けた。
やはり体格差があまりないためか、靴のサイズはなんら問題なかった。普段はスニーカーを履いているので、質感的にはどうしても違和感が残るが。
「ーーちょうどぴったしです。ほんと、ありがとうございます。」
「歩けるか?」
目を輝かせて礼を言い、早速立ち上がって歩いてみて、問題がないか確認する。
「はい、だいじょぶです。」
「なら良かった。では契約通り、例の家へ向かうぞ。」
さっさと行ってしまうラディアに、シュンはやはり微妙な矛盾を感じつつも急いで彼の背中を追いかける。あっさりしていてとんでもない世話焼きなのかもしれないが、貰うものが多すぎて怖い。
早くも先が不安だが、今はなにかに縋らなければ生きていけない状況だった。
外に出て、太陽を少し眩しく思いながらラディアの背を見つめる。
背中には大きな魔法使いの杖のようなのが装備されていた。木製の杖は途中で三、四回ほど折れ曲がって渦を作っており、その渦の真ん中にランプを引っ掛けている。陽の光で明るくて見にくいが、透明な瓶に薄紫の炎が閉じ込められていた。
フードの飾りの角やさっきの光景もそうだが、やはり魔法使いかなにかなのだろうかーーそう思っていると、
「そうだ。ずっと思っていたが、それはしないのか?」
ふと、ラディアは何かを思い出したかのように振り返りそう問いかける。
「それ、って?」
「その服の後ろについているだろう」
「フードのこと? する必要ない……とおもいますけど。」
何故そんなことを聞いてくるのだろうかと首を傾げるが、彼はこちらをしばらく見つめた後、「そうか」とだけ呟いて歩き始めた。
*
ーー街の名前は「トペリ」と言っただろうか。
建物はどれも古く、植物が多く無造作に絡み合っている工場の街。まるで生きている遺跡だ。
錆びた鉄骨の歩道橋のようなところに差し掛かる。歩道橋と言っても、この街に車が通る道路のような道はなく、四角い住宅と住宅の間にそれが伸びている。ところどころ住宅に木の板が伸びているため、そこから中に入るらしい。道を造るのが面倒臭かったのだろうか。
まだまだ知らないこと、慣れないことばかりだ。帰り方のヒントも、何も無い状況を少しでも打開したい。
歩道橋の階段を登り切ったところで、シュンは声をかけてみる。
「ラディアさん、この街って……街だから、なんていう国に属しているんですか?」
ラディアはそのまま歩きながらわかりやすく返答をしてくれた。
「元は国だったのが、今ではただの街だ。契約で外交や生活の規則を不変なものにしたため、王や政治を必要としなくなり、王が降りて王国だったのが街になった。」
「なんだか、壮大な……」
普通、社会というのは王やら政治家やら、そういった統治をする人間が必要なのではないのだろうか。
話を聞くに、要因になったのはその『契約』というものだ。ちょくちょく話に顔を出していたが、未だその正体が掴めない。
「原料を輸入して、決まった量の機器や生活必需品等を生産し、他国に輸出するだけの産業の街だ。生活は基本安定しており、犯罪もそうそうない。」
「他の国は機械とか作らないの? なんか、その言い方だと競争があんまりなさそうに聞こえて。」
「……確かに、経済というのは同じ物をつくる同士がその性能を競い合って発展していくものだ。工業製品を輸出して、原料を輸入するといった仕組みはこの街だけの話だが。ーーどうして文字の読み書きは出来ないのに、そういった知識はあるんだ……?」
ラディアは立ち止まり、顔を少しだけ無知なはずのシュンに傾けてふわりと疑問を投げかける。
その疑問が湧くのは当然で、流れ着いた孤児のはずなのに社会に対しての知識があるのだ。そんなシュンをとても異質に思う。
そんなシュンは何かよくわからないらしく、きょとんと小首を傾げるが、
「ーーぁ、そう、さっき言ってた『契約』のこととか、まだよくわかんなくて……さっき聞くのを忘れてたんだけども」
「…………。」
少年の中で、不信感のような呆れのような、「逆に何故それを知らないんだ」という感情になる。
この社会の在り方の根本的な要因が『契約』だと予想した上、単純に疑問が大きかったので素直に訊いてみるが。
固まるラディアとシュンの間に少しだけ停滞した空気が漂い、シュンが自身の発言に焦燥を感じ始めようとしたところでラディアが割る。
「……一応聞くが、どこからわからないんだ」
「えっと、ぜんぶです……」
「よくもまぁ、詐欺に遭わずに済んだものだ」
なんとなくその言葉でとてつもなく驚かれていることをようやく知りながら、怒らせてしまったわけではないと安心した。
「そういえば、普通なら名前が二つあることも知らなかったな……。」
「ほんと、世間知らず以上の存在ですみません。」
「…………」
乾いた笑いを浮かべるシュンに、ラディアの目が細くなる。
「今は契約についてだったな。この話が終わったらそちらの事情も聞かせてほしいところだが」
「あぁ。わ、かりました……」
怪しまれている、ということを知った。今更だが。
前提として、この世界でのシュンは流れ着いた子ども、「孤児」ということになっている。孤児にしては奇怪な部分が多いのだろう。しかし、シュンには本物の孤児がどういった言動をするのか全く想像が出来ない。
そもそもこの世界の人間ではないのだが、直接それを言ってもラディアは納得なんて出来ないだろう。なにか、良い感じの捏造を考えた方がいいかもしれない。
「単純に、契約とは運命を確定する力だ。それ以上でも以下でもない、そういう概念だと覚えてくれれば良い。」
「運命?」
歩みを再開して、ラディアは言う。
首を傾げつつシュンは追いかける。
「契約を交わすと、その交わした内容は必ず遂行されなければならない。たとえ本人にその義務を達成する力が無くとも、運命が力を与えてくれる。というものだ。」
「なんていうか……すごい、拘束力が強いというか」
「効力は絶対的だ。おかげで最近はその手の犯罪が増えているらしい。はやく呼ぶ方の名前を考えなくてはな。」
「確かに……!」
その手の犯罪とは、ついさっきさらりと言っていた詐欺などのことだろう。無知な子どもなどは標的になりやすいといえる。
「あと、効力が絶対的な分、結ぶのに少し手間がかかる。」
「さっきのやつですかね」
「ああ。まず紙に互いの要求を書く。要求の内容の確認を終えた後、次に互いの本名で署名をする。署名をする際は、必ず名前の持ち主が直筆で書くのがミソだ。」
「だからさっき書かせられたんだ……ん」
契約を結ぶ際のルールーーついさっき、彼が言った話と矛盾する箇所がある。
「じゃあ、呼ぶ方の名前はなくても良いんじゃ?」
「それが駄目になった。他人の名前で契約を交わせるようになる文具が発掘されて、名前を悪用される可能性があることから、呼び名の使用がされるようになった。」
「なるほど、それで……」
また気になる言葉が出てくるが、なにかと奥が深そうだ。追及するのはやめた。
少しだけこちらに顔を向けながら、ラディアは言う。
「それが今何処にあるかははっきりしていない。信頼の置けない人物には名前を教えない方がいいだろう。」
「じゃあ、やっぱりニックネーム考えた方が良いですかね」
「……まぁ、呼び名は何か考えた方がいいだろう。考えにくいところもあると思うが」
ラディアは少し戸惑ったように歩がゆっくりになりながら答えた。
しかし、彼の言った通り厄介なことになった。この世界での呼び名はその人自身を表すもので、本名というのは契約を結ぶ際のパスワードにしか使用しないのだ。
シュンにとって、この名前は自身を表す唯一の言葉なのだし。この件はとりあえず、ゆっくり考えることにした。
「あと、まだ工程がある。最後にその記入された紙を燃やさないといけない。」
「工程というか、ボツにしちゃった感がすごい。」
「実際そうなんだから仕方がないだろう。燃やすにしても、専用の炎で燃やさねばならん。没の場合は普通の火で燃やせ」
「専用の炎?」
そうシュンが尋ねると、ラディアは一旦立ち止まり、シュンもそれに少し驚きながら立ち止まる。
彼は背中の杖を引き抜くと、その杖に引っ掛かっているランプに指をさした。
「これのことだ。さっき交わしたのを燃やすときも、これを使用した。契約の炎だ。」
「契約の……さっきからずっと燃え続けてるけど、消えないんだね」
「消えるわけがないだろう。契約を結ぶ際に欠かせないものだからな」
「ーー例えるなら、オリンピックの聖火みたいな感じか。」
「何を言っているのか分からん。」
契約専用の炎ならそういった立ち位置かと思ったのだが、ようやくここが異世界なのだと思い出す。
確かに、炎にしては酸素や有機物を必要としていなさそうだ。瓶の中にぽんと小さく燃えているのだが、今思えば不自然である。
瓶の中の炎を覗き込んで、シュンは言う。
「これって一家に一個みたいな、そういう感じであったりするの?」
「無い。そこら中でぽんぽん軽々と契約をされては世界が大変なことになる。そうであるから、この火は特別なーー特定の人物にしか持てないようになっている」
「……じゃあ、ラディアさんは魔法使いみたいな、そんな感じなの?」
「契約は魔術とは全く異なるものだ。こちらはただ、この炎の管理をして生活をしているだけだ。」
空想上の世界の出来事が、目の前にある。
無邪気な子どものように、目をきらきらさせながら質問するシュンに、ラディアは淡々と返答をする。
そんなシュンの様子があまり気に入らなかったのか、彼は「もういいだろう」と呟いて杖を背中に装備し直し、
「ほら、今度はこちらの番だ。そのくらい分かれば充分だろう。」
やる気のない声で、まだまだある疑問を無かったことにされる。
シュンにとってはそんなことより、話に夢中であまり捏造を考えていないことに気づき、ラディアから目を逸らす。
「今更だがーー見たところそちらは、孤児でないように見える。その様子を見るに、あまり深いところは言えないようだが、言える範囲で良い。というか態度が出過ぎだ」
「既に色々バレてる……!」
観察眼というのか、ほとんど見抜かれてしまっている。自身は分かりやすい性格なのだろうか。
表情の固く、感情のあまり読めないラディアが再度歩を進める。
「というか、どうして孤児じゃないってーー」
「孤児だったらそんな綺麗な服は着ていないし、毎日風呂にも入っていない。孤児だと思い込んでいるだけじゃないのか?」
「そんなこと言われたって……実際家は無いし、頼りになる人もいないしで、困ってるのは事実といったら事実なんですが……」
説明が難しい。こことは別の世界から来たとか、本当のことを言ってしまえば余計混乱するだろう。
ラディアは背を向けたまま、ひとまず息をついて
「状況は読めんが、世間知らずにも程がある。どうしてこの世にいるのかがまず不可解だし、例えば」
やっぱり歩みを止めて、紫の鋭い目を真っ直ぐシュンに向けて言う。
「瞳の色が気になる。どうしてそんな赤い瞳をしていながら、正気でいられる?」
どきり、とシュンの心臓が高鳴った。
眼の色に関しては特に何も言われないと思い込んでいた。多種多様な人物が入り混じる、異世界なのだし、と。
それに、その質問の意味が分からない。真面目に正気かどうかなんて、人生で初めて訊かれた。
目を背けて指いじりをしながら首を傾げるシュンに、少年は続ける。
「……意味は知らなくても良いが、ともかく後ろのそれはしておいた方がいい。瞳と心は基本同じ色をしているのだから、心が病んでると思われるぞ。」
「なんでぇ」
「なんでもだ。さっきから話しすぎて疲れた。いずれ分かる。」
「いきなり適当になっちゃった……」
聞きたいことがあっても疲れたやら、さっきは予備の靴をくれるやらで、とことん前後の台詞が矛盾して何がしたいのかわからない。
とりあえずはこの世界のことを少し知れて良かったが、まだまだ知らないことだらけだ。未知の概念や文化など、まるでゲームなどの創作物の中にいるみたいだ。
シュンは言われた通りにパーカーのフードを被ると、ラディアの背を追いかけた。
*
「話しすぎて疲れた」と言ってから、しばらく歩くだけの時間だけが続いて、ふとラディアが口を開く。
「ーー少しだけ、寄り道をしてもいいか?」
「え。あ、はい」
急に話しかけられて、言葉が喉に引っかかりながらも返事をする。
「……なにするんですか?」
「仕事の話だ。」
「なんの仕事ですか?」
「見ればわかる。」
まださっきの会話の疲れが取れていないようだ。それとも知られたくない内容なのだろうか。
ーーそういえば、エフとの会話でラディアの話が少しだけ出てきた気がする。確か、『情報屋』と言っていたような……
「怪しい仕事?」
「何故そうなる。疾しいことは他人に見せんだろ、普通」
「じゃあ無知だから教えて欲しいなって。誤解したままになっちゃう、じぶん」
「誤解している自覚があるなら教えんでも大丈夫だろう。」
「……。」
素直に話してくれる気がない。言葉の理解と変換が早すぎてレスバが強そうだとか思った。
「寄り道先に着いたら奥で店主と話してくるから、おまえは店の前で待っててくれ。」
「……わかりました」
やっぱり怪しいなと思いながら、シュンは渋々返事をした。
ーーそうしてまたしばらくして、街並みが変化してきた。
立方体の建築群からぽつぽつと三角屋根の建物が見えてくる。通行人も増えてきた。
三角屋根の建物を見ていると、たまに看板らしきものがかけられている。当然文字は読めないが、何らかの店ということだろう。さっきまでの通りに店らしきものはあまりなく、何だか新鮮な気分だ。
「ここは?」
「……少し古い店などが小さく集まっている通りだ、ここの本屋に用がある。」
そう溢して立ち止まるラディアに、辺りをきょろきょろと見回しながら歩いていたシュンがぶつかりそうになる。
ちょうど、寄り道先に着いたらしい。
屋根の上に大きな看板がどかんと乗っかっている店だ。店の前には本がずらりと並んだ棚があり、店内に入りきらなくなったのか端の方にタワー積みでも本が置いてある。長年置いてあるのか、タワー積みの本は植物に侵食されつつあった。
店内にいた店員らしきエプロン姿の若い女性が、こちらを見かけて店から出てくる。
「ラディアさん! おじいちゃんまだ寝てるので起こしてきますね! 少しーー」
「いや、いい。それはこちらがやるから、こいつの監視をしてくれ」
女性の言葉を遮り断り、シュンの二の腕を強く差し出して、まるで面倒臭いものを扱うように言う。
当然女性は困惑して「その子は……?」と問いかける。
「孤児を拾ったのでレビリのところに押しつける予定だ。色々なものに興味が湧いて落ち着かないようで、遠くに行かれると困る。」
「押しつけるって、レビさんとこもいっぱい来ると困っちゃいますよ。それに、ラディアさんも昔いたじゃないですか、ガットくんとか」
「あいつは預かってただけだ。それに、こちらはそんなにいい環境じゃない。あとこんなのと一緒に過ごすと疲れる。」
「ひどい。」
知らない関係の世間話は、英語のリスニングを聞いているような感覚だった。最後だけはっきりと聞き取れたが。
そんな二人の様子に女性は笑って、「仲良いじゃないですかー」とちょっかいをかけながら店に戻り、ラディアはシュンの腕を引っ張り「よくないっ」と冷静そうに返してついていく。シュンはそれに合わせる。
店の中はやはり本に囲まれていて、壁は本棚、中心の円テーブルにもタワー積みの本が天井近くまで積まれている。
長机の上の一部、色々な模様や絵、記号のような文字の並ぶ装丁。プラスチックのカバーが主だったシュンからしてみれば、とても非現実的で興味深かった。
「それでは、用を済ませてくるのでここにいろ。すぐ終わるから」
「あ、はーい。」
こういう人の「すぐ終わる」は案外信用ならないんだよなと思いながら、シュンはとりあえずの返事をする。ラディアはシュンを引っ張っていた手を放して、店の奥に消えた。
残った二人で、一旦顔を見合わせる。二人に共通した人物がいないのと、シュンが人見知りなために気まずい空気が漂うのかと思いきや、
「えぇと、私はヒネって言うの。あなたは?」
「ーーじぶんは、シュンって言います」
「シュンちゃんか。ここら辺の本は好きに見ていって良いからね。私はここのお掃除とかしてるから。」
「あ、ありがとうございます……」
女性ーーヒネは、柔らかい笑みと言葉を述べて、近くに置いてあったハタキを手に取って仕事に戻る。こちらに背を向けるとき、縛った長いポニーテールがふわりと揺れる。
あまりコミュニケーションが取れなさそうだと判断してくれたのだろうか、少しだけありがたく思った。
さてと、自身の方は暇になりそうだ。
まず字が読めない。本は字が読める前提の物なので絶望的である。既にあの文字表を忘れてしまっている。
適当な本棚の前に立ってみる。文庫本サイズほどのものを一冊手に取って、一枚一枚捲っていく。日本の本に慣れてしまっているので、おそらく洋書のように左から右へ綴られる文字列と、捲るページとに違和感を覚える。
しかし、本が読めないのではやはりつまらない。持ち出した本を元の場所へ差し戻して、今度は絵のついた表紙を探す。いちいち本棚から抜いて戻してを繰り返すのは面倒臭いので、長机の仰向けになって並んでいる本を眺めていく。
本屋の商品の置き方というのは人気の本をこうして見やすく重ねて置いているものだが、異世界の本屋は違うらしい。この本屋だけかもしれないが、適当な一冊を傾けて下の本を覗くと、全く別の顔が出てきた。どういった法則で置かれているのかは分からないが、ここに並んでいる本はどれも一冊一冊が違うような感じがする。まるで、本好きのマニアがコレクションとして集めたような、そんな空間だった。売り物で良いのだろうか。
ふと、とある表紙が目に留まる。シュンは字が読めないので、興味の湧く要因は絵でしかない。
一匹の小鳥が描かれた厚い本だ。あまり色は塗れないのか、輪郭と模様だけだが、印象深い可愛らしい鳥だ。
表紙を捲る。さっきと同様の輪郭だけの風景の絵だ、言葉も少し添えられている。
捲る、表紙にいた小鳥の絵に加えて、様々な種類の鳥が数匹ほど。
捲る、また鳥の絵。数ページしばらく、鳥の絵が続く。
捲る、今度は風景だ。時計塔のような建物がある。
捲る、次は別の塔ーー
「それ、ラディアさんが描いたんだよ。」
背後から聞こえた声に、シュンは「わっ!」と声を上げてしまう。
「ごめんごめん! ほら、今シュンちゃんが見てるやつがさ」
「ーーラディアさんが描いたって……。」
「そう、この街の景色とか生き物とか、いろいろ描いてくれたんだ」
「描いてくれた……?」
さっきとは違ったヒネの言い方に首を傾げる。
「今あたしのおじいちゃんとラディアさんが何か企んでるじゃない? ずっと前に、おじいちゃんがラディアさんの絵を見て、トペリの図鑑を作ろうって言い出したの。この街、昔から変わり映えしないしあまり価値もないかなってあたしも思ったんだけど、ラディアさんの絵を見たら、作りたくなる気持ちがわかっちゃって。吸い込まれるよね、この人の絵。」
少々興奮気味に言うヒネに納得した。
この街の図鑑ーーこの鳥はきっとこの街に生息していて、この景色はトペリのものだと知った。
しかし、どうして街の図鑑なのだろう。鳥とか、花とか、図鑑といえばのイメージがそこにある。
「でもおじいちゃんもひどいよね。ラディアさん一人にこんなに描かせたんだよ? あたしが生まれるずっと前……、おじいちゃんがちょうど大人になったくらいにラディアさんに出会って、出来たのが一年前くらい……?」
「……えっ?」
「びっくりするよね〜、どうしておじいちゃんは人生かけてこんなことしたんだろうって。少しは写真を使っても良いと思うんだけど。」
「そこじゃなくって……」
「うん?」
なんだか時系列がおかしい。困惑するシュンに、ヒネもシュンが何に疑問を抱いているのか分からず少しだけカオスな状態だ。
「ラディアさんって……なんか、おじいさんがいる頃からいるというか……?」
「えぇえ? ーーーーあぁ。確かあの人、老いることも死ぬこともない種族なんだって。トペリが出来た頃からずっといるっていうのもあって、それで図鑑の製作におじいちゃんから執着されてたらしいの。」
シュンの疑問にようやく気づいてヒネは話す。
端的に言えば、ラディアは不老不死の種族ということらしい。少年の姿で老人のような堅い話し方が、今思えばそれを裏付けているように思う。
「なるほどなぁ……というか、執着って……」
ヒネの祖父の計画に、ラディアが乗り気でなかったことが伺える。
それでも今ここに来ているのは、製作をしているうちに仲が深まったとか、そういった感じなのだろうか。
「絶対にラディアさんのが良いんだって、譲らなかったよ。たまたまラディアさんの気分が良くて外に絵を描きに行っているところを、おじいちゃんがはやく見せろって邪魔しに行った日もあるけど」
「…………」
逆に、どうして出版できたんだろうと疑問が湧いてきた。
こうしてヒネは祖父を貶すところをよく見るが、シュンの持っていた図鑑に目を落として、
「でも、完成したときは嬉しかったなぁ。どこも特別で、今までに無いわくわく感があってさ……結局、すんごく売れるってことはなかったけど、ここに置いてあるとたまにこうやって捲っちゃうんだよね……。」
それはどことなく寂しげに、虚しいように聞こえた。
沢山の思い入れを込めて完成させた作品が、大衆に認められないなんていうのはよくある話だ。どうしても、多くの人の琴線を揺るがす作品を作るのは難しい。
ヒネの声はぬるかった。それを知って、理解している声だ。彼女は物心がついたときから至近距離で二人を見ていたのだから、図鑑に対する期待もあったのだろう。
「まぁ、ほとんどラディアさんの絵だから、もはや画集なんだけどね。変に内容を絞り出す必要無かったと思うんだけどなぁ」
「ラディアさんって、絵を描く仕事をしてるんですか?」
「ううん、趣味だって。普段は依頼を受けてお店の張り紙を作ったり、機械の製造所の情報を集めて仕事のない人に紹介したりって色々してるけど、その合間合間に描いてくれてたっぽい」
ラディアは見れば分かると言っていたが、姿が見えない以上何もわからない、おそらくは単なる面倒臭がりだろう。今こうして「情報屋」の意味を知れることが出来たなら、それはそれで良い。
「ーーちなみに、こっちはどういうことが書かれてるんですか?」
「大体歴史かな。機械の話は細かく書けないから、あとは街の地図とか風景、昔流行ったものとかもたくさんあるし、歴史と言っても、やっぱり一番はーー」
指折り数えながら、楽しそうにヒネは語る。
それを聞くシュンも、なんだかワクワクしてきた。
「勇者さまのこと。半分以上、勇者さまのお話なんだよ。」
「勇者……?」シュンにとって、創作の世界にだけ見かける言葉を反芻する。
街の歴史であるから、実在した人物なのだろう。
「そんなに長いお話なんですか?」
「うん、世界が危機に陥るたんびに救ってくださったから、その大雑把な内容が書いてあって……やっぱりトペリといえばだよねぇ」
「ーー勇者さまって、どういう感じの人なんですか?」
この世界でかなりの有名人らしい、『勇者』について訊いてみる。中々に壮大な話の予感がした。
「こっちに伝記があるの、来て」
背中を向けて言うヒネに、シュンは図鑑を元あった場所に置いてついていく。店の外、本が並べられている棚へと向かう。
「これ全部、勇者さまの伝記。」
「こんなに……⁉︎」
「そう、全員で八十六人! 数百年に一回、世界に危機が迫っては現れて助けてくれたんだ。その記録のほとんどがここに記されてるの」
ラディアの図鑑とは負けないくらい厚い本の一冊一冊が、二段ある店の顔の本棚をちょうど全て埋めている。
思った以上に壮大だった。世界を凝縮してひとつにしたような、今の自身はそんな眺めを見ているかもしれないと思った。
「多すぎて意味わかんないよね。毎回記録を作るの大変だと思うんだけど、後の人たちが勇者さまをどう支援するか、勉強できるように作られているんだって。まぁ、大体歴史が好きな人しか買わないんだけどさ。」
「……その、勇者さまって、何者なんでしょうか。なんだか、世界が危なくなるときにちょうど現れているみたいに聞こえて。」
現れるのなら、偶然が多すぎる。ヒネの説明不足だけかもしれないが、シュンはこの話題に興味津々で、事実を知りたい。
「う〜んとね、ちょっと説明がしにくいんだけど……こことは別の世界? から勇者さまを連れてきて……」
「ーー!」
ーー別の世界から連れてくる。
突然異世界に流れ着いてしまったシュンに、それが重なった気がして。
ーーそれじゃあ、自分がその『勇者』なのか? そんなまさか。
「ーー勇者伝説か。そういえば、そんな時期だったな。」
ヒネの声は遠く、考え事に没頭しているシュンに、聞き覚えのある声が帰ってくる。
「あ、ラディアさん。今シュンちゃんと勇者さまについて話してたんですよ。あれ、おじいちゃんはどうしたんですか?」
「例の件について断り続けていたら不貞寝した。もう身体も強くないからと言って、寝過ぎだあいつは」
「まぁ、お店の掃除も孫に任せるくらいですし。あとで叩き起こしてきます」
話し合いの内容についても気になるが、やはりヒネの祖父は怠惰な性格であるらしかった。扱いは可哀想だが、話を聞く限りその様子なら当然な気がした。
「あ。これ見て思い出したんですが、今回のお祭りで来る勇者さまが八十七人目ということで、八十七の語呂合わせでお花がいっぱい飾られてるらしいですよ。トペリはそこら中にお花も咲いているし、雰囲気もすごいピッタシですよね」
「そうか。この後行く予定はあるのか?」
「お昼を食べたら行ってみようと思います。今度の計画、楽しみにしてるのでまた来てくださいね!」
「しないと言っているだろ、何度言えば……はぁ…………」
珍しく深刻そうにため息を吐く。
「おじいちゃん」の熱血さは微妙に孫に受け継がれているらしいのか、ラディアの絵が好きだからなのか、笑顔で言うヒネは親愛に溢れていた。
それはそうと、シュンは今さっきの話で頭がいっぱいだった。
「それじゃあもう行く。しゅん」
「ーーあっ、はい。あの、色々教えてくれてありがとうございました」
「こちらこそ。またいつでも来てね」
名前を呼ばれてようやく我を取り戻したシュンはヒネに感謝の言葉とお辞儀をして、ラディアについていく。
ずいずい本屋を離れるラディアの背を後ろ歩きで数歩だけ追いながら、笑顔で手を振るヒネに小さく手を振りかえして、距離の離れた少年の背を小走りで追いかけた。
*
またしばらくして、さっきと似たような立方体の住宅街の入り組んだ道を進むラディアに、シュンは質問を投げかける。
「ねぇラディアさん」
「なんだ」
「さっきの話について聞きたいんだけど」
「伝説のことか?」
「うん。」
ヒネは伝記と言っていたが、ラディアは伝説と言う。シュン的にはわくわくするので後者の呼び方のほうが気に入っている。
「勇者の話とか、なんか、今日のお祭り? にも関係してるって」
「あまり勇者を呼び捨てにする人物はいないぞ。今ここに過激派がここにいたら殴られていただろうな。」
「なん? 勇者様ガチ勢いるの?」
「半分冗談、半分本気だ。現に一つの宗教として勇者信仰がある。というか『がちぜい』ってなんだ」
シュンは冗談を間に受けるのに対し、ラディアは知らない言葉で反応されて困惑する。
「勇者様って、神様かなにかなの?」
「神と例えるのなら彼らは現人神になるのだろうな。とは言っても、神以外のものを信仰する宗教はあるだろう。」
「たしかに」
「今日の祭りも勇者のために開かれている。数百年に一度の行事だな」
信仰とは人智を超えたものや未知の力、例えば自然に関するものなどに対して尊び、大きな信頼を寄せることだ。ひとまずシュンはそのことを再確認する。おそらくこれは「勇者」についても当てはまることだ。
「勇者はこの世界の腫瘍を壊すことが出来る。生き物が病気を患うのと同様に、この世界も欠陥を抱えており、腫瘍を壊すことが出来てもまた再発する。そうしてまた勇者を呼ぶのを繰り返しているといったものだな。」
「……じゃあ、お医者さんに例えればいい感じになるね」
ラディアはシュンの楽観的な表現を無視して話を続ける。
「そのことから勇者が信仰されている訳だが、他にも質問はあるか」
「なんで勇者様はお医者さん出来るの?」
「そんなん知らん。」
「ラディアさんでも知らないことあるの?」
「こちらは歩く図書館とかではないし、いくら文明が発達しても知れないことはあるだろう」
純粋な気持ちで質問するも、ラディアにとってはそれが鬱陶しい様子だ。尖った言い方をされて、シュンは少し後悔した。あんまりぐいぐい口を出してはいけない。
しばらく会話を控えようと思い、一番聞きたかったことを聞くことにする。
「勇者様さ、別の世界から呼ぶって言ってたじゃん。」
「……ああ」
「ーー勇者様は、自分がこの世界の勇者だって、いつ言われるの?」
質問の順番を飛ばしてしまっただろうか。
ラディアは少しの沈黙と、歩みが重くなったように感じる。彼が何を考えているか、分からない。また突拍子のない質問をされて、頭がおかしくなっていたら申し訳ないと思って、
「ぁ、えと……勇者様もいきなりここに来たらよくわかんなくて混乱するんじゃーー」
「最初に告げられる。なので、その心配はない。」
疑問を抱いた経緯を無理にでも説明しようとして、それを遮りだが答えを返してくれた。
シュンは安心した。今一番知りたいことを知れたのと、一番欲しい言葉で良かった。何百年も生きている彼だからこそ、信頼できる。
「…………そっか。ありがとう、ラディアさん。」
笑顔で礼を言うシュンに、ラディアは無反応でいた。
*
ーーまたしばらくは、街の風景を眺めながら歩いていた。
立方体の住宅街は人があまりおらず、あまり変わり映えのしない景色が続いた。
その次は工場のような、蒸気やら歯車やら配管やらがやたら多い所に出た。排煙だろうか、知らないにおいがする。ガスのような、少しだけ気分を害すようなにおいでないのが不思議だ。
あちこちで人が忙しそうに動いている中、どこが通行人の道なのか分からないが、ラディアは様々な場所を突っ切る。なんらかの機械の操作をしている人、機器の部品の分別をしているような人、男女問わずのこうした仕事場の様子を横目に見ながら歩くのは工場見学をしているような気分になった。それ以前にここを歩いていいのかと疑問に思ったが、当の労働者達はこちらのことを何の気にも留めず働いているので大丈夫なのだろう。
こうしてトペリの様々な場所を巡ったが、やはりどこの建物も古く、植物の蔦がまとわりついているのに気づく。
文明の進化の止まったような街並みに興味が湧かないはずもないが、しかし今はそれどころじゃない。
「……ね、らでぃあさん…………」
「? どうした」
「めちゃ歩いて……つかれた……」
工場の街と、これまた今までと違った形の建物の街とを隔てる川の橋の上で、シュンは手すりにつかまって音を上げる。
「このくらいで何を言う。まだあるぞ」
「『このくらい』って、てぇ……」
これでも頑張って歩いた方だと思っていたが、この街は広すぎる。思えば立方体の街も、ぽつぽつ店のある街も、工場の街も、三つも制覇している。立方体の方に至っては二、三回ほど歩いた気がする。元いた場所が車や飛行機やらの文明の利器で時間距離の感覚が狂い、引きこもり気味のシュンには、歩いててもここらが限界である。
「もっとすぐ着くものだと思ってたよ……」
「体力もないのか……悩ましいものだな」
「『も』って何だよ。」
やはり異世界人は違う。ラディアがヒトかどうかは別として、文明の進み続けた世界にいたシュンよりも体力が多いのは間違いないだろう。
「というか、あとどれくらいで着くの?」
「……」
「ラディアさん?」
「……なんだ。」
「なんで目ぇ逸らすの?」
何故か突然視線を合わせてくれなくなる。
視線の先を追ってみたが特に何もなく、なにか隠しているのでないかと推測する。
「ーーヤマしい理由なの?」
「…………そうだが。」
「わぁお」
意外と早々に開き直る。開き直り方も、腕を組んで堂々としていて、なんだかかっこいいなと適当に思う。
「どういうヤマしいことしたの?」
「……迂回だ」
「どれくらい?」
「ーーあそこに時計塔が見えるだろ」
「言い訳か?」
「うるさいっ、説明だ」
シュンは毒を吐きつつも、ラディアが指差した方向を見る。最上部の壁が一部崩れてしまっているが、中身の大きな機械は剥き出しに、何故か外の針も残っている。
「……なんか壊れてるけど」
「壊れているのは知らんが、あれが街の中心だ。あれの周辺と、駅までの馬鹿長い大通りが祭りの地だ。」
苛つきを抑えたような声音で説明する。
「こちらの家は、おまえの行く家が大通りを挟んだ向こう側のすぐにある。」
「うん。」
「対してこちらは、祭りで騒がしい大通りなんて行きたくない。」
「あれ?」
「逆に考えろ。雑踏で迷子にでもなったらどうする。案内できなかったらこちらが契約違反になるだろう。今日は治安も悪いだろうし。」
「ラディアさん分かりやすいから大丈夫だよ、チャームポイントもあるし」
特に角やら杖やら、全体は暗めの色であるが目立つ格好をしている。
「つまりは大通りを突っ切れば良いのに、ものすんっごい距離の遠回りしてるってこと?」
「うん」
「『うん』じゃないよ」
心配性なのか我儘なのか、中途半端な理由で随分な遠回りをしたものだ。
「しかし、ついでにいくつか用事も済ませられたし、得をしたな。」
「ラディアさんがね? あと本屋さんのとこはどうなんだ」
実は二人無言で歩いている際に、ラディアは何度か話しかけられていた。意外と有名人なのらしい。どれも世間話やら、仕事の話やらを数分やって別れてを繰り返していた。
「仕方がない。ちょうど半分のところに来ているので、今から戻っても変わらん。」
「こっちが無知なのを利用してぇ……。」
それでも、突然ここに来てしまった自身を導いてくれるのはありがたいことだし。対価を払えない分、彼の「ついで」を横で見るのも対価といえばそうなのかもしれない。
特になんとも思っていないような素振りでラディアが訊く。
「それで、どのくらい休憩すれば再開できる?」
「ほんのちょっと休んだらすぐいけーーーーるよ、多分。」
「……」
言い終わる前に腹の音が盛大に鳴る。そういえばここに来てから何も食べていなかった。
少しだけ頬を赤らめて、腹をさすりながら川を眺めるシュンに、ラディアは空を見上げながら
「ちょうど昼時だ、何か食べよう。」
まるでさっきのことを無かったことにするチャンスを見つけたように素早く言った。
「ーーで、この中でどれが良い?」
「どれって言われても……」
橋の向こう側は繁華街のような場所で、食の露店がずらりと並んでいた。キッチンカーとまでは行かないが、そういった料理を提供してくれる小さな店が多くある感じだ。今日は祭りと聞いていたが、昼時のこの時間にしては人が少なく、穴場のような感じだろうか。
香ばしい匂いが常に漂っているため、口の中で唾液の分泌量がすごいことになっている。
ラディアは客足があまりない一件の看板を指差してそう訊くが、看板には文字だけで図も絵もないのでシュンは困る。ついでにいうと、店頭には何も置いておらず、店内からは嗅いだこともない、けれど何かを焼いたような匂いがする。少し怪しい。
「そうだった、文字が読めなかったな。」
「おすすめは?」
「ふむーー、やはり健康に気をつけるなら野菜だな。好き嫌いが多そうだが。」
「今のところ健康については問題ないと思うけど、野菜は好きだよ。」
やはり不老不死でも、何年も生き続ければ健康を気にするのだろうか。不老不死だから健康は気にしなくて良いとも思うし、不老不死になったことがないから実際どういうものなのか分からないが……とりあえず、考えるのをやめた。
「ちなみにどういう料理があるの?」
「大体は具をパンで挟んで食べる軽食だな。トカゲの串焼きもある」
「このにおいトカゲだったのか! でもそれ以外ならただのサンドイッチ屋さんか、良かった……」
流石は異世界、食文化もずば抜けている。
「やはり、好き嫌いがあまりないのと言えばキャベツあたりだろうか。」
「キャベツは好きだよ」
「トマトは?」
「だいじょぶ」
「決まりだな。」
意外と異世界でも野菜は共通しているのだなと思った。確かにキャベツの好き嫌いはあまり見ない気がする。案外すんなりと決まってしまった。
ラディアが店頭にて注文をする。その間シュンは看板の隣に立って、少年と料理を心待ちにする。
少し経って、ラディアが料理を両手に戻ってくる。
「ほら食え」と言って差し出してきたのは、正方形のパンに野菜や小さな干し肉を挟んだ物で、食べやすいように紙がついている。
やっと食事にありつける。嬉しさいっぱいにそれを受け取ろうとすると、少年のもう片方の手にある物でシュンは固まる。
「ーーラディアさん、それ……」
「トカゲだが。いる」
「いらないです」
串に刺さった丸々一匹のトカゲを二本。食い気味にシュンは断った。
*
トカゲの店の近くの路地裏、壁際に腰を下ろして、二人で食事タイム。
「いただきまーす」と呟いてサンドイッチに大きく噛みつくと、新鮮な野菜の食感と干し肉のスパイシーさが口内を支配する。
「んまぁ……!」
「よく噛めよ」
「うん。」
互いに口に物を含みながらの会話だ。この際礼儀などはどうでも良く、シュンは生きている喜びを実感している。
噛みついて咀嚼をするたび、シュンは「んー……!」「んまい……」と声を漏らしていたが、ラディアはラディアでトカゲを食すのに夢中である。
そうしてしばらく食べ進め、小さな干し肉を先に食べ終えてしまい、野菜だけになってあることに気づく。厚切りのトマトはほどよい酸味と中の液体とでパンによる口内の乾燥を防いでくれるが、問題はキャベツだ。薄い黄緑色の葉が二枚トマトを挟む形であり、みずみずしくシャキシャキとした食感で……
「ねぇラディアさん。」
「なんだ」
「これレタスじゃないの?」
確かにキャベツとレタスは見分けるのが難しいが、サラダなど生野菜の状態で使われるのがレタスで、生のキャベツは固く、茹でたり焼いたりしないと食せない。
正直どうでも良い内容だが、少し気になってしまった。
ラディアの方を見ると二本目のトカゲに移行しており、ちょうどそれの腕を口で摘んで引きちぎっているところだった。
「キャベツだぞ。」
「レタスだって。」
「レタスはもっと硬いはずだ。それの具材には適さない」
「おぉ?」
自身の知識と正反対のことを言われ、シュンは混乱する。
ややこしい話だが、ラディアはキャベツとレタスの違いを知っているのだ。しかし、レタスは硬い、キャベツは柔らかいという風に、彼の知識が間違っているのか、認識の違いで頭がごちゃごちゃになってしまう。
「一部の一般常識は知らんのに、レタスキャベツ論争は出来るのか。」
「なにそれ」
「どちらがレタスかキャベツかで争うやつだ。柔らかいのがレタスなのかキャベツなのか、硬いのがレタスなのかキャベツなのか、今日まで様々なところで争われている。」
「予想はついてた」
例えるなら某ハンバーガーチェーン店の略称とか、名前が多すぎる餡子の和菓子とか、そんな感じなのだろうか。
「まぁ、どっちもどっちで構わないが、それにしてもトカゲはうまい」
「急に話変えたな……ちなみに、それってどういう味がするの?」
「うまい。」
「それだけじゃ分かんないよ」
確かに「旨味」という味は基本味としてあるが、ラディアの適当に言っているのはそれではないだろう。
レタスキャベツ論争はすっかり忘れて、シュンはラディアの食べている「トカゲ」に興味津々だ。
トカゲは長い尻尾の付け根から脳天にかけて木製らしき串が刺さっており、全身が真っ黒だが焦げてそうなっているわけではないようだ。においはまだ嗅いだばかりなので美味しそうという判断はしにくく、まずその第一印象から食欲を殺しにかかっている。
「肉は弾力があって、特に手足などは筋が多少あって噛み切るのに少し時間がかかる。味はとり肉に似たさっぱり寄りのもので、加工の際に鱗と骨は取り除かれているので食べやすく、なにより値段が安い。」
「わぁ饒舌だぁ」
説明がいきなりゼロから百になった。最初からそうして欲しいものだ。
本当に好物なのだろう、得意げに説明しているときのラディアの口角は、少し上がっているように見えた。その口からは小さな黒い手がはみ出ているが。
「栄養も豊富で一部の病気にも効くらしい。ともかく、健康的で財布にも優しい、味も良い、最高の食材だ。」
「ラディアさんがそういうなら……いつか食べてみようかなぁ……」
シュンにとってはその長所の大部分が、短所によって全部隠れてしまっているように見えて仕方がなかった。そのくらい、短所がでかすぎた。
*
ーー完食し、「ごみを捨てて、ついでに用も足してくるからここで待っていろ」と言われてから数分。シュンは路地裏にて、知り合いに出会ったらしいラディアが会話をしている様子を観察していた。
相手はラディアより少し下くらいの背丈の赤毛の幼い少女で、短い二つ結びの髪と大きな丸い眼鏡が印象的だ。髪色や緑のチェックのスカートが秋のイメージを彷彿とさせる。
どうやら面倒な相手らしく、少女が悪戯な笑顔を浮かべているのに対し、ラディアが苦い表情で受け答えをしているのが見える。知り合いに出会ったというより、面倒くさいのに絡まれたに近いだろうか。
どんな会話をしているかは知らないが、良くも悪くもラディアは話しかけやすいような人物な気がする。堅くて尖った口調の割に言葉が柔らかいからだろうか。仕草や行動で優しさがちらりと出たりするから、結構ちょっかいをかけられやすいようにも見える。
「すまない遅くなった、変なのに絡まれてた」
「大丈夫だよ。」
いつの間にか、少しだけ焦っている様子で戻ってきたラディアに、シュンはそう言いながら立ち上がる。
「友だち?」
「ただの知り合いだ。自分に危害しか加えんのは友達とは言わん」
「確かに」
何の会話をしていたかは知らないが、鬱陶しい相手はただ鬱陶しいだけなのは確かだ。
そうしたら、互いに友達だと認め合う関係も少ないのかもしれないと思う。利害の一致というのだろうか、どこか契約を思い出す。
契約といえば、そのことでラディアに聞きたいことがひとつあった。
「だいぶ疲れは取れただろ。そろそろ行こう」
「うん……。そういえばラディアさん、今更なんだけどさ」
歩みを再開してすぐに話を展開する。
「なんだ?」
「さっき契約の話したじゃん。それで、なんであんな契約したのかなと。」
「契約? ーーああ」
彼と出会って何の説明も無しに交わした契約だ。内容は、向こうに危害を加えない代わりに、孤児院のような施設へ案内してくれるというものだ。
『危害を加えない』というのに違和感を感じる。ふつう、生活をしている上で他人に暴力を振るう瞬間なんてほとんどないはずだ。
「もしかして、今までラディアさんの言ってた話はほとんど嘘だけど契約だけ本当で、じぶんは今から何の抵抗もなく人身売買されるってわけじゃないよね?」
「何の説明も無しに契ったのは悪かったが、その豊富な想像力はどこか別の場所に使った方がいいぞ。少々脚色はあるが、どれも本当のことだ」
「未だにレタスキャベツが信じられないんだけど……」
「あれも本当だ、歴史は忘れたが。」
無知ゆえに、全て騙されていたなんてことは無かったらしい。
「それに、例の家に連れてくと言っているのに人身売買してしまったら契約違反になってしまう。」
「違反したらどうなるの?」
「主に身体の一部が燃えて火傷を負う。契約の内容にもよるが、違反の仕方がとんでもないと、最悪全身が焼けて死ぬ。」
「死ぬの⁉︎ というか、すごい痛い目みるんだ……」
契約と炎の繋がりは切っても切れない関係らしい。
シュンはラディアを殴れば火傷をするし、ラディアはシュンを案内できなければ燃えてしまうというのは、罰が少々惨いなとも思った。前者は当然のことだが。
だからこそ絶対的な概念とも言えるかもしれない。
「とはいえ、本当にそれは契約の内容によるな。様々な事態を考慮して契約の内容を細かくすれば、違反になる可能性は無くなる。当然、この契約も普通にしていれば怪我を負うことはない。」
「なるほど……じゃあ、なんでラディアさんは暴力を振るわれないようにしたの? お金のやり取りとかにしないの?」
「単なる出来心だ。なんとなく契約した。」
「えぇ?」
彼にしては合理性に欠けた判断だ。絶対的な概念をそんな安易に使用して大丈夫なのだろうか。
「ーー契約とは基本、人々が平等に豊かな暮らしをするために設計された、人工の概念だ。主に自分の生活を守る術として、利用してほしいところだな。」
出来心で契約をした人物に言われても説得力が無いので、きっちりとした締めくくりの言い方にシュンは微妙な返事をした。
あとがき
一暁です。
前話では初夏のくらいに投稿すると書いたのに、気づけば真夏になってしまいました。ちなみに初夏とは五月から六月くらいの頃らしいです。個人的な感覚としては七月頭くらいが初夏だと思っていました、何故かわたしの目からは六月は夏に見えません。春かといえばそれも違うと思います。特殊な時期ですね、まず最近は季節のグラデーションが全く無くなったように感じますが。
この時期は外を甘く見ず、水分補給などを適切にして、熱中症などに気をつけてお過ごしください。
あとがきでは基本的に作品について長々と話そうと思います。
まず、この作品は設定が多いです。今回は主人公がラディアさんとの会話でこの世界を知っていくだけのパートになりましたが、これには当然理由があります。まず「異世界モノ」というジャンルはめっちゃ幅が広いです。異世界モノというのはやはり現実ではないので、そのファンタジーな世界観が想像しやすいというのがあるのではないでしょうか。あくまで個人的な感想ですが、そんなかんじの「書きやすい」という観点もあって、異世界モノはとんでもビッグジャンルに至ったのではないかなと思います。例えば刑事ドラマのようなのを書きたいと思ったら、その職業などのことについて勉強しなくてはいけないですし。小説は言葉の使い方にせよ、物語は基本的に知識が必要の前提で描かれなければならないとも思っていたりもします。
異世界モノ、というよりファンタジー作品は書きやすい観点もあれば、その世界観やら何ならを好きなように厚くすることだって出来ます。わたしのこれがそれです。わたしはスチームパンク大好き人間なので、トペリの街は全体的にスチームパンクな工場の街だったりとかそういうことです。そこでどういった人がどんな生活をしているのか、どうしてそういう感じになったのか、設定に理由を重ねて世界観を厚くしていくのもファンタジーを創る上で楽しみのひとつだと思っています。キャラクターを創る上でも同じです。考えるのが好きなので、創作がめちゃくちゃ楽しいです。
作品自体の深掘りをしようと思ったのですが、上記のことでなんだか面倒臭くなりました。こんなこと書いてないではやく投稿したい。前書きにあったように文章に不備があったり誤字脱字などあると思いますが、わたしは確認していません。良ければ教えてくださると嬉しいです。
次回は九、十の秋頃に頑張って投稿したいと思います。次は女の子がいっぱい出てきて少しわちゃわちゃします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!