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いかれた桃源郷。  作者: 一暁午後。
1/6

少年ら。

 それはひどく現実的だった。

 今、何かしらの塔の上に立っていて夜景を見ているところだが、風が頬を撫でているという感覚があった。

 こういったのは明晰夢といったか、初めての、とにかく新鮮な経験に胸を躍らせた。

 夜景は知らない街だった。明るい大きな水色の月に照らされて、夜なのに街灯はいらなそうだ。街の建物はごちゃごちゃとしていて、それは中々形容し難いが、高所からこうして景色を眺めるのは気持ちが良かった。


「こんばんは。」


 背後から声がした。普通の人の声とは、どこか違う男声だ。

 振り返ると、声の主らしき人物が立っていた。

 塔の中は暗くて、きっと男が立っていることしかわからない。


「きみに、渡したいものがあるんだ。」


 暗闇から現れたのは手紙だ。一通の手紙、それを特に何も思わず受け取る。


「これが無いと何も始まらないんだ。だから、ずっと持っててね」


 やはり夢の中だ。登場人物は当然のように意味深な言葉を言う。

 とりあえず言われた通りにしようと、手紙を半分に折ってポケットに突っ込む。


 ーー突っ込んだ瞬間、手紙を寄越した手が、自身の胸を強く押した。


 遮るものは何もなく、身体が宙に投げ出され、落ちていく。

 落ちていく最中、轟音が聞こえーー


 そこからはもう記憶がない。




 ーー布団の上とは違う、なにか、もっと柔らかい感覚がした。


「……まぶっ」


 陽の光に直接照らされて、咄嗟に目を手で覆い隠す。

 そんな自身の行為に違和感を感じた。自室で陽が眩しくて目を覆うなんてことは、これまで一度もなかったからだ。

 ばっと身体を起こして、周囲を見回す。

 自身が今いるところは自室でもなんでもなかった。やわらかい白の布地の上、そこが自身のいる場所。

 野外の見知らぬ場所、日本の街並みとは全く違った西洋のような石造りの街。薄黄色の石が建造物の壁にも地面にも使用されており、石と石の隙間からは雑草や苔などが生えていた。壁にはパイプが多く連なっており、蔦が絡んでいた。


「えぇ……どこ」


 今の状況に困惑しつつ、とりあえず自身の寝ていたところから降りる。改めてそれを見ると荷車のようなもので、柔らかい白い布がどっさり積まれていた。どうりで寝心地が良かった訳だ。

 とにかくこの場所を知るため、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出す。好きな人の笑顔が目に入り、地図のアプリを開こうとすると、画面左上の『圏外』という字が目に入る。

「あっダメだ」と溢して即座にスマホを仕舞っては、頼るものが完全になくなった。


 このままではどうしようもないので、とりあえず歩くことにした。

 今いる路地を出ると、大きな通りに差し掛かった。通りには人がちらほらいて、皆髪色や肌の色がそれぞれで、外国人のようだった。建造物はどれも古いようで苔や蔦が目立っておりどれも廃屋のようだったが、それとは対照的に色とりどりの飾り付けが出迎えてくれて妙に明るい雰囲気を醸していた。

 まるで異世界だ、と思う。実際はそんなことあるはずがないが、この状況下ではあり得る話だ。

 とにかく寝て起きてからの間に、何も知らない場所に迷い込んでしまったらしい。


 身なりは肩までの黒い髪で癖が強く、長い前髪で目を隠そうとしていた。身長は平均よりも低く童顔で、人によっては小学生くらいの幼さに見られる。実際は今年で十六だった。服装は適当な寝巻きで、灰色のトレーナーの上に裏起毛のパーカー、中学校の頃のジャージズボン、靴下だけだ。靴は当然無い。硬い石の道をしばらく歩いて既に足裏が痛い。


 ーー名前はシュン。瞳の色が赤いだけの、ただの日本人だ。


 持ち物は寝るときにポケットに入れっぱなしだったスマートフォンと、夢の中でもらった、半分に折れたぐしゃぐしゃの手紙だ。手元にあるということは夢ではないが、いきなり誰かに押しつけられて適当にポケットに突っ込んだことしか記憶にない。

 しかし、あの夢で既にこの世界にいたのだから、この手紙は頼りになるかもしれない。

 シュンは通りの端で立ち止まって、封を開けてみる。封筒の大きさは葉書ほどで、宛名や住所は一切書いていない。封は糊が全然ついていなかったのか、驚くほど脆く開いた。便箋は葉書と一緒で、薄い黄色の紙だ。取り出して、目を通す、期待の文章はーー


「………………よめない」


 当然、異世界の言語で埋め尽くされていた。


     *


 あれから数十分ほど経過して、今度はさっきと違う狭い通りの端でシュンは座り込んでいた。

 朝食は当然摂っておらず腹が鳴る。ただただ訳の分からない手紙を見つめて黙り込む。時間がとても速く過ぎていくように感じる。

 このままでは死んでしまう。頼れる場所や家、人など誰一人おらず、何より今までそれが当たり前の環境にいたシュンには度胸がない。

 すぐそこの大通りには人が多くいる。誰かに話しかければ、なんとか生活していけるだろうか。


 そう思った矢先ーー


「や、そこのおヒトさん。もしかして迷子かい?」


 突然声をかけられて、一瞬だけ身体を震わせる。声の主の方を見ると、派手な頭の少年が立っていた。

 ミルク色の髪と桃色の瞳と、白いブラウスとリボン。腰には懐中時計と受話器のような物。頭上にはよくわからない棒のようなものがふたつと、花弁が六つの生花が飾られており、棒の一つは折れ曲がってもう一つは帽子の下から垂れている。年齢は自身と同じく十代ほどだろう。


「ぁ、えと……」


 いきなり話しかけられて、否定も肯定も言いにくい質問を投げられて動揺するシュンに、少年は容赦なく隣に座ってくる。


「キミの言いたいことあててみせようか? 迷子だけど、帰るところがないんでしょ」

「!」


 無邪気な笑顔を浮かべてそう言う少年に、またもや驚かされた。

 質問されてからまだほんの十秒も経っていない。それなのに関わらず、一瞬で悩みを暴露された。


「へへっ、反応見るに聞き違いじゃないね。そういうヒトを助けるのがボクらの役目だから、安心しなよ。」

「…………」


 早くも転機が回ってきたと思ったが、如何せん安心は出来なかった。

 雰囲気や言動、全てが怪しすぎる。少なくとも心を読まれて恐怖心が湧き立ったし、たまに出てくる異様な言葉もあってか信用できない。

 しかし、既に手を握られており、逃げるにも逃げられない状態だった。


「さっ、キミの帰る場所を探しに行こう。また迷子になるかもしれないから、絶対に手は離さないでね。」


 なんだかよく分からない少年に助けられたというより、面倒ごとに巻き込まれたような感覚がした。


 少年は立ち上がって、シュンもその手に引かれて立ち上がる。

 自身を迎える彼の笑みは純粋そうに見えて、なんだか裏がありそうだとも思えた。

 少年は大通りから反対の方向へ歩き出し、シュンはそれについていく。


「ボクはエフ、案内兎のエフだよ。キミは?」

「……しゅん、です。あの、あんないうさぎって……?」


 早速知らない単語が出てくる。この際だからと、シュンは質問をしてみた。


「えっ、案内兎知らないの? んっとねー、街中で迷ったヒトとか、困ってるヒトを助けたりするウサギさんなんだよ。」

「じゃあ、それにじぶんも……?」

「そ。キミの心の声が不安がってるように聞こえたから。この耳はヒトの心の声が聞こえるんだよー」


 まず、彼の頭上についている棒状の物がウサミミという事実に驚いた。よく見るとうっすら毛が生えているし、たまにピクピク動く。形があまりそれっぽくないが。

 ついさっき言いたいことを当てられたのはその力らしい。心の読める兎というのは初めて聞いたし、興味深いとも思った。


「あ、でも安心して。ボクはただ、ヒトの心の『声』が聞こえるってだけだから。」

「……?」

「心の声が聞こえるってことは、キミの全てがわかるわけじゃないから。それだけ覚えててよ」


 なんだかよくわからないことを言われるが、シュンがそれを訊こうとすると、エフが「そういえばなんだけどーー、」と切り出す。


「今日からでっかいお祭りの日だから、ボクあんまり一緒に動いてあげられないんだよね〜」

「お祭り?」

「そ。数十年か、数百年に一度だけの、勇者さまがやってくるでかいお祭り。当然観光客がわんさか来るから、道案内とかが忙しーんだ」

「ーーそれは大変……ですね。」


 『勇者』や『お祭り』など、異世界でも知っている言葉がよく目立つ。それにしても知らないことばかり、いきなりのことばかりで頭がパンクしそうだ。

 エフはあまり話に追いついていないシュンに、「もう慣れてるから大丈夫だよ。」とだけ陽気に言って、今二人が歩いている狭い路地の分かれ道に差し掛かると


「あ、近くに友達の家があるんだった。そこに行こう」


 突然エフは頭上に電球を浮かべたようで、その溢した言葉の『友達の家』とやらに引っ張られることとなった。


     *


 エフに連れられて、シュンはまた知らない道に来た。やはりどの建物も老いて植物を纏っているのは変わらず、それでいてここは四角いものが積み上がったような、見たことのない形の建物群だ。大体が金属で出来ており、窓がない。

 ついさっきの雑踏の通りとは違い、静かで人の通りは全くと言っていいほど無く、たまに遠くから大きな機械音が聞こえる。見上げるとクレーンのような、貨物を釣って運ぶ大きな機械がゆっくり動いていた。


 ーーあの通りとはそう遠くないのに、どうしてこんなにも人がいないのだろうか。


「ーーあのヒトたちはよその街から来た、いわば観光客だよ。さっきお祭りが数十年か、百年に一回しかないって話したでしょ? 珍しいお祭りがさ、あのヒトたちにとっては一生に一度、来るか来ないかなんだー。お祭りの通りはあそこだけだし、ここら辺は住居が大半だから、昼間はみんな仕事場に行っててヒトはほとんどいないの」

「! い、いまのも心を……?」

「えへへへっ。ごめーん、つい聞いちゃった。」


 さらりとまた思考を読まれていた。

 エフは自身のウサミミを人差し指で指しながら、舌を出して悪戯な表情を浮かべていた。


 こうして迷子を救われてはいるが、やはり心を読まれるのは複雑な気分になる。

 人見知りであまり話すことが出来ず、先回りして疑問を解決してくれるのはありがたいが、やはり自身の心の内が見透かされているとなると、個人情報が抜き取られているようで不安感が高まる。

 エフはこうして自身の『案内』をしてくれているが、未だ信用は出来ない。やっぱり騙されているかもしれない。


 かといって、こう思うのも失礼かもしれないで、どんどん思考が絡まっていくーー、


「ってことではいっ! 着いたよっ」

「ーーここは?」

「情報屋だよ、色々と物好きなおじいさんが住んでいるんだ。少しここで待っててね、」


 エフが元気にそう言うと、「らーちゃーん!」と叫びながらそれらしき建物に飛び込むように入っていった。

 『らーちゃん』の家は、まず目についたのが木だ。二階部分の家屋の壁面から、隣の家を少々害しながら木が生えている。家は全体的に二階建で、壁面はやはり蔦やパイプなどが絡んでおり窓がない。驚くことについさっきエフが飛び込んでいった入り口には扉がなく、代わりに室内が外から見えないように布が垂れ下がっていた。


 入り口の横の壁面には張り紙が多くされており、とりあえず待ち時間にそれを見ることにする。

 やはり文字は一切読めない。ただ記号が羅列した紙が色んなところに、色んな大きさで壁を埋めているだけにしか見えない。一部の紙には鳥やら蜥蜴やら猫やらの動物の絵が描かれているが、文字がわからないのであれば何がなんだかさっぱりである。


 しばらくそうして色々と眺めていると、エフが入り口からぱっと頭を出して、


「準備できたって! さ、はいってはいって〜」

「ぇちょ、ま、まってーー!」


 やっぱり強引に室内へ背中を押されて入っていく。


 外と部屋とを区切る布をくぐると、薄暗い空間で、そこにいたのは黒く、二本の角を生やした大きな怪物だ。

 シュンはひと目見て心臓が飛び跳ねたが、すぐにその手前の人物を見てそれが影だと気づく。


「またそうやって強引に……少しは自重したらどうだ。」

「なんでも早く済ませたいタチだから仕方ないのー。あ、この子がシュンちゃんね。偶然流れ着いちゃったみたいだから、この子に合ったおうち案内したげて。よろしく〜。」


 シュンの肩あたりをさすりながらエフは一気にそう言うと、今度は片方のウサミミをシュンの頭に乗っけて。


「じゃ、また今度会おうね。ボク、この街のどっかにいるから。」


 ウサミミの可動範囲は案外広いらしく、ぽんぽんと頭を小突きながら笑顔で言うと、返事を待たずこの場を後にしてしまった。

 なんだか嵐のような少年だった。忙しいと言ってはいたが、礼をし損ねた。いずれはまた会えるだろうか。


「ーーああ見えてあいつは人と接するのが苦手だから、そんなに落ち込まなくていい。会いたかったら適当な甘味処に行くか、また街中で迷えば跳んでやってくる。」

「……ぇと、ありがとうございます……。」


 今回は分かりやすく顔に出ていただろうか、また心を読まれアドバイスをされる。


 その人物はというと、部屋の真ん中の背の低い円卓の上に立って、低い身長で踵を浮かせて頑張って照明器具らしきものを直そうとしているような様子。

 『おじいさん』とエフは言っていたが、容姿は明らか少年である。ただ声は低く、当然少年さを感じさせないが同時に老人さも感じさせない独特な声だ。

 服飾も特殊で、フード付きのローブを纏っており、フード部分には左右で二つ、大体耳の上の辺りから途中で直角に曲がった角がついている。ローブは紫を基調としていて、胸元には白い造花、下半身は紺のズボンらしきものだ。紫色の系統が好きなのだろうか。


「さて、靴を脱いでこの円卓の前に座れ。」

「ーーくつ、ないです。靴下脱いだ方がいいですかね……?」

「……じゃあそうしてくれ。」


 言われた通り靴下を脱ぎ、それを無造作にパーカーのポケットに突っ込んで、円卓の手前で正座をする。そうしてしばらくの間、少年の作業やら部屋の内装を眺めることにした。


 部屋は先ほども言ったとおり中央に背の低い円卓があり、円卓の下には何やら書類の層で埋められていた。部屋の全体はこのような感じで物が無造作に置かれていたり、落ちていたりしており、部屋の隅に画材らしき物の山。室内に入って左の奥には少年が作業をするらしき机があり、当然物は所狭しと置かれていてあまり作業は出来そうに見えない。

 そもそも彼がどんな仕事をしている人物なのかも見当がつかない。


「はぁ、ようやく設置できた。これだから早く通せと言っているのにあいつは……」


 少年は独り言を言いながら、薄暗かった部屋を光が広がるようにじんわりと明るく照らす。

 一体どういう仕組みなのだろうか。やはり異世界だから、魔法といった類だろうか。


「して。準備が出来たので始めーー」


 少年の言葉が途切れる。何事かとシュンは少年の顔に目を向けたが、少年は暗い紫の瞳を逸らしたように見えた。

 少年の頬に汗が伝う。


「ど、どうしたんですか?」

「…………ぃや、なんでもない。さっさと始めよう。」


 何かありそうな雰囲気ではあるが、少年はシュンの心配を断りながら円卓から降りて、円卓を挟んでシュンと向かい合うようにあぐらをかいた。


「しゅん、と言ったか。あの兎と会うまで、どういう経緯でこの街に辿り着いた?」

「え……っと、朝起きたらもう既にここにいて、なにもなくって困っていたらあの人に助けられました。」

「ふむーーあいつも言っていたが、流れ着いたと」

「ながれつく?」


 何か、よくあることなのだろうか。


「街の外から身寄りのない子どもが偶然荷車などで運ばれてくることがある。トペリは食料や資源のほとんどを輸入しているからよくある話だ。そちらも多分その類だろう」

「そんなことあるんですか」

「ある。他国は厳しい環境が多いと聞く。それで、親が子どもをトペリ行きのに乗せるのだそうだ。そのくらいの年齢なら、このくらい知っていると思っていたが。」

「いや……ほんとにここのことは何も知らなくて、まちの名前も今知ったくらい、です……」


 素直にそう言うと、少年は腕を組んで何かを考え込むような仕草をする。

 自分のことを聞けば聞くほど、無知すぎて頭がくらくらしてくるんじゃないだろうか。申し訳なく思うが、今は仕方がなかった。


 少年は円卓の下からごそごそと何かを準備し出す。

 中から取り出したのは、鎖でぐるぐる巻きにされた辞書のようなものと、いくつかの細長い鉛の塊だ。


「知り合いに、例の流れ着いた子どもを保護する家がある。とても仲の良い夫婦がいて、婚姻も結んでいる。あと向かいにあの兎の家もある」

「あぁ、はい……、?」

「そこに案内しようと思ったが、一つ条件がある。」


 一瞬、疑問符のつく話し方だったが、今はその先に集中しなければならないと思った。

 少年は真っ直ぐにシュンの目を見据えながら、人差し指を立てる。


「条件?」

「契約だ。」


 契約。なんだか重い響きだ。


「こちらがそちらをそこへ案内する代わりに、そちらはこちら、及び周辺に危害を与えないという契約だ。」


 その内容は、なんとも言いにくくて、首を傾げるようなものだった。


「……それだけ、というかどうしてというか、ほんとにそれでいんですか……?」

「ああ。」

「ああって……」

「決まればこの紙の、この欄に鉛塊で実名を書け。苗字はいらない。」


 なんだかタダで色々してもらっている感覚もあったり、契約内容の疑問も残ったりと、むず痒い気持ちばかり生まれてくる。

 しかし、かえって契約をしないことには事が進まない。


 少年に一枚の紙を卓上で差し出され、人差し指でなぞりながら説明されるが、字は読めない、話から知らない単語は出るので余計頭が混乱する。


「そちらが考えている間、こちらは煙を吸っているから何かしらあれば言ってくれ」少年は無責任にそう言い放って、懐からキセルを取り出して円卓に置き、煙を吸う準備をし始めた。見た目は完全に少年で、喫煙は大丈夫なのだろうかと気にかけるところだが、今は気にしていられなかった。


 そんなシュンはというと、文字が読めず書けずの段階で、署名するどころの話ではない。『えんかい』という物すら知らないのに。


「あの、」

「ーー、どうした。」

「文字が……わかりません。」

「……。」


 キセルの先に、魔法らしき紫の炎を照らしかけた少年が固まった。


     *


 少年はよほど喫煙が好きなのか、あれからしばらく煙を吸いながらだが文字の表を書いてくれた。

 少年の吸っていた煙は、シュンの知っているタバコとは全く違って、怪しい雰囲気の臭いがしていた。


 この世界の言葉は、音はそのまま日本語と変わらず会話は問題無い。文字表を一見すると、文字は日本語のひらがなと同様の一音一字、五十音順だ。これならひらがなをそのまま変換するだけで覚えやすい。


「ここが『あ』の行、上からあ、え、い、お、う、の順の縦列だ」

「あえいおう?」

「あえいおう。」

「え、すごく違和感。」


 指で文字表をなぞりながら、丁寧に説明をしてくれる。

 流石は異世界、文字の覚え方にも差異があるようだ。


「逆に何がしっくりくるんだ。」

「あいうえおです」

「……わからん」


 やはり、日本のひらがなの覚え方は少年には合わないらしい。こういった住む場所で言葉の感覚が違うというのは面白いと思った。


「そして、横列はあ、か、さ、な、た、は、ま、や、ら、わ、の順だ」

「あかさなた……⁉︎」

「あかさなただ。」

「あかさたなじゃなくて?」

「何故そこを入れ替える。紛らわしいだろう。」

「ちょっと、納得いかないな……」


 何故そこだけ入れ替えるのだろうか。逆にそれ以外はしっくりくるのがなんだか怖い。


「あとは、『か』の行はか、け、き、こ、くの順、『さ』の行はーー」

「あ、ならもう大丈夫です。法則がわかったんで」

「……、そうか」


 要は、さっきの母音の順を子音に当てはめれば良いだけだ。それだけだと思い、シュンは少年の言葉を切って、自身の名前に入っている文字を探す。

 少年はそんなシュンを奇怪に思いつつ、煙を吸って吐いてを繰り返している。


「し、しは、真ん中だからこれでしょ……、ちっちゃいゆは……。」

「しゅん?」

「なんですか?」

「本名は……?」

「……、しゅんですよ……?」

「…………。」


 またもやぽかんとしている少年に、シュンも首を傾げる。

 さっき名前を聞いてきたじゃないかと思ったが、何やら事情が違うようだ。


「世間知らずを通り越して、知識を少し持っているだけの赤ん坊みたいだな……」

「え、じぶんまた変なこと言いました?」

「変だ。変すぎて頭がおかしくなるくらい変だ。」


 相当な言われように「そんな⁉︎」と声をあげては、少年にため息を吐かれる。


「聞け、この世には名乗る用の名前と、実際の名前がある。しゅんは、名乗る用の名はあるか。」

「ない……です。」


 名乗るようの名前というのは、ニックネームのようなものだろうか。

 どちらにせよ、シュンにとってこの名前の用途は本名であり、名乗るための名前だ。


「何故だ。名乗る用の名だけ覚えているという場合はよく聞くが、実名だけ覚えているなんて初めて聞いた。」

「……多分、そういう地域で育ったものでーー」

「いや、そんな地域はありえない。この世界全体の文化なはずだ。……まぁ、とにかくだ。」


 少年は己を無理矢理納得させて、シュンに向き直る。


「信頼の置けない相手に、絶対にそれを名乗るな。知らぬ間に理不尽な契約を結んでくる可能性がある。ーーいいか? 絶対だ。」


「き、気をつけます……」そう、いつになく真剣な目に射抜かれて、シュンは目をぱちくりさせて、しっかりと少年の言葉を脳に刻み込む。


「早めに名乗る用を思いつくと良いがな……、それよか署名だ署名。もう面倒だからこれを写せ。」

「あぁ、はい……。」


 疲れ気味の少年が文字表の端に何かを書き、シュンに見せる。

 これがこの世界の自身の名前表記らしい。なんだか特別な感じがする。


 それを写そうと、近くにあった、鉛の棒に薄く布が巻かれている物を手に取る。ついさっき彼が『鉛塊』と言っていたものだ、鉛筆の木製部分を布にしたような適当さがある。


 契約書に、ついさっき書いてもらったものをちらちらと見ながら。ーーしばらくして、シュンは書き上げたのを少年に差し出した。


「あの、出来たので、お願いします……!」

「んむ……下手だがまぁ良い」

「よしっ」


 異世界に来て早くも満足感を噛み締めていると、少年はその契約書に何かを書き始める。慣れた手つきでさらさらと綴り、今度は厚い本の鎖を解き、本を開いて調べ物か何かをしている。

 しばらく経って、本を閉じ、再度円卓の上に立つ。照明器具ーー白い炎の入った四角い器を、ゆっくり、慎重に円卓の上へ置くと。蓋を開き、少年は指先で炎を操って、キセルの先に乗せる。炎は青のような、紫のような、どっちつかずの色に変色した。

 契約書をキセルの先に翳す。すると、契約書に紫の炎が広がって、端から形が崩れていく。不思議なことに、ぽろぽろと灰が落ちることがなく、ただ形だけが溶けて、消えていくというような感じだ。

 暗い中、そんな光景を、シュンは息を呑んで見ていた。


「これにて契約は完了だ。はぁ、つかれた……。」

「ーーお疲れさまです。」

「いや、まだこれからだ。おまえを例の家に案内しなければいけない」


 契約書が燃え尽き、炎も光と形をを無くしてただの煙になる。部屋の光が入り口からのだけになった。


「準備をするからここで待っていてくれ。それと、待っている間、この場から離れるようなことはしないでほしい。」


 少年がそう言って外に出ようとした途端、ふと何かを思い出したように振り返り、


「ーー名乗るのを忘れていた、ラディアだ。」


 それだけ言って、靴を履いて、足早にこの場を後にしてしまった。

 わずか一瞬の自己紹介に、シュンはただぽかんとして、少年のーーラディアの出て行った先を眺めていた。




あとがき

 はじめまして、一暁です。

 数年前から欲望のままに考えていた創作を、欲望のままに小説にしてみました。絵はあまり描けず、音楽も造れずで、小説にするしか表現する術が無かったので、実践できて嬉しいです。

 かと言ってわたしは小説を読まないので、次話はきちんと小説を読んで、勉強してから書こうと思います。現にあらすじは何を書けばいいかわかりませんでしたし。読むのはやっぱり偏食ですが、書くのはすごく楽しいので。


 次回は初夏のくらいに投稿出来ればと思います。

 ここまで読んでくれてありがとうございました!

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