聖なるイデアの通過儀礼
ヴァルキュリア……って神様だっけ?
確かに真っ白な翼は神々しさを引き立てていて、この上なく彼女に似合っていた。天使には白い翼が生えている、という芸術家の理想がうなずけるほどに。
いや、今はそれよりも大事なことがあった。
「あの、お体は大丈夫ですか?」
彼女は死にかけていた。
流れ出た液体の量も、私の行動への反応も、死に抗う生の残照を感じるものではなかった。
でも、目の前にまします存在は生にみち満ちていて、今も横たわる白い躯ともさっきまでの私の祈りとも結び付かない、文脈すら超えた自由そのものだ。
そんな彼女は私の問いにも、見つめ合っている私をじぃ〜っとより強く見つめ、あくまで自由に問い返してきた。
(マギカは教区簿冊に登録済み?)
異教徒が人類共通の敵と定められるこの世界では掲げる信仰も人類共通で、教会があまねく人口動態を司っている。
誅戮者も例外ではなく、ギルドで教区簿冊に登録して初めて身元を保証され、街の公共施設――たとえば門の利用等の権利が付与される。
しかし。
「いえ、私は誅戮者でまだギルドでの登録も済んでないです」
私はギルドにたどり着くより先に協力者の手引きで里を抜け出してきた。
私はこの世界ではまだ、生まれていない存在だった。
(マギカには助けてほしい人がいるの?)
そして彼女の問いは圧倒的な存在感が押しやっていた私の使命を呼び起こした。
そう。
私が一番助けたいのはこの手が届くあの人だ。
「はい。
里の子が、お母さんの体調が悪いって……。
私がここに来たのは智慧をお借りしたかったからなんです。
私は誅戮者イデア・マギカ。
魔法のため、奇跡のために魂だって差し出す魔術師です。
――私を捧げます、ヴァルキュリア。
どうか人の子に救いを、光をお与えください」
これは、人のための祈りだ。
目の前の彼女は変わらず私を見つめていて、この祈りが届いたかは伺い知れない。
でも答えはすぐに言葉となって返ってきた。
(自分の権能【葬送】は死者の徴兵――戦い以外はもたらさない。
つまり、マギカが、人が求める救いは自分にはないの)
答えは無情だった。
話は逆接をはさみ不可逆的に進んでいく。
(でもね、大丈夫。
マギカが救いになればいいの)
話の合間に彼女の左右の手が私の左右の頬に添えられ、逆様の顔がすーと近づいてきた。
私は、ずっと鬼気に迫られていて疑問を口にできずにいる。
私が……救い?
(マギカはマギカを捧げた。
だからマギカは全部自分のもの。
そうでしょ?)
それで助かる命があるなら私さえも惜しくはない。
幸い命には困らない身なのだから。
(それじゃ、質問の答え)
ここに来て再び話は移り。
『あの、お体は大丈夫ですか?』
あの問いが意味を持つ。
(自分は死ぬの)
「……え?」
(逝って斃れて散って枯れて折れて果てて罷って尽きて隠れて冷えて萎びて痩けて解れて朽ちて腐って毀れて削れて抉れて壊れて融けて捥げて崩れて絶えて潰えて消えて滅びて止まって曝されて強張って剥がれて千切れて分かれて暴かれて喰われて召されて知られで終わって。
でも、愧じて憾んで投げっぱなしは、嫌)
流れ星のような言葉が頭の中に過ってはばらばらに閃く。
演出として仕組まれた人工の失語に思考も奪われ、私はただ立ちすくんだ。
語りは、続く。
(ね、マギカ。
自分と契って?
ヴァルキュリアになるの。
心配は無用。
ちょっと核酸を取り込んでもらうだけ。
簡単でしょ?)
絡み付いた糸が緩むように不意に頭と体の自由が戻ってきた。
間近で拝んでいたお顔も、今まで気が付かなかったけど目はまっすぐ私を向いて眉は少し下がっている、ように思う。
――これは、私が決める未来なんだ。
「……私に、できますか?」
(Ja、マギカがやってくれたらきっと主神も喜ぶし、私も喜ぶの)
その言葉でもう、私は大丈夫。
「私が負います。
志を、翼を、全てを。
私が、次なる救いです!」
差し伸べられた救いの手に手を重ねて言ってみせる。
これが私の望む救いだ、って。
(ありがとう。
お務め、任せたの。
――聖なるイデアに光あれ)
そしてまた、立ちのぼる光が視界を覆う。
最後に見れたのは、安らぎがあふれる笑顔だった。




