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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鬼姫。

作者: 威純夏葵

一、

 私がその村の事を知ったのは、ほんの数ヶ月前だ。仕事の担当から話を聞いたのが最初だった。秋になると紅葉がとても綺麗なこと、大きな神社があること、鬼の伝承があること。その村のどれもが魅力的に聞こえてしまった私は紅葉のシーズンを見計らって休暇を取り、村を訪ねることにした。

車窓から見える紅や黄に染まった木々、タイヤが木の実を踏み潰す音。心地良い秋の気配がする。これだけでも、来た意味があったと思えてしまう。

こんなにもいい景色が見れたりいい音が聞けたりするというのに、どうしてか今バスに乗っている客は私一人だけだ。混んでいなくて良かったと思う反面、やはり気になってしまう。なので、私は運転手に聞いてみた。

「人が少ないのって、今日だけなんですか?」

「そんなことは無いですよ。いつも人は少ないですから」

 運転手は答える。続けて、「この先の村へ行くんですか?」と。

「はい、取材も兼ねて観光に」

「あの村には鬼の伝承があってですね、それに昔の凶事が鬼の仕業だなんて尾ひれがつくもんで、みんな怯えちゃって来なくなったんですよね」

 凶事があったなんて話、私は聞いたことが無かった。担当は知っていたのだろうか。

「凶事って、どんな?」

「昔、連続殺人事件があったんですよ。それも、村長の家系だけを狙ったね。村では鬼の仕業だなんて言われてますが、この世に鬼なんているわけないじゃないですか」

 そうですね、と言って私たちは笑った。それが作り笑いであることは、お互いに分かっていたと思うが。鬼の伝承に昔の凶事。取材することを許してくれる人はどのくらいいるのだろう。そんな不安を他所に、バスは山道を進む。バス停が見えてきた頃には、不安は心の片隅に追いやられていた。

「お客さん、忘れ物はありませんね?」

「はい、大丈夫です」

 二泊分の荷物に、スマホ、財布。全部持った、大丈夫。

「ここからかなり歩きます。お気を付けて、行ってらっしゃい」

「はい、ありがとうございます。運転手さんも、お気を付けて」

 バスは走る。その背を軽く見送って、私は案内板に書かれた通りに山道を歩き始めた。


二、

 まさかこんなに歩くことになるとは思っていなかった。歩き始めて三十分、まだ村は見えてこない。長さに加えてこの坂道、普段あまり運動しない身からすると相当につらい。友人からの運動の誘いをすべて断っていたのを、今になって後悔している。少なくとも週に一回でも散歩に出ていれば、こうはならなかったのだろうか。

 汗だくになりながら、時折立ち止まり水を飲みながら歩く。所々に差す木漏れ日、靴でドングリを踏み潰す音、近くで流れているかもしれない川の、水の匂い。どれをとっても美しいと形容できるものだが、今はそれを楽しむ余裕など私にはなかった。

「おう、がんばれ。もうちょっとだぞ」

 すぐ後ろから、男性の声が聞こえる。何人かで来ているのだろうか、などと考えていると、その声の主と思しき人物が私を追い越して行った。

「ん、大丈夫か? 歩けるか?」

「あ、私ですか?」

「そうそう、嬢ちゃんだよ。大丈夫?」

 私のどこをどう見れば大丈夫なのか疑問でしかない。今すぐにでもここで座り込みたい衝動を抑えながら、私はただ「大丈夫です」と答えることしかできなかった。そして私は歩き始めた。その男性についていくように、見失わないように、置いて行かれないように。もっとも、彼は少し行っては立ち止まって、私の様子をずっと見てくれているが。

「村に入ったらちょっと行ったところに民宿がある。そこまで行ったら休めるからほら、がんばれがんばれ」

「は、い」

 息を切らしながらなんとか返事をする。もう歩けない、そう思い始めた時、私の視界は一変した。山と山の僅かな空間を切り開いたような、秋色に染まる村。それがようやく見えたのだ。縫うように流れる小さな川、いつもより高く見える空、ぽつぽつと点在する民家。奥の方には村の入り口からでもわかるほど大きな鳥居が見えていた。あれがきっと、聞いていた神社だろう。

感動やら疲れやらで、その場に座り込む。しばらく足は動きそうにない。

「よく頑張ったな。お疲れさん」

「あ、ありがとうございます」

 ここにきて、初めてその男性の姿をじっくり見た。というより、歩いている時はじっくり見る余裕なんてなかった。

 無精髭だが顔たちは整っている。髭を剃ればそれなりに人気の出そうな顔だ。首からは二台の一眼レフカメラを提げ、とても大きな鞄を背負っている。この山道をこれを背負って歩いていたのかと思うと、少しだけ怖くなった。

「ん? どうした?」

「あ、いえ。写真撮りに来たんだなって」

「ああ、仕事だからな。俺、写真家の野宮道紀。知らない?」

 知らない。普段書店で写真集などを見ないためだろう。私はただ淡々と答える。「知らない」と。どんな写真を撮る人なのだろうか。少しだけ興味がある。

名乗ってくれたこの人に、私も名乗った方がいいのだろうか。三秒だけ迷って、答えを出した。私は名乗らなかった。

「それにしても、いい天気でよかった。いい写真が撮れそうだ」

「写真って、どんなの撮ってるんですか?」

 純粋に気になった。プロの写真家と会う機会なんてそう多くない。ここはしっかり聞いておかねばと、私の中の一部分が吠えた。あわよくば、その写真を見たい、とも思っていたが。

 野宮さんは、片方の一眼レフカメラを私に差し出した。

「これはほんの一部だけど。他はあとで民宿で見せてやるよ」

 そのカメラに写っていたのは幾つもの田舎の風景。その全てが、どうしてか懐かしいような、そんな気持ちにさせてくれる写真だった。分野は違えど、人の心を動かせる作品を作る人は尊敬できる。そして私も、そうありたいものだ。私の書いた小説は、どれほどの人の心を動かせたのだろうか。何故だか急に、不安になってしまった。

 ところで。

「民宿ってどこですか?」

「ああ、案内してやるよ。ついて来な」

 私はやっとのことで立ち上がり、野宮さんについて村に入った。

 五分くらい歩いただろうか。「民宿田原堂」と書かれた看板が見えてきた。

「ここが民宿。俺がいつもお世話になってるところだ」

 引き戸を開ける。そして中に入って一つ叫んだ。

「おばちゃん、お客さん!」

 すると、目の前の食堂と書かれた戸の奥から、五十代ほどの女性が出てきた。台所で作業していたらしく、手をタオルで拭いている。

「おや、道紀さんかい。お客さんてのは、そこの女の子?」

「そうそう、えっと」

 私は自己紹介などしていない。なので、彼らが名前を知るはずがない。ここはさすがに名乗った方がいいかと思い、口を開いた。

「一瀬遥です」

 軽くお辞儀をする。汗が乾いた髪が、ざらりと揺れるのを感じた。はやくシャワーを浴びたい。汗を洗い流して部屋でゆっくり休みたい。しかし、せっかく四時間もかけて来たのだ、今日のうちに観光を存分に楽しみたい。私の中の天使と悪魔が同時に耳元で喋り始めた気がした。

「お金は帰る時にもらうからね。それから、部屋の鍵はこれ。自分で管理して。トイレとかお風呂はあとで案内するわね」

「ありがとうございます。では、私は上がりますね、お邪魔します」

 そう言って、私は受付前の階段を上る。木が軋む音が静かに響く。手すりを頼りに昇って、昇って、二階の廊下にたどり着く。左右に扉が並ぶ中から鍵に書かれた番号を探した。二〇三、二〇三。あった。木の扉の、私の目線の少し上くらいの高さにお洒落な文字で二〇三と書いてある。鍵を回す。カチャリという軽い音がして、ドアノブが回る。畳が敷かれた部屋の真ん中に、そこそこ大きい机。部屋の奥には空気清浄機が置かれていて、テレビまである。

「ああ、疲れた」

 私は倒れるように寝ころび、そしてしばらくの間眠ってしまった。私は悪魔に負けてしまったのだ。


三、

 ノックの音で、目を覚ました。部屋に備え付けの時計を見る。時間は六時半、そろそろお腹がすく時間だ。だがまだ眠気が消えない。

「一瀬さん、夕飯だぜ。おばちゃんが呼んで来いって」

 野宮さんの声が扉越しに聞こえる。私はそれに返事をした。扉の外から離れるような足音がして、やがて静かになった。夕飯。私は飛び起きて、身支度を済ませた。寝癖はついてないか、頬についた畳の跡は、時間が経たないと消えそうにない。服は、一応着替えておこう。と、少しばたばたして、私は部屋の外に出た。

 昼間に昇ってきた階段を降りる。さっきと同じ木の軋む音がして、受付が見えてくる。そこから出入口の正面にある食堂と書かれた部屋に入り、席に着いた。ハンバーグと味噌汁の匂い、炊き立ての米の白、色とりどりのサラダ。普段の私の食事に比べるとかなり豪華だ。

「いただきます」

 食事を口に運ぶ。美味しい。

「あ、そうだ。一応写真集持ってきたけど、あとで見る?」

 と、野宮さん。わざわざ持ってきてくれたのかと、箸を進めながら思う。どんな写真が見れるのだろうかという期待、それから感謝。私は軽く頷きさらに箸を進める。肉汁が口の中に広がる感覚が心地良い。ふと他のテーブルを見ると野宮さんは私より早く食べ終わったようで、お茶を飲んでいた。

「あっち」

 熱かったようだ。

 しばらくかけて完食した私は玄米茶を飲みながら野宮さんの撮った写真集を見ていた。山の写真、動物の写真、四季のいろいろな花。とても綺麗だ。どれを見ても飽きない。ふと、その写真集の中にこの村のものらしき写真を見つけた。

「これは?」

「ああ、それは去年の冬に取ったここの写真」

 雪の積もった境内に狸が一匹、こちらを振り返るような構図で撮られている。真っ白な世界の中に、黒いインクを一滴落としたようにそこにいる狸と、なんだか目が合ったような気がした。いわゆるカメラ目線だから当然かもしれないが。

「この写真、いいですね。私これ好きです」

「お、じゃあこの写真あげるよ」

 そう言って、写真をこちらに渡そうとしてくる野宮さん。本当に貰っていいのだろうか。迷いが生じる。受け取りそうになった手が硬直し、うまく動かせない。すると、そんな私を見て野宮さんは私にその写真を押し付けた。

「ほら、持っていきな。大事にしてくれよ」

「は、はい。大事にします。じゃあ、私はこれで」

 逃げるようにして食堂を後にする。階段を駆け上がり、自分の部屋に戻った。私は何か大切なものを貰ったような気がして、それがなぜ大切なのか自分でも理解できそうになくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしようもなく嬉しくて。私は持ってきたクリアファイルにその写真を大切にしまい、机の上に置いた。

 疲れた。その一言で今日一日を表せるのではないだろか。普段は歩かない山道、普段はあまりとらないコミュニケーション。どこをとっても疲れたと思わせる一日だった。

 その後は、風呂に入り、歯を磨き、就寝した。何か変わったことは特に何もなかった。


四、

「ありがとうございました」

 取材を終えて部屋から出る。田原さんからこの村について聞けた話はこうだ。この村には鬼の伝承がある。それはどうやらこの村では事実として浸透しているようで、奥の神社はその鬼を祀っているらしい。他にも神社の跡地があり、そこは田原さんが生まれるよりもっと昔に使われていたという。私が見るべき場所が一つ増えた。

 昼になったころ、食堂で食事をとってから私は神社に向かって歩き始めた。かなり遠いようで、二十分くらいは歩くそうだ。私は筋肉痛を知らないふりして歩くことにした。田原さんが自転車を貸してくれると言ったが、そこまで世話になるわけにはいかない。

 村の景色を堪能しながら歩く。刈られる直前であろう金色の稲、色とりどりに染まった山、流れる小川。遠くの方に見える神社だけが異質だが、それでも秋の空気は素晴らしい。

「一瀬さん」

 野宮さんの声だ。周りの景色に気を取られて気が付かなかったが、私の正面から小走りで駆けてきているのが見えた。ほどなくして、私の傍に。

「野宮さん。今日も写真を?」

「おう。一瀬さんはこれから神社?」

頷く。取材もしたいし、神社がどんな場所か見ておきたい。鬼の伝承についても聞きたいし、純粋に参拝もしたい。やりたいことが多すぎる。

「神社か、いいね。あ、もし行くなら、宮司さんによろしく言っといてくれ」

「わかりました、言っておきます」

 私はこれで、と言って神社の方向へ歩こうとすると、野宮さんに呼び止められた。

「あ、一瀬さんそこ立って」

 何かあるのだろうか、と考えながら、指示された場所に立つ。パシャリ。音が鳴った時に、私は理解した。野宮さんは私の写真を撮ったのだ。

「さんきゅ、一瀬さん」

 そう言って、野宮さんは私とは反対側に歩いて行った。気恥ずかしさでほんの少しだけ顔が熱くなる。私の写真なんか撮ってどうするのだろう、という思考は、歩いているうちにどこかに消え去ってしまった。

 しばらく歩いて、神社の前に到着した。短い階段のその先に、見た感じだと三十メートル程ある暗い木の色をした鳥居が建っている。周りは杉の木に囲まれ、それほど長くない参道は妙な静かさを感じさせる。木々の隙間から漏れる光は疎らに境内を照らしていた。

 私が境内に足を踏み入れると、一匹の狸が足下にやってきた。その狸を撫でていると、奥から一人の女性がやってくるのが見えた。

「狸さん、あまり人を困らせてはいけませんよ」

 巫女服のその女性の足下に狸がすり寄る。この人の飼っている狸なのだろうか。ところで余談だが、狸は飼育するには難しい生き物だそうで、人間に慣れはするが懐くことはあまりないそうだ。どう見ても懐いているが。

「参拝の方ですか?」

「あ、はい。それだけじゃなくて、よければ取材とかもしたいのですが」

「そうですか。わかりました。では、拝殿の方でお願いします」

 拝殿の方へ歩き始める。そこには、本来あるべき賽銭箱とその上の大きな鈴が見当たらない。

「ここ、賽銭箱とかないんですね」

「はい。他の神社と違ってここに神様はいませんから」

 神社なのに神様がいない、ではここは一体何を祀っているのだろうか。その答えを私は知っている。鬼だ。この神社には、鬼が祀られている。でも、一体何のために。

「ではまず自己紹介から。私は一瀬遥です、小説家をさせていただいてます」

「私はここの宮司をしております、成時若葉と申します」

「巫女さんじゃないんですね」

 巫女さんが着るような服装だったのでそう思っていたが、宮司さんらしい。私は野宮さんに頼まれた通り彼からのメッセージを伝えた。

「この服装は私の趣味です。それから、道紀さんの件、ありがとうございます」

「えっと、では、取材を始めさせていただきます。よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」


五、

 取材が終わったのは夕方になってからの事だった。しかし、興味深い話を聞けた。もともとこの村は作物が育ちにくい不毛の土地だったそうだ。そこに一人の鬼がやってきて、この土地を見る間に豊かにしていったそうだ。その感謝の意を込めて、あの神社があるんだとか。いい話が聞けたと思う。今度の題材は鬼にしようか。などと考えながら民宿までの帰り道、田原さんに聞いていた神社の跡地を見つけた。鬱陶しい程に伸びた木々の隙間から、壊れた鳥居が見えている。木が邪魔だが、頑張れば中に入ることも可能だろう。私は湧き上がってくる興味に勝てず、木を押しのけて中に入ってしまった。

 中に入ると、倒壊しかかった拝殿とその奥に本殿の屋根が見える。短い参道は手入れがされておらず、手水舍の水音だけが寂しく辺りに響いていた。静かな境内には生き物の気配はなく、村から切り離されたかのようなこの空間にいる私がなんだか異質なものに思えてしまう。

 崩れた拝殿の隙間に、私は白い何かを見た。恐る恐る近付き、それが何なのか確認する。するとそれは、何かの骨だった。それを引っ張り出し、奥を見る。そこには人間の足の骨が並んでいた。私が掴んでいるのは、大腿骨の一部だった。

「ひっ」

思わず声が出てしまった。誰だってそうだろう、急に人間の骨を見たら声を上げる。私はつかんでいた骨を放り投げ、逃げるようにして神社跡を後にした。

民宿に着いた頃には日は沈んでいて、星が少しずつ見え始めていた。

「戻りました」

 暗い玄関口に声をかける。返事は無いが、台所の方で物音がする。夕飯を作っているのだろう。

部屋に戻り、荷物を置く。その中からボイスレコーダーとメモを取り出し、今日聞いたことを改めて書き直す。鬼の伝承、それは事実として浸透している。この村はもともと不毛の土地で、鬼が来てから豊かになった。その鬼への感謝を込めて、今の神社がある。鬼の正体は未だに分からないが、この村に何か手がかりがある、そんな気がした。

私がまとめ終わったのを見計らったかのように、田原さんが夕飯に呼びに来た。昨日と同じように食堂へ向かう。さっきあんなものを見たからか、階段の軋む音がなんだか不気味に聞こえた。

「あれ、今日野宮さんは?」

 食堂に着くなり、田原さんに尋ねる。どこを見ても姿が見当たらない。

「それがねえ、道紀さん、まだ帰ってきてないんだよ。星の写真でも撮りに行ってるのかねえ」

 不安交じりに私は手を合わせ、食事に手を付ける。生姜の香りが良い感じに食欲を刺激して、箸が止まらない。どこかで感じていた不安は時間が経つにつれ薄れ、豚肉の生姜焼きと共に胃袋に収まった。

「変だねえ、まだ帰ってこない。私ちょっと探してくるよ」

私が食事を終えた頃だった。時間的には八時半を過ぎた頃だ。

「私も一緒に探します」

 急いで部屋に戻り、外に出る準備をする。暗い道を歩くから懐中電灯が欲しいが、スマホのライトでも十分だろう。大急ぎで階段を降りる。出入り口のところで田原さんが待っている。月明かりに照らされてできた影が、なんだか不気味だった。

「私は村の入り口の方から探してくるから、あんたは村の奥の方をお願い」

 ガチャリと鍵を閉める。そして、田原さんは自転車で村の入り口の方へ向かっていった。

私も探さないと。と少し駆け足で、村の奥に向かう。神社へ向かいながら野宮さんを探す。いない、いない、いない。どこを探してもいない。そのまま私は神社の方へ吸い込まれていった。月明かりが木々の隙間から漏れ、境内を不気味に照らしている。

「あら、どうかされましたか?」

 成時さんの声。私は少し息を切らしながら現状を伝えた。

「そうですか、道紀さんが。すみません、こちらでは見てないです。それから、お力になることはできないかもしれません。私はここを離れられないので」

「わかりました、ありがとうございます」

 神社を離れようとしたとき、成時さんに呼び止められた。

「もし何かあれば、ここへ来てくださいね。あなたの身の安全は、守りますから」

 私は少し戸惑いながら、礼を言った。ここにはやはり何かがある。いや、いる。それが鬼と呼ばれているのはわかるが、何者なのかはわからない。もしかしたら、襲われるかもしれない。私は少し恐怖し、神社から出ることを躊躇った。しかし。探さねば。今は恐怖心に立ち止まっている場合ではない。私は意を決して神社の敷地内から出た。


六、

 あと探していない場所と言えば、と考える。私が探していないのは神社跡だけだ。できれば行きたくないが、そこに行くしかない、そんな気がした。

「野宮さん、いますか?」

 木を押しのけながら叫ぶ。慣れない大声に喉が少し痛くなった。神社跡に足を踏み入れる。月明かりとスマホのライトが境内を照らす。そこに、さっきは無かった黒い塊が落ちていた。いや、居た。

「野宮さん、大丈夫ですか」

慌ててそれに駆け寄る。そしてそれに触れて分かった。冷たい。何度も呼びかける。何度も、何度も、何度も何度も。三十分くらい、ずっと呼び掛けていただろうか。しかし、彼からの返事は無かった。

その体をよく見る。蹲るようにしてそこにある彼の遺体には二つの傷がある。一つは肩から脇腹にかけて、いわゆる袈裟斬りにするように走る傷、もう一つは脇腹を刺したような五センチほどの小さな傷だ。

私はふと周囲を見渡した。何か犯人の手掛かりがあるかもしれないと思ったのかもしれない。遺体の周りをライトで照らす。すると、野宮さんが使っていたカメラが一台、すぐ傍から見つかった。

 これはと思い、カメラを拾い上げる。しかし、何かで貫いたように傷ができていて、それはカメラがもう壊れていることを意味していて。私は少し悲しくなった。

 そうだ、野宮さんが持っていたカメラは確か二つ。もう一つのカメラは一体どこにあるのだろうか。犯人が持ち去ったのだろうか。その疑問は、野宮さんの遺体をもう一度見たときに解決された。首からかかっているそれは、紛れもないカメラのそれだ。どうして今まで気が付かなかったのだろうか。

「野宮さん、お借りします」

 まだ硬直しきっていない遺体からカメラを借りる。そして気付いた。野宮さんはこのカメラを守るようにして死んだから、こんな蹲るような体勢なのだ、と。

 カメラの電源を入れる。幸いにもデジタル一眼レフであったため、中に記録された写真が簡単に見れるようになっていた。片っ端から写真を確認する。村の写真、紅葉の写真、星の写真、そして、昼間撮ってもらった私の写真。その中に紛れ込むように一枚、ここで撮られた写真が見つかった。暗い中に、人影が写っている。ブレていてあまりよく見えないが、その人影の頭部に、目を見張るようなものが付いていた。角だ。月明かりを反射して鈍く赤く光るそれは、その影が人間ではないことを示していた。伝承の鬼。いるわけないとバスの運転手さんが言っていた、鬼。どうにかなりそうだった。訳が分からなくて、どうしたらいいかわからなくなって、私はその場に座り込む。そして、また見つけた。遺体の傍に落ちていたメモ。

『凶事について。この村で起こった凶事は、村長の家系だけを狙ったものだ。俺もその家系の一人ではあるが、今までこの村に入って命を狙われたことは無い。その犯人は何がしたかったのか、俺がその家系の最後の一人として知りたい』

『鬼の伝承、成時家、凶事、関係なしとは思えない。若葉は何かを隠している、そんな気がする』

 など、この村の凶事について書かれている。どうして凶事のことを調べていたのかも、書きなぐったような調査の跡も。

 成時さんが、全てを知っている。メモによるとそう書かれていた。私はそのメモとカメラを持って、神社へと戻った。


七、

 神社に戻ると、そこに成時さんの姿は無かった。しばらく待っていれば来るだろうか、そう思って神社の隅の方で待っていると、突然現れた黒い影に襲われた。写真で見た黒い影、それに酷似した何かが無言で刀を振り回してくる。紅い刃を持ったそれの額に生えている半透明の片角が、月明かりを通して地面に紅い影を作っている。不格好に避けながら、神社を駆け回る。すると奥の方から、聞き覚えのない声が響いた。

「私の庭で何をしている」

 すると影は、夜の闇に溶けて消えていった。あの影は何だったのだろうか。

「大丈夫ですか、一瀬さん」

 成時さんが駆け寄ってきてくれる。それに安心した私は、一体どんな顔をしていただろうか。

「はい、大丈夫です。あ、そんなことより、これ」

 と言って、私はカメラを差し出した。それから、野宮さんが殺されたことを話した。すると、成時さんは少し驚いたような表情をしてから、涙を流した。

「若葉、大丈夫か」

 傍にいた小さな女の子が成時さんに声をかける。その姿を見て私は驚愕した。額に角が生えていたからだ。それに、見たこともないくらい美しい薄青の髪色で、私はその姿に見とれてしまった。

「大丈夫です。それから翠蓮。この方が」

「そうか……。わかった。奥の社へ案内しろ。全てを話す時が来た」

 そう言って、私を魅了した少女は一足先に奥へと消えていった。

 私は成時さんに野宮さんのメモを見せた。同時に、どういうことかも聞いた。

「このメモの内容が仮に正しいとすると、あなたは何か隠し事をしてたことになります。どうなんですか」

「そのことについても、奥の社で話します。どうぞこちらへ」

 彼女の後に続く。拝殿、本殿、その後ろ。しめ縄で通れなくしてあった道を歩く。細くなったりうねったり、木の音が露出していたり。この村に来る時に歩いた道を思い出す。この村に来た時、つまり一昨日は、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。野宮さんが殺されるとも思わなかったし、鬼が本当にいるとも思わなかった。思わぬことばかりが起こっている。この村は一体何なのだろうか。

 ただひたすらに、考えながら歩く。私を襲ったのは誰なのか、野宮さんを殺したのは誰なのか、鬼とは何なのか。私は考えることを止めずに、成時さんの後ろを黙って歩いた。

「こちらです。どうぞ中へ」

 案内された先は小さな社だった。中に入ると、先程の小さな女の子が奥に座っていた。ろうそくの光が揺れる堂内、奥には翡翠色の鞘に収まった刀が飾られている。壁付近には空になった酒瓶が大量に転がっており、ここにいる人物が頻繁に酒を飲んでいることが分かった。

「ようこそ、我が社へ。おまえの話は若葉から聞いている。一瀬遥、だったな」

「はい。あなたは?」

「私は翠蓮。見てのとおり鬼だ」

 鬼。はるか昔、日本最古の鬼は鍛冶師たちの神様として伝わっている。その姿は一つ目であったり、腕や足が一本だったりと様々だが、体のどこかが欠けているため、火を扱い怪我をしやすい鍛冶師たちの神として扱われたのだとか。何かの書物で読んだ知識を引っ張り出す。しかし、そんな知識があてにならないくらい目の前の鬼は美しかった。

「これから、この村の全てを話す。いいか?」

 私は持ってきた小さな鞄からボイスレコーダーを取り出し、頷いた。すると小さな鬼は、翠蓮さんは話し始めた。

「この村はもともと不毛の地であったことは知っているな。その土地に来た鬼というのは、我が母のことだ。ただ、母は少し不思議な力を持っていただけの人間で、その子どもとして私と私の姉、緋奈が生まれた。私たちは額に角を持ち、その姿から鬼と呼ばれた。母は、その不思議な力を使って村人たちの願いを叶え続けていた。土地を豊かにしてほしい、今年を豊作にしてほしい、それから、村一番の権力が欲しい。など何でもだ。」

 願望機と化していたその人のことを考えると、少し悲しくなる。どんなに不思議な、便利な力を持っていたりしても、その人物も生き物だ。好き勝手にされて良い訳は無いだろう。

「しかし、母は人間だった。やがて病で死んでしまったのだ。村人は彼女の力に感謝する反面、畏れてもいた。だから、万が一にも祟りが起こらぬよう、神社を建てた。それが今の神社跡だ。そこに母を祀り、村は自分たちの力で発展していくはずだった。だが当時の村長が、私たちに目を付けた。母の子で異形である私たちなら、同じ力を持っていても不思議ではない、と。我が姉はそれに反発し、一人で村を出た。だが、私はそれを受け入れ、母と同じ役割を果たすことを約束した。私はどんなに村長が嫌な人でも、生まれ育ったこの村を見捨てることができなかった。」

 優しい。そう思った。その優しさを利用した村長のことを、私も嫌になってきた。

「それから数十年経った時、姉がこの村を消そうと戦を仕掛けてきた。私がそこの刀を取りその時は追い払ったが、代償として体が縮んでしまってな。もう満足に刀を持つことさえできない。そうなってからさらに数十年、当時の村長に関連する血筋の村人が、村を出た一人を除いて皆殺しにされるという凶事が起こった。村人たちはそれを母の祟りだと考え、この神社を建てた。そして私たち姉妹を神格化し、祀るようになった。これがこの村の全容だ」

 聞き終えて、私は唖然とした。この村にそんな過去があったとは思いもしなかった。何も、言葉にできなかった。何か話したくても、喉が、口が、言葉を紡いでくれない。

「凶事の犯人だが、あれは我が姉が使役する人間だ。無理やりに殺させて、最後は口封じにその者も殺してしまう」

 連続殺人の犯人は捕まる前に殺されていたのだ。だから誰にも分からなかった。それがこの村の伝承である鬼と結びついて、恐れられるようになった。そして人は減っていき、隠れた名所のような今の村が出来上がったのだ。そこに調査と仕事に来ていた野宮さんが、何故このタイミングなのかは分からないが殺された。野宮さんのメモの内容が正しいなら、これで村長家の血筋は全て絶えたことになる。

「凶事、今になって初めて終わったと言えるのかもしれませんね」

「そうだな。これであの忌々しい家の血筋は全て途絶えた。あとは口封じに駒とおまえを殺せば終わりだ」

 駒。そういえば、私を襲ったあの影は一体誰だったのだろうか。その答えは、翠蓮さんが持っている、そんな気がした。

「……あの影は、誰なんですか」

 分かっていた。その答えが良くないものだって。それでも私は聞くという選択肢を選んだ。野宮さんを殺した人物を知りたかったからじゃない。ただ、真実を知りたかったから。だから私は、怖くても聞くことにした。

「あれは、民宿の主人の田原だ。知っているだろう?」

 血の気が引いた。その場に座り込みたくなる。あんなに仲良さそうだったのに、と思わず零す。すると、やれやれというように翠蓮さんが首を横に振る。

「姉が使役している人間に自分の意思はない。仲が良いとかそんなこと、もはや関係がない」

「そんな。じゃあ、野宮さんが田原さんの食事美味しいって言ってたのは?」

「姉の策略だろうな。警戒心を解いて、殺すための」

 言葉が出なかった。何も信じられなくなりそうだ。あれが全て嘘、あるいはそれに近い何かだと思いたくない。でも、これが現実だ。私は頭をがしがしと掻きながら続きを聞く。

「……私は、どうすればいいんですか?」

「おまえには姉を、緋奈を止めて欲しい。殺されかかっているおまえに言うのも変な話だが、私は刀を握れない、若葉は私の傍を離れられないで、もう誰もいないのだ」

 だから頼む、と。人任せもいいところだ。にしても、若葉さんが翠蓮さんの傍を離れられないのはなぜだろうか。

「若葉とはある契約をしていてな。この神社を一人で切り盛りする力を貸す代わりに、私の傍を離れない。そんな契約だ」

「そう。なので私はこの広い神社を一人で管理しても大丈夫なんです」

 しばらく静かに社内の掃除をしていた若葉さんが口を開く。私は思い切って二人に聞いてみた。どういう関係なのか、と。すると帰ってきた答えは思ったよりシンプルで、考えていたよりずっと素敵なものだった。

「私と若葉は、今どきの人間で言うところの恋人というやつだ。驚いたか?」

 そして鬼は酒を一口。

「いえ。素敵だなって」

「そうか、ありがとう。ところで姉を止める方法だが」

「はい」

「姉を殺してほしい」

「……え?」

 緋奈さんを、殺す。確かにそうすれば止まりはする。が、彼女は本当にそれを望んでいるのだろうか。翠蓮さんの表情はどこか悔しそうで、悲しそうだ。だから、本当は殺したくないのではないか、とそう思った。

「本当に、殺すんですか?」

「ああ。頼む。」

「でもどうやって? 私戦えませんが」

「私の刀を通して力を貸そう。少し寿命が縮むかもしれんが、そこは我慢してくれ」

 寿命が縮む、それを聞いて少し身構えてしまう。どうして私がそんな危険なことをしなくてはならないんだ、と頭が痛くなった。しかし、私の命が狙われているのは事実だ。どうにかして緋奈さんを止めなくては殺されてしまうかもしれない。そちらへの恐怖心が勝った。

「わかりました。やります。まだ生きてたいので」

 青鬼は頷く。そして私に、奥に飾られていた刀を手渡した。それを受け取った瞬間、体の奥に何か熱いものを流し込まれたような感覚に陥る。そして私は、翠蓮さんの記憶を垣間見た。話していた通りの過去、話していた通りの出来事。そして、仲よく遊ぶ二人の鬼。やはり翠蓮さんは緋奈さんを殺すことなど望んでないのではないか。そんな気がして私は、少し迷った。どうにかして殺さない方法はないか。そう思考を巡らせるようになった。


八、

「神社跡の奥に、ここと同じような社がある。姉はそこにいるはずだ」

 その言葉を思い出しながら、神社跡の奥地を目指す。思えばここに来てから歩いてばかりいる。野宮さんと出会ったあの道、村の内部、翠蓮さんの社への道、そして神社跡の

奥地への道。月明かりが照らす山道を、歩いて、歩いて、ただ歩く。それほど重みを感じない刀を持ち、進む。コツン、と。足に何かが当たる感覚があった。見るとそこには、何か黒い塊のようなものが落ちている。私はスマホのライトを使って、それがなんであるか確かめた。

 田原さんの、遺体だった。一体いつから操られていたのだろう。そんな疑問が湧いて上がってくる。無惨に引き裂かれたその体を見て私はただ手を合わせることしかできなかった。私に良くしてくれた二人はもうこの世にいない。その事実がどうしようもない寂しさを突き付けてくる。緋奈さんに会おう。会って、話をして、それから。それからどうするというのだろう。私は迷いながら進んだ。

 しばらく進んだ。篝火が見えてきた。それは私が目指した地点がもうすぐであることを示していた。篝火まで少し駆け足になる。何度か転びそうになったが、何とかして辿り着く。すると、そこには緋色の髪をした女性が立って、おそらく私のことを待っていた。

「待ちわびたぞ、人間」

 赤い鬼と対峙する。美しい見た目とは裏腹に、その瞳は殺気に満ちている。

「私を殺しに来たか」

 赤鬼が問う。私は首を横に振った。

「いいえ、私はあなたを止めに来ました」

「もうじき私の復讐も終わる。そうすれば自然と止まる。そう、おまえを殺せばすべてが終わる」

 殺させない。もうこれ以上、この人に罪を重ねさせたくない。私は持っていた刀を地面に置き、両手を挙げた。私自身に戦う意思はない。

「翠蓮さんはあなたが復讐を完遂することを望んでいるのでしょうか?」

 問いかける。意味がないと分かっていても、少しでも話を聞いて欲しくて。それから、話を聞きたくて。緋奈さんの目をまっすぐに見る。殺気はまだ消えていない。

「妹のことなどもう忘れた。あやつが何を望んでいるかなんて興味もないわ」

「嘘ですよね。だって、私が来た時からずっと、翠蓮さんの刀の事気にしてる」

 目を見ていればわかる。この人は先程からちらちらと、彼女に借りた刀の方を見ている。地面に置いた後もそう。視界に入るように目を動かしている。私は刀を拾い上げ、続ける。

「この刀が翠蓮さん昔の記憶を見せてくれたんです。あなたと二人で、楽しそうに遊んでいる記憶。思い出せませんか? あの時の気持ちを」

「うるさい黙れ」

 叫び声に体が少し硬直する。どうやら私は彼女を怒らせてしまったようだ。どこで、何を間違えたのか私には分からない。

 緋奈さんがゆっくりと刀を抜く。それに合わせ、私の体は勝手に動いた。まるで自分の体ではないかのように、誰かに操られているかのように。私の右腕が、左手に収まった鞘から刀を抜き身を構える。刀なんて握ったことないのに、その柄を握る感覚が妙に馴染む。

「私は独りだ。もう何もいらない。あとはおまえを殺すだけで全部終わるんだ。だから大人しく死ね」

 重さを感じない刀が勝手に緋奈さんと打ち合いを始めた。防いで、斬りつけて、鍔迫り合いして、私の意思とは関係なしに体が動く。私の意思で体が動かない。全部、この刀の言う通り操る通りに私の体は動く。それはつまり、翠蓮さんの思い通りに私の体が動いていることを意味していて。このままでは緋奈さんを殺してしまうのではないか。そう思うと少し怖くなった。そんな恐怖心がまるで嘘のように、体は動くのを、彼女を殺そうとするのを止めない。

「私の方が速い」

 口が勝手に言葉を紡ぐ。もう私の意思なんて関係ない。これは翠蓮さんの声だ。その言葉通り、少しずつだが緋奈さんを追い詰めていく。完全に操り人形になった私の気持ちなんて関係ないかのように、緋奈さんを確実に殺すために、翠蓮さんは私の体を操る。

 急に、目眩がした。体の力が抜けていく。血の気が引いて冷や汗が出てくる。気持ち悪い。こんなになってもまだ、私の体は動き続ける。さっきより鋭く、速く。どうなっているのか、理解できなかった。

 明らかに重くなっていく斬撃が、緋奈さんの刀を弾き飛ばした。その瞬間、私は体の拘束がほんの少し緩んだのを感じた。翠蓮さんの油断。今しか、二人を止めることはできない。そう思った。だから。

「もうやめて二人とも」

 腹の底から叫ぶ。見えない糸を振りほどくかのように刀を振り回し、力任せに投げた。青い刀は近くの木の根元に突き刺さり、やがて静かになった。

 重たい体を引きずるようにして倒れこんだ緋奈さんのもとへと歩く。まだ私たちは生きている。引き返せる、そう思った時だった。緋奈さんの華奢な腕が、私の首を掴んだ。

「あ……」

 苦しさに喘ぐ。細い体からは想像もできないほど強い力が気道を圧迫する。体が重くて抵抗すらできなかった。苦しくて、痛くて、悲しくて、悔しくて、涙が零れる。どうしてこうなってしまったのだろう。どうして。そう思考していると、緋奈さんは話し始めた。

「大切な人が苦しんでいるところをずっと見ていた私の気持ちが分かるか? 母さんがずっと、この村に苦しめられていたところを見ていた私の気持ちが」

「わかり……ません」

 やっとのことで声を絞り出す。その声が届いたかどうかは分からない。首の拘束が少しだけ緩んだ。そして私の体は地面に投げ出される。尻もちをつく形で地面に落ちた私を見ずに、緋奈さんは私の後ろ、この場所に来た時の道の方を見ていた。

「翠蓮……」

「随分と久しいな、姉上」

 二人が何か話している。私は消えそうな意識を辛うじて保ちながら、二人に話すべき最後の言葉を紡いだ。

「お二人で、ちゃんと話し合ってください。話せばきっと、解決できます。姉妹なんだから」

 その後、私の意識は途絶えた。


九、

「と、いうようなことがありまして。その時の経験を題材に一本書きたいんです」

 建ち並ぶビルの隙間で、私は担当に電話していた。あの後、二人は結局仲直りをし、緋奈さんは贖罪に尽力することを決めた。田原さんと野宮さんの遺体は丁重に葬られ、私は真実を知る者として、それを公開するか否かの権利を貰った。私はそれを事実として公表することをせず、あくまでファンタジーとして小説にすることにした。それが事の顛末だ。

『まあ、あなたが書きたいなら止はしないけど、出版するかどうかは別よ?』

「はい、それでも大丈夫です」

 電話を続ける。

『そんなことより、あなた今どこにいるの? 休暇する代わりに、しばらくはいつもの倍以上書くって話だったでしょ』

 背筋が凍る。確かにそんな話をしたんだっけ、と古い記憶を呼び起こした。そうだ、私は村へ行く言い訳に休暇を使ったのだ。村の人には、取材と観光を兼ねていると言ったが。とにかく今は言い訳を考えなくては。

「えっと、ほら、今回の経験から少しは散歩した方がいいかなって」

『問答無用。さっさと帰って原稿書きなさい。イラストレーター待たせてるんだから』

「……はーい」

 電話を終える。今あの村はどうなっているのだろうか、今あの二人はどうしているのだろうか。そんな疑問ばかり浮かぶが、何せ片道四時間半。簡単に足を運べる距離ではない。答えは簡単には得られないだろう。

 さて、書く小説のタイトルは何にしようか。鬼の女の子の話。しばらく考えて、私は答えを出した。「鬼姫」。私はこれから書く小説の内容を考えながら、帰路についた。

 漂い始めた冬の気配に、紅葉は静かに散っていった。


読んでいただいてありがとうございました。

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