7 対話
「ん………」
どうやら、また寝てしまっていたようだ――少女はそう思いながら、眠りから覚めた。
しかし、その瞼は固く閉ざされたままだ。
首筋に残った、喉を締め上げられる感触。
部屋に転がる感電死体。
草を踏み、石を踏み、木の枝を踏み、必死に森を走り続けた昨日の夜。
そして、見知らぬ少年を――自分を助けてくれたであろう少年を、訳も分からず襲い、挙句の果てに殺してしまう所だった事。
それら全ては、はっきりと少女の脳裏に焼き付いていた。
体が押し潰されそうな、目を背けたくなるような出来事がフラッシュバックし、頭は起きていても目が開けられない。
――だが少女は、同時に別の事も思い出していた。
眠りにつく前に確かに感じた、愛おしく温かい気持ち。
母親に抱きしめられる時のように、満たされ、安心しきって眠りについた事が、暗澹たる記憶の上に覆いかぶさっている。
少女は不思議と体が軽い事に気がついた。
眠って疲れが取れたからだろうか。見えないが肌に感じる、柔らかく手触りの良い毛布のせいだろうか。
それとも。
ゆっくりと、目を開けてみる。
(……ここは、どこ?)
目に入って来たのは、いつもの煌びやかな天井では無く、シンプルな板張りの天井だった。どうやらどこかの民家の一室なようだ。
少女はむくりと体を起こす。
そこはベッドの上で、思った通り真っ白な毛布が一枚かけられていた。
真横にある窓からは橙色の光が差し込んでいる。今はもう夕方らしい。
外には見慣れぬ石造りの住宅が立ち並んでいた。どれも祖国では見られない外観の家ばかりで、ここが別の知らない国である事はすぐに分かった。
そうやって外を眺めていると、背後から声がする。
「あ、おはよう。起きたかい?」
「………ひゃあ!?」
突然の声に少女は飛び上がり、壁際にすっ飛んだ。
急いで毛布を掴み、反射的に身を隠す。
恐る恐る声のした方を見やると、一人の少年が椅子に座り、本を片手にこちらを見つめていた。
キラキラと輝く短い銀髪に、蒼い瞳の少年だ。
(……不思議な、目)
それが、その少年に対する第一印象だった。
吸い込まれそうなほど深く蒼い、
そして、冷たく悲しく染まった瞳。
しかし目つきは柔らかく、本人の優しい性格が滲み出ているような、そんな目だ。
少年は「やあ」と軽く手を振り、微笑んだ。
「ごめんね。勝手に連れてきちゃったんだけど」
(……あ、この人)
その声を聞き、少女は何かを思い出したようにハッと息を呑む。
「ここはリンカの家だよ。さっき洞窟で一緒に居た人で――」
「あ、あのっ!!」
そして次の瞬間、彼女は思わず叫んでいた。
驚いた様子で顔をひきつらせる少年。
「な、なに?」
「その……さっきは、ごめんなさい!!」
少女は、先程の一件を思い出していた。
我を忘れて少年に襲いかかり、あまつさえ殺そうとしてしまった――当時混乱していたものの、その光景は少女の頭に鮮やかに浮かび上がった。
「あ、ああ……いいよ、全然気にしてないから。それより――」
「私、あなたを殺そうとした!!」
少女が再び叫ぶ。
彼女の真に迫る声色に、少年は口をつぐんだ。
「なんて謝ったら、いいのか………ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
消え入りそうな声で、少女は謝り続ける。
その紅い眼からは、静かに涙が伝っていた。
「ごめんなさい……あの時、私、おかしくなってて……ごめんなさい……」
そうやってうつむき、泣き暮れる少女。
少年は困ったようにその様子を見ていたが、その後で柔らかく微笑んだ。
「……気にしないで。俺も、蹴っちゃってごめんね」
少年はおもむろに立ち上がり、少女の方へ歩み寄る。そしてベッドに腰掛けると、懐からハンカチを取り出し、彼女の眼下に優しく押し当てた。
「あ、ありがとうございます」
嗚咽を漏らしながらも、少女はそのハンカチを受け取り目を拭う。
「……! あんまり近寄ったらっ」
だが直後。すぐ傍に座る少年を見て、少女はとっさに距離を取った。
「ん? 来ちゃダメだった?」
「あ、い、いや……そうじゃないんですけど……その、危ないからっ」
「危なくなんかないよ。君のどこが危ないって言うのさ」
「……だ、だって……さっき私は、無理やりあなたの血を吸って、それから、で、電気で……!」
少女は恐れからその先の言葉に詰まった。
敏感にそれに気づいた少年は、大丈夫だといわんばかりに笑いかける。
「今の君を見ていれば、大丈夫だってことは分かるよ」
「で、でも……」
「よくわからないけど、あれは事故だったんでしょ? なら、仕方ないさ」
「そう、ですけど……ごめんなさい……」
「別に謝らなくていいんだよ。俺の方こそ蹴っちゃったりして、酷いことしたんだから」
「…………」
少女は無言のままうつむいた。
――――
(……どうしようか)
カイは、少女に対しある種の無力感を感じていた。
真っ先に口から出た謝罪の言葉やその後の態度から、彼女が全くの無害で、そして途轍もなく温和な性格であることは既に分かっていた。血を求めて飛びかかってきたあの時の獰猛さは影も形もない、ただの純粋無垢な少女が目の前にはいた。
事情はよく分からないが、襲ってきたのも放電したのも、彼女が意図して行ったのではなかったのだ。
だからこそ、ちゃんと話を聞いて助けてあげたい。
何か問題があるなら、それを解決してあげたい。
そう思った。
しかし彼女が抱える問題は、カイが口先でどうこう出来るものではないようなのだ。
大丈夫だ、気にすることはない――などと、そんな薄い言葉では介入できないような、複雑で深い事情がこの子にはきっとある。
だからこそ、自分の事を危険だと言い、責め立て、どうすることもできず泣いているのだ。
しかしこの子を助けたいならば、この子の事を知らないといけない。
すなわち、彼女の内面に、その複雑な事情に、臆面もなく立ち入るという事。
果たして自分のような無関係な者にその資格はあるのだろうか、とカイは悩んでいた。
そして、長い沈黙の後。
カイは意を決したように口を開く。
「君は、紅血族なんだね?」
「……はい」
「紅血族は電気に弱いって聞いてたんだけど……どうやら君は違うみたいだ」
「……………」
「その、良ければだけど、話を聞かせてくれないかな」
カイは慎重に言葉を選びつつ質問した。聞きたいことは山のようにあったが、最初に選んだのは一番気になっていた電気の件についてだった。
少し悩んだが、兎にも角にも話を聞いてみないことには始まらない。投げかけた疑問が虚空へ消える事は覚悟の上、失礼を承知で彼女に問う。
だが、そんな覚悟も杞憂に終わった。
少女はすこしばかり考えるように沈黙した後、何か決心したかのように強く手を握りしめると、カイの疑問を受け入れ、答えてくれた。
「……私、生まれたときから病気なんです」