5 疑問
(……全然、痛くない)
いや、むしろ心地良いと言うべきか。カイは首元に少女の牙を感じながらそう思った。
最初襲われた時と同じく、牙が深く突き刺さっているのには変わらないのだが――なぜか痛みはこれっぽっちも感じない。噛まれている場所からじわじわと温かいものが体に広がっていく感じがする。
(血の吸い方にも、色々あるのかな?)
血が吸われているのに、逆に何かが注入されていくような不思議な感覚だ。
それが何によるものなのかは分からない。だがカイにとってそんなことはどうでもよかった。
痛かろうが痛くなかろうが、満足の行くまで血を吸わせてあげよう――そう決めたから。
――――
「カ、カイ! なんなのこれ!?」
少女に血を吸わせ始めて少し経った後。気づくと、部屋の入口の方にリンカが立っていた。
至る所にひびが入り、瓦礫やアリの死体が散乱する部屋にリンカはまず驚きの声を上げる。そして次に彼女の目が捉えたのは、カイの首筋に牙を立てる謎の少女の姿であった。
「……! カイ!!」
何が起こったか事情を知る由も無いリンカは、カイが襲われていると判断し即座に駆け寄ってきた。そして背中に収めていた剣を勢いよく抜き、少女に突き向ける。
「あんた!! 今すぐカイを離しなさ……い…………」
だがその直後、リンカは言葉を失った。
カイを襲っているはずの少女の顔が、優しさと幸せに満ちあふれていたのだ。
慈愛の心をくすぐられるような、天使のような幼い子供の笑顔を浮かべ――それでいてカイの首筋に牙を立てる少女を前に、リンカはフリーズした。
カイを救うため、少女を切り伏せる勢いで抜刀したものの、その剣の行き先を完全に見失っている。
「リンカ。剣を降ろしてくれ」
カイが穏やかな口調で武装解除するよう促す。リンカはハッと我に返り、言われるがまま剣を降ろした。
そして口を半開きにしたままカイに尋ねる。
「……その子は? 一体何をしてんの?」
「多分吸血鬼。血を吸ってるんだ」
「吸血鬼? あー、なるほど。だから噛み付いてるのね…………って、納得できるわけ無いでしょ!!!」
リンカの怒号が洞窟中に響き渡る。
カイは苦笑いを浮かべた。
「……俺は大丈夫だから。とにかく、この子は無害だよ。安心して」
「安心してって、思いっ切り噛まれてるじゃないの!!」
少女を指差して反論するリンカ。だが当の少女はリンカの事など見向きもせず、たた恍惚とした表情でカイに噛み付いていた。
「痛くないから構わないよ。それより、この子をどうしたらいいかな」
「……どうしたらって、そもそもこの子は何なのよ! どっから湧いて出たの!?」
「それが、俺もよく分からないんだ。迷子みたいなんだけどさ、何かおかしな事情があるみたいで」
「…………ちょっと、話が見えないわ。何があったのか、一から説明しなさいよ」
剣を背中に収め、そこらじゅうにヒビが入った地面に座り込むリンカ。
カイは、彼女と別れてから現在に至るまでの経緯を説明した。
少女が一人、女王アリの部屋で眠っていたこと。起こすと突然襲われ、噛みつかれたこと。
予期せぬ死地を何とか潜り抜けたこと。
少女が全裸で寝ていたのは、上手く誤魔化して伝えた。彼女は素肌の上からカイの上着を羽織っていたため、リンカはなんとなく察していたようだが。
――そして一通り説明し終える間に、少女は眠ってしまった。
あれだけの雷魔法を使ったのだ、魔力が尽きて疲れ果ててしまったのだろう。
詳しい話を聞こうと思っていたカイは機を逸した感が否めなかったが、首を甘噛みしながらスースーと寝息を立て始めた彼女を見て、取り敢えず寝かせてあげる事にした。事情を聞くのは彼女が起きてからでもいい。
話を聞き終えたリンカは驚きを隠せないようで、目をパチパチさせている。
「なるほどね。何か騒がしいと思って来てみたら……あんた、よく生きてたわね……」
彼女の感嘆と心配が入り混じった感情がひしひしと伝わってくる。
「うん。結構危なかったけど、もう大丈夫」
「大丈夫なわけないでしょ!? あんた死ぬとこだったのよ!?」
「……それはそうだけど」
「ああ、やっぱり二手に分かれるってのは危険だったんだわ!! 難易度が低い依頼だからって、油断してた……!」
リンカは後悔に顔を歪め、がっくり項垂れた。カイを危険にさらしてしまった事にかなり気が滅入っているようだ。
気持ちは分かるが、今回のケースは全くの想定外。リンカがいた所でどうしようもなかっただろう。あそこまで突発的な広範囲攻撃をされては、味方が何人いようが関係ない。
心配してくれるのは嬉しいことではあるが。
「まあ……今回のは予測不可能なトラブルって感じだし、仕方ないよ」
「いいえ! 万全に万全を期すのが冒険者の鉄則よ。どんな楽な仕事でも、全力で臨まないといけないの。ちょっと気を抜きすぎてたわね……反省しなきゃいけないわ」
「…………」
カイは返す言葉もなく、うつむいた。
「……まあいいわ。とりあえず、あんたが無事でよかった」
リンカはよし、と気を取り直して言う。
「それで、この子は大丈夫なの? 今またこの場で放電し始めたら困るんだけど」
「……ああ、それは多分大丈夫。おおかた魔力を放出してしまったようだし。それに、万が一放電するような事があったら……俺が、必ず止めるから」
力強く、カイはリンカに約束した。
先程は突然の事態に隠れることしか出来なかったが、二度目はない。来るとさえ分かっていれば、雷だろうと何だろうといくらでも対処できる。
でなければ、魔術師失格だ。
「ならいいんだけど。でも、この子ちょっと得体が知れなさすぎじゃない? 紅血族とはいえ、いきなり殺そうとしてくるなんて……危険すぎるわよ」
「……いや。この子にはきっと、何か事情がある」
カイはリンカの懸念を否定した。
確かに、少女には突然襲われ血を吸われ、雷魔法で殺されかけた。これは紛れもない事実だ。
だが彼女の行動をよく思い返してみると、妙に気にかかる事が多くある。
まず、彼女が電撃を放っていた時の事だが、特に害意といったものは感じられなかった。
何より、その電撃に自分自身が苦しんでいるようだった。
――そして、少女の流した涙。
あれは、電撃の痛みによるものじゃない。
もっと別の何かに耐えかねて溢れ出たものだ。
明確な根拠はないが、カイはそう考えていた。
だからこそ――
「……ふーん。じゃあ、それを確かめる為にこの子から話を聞かないとって事ね」
「そういう事」
流石リンカだ。話が早くて助かる。
たまに行き過ぎて早とちりしてしまうのが難だが。
そうだ。いくら酷い目に遭わされたからと言って、こんな健気な少女を危険な存在と断定するのは早すぎる。
まずは直接話を聞かない事には始まらない。
「……でも、おかしいわね。この子、吸血鬼……紅血族なんでしょ?」
すると、何かに気づいたようにリンカが呟いた。
むにゃむにゃと幸せそうに眠る少女の顔を覗き込み、首を傾げている。
「多分ね。一体何があってこんな所に迷い込んだんだろう」
「いや、それもそうだけど、違くて。紅血族なのに雷魔法を使ったんでしょ?」
「……ん? そうだけど。それがどうかした?」
カイが問い返すと、リンカは常識だと言うようにサラッと言い放った。
「あら、知らないの? 電気って、紅血族の大弱点なのよ」