4 轟雷
「なっ……」
(電撃――雷魔法か!!)
そう瞬時に理解すると共に、カイは両手を地面に当てた。
魔法により目の前の地面が隆起し、分厚い壁がせりあがる。そしてすぐさま身をかがめ、その岩壁に身を隠した。
耳をつんざくような轟音が洞窟中に響き渡る。
少女の体から電撃が四方八方に拡散され、部屋中に亀裂が入っていく――制御不能の、超強力な広範囲攻撃だ。
見境なくほとばしるその電撃はカイの方へも飛んできたが、岩壁のおかげで事無きを得た。だがその岩壁には深く抉られたような傷がついており、カイはごくりと唾を飲み込む。
あと一秒でも岩壁を出すのが遅れていたら、魔力で防御しても死んでいた。そう確信できる程強力な電撃だ。
「……一体、何がどうなってるんだ!!!」
カイがそう叫ぶのも無理はない。立て続けに起こる奇怪な事件に理解が追いつかず、頭を抱えてしまう。
いきなりこの少女に襲われ噛みつかれたかと思えば、今度は魔法で攻撃してくるとは。
噛みつかれたのは、百歩譲ってまだ分かる。少女が吸血鬼であるなら、大方お腹が空いていたとかそういう理由だろう。
だがこんな超火力の魔法で攻撃されるような謂れはない。さっき足蹴にしてしまったのが彼女の癪に障ったのかもしれないが、殺される程の事ではないはずだ。
しかし、何故こんな幼い少女が魔法を。
それもこれほど強力な雷魔法を。
(吸血鬼は強いらしいけど……ここまでなのか!?)
魔法というのは、誰にでも扱えるものではない。学校に通ったり教科書で勉強したりして魔術理論を学び、何年も鍛錬を続けなければ習得は不可能なのだ。
電撃の放出とは魔術に限って言えば雷魔法に分類され、基本的にこんな幼い少女が扱えるはずは無かった。
しかも、雷魔法は魔法の中でも群を抜いてハイレベルな魔法だ。その難易度と扱いづらさからベテラン魔術師でも扱える者はひと握りであり、その事実が更に少女の謎を深めた。
ちなみにカイは、天才故にこの若さで雷魔法を習得していたが――扱えるようになったのはつい最近のことだった。
しかも使えるのは相手をちょっと痺れさせる程度の、静電気に毛が生えたようなレベルの魔法だ。
(……世界は、広いな)
カイは感嘆と無力感が重なるような感情を抱いた。
自分より5歳は年下であろうこの少女が放つ雷魔法は、まさしく雷といって遜色ないほど激烈なものだった。
――――
しかしそうこうしている間にも、少女は未だ電撃を放ち続けている。
カイは意を決して、岩壁から顔を覗かせて少女の様子を窺った。
少女が地べたに座り込み、体から絶え間なく青白い電撃を放っているのが見える。特にカイに近寄って来ようとする気配はなく、その周りには電撃にあてられボロボロになった岩の瓦礫や、アリの死体が転がっていた。
アリの死体――リンカとカイがこの洞窟に来る前に、少女によって既に感電死させられていたであろう死体だ。
1つ謎が解けた所で、カイはこの状況をどう打開するかを考える。
少女の電撃は収まる気配がないように見えるが、ずっと放電していたせいか最初に比べて大分その威力は弱まっているようだ。
このままいけば、いずれ魔力が尽きて電撃は止まるだろう。そうなれば容易に制圧できる。
カイは少女を観察するようにじっと見た。
もう少女はカイの方を睨んではいないようだ、が――
よく見ると、少女の様子がおかしい。
(なんだ……?)
少女は目を薄く開き、自分を抱きかかえるようにして震えていた。
歯をむき出しにし、顔をしかめているのは先程と変わらないが、それは先刻見せた怒りの表情ではない事は明らかだ。
それほどまでに彼女の表情は、苦痛に満ちている。
そしてその目からは、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれていた。
「痛い……痛いよ……」
少女が喉から絞り出すようなかすれ声をあげた。
まさか。
強力な電気に、体が耐えられていないのではないか。
あれだけの電撃だ、発生源の体が無傷である方がおかしい。身を隠して遠巻きに観察していただけでも「即死」の文字が頭をよぎる程の威力だ。体への負担は想像を絶するだろう。
なぜその事に頭が回らなかったのか、とカイは自分を呪った。
「うう………ひぐっ………」
――すすり泣く少女が、亡き妹の姿と重なる。
「…………くそっ」
思わず、唇を噛み締めてしまう。
少しの間、考えるようにじっと少女の姿を見つめた後。
カイは何かを決心するようにひとり頷くと、正面の岩壁にそっと両手をかざす。すると岩壁が地面から切り離され、空中にゆらゆらと浮かびだした。
そしてその壁を自分の前に浮かせて、カイは少女のもとへゆっくりと歩き出した。
バチバチ、ズガンと電撃が岩壁を直撃する。だが先程と違い岩壁に亀裂が入った様子は無く、明らかに電撃の威力が弱まっているのが分かる。あらかた魔力を放出してしまったのだろう。
少女の方を見やると、その様が容易に伺えた。身体から発せられる光は未だ止まる気配はないが、その強さは先程と比べれば格段に小規模だ。
(これなら、いける)
魔力で防御さえしていれば、死ぬことはない。そう確信した瞬間、カイは浮かせていた岩壁を思い切って側方へ吹き飛ばす。
そして勢いよく少女のもとへ駆け出し、
電撃をもろともせず、正面から彼女を抱きしめた。
「……!!」
少女は突然の抱擁に驚いたようで、その体を強張らせる。次に、彼女の青白い放電光がカイの身体を包み込んでいった。
「ぐっ……!」
予想に反して電撃はかなり強く、鋭かった。
身体中に針を刺したような、骨の髄まで痺れるような痛みがカイの体中を駆け巡る。
だが、後悔はない。
吹けば飛んでしまいそうなほど線の細い彼女を、そっと抱き寄せ。
カイは柔らかく語りかけた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
「う……うう」
「落ち着いて。深呼吸しようか。息を吸って、ゆっくり吐いて……」
少女は最初混乱していたようだが、カイの優しい言葉に少しだけ表情をやわらげると、指示通り深呼吸を始める。
そして暫くすると、目を閉じ、彼の胸に顔をうずめた。
「大丈夫。安心して。そのうち止まるからね」
青白い光の中、カイは優しく少女の背中をさすってやる。
その最中、カイは自分で自分を不思議に思っていた。
見知らぬ少女を、それも自分を襲ってきた少女を、身を犠牲にしてまで宥めようとするなど――普段の自分では考えられなかったから。
妹が死んだあの日。
優しさとか温かさだとか――そういった類のものは、須らく心から零れ落ちてしまった。そう思っていた。
だが、泣き暮れるこの少女を目にした時、体はひとりでに動いていた。
それがさっき起こった紛れもない事実だ。
「……お兄ちゃんに任せて。絶対に大丈夫だから。ね?」
少女の傷ついた体と心を、カイの言葉が暖かく包み込んでいく。
「ひぐっ………ぐすっ……」
青白い光が、徐々に収束していく。
体を、心を、感情を蝕んでいた電撃が止んでいく。
それを感じ取り、カイはより一層柔らかい声で彼女をなだめた。
「辛かったね。怖かったね。でも、もう大丈夫。大丈夫だからね」
「うん……うん……」
少女の放電が、完全に停止した。
――――
洞窟内は再び静寂と暗闇につつまれた。地面に放り出された一本の松明が、二人をゆらゆらと優しく照らし出している。
カイは自分の胸へ力なくもたれかかる少女に、再び語りかけた。
「……血、吸っていいからさ。お腹空いたんでしょ?」
カイの肩に頭をもたげ、少女は目を細めてコクコクと頷く。
「いくらでも吸っていいから。だから、だから――安心して」
その紅い瞳からは、もう涙は流れてこなかった。
少女は幾許か安心した表情をみせ、
さっきよりもうんと優しくカイの首を噛んだ。