3 吸血鬼
「うおおっ!?」
叫び声をあげて飛びかかってくる少女に面くらい、カイは一瞬たじろぐ。
その一瞬が命取りだった。
少女は迷うことなくカイに向かって突進し、ガブリと首筋に噛み付いた。
「痛ッ……たああ!?」
ほとばしる激痛。人に噛まれる時のそれとは、全く別物の痛みがカイを襲った。
思い切り釘を打ち込まれたかのような、突き刺さる鋭い痛み――尖った何かが、首元を深くえぐっていく。
カイはそのまま少女に抱きつかれ、二人共々勢いよく地面へ倒れ込んだ。
「くっ……離れろっ!!」
痛みが脳天まで抜けていく。苦痛に顔を歪めながら、カイは満身の力で以て少女を引き離そうとした。
だが、離れない。首に腕を回し、幼い少女にあるまじき凄まじい力で抱きつかれている。
「離れろって……この!」
理性を失っているのか、呼びかけにも反応しない少女は目が血走っていた。
なぜ襲ってきたのか、なぜ噛みつかれたのか、人間の歯ではありえないこの鋭い痛みは何なのか。そんな事に思考を巡らせる余裕もなく――痛みに耐えかねたカイは、あろう事か腕のみならず足まで使い、少女を引き剥がしにかかる。
「くそ……くそっ! 離せっ!! 痛いからっ!!」
瞬間。
その言葉に呼応するかのように、少女の噛む力が少し弱まった。
チャンスだ、とばかりにカイは少女の顎に手をあて、全力で噛む力に抵抗する。
「……!」
うまくいった。
突き刺さっているものがするりと抜け、鋭い痛みが引いていく。
そしてカイは、そのまま足蹴にする形で少女を突き飛ばした。
思い切り蹴り飛ばされ、彼女は勢いよく地面を転げていく。
「……!」
カイはハッと息を呑んだ。
痛みから解放され安堵するも束の間、自分が今しでかした事への後悔の念が降りかかる。
「ご、ごめん! ごめんよ! そんなつもりじゃ……!」
「う……う……」
咄嗟に謝るも、地面に横たわる少女は鈍くうめき声を上げるばかり。
(……何をしてるんだ、俺は!!)
身を守るためとはいえ、相手は華奢な女の子だ。蹴飛ばす必要性など全くなかった。魔法を使ってうまく引き離すくらい、少し考えれば出来ただろうに。
結局のところ人間、咄嗟で出るのは脳みそではなく手。
無様なものだ。
「……うう」
幸いな事に、横たわっていた少女はすぐにむくりと起き上がった。大事には至らなかったようだ。
だが、今思い切り蹴飛ばされたことははっきりと認識しているようで――少女は目を見開いて歯を食いしばりカイをに鋭い目線を向けている。
怒らせてしまった。
カイは焦りに焦って、早口で謝罪の言葉を口にする。
「謝らせてくれっ! そんなつもりじゃなかったんだ。とっさのことで、こっちも混乱してて――」
だが少女に語りかけ始めてすぐ、カイは言葉を失った。
彼女の怒りに歪んだ顔を改めて目にし――自分が襲われた理由を、朧げながらも理解する。
深紅に染まった目の虹彩に、鋭く発達した犬歯。
紅血族――吸血鬼か。
人間の血を吸い、自らの糧とするという特殊な種族だ。
血のように赤い瞳と鋭利な犬歯が特徴で、常人よりはるかに強靭な肉体をもち、魔術にも長け高い知性を持ち合わせているという。
平たく言えば、普通の人間より何倍も強い。そんな種族だ。
よく血を求めて人間を襲うので、吸血鬼と呼ばれるほど昔から畏怖の対象であったのだが――度重なる人間との争いを経て、今は僻地に小さな国を作り、民族一同静かに暮らしている。
と、歴史の教本に書かれていたと思う。あまり興味の無い分野なのでうろ覚えだが。
カイは実物の紅血族を見たことが無かったので、自分の知識と彼女の外見とを結びつけ、彼女が吸血鬼であると一先ず断定した。
「……い、一旦落ち着いて! 話を聞いてくれ」
ズキズキと痛む首元の噛み傷を手で抑えながらも、カイは冷静に話し合いを試みる。
吸血鬼だろうがなんだろうが、そんな話は後だ。今さっき蹴飛ばしてしまった事への弁解をせねば。
それに、この少女には聞きたいことが山ほどあった。
アリの集団死もそうだし、なぜ一人でこんな場所にいるのか等、彼女に話を聞かないとどうにもならない事が多すぎる。
しかし少女は相も変わらず、カイの事を目を大開きにして険しい表情で見つめていた。その形相はさながら臨戦態勢の獣のようで、興奮のあまり話が通じないのでは、とカイの首筋に冷や汗が伝う。
「……なんで……こんな……」
すると、少女が何やらぼそぼそと呟いた。
彼女が口を開いたのを見てカイは安堵し、会話を試みようとする。
だがその時。
何か、形容し難い悪寒がカイの背筋を突き抜けた。
――バチバチッ。
次の瞬間、少女から何かが弾けるような音が聞こえた。
見れば、その体から何かチカチカ光るものが飛び出ている。
(……? なんだ?)
カイは目を凝らして少女を観察する。
よく分からないが、何か様子が変だ。
「もう、嫌……なんで……どうして……」
鋭い牙をむき出しにして怒りの表情を見せながら――その目には、涙が浮かんでいた。
まずい。
泣かせてしまったのか。
カイは、焦りから再び早口でまくし立てる。
「ご、ごめん! 俺が悪かった。さっきのことは謝る! だから、落ち着いて……」
カイが少女をなだめようと、一歩踏み出したその瞬間。
彼女の体から、目も眩むような青白い電撃が轟音と共に撒き散らされた。