31 カルミットベリー
「こ、このっ! 何してくれてんですか!!」
慌ててリーニャが子虎の口を開けさせ、いちごを取り返そうとするが――間に合わなかった。
子虎はいちごを口に入れた瞬間にゴクリと丸呑みしてしまい、そして美味しかったと言わんばかりに「みゃあ」と鳴いた。
突如として起こった事件に理解が追いつかず、一同は呆然と立ち尽くしてしまう。
「う、うそでしょ……?」
「ロルフ! いちごの匂い、嗅げましたか?」
「クーン……」
リーニャが期待して問うが、ロルフは悲しげに鳴いてうつむいた。どうやら嗅げなかったようだ。
「……最悪です」
一同は暫くの間唖然とした表情のまま、その場で固まっていた。
その後、リンカが怒りに声を荒げたのは言うまでもない。
「ちょっと! 何なのよその子供の虎!! どっから湧いて出たの!?」
「あ……ごめん。俺が連れてきたんだ」
カイが咄嗟に名乗り出た。ルナに怒りの矛先が向くのはまずい。
リンカは露骨に眉をひそめる。
「……は? 理由は?」
「え、えっと……さっき、拾ったんだ。可愛いなーって思って。うん」
その言い訳に、リンカは数秒カイの顔をギロと見つめた後――昂ぶった感情を全て吐き出すかのように、大きな大きなため息をついた。
「……訳分かんない」
怒りを通り越して呆れた様子のリンカ。だが彼女は、先程の働きに免じてなのか知らないが、それ以上カイを追求することはなかった。
そして、ルナが申し訳無さそうにカイの服を引っ張る。
「カイ、ごめんなさい。ルナのせいなのに」
「いいんだ……あと、別にルナは悪くないからね」
カイは気にしないでと微笑んだ。
ルナは責任を感じているようだが、子虎が勝手に起こした事件だ。彼女に非は全く無い。
「……で? またいちごを探さないといけないわけ? 一から?」
「みたいだなあ。ははは」
リンカは肩を落とし、アレクは仕方ないというように笑った。
「ダメだよ、勝手に人のもの食べちゃ。一生懸命探してたんだから。めっ!」
ルナが子虎の頬をむぎゅうと引っ張って注意する。
全てはこの子虎のせいなのだが、かといって叱りつけても仕方がないだろう。カイは苦笑いした。
一同は言葉を失い、微妙な空気が流れている。
長い時間をかけてようやく見つけたいちご一個、それを使ってあとはロルフに任せて終わり――と思っていた矢先の事だったので、その精神的なショックは多大なものだった。
また森の探索と虎との戦闘によって疲労もかなり溜まっており、それがこの重くるしい空気に拍車をかけている。
また、一からのスタートか。
そう思っていた、そんなとき。
子虎が突然ルナの手を離れ、森の奥の方へ駆けていき――こちらを振り返り、何かを訴えるようにバウバウと吠え出した。
「……? 何だろう」
「ついて来い、と言ってるみたいですね」
リーニャが呟くように言う。
「え、リーニャ、動物の言葉が分かるの?」
「いいえ、勘です。そんな力は私にはありません。あったら嬉しいんですけどね」
リーニャは少し残念そうに首を振った。
だが、獣人族でビーストテイマーの彼女が言う勘だ。どこか信頼に足る気がする。
「ついてこいって、どういう事よ」
「さあ? 分かりません」
一同が子虎の不思議な行動に首を傾げていると、その間に子虎はさっさと森を先へと歩いて行ってしまった。
「行っちゃいました。どうします?」
「ついていってみようぜ。これはきっと、いちごがある場所に俺達を案内してくれるパターンだ!」
「……何を馬鹿なことを。そんな都合のいい事があるわけないでしょう」
馬鹿げた考えだとアレクに呆れるリーニャ。
カイも彼女と同意見だったが、どこかそんな展開を期待してしまう自分もいた。それほど子虎の行動は突発的で、不可解なものだったからだ。
よく分からないが、ここで考えていても仕方がない。ついて行くべきだろうか、とカイは再び子虎に目線を移す。
そして、ルナが子虎の後ろをトコトコと追っかけて行ってしまっているのに気がついた。
「ああ! ちょっと、ルナ!」
カイは声を上げ、慌ててルナの後を追って行く。
勝手に子虎について行ってしまう二人に、リンカが呆れながら言う。
「はあ……しょうがないわね。行ってみましょう。どっちにしろ、これからいちご探しには行かないといけないんだし……出発よ! ほら、ビーゾン達も!」
地べたに座り込み、ぬいぐるみの傷やほつれを修復しようと躍起になっていたビーゾン達をリンカが呼びつける。
そして、全員で子虎の後を追っていく事にしたのだった。
――――
森を歩いて4,5分ほどした所で、子虎は急に立ち止まった。
辺りはこれまでと同様に木々生い茂る森の光景で、特に変わった場所ではない。強いて言えば、大樹とも呼べるような少し大きめな木が一本あるだけだった。
「……? 何もないじゃないですか」
リーニャが疑問の声を漏らす。
するとそれに反応したように子虎がみゃあと鳴き、その大樹へと近づいていった。
大樹の根本は低木や茂みによって覆われていたのだが、子虎はその茂みの中に飛び込むと――
なんと、大きないちごを咥えて出てきた。
「あーっ!!!」
それを見て全員が目を丸くし、歓声を上げたのは言うまでもない。
「おいこれ、まさか……!」
茂みだと思っていたのは、草や枝葉が集められてできた山だった。
アレクがすぐさまその草の山をかき分け、中を確認する。
すると木の根本にぽっかりと空洞が出来ており、そこには、巨大ないちごがわんさかあった。
その数パッと見て30――いや、40個。
「うおお!! なんだこれ、めっちゃあるじゃねえか! すげえ!!」
「は、はあっ!? 何でこんなに!?」
リンカ達が飛び上がったのは言うまでもない。各々驚いたり喜んだりと反応は様々だったが、全員いちごの山に目が釘付けになっている。
かなり希少であるはずのいちごがうず高く積み上がっている光景は、まさに金銀財宝を見つけたに等しい衝撃を一同にもたらしていた。ロルフに至っては嬉しさのあまり、その場でぐるぐると高速で回転している。
「ほら、リーニャ! 俺の言ったとおりだろ!!」
「ま、まさか……ありえません……」
リーニャは信じられないというように目をパチパチしている。カイも同様に呆然としていた。
まさか、本当にいちごがある場所に案内してくれるとは思っていなかった。しかもこれほど大量のいちごが隠されていた場所に。
「こ、これ……こんなに沢山のいちご、一体誰が集めたって言うんですか」
「そんなのこの子虎に決まってんだろ! きっと、親と一緒に集めてたんだ。このいちごは、虎の大好物か何かなんだろ」
アレクがそう言って子虎に視線を落とす。
子虎は、いちごを何個かルナのもとへ運んで来て、彼女の顔を見上げていた。
「……もしかして、この沢山のいちご、ルナ達にくれるの?」
ルナが尋ねると、子虎は目を細めてみゃあみゃあと鳴いた。
「おいおい、まるでお伽噺じゃねえか。でかしたぜカイ! お前がこの子虎を連れてきてくれたおかげだ!」
「……えっ? そ、そうだね。あはは……」
ありもしない手柄を褒められ、カイは困ったように笑う。
そして事情を知るリーニャが睨むような視線を向けてきたのを見て、肩をすくめた。
先程ルナを庇ってあげたのが、こんな形で跳ね返って来るとは。
「……いまいち状況が飲み込めませんが。要するに、この子虎が私達に大量のいちごをプレゼントしてくれたと――そういう事でいいですか?」
「そういう事みたいね」
「なるほど。いちごを横取りされた時はどうしてやろうかと思いましたが……お手柄です。レアないちごをこんなに蓄えていたなんて、想像もしていませんでした」
それを聞いたリンカが、考えるように言う。
「もしかすると、このいちごがレアなのは……人間が見つける前に、虎達が取って行っちゃってるからかもね」
「……! 確かに!」
リンカの推理は的を得ており、カイは思わず感嘆した。
つまりこのカルミットベリーは、希少なお宝でも何でも無く、それが大好物な虎が人間より先に収穫していただけという事だ。
そして、こうやって隠し場所に保管していた。だから人間はどれだけ探しても見つからず、結果レアないちごとして語られている――真偽はともかく、十分あり得る話だろう。
「なんだよ、そういう事だったのか。どおりで探しても全然見つからない訳だ! しかもこんなに溜め込んでたなんて……めちゃくちゃ食いしん坊な虎だな、おい」
「ええ。でも、おかげで探す手間が省けたわ。この子に感謝しなきゃ」
リンカはそう言って、ルナの目の前で寝転ぶ子虎を撫でてやった。すると子虎は嬉しそうに喉を鳴らし、顔を綻ばせた。
――しかし、どうして子虎は自分たちをここへ案内し、いちごを提供してくれたのだろうか。
カイは感謝もしていたが、それ以上に疑問が頭の中で渦巻いていた。
人語を解す訳でもない動物が、自分たちの目的を汲み取ってくれたとでも言うのか。
それに、あの子虎の変わり様。
リンカに続きリーニャとアレクも子虎のお腹を撫で回しているが、子虎はそれを受け入れ、気持ちよさそうに伸びをしている。ついさっきルナに噛み付いていたあの凶暴性はどこへやら、一転して人懐っこくなっているのだ。
ルナについてきてからというもの、子虎の振る舞いは明らかにおかしかった。何が子虎をここまで変えたのか。
ふと気になって、カイが小声でリーニャに尋ねる。
「ねえ、リーニャ。紅血族には、動物を仲間にする力みたいなのってある?」
「ん? ……眷属化の事ですか? それは大昔の話で、今は失われた力ですよ」
「……だよね」
吸血を介して相手を支配下に置くという、紅血族特有の眷属化能力。
それは人間との交配を重ねるうちに消滅してしまった力だと、そう説明したのは他でもない紅血族のルナだ。
「そんな大層な話じゃないと思いますよ? 私達をここに案内してくれたのは、単純によかれと思っての事でしょう。この虎は子供なんですから、大方ルナさんを親の様に思ってるだけなんです。訳も分からず身近な存在に懐くようになるのは、子供の動物ならよくある話ですからね」
「……そう、かな」
リーニャの主張にカイは首を傾げつつも、少し納得した。
考えてみれば、子虎の態度が変わったのはあの時、ルナが抱きしめてあげた時からだ。
彼女の純粋な優しさが子虎に伝わって、何かが起きただけなのかもしれない。リーニャの言う通り、異種族間での愛情というか、何かこう――無条件に尊ぶべき事象が起きているだけなのだろう。
カイはそう理解して考えるのをやめ、子虎とロルフを撫で回すリンカ達の輪に加わった。
――その様子を、ビーゾンの仲間の男二人が、何か企むような怪しい顔をしてじっと見つめていた。
「……おい。これ、チャンスじゃねえか?」
「ああ。よくわかんねえけどよ、いちごがあんなにあるんだったら……少しくらい貰っても、バレねえだろ」
ちょうどリンカ達は子虎を囲って談笑しており、注意は逸れているようだ。
二人は顔を見合わせ頷き合うと、そーっといちごの山に近づいていった。
その瞬間。
ゴツン、と二つの拳が彼らの頭に降り注いだ。
「いってえ!! ……って、ビーゾンさん!?」
「お前ら、懲りねえな。少しは自重しろ!」
「ええ? だって、美味しい所を横取りするのが俺たちのやり方じゃないっすか!」
「そうそう! 今日のビーゾンさん、何かおかしいっすよ!」
「……今日はそういうのは無しだ。黙って大人しくしとけってんだ」
そう言ってビーゾンは男二人の首根っこを掴み、ずるずると引きずって離れていった。
男二人の怪しい行動に、カイ達の中で唯一気づいていたリーニャは、その様子を黙ったままじっと見つめていた。
――――
子虎の事をひとしきり撫で回したあと。
リンカ達はいちごの山を持ち帰るべく、持ってきた鞄や布袋に一つずつ詰め込む作業を行っていた。
いちごは一つ一つが大口開けてかぶりつけるほど大きく、すぐに鞄はパンパンになった。
「こんなに大量のいちごが手に入るなんて、未だに信じられないね」
「ええ。私達じゃ食べ切れなさそうなので、村長さん達にも振る舞ってあげましょうか」
「そうだね……」
数えた所、いちごは全部で47個もあった。ギルドからは最低でも3つと言われていたのだ、この数がどれほど圧倒的なものかが理解できるだろう。
「……ん? リーニャ今、いちごを食べるって言った?」
カイが思い出したように聞き直す。
流れで相槌を打ったが、何か重大なことを言わなかったか。
「ええ。ギルドに納品するのなんて、最低数の3つだけで十分です。余った分は、私達で全部食べるんですよっ」
リーニャはさも当然だというように言い放った。それを聞き、アレクが満面の笑みを浮かべる。
「お、それいいなあ! なんだよリーニャ、お前もいちご食いたかったんじゃねえか!」
「悪いですか。誰だって食べたくなりますよ、こんな美味しそうないちご。ほら、ルナさんもよだれを垂らしてます」
「……え! ん、んんっ」
そう指摘され、ルナは慌てて口元を拭った。いちごを食べるという話が出た瞬間から、彼女は期待に目を爛々と輝かせていた。
カイは特にいちごには興味が無かったが――ルナの様子を見て口を開く。
「……何か、俺も食べたくなってきちゃったかも」
「満場一致ですね。リンカ、いいでしょう?」
リーニャがそう言って、パーティの最終意思決定者であるリンカに迫った。
いちごを食べるというアイデアに彼女だけが芳しくない表情を浮かべ、腕を組んで何やら考えるように唸っていた。
そして暫くした後、顔を上げ、カイ達を見渡して尋ねる。
「一つだけ聞くわ。いちごを全部納品できたら、かなりのお金になると思うけど……そっちの方が良いっていう人はいるかしら?」
誰も手を挙げる者はいなかった。
すると、リンカは一転してニッコリ微笑んだ。
「じゃあ、私達へのご褒美ってことで、全部食べちゃいましょうか!」
「「「賛成!!」」」
「よおし、じゃあ帰るわよ!」
カイ達は期待に胸を、いちごで鞄を満杯に膨らませ、村への帰路についた。
 




