29 秒殺
「な、何が起こったんだ……?」
さっきまでリンカ達の殿を務めていた魔術師の男が、混乱したように呟く。絶体絶命の状況から助かった事に安堵の息をつく暇もなく、目の前で炎上する三匹の虎にただただ驚愕していた。
無論、これはカイの仕業だ。
遠距離から対象に着火するというこの技は、名を「念炎昇」と言い、カイ得意の魔法だった。
ルナと出会ったあの洞窟においても、アリを倒すために使用していた技である。
この魔法の良い所は、予兆無く相手を攻撃できることにある。火炎放射や火球の投擲などと違って基本的に回避不可能の技なので、大抵のモンスターを確実に仕留めることができるのだ。
難易度はかなり高いが、攻撃手段としてはこの上ない性能を誇る技であり、カイはこれを気に入って日常的に使っていた。
だが、今回は適切な攻撃手段ではなかったようだ。虎たちが地面を転げ回り、炎が茂みや木に燃え移りそうになっている。
「火は、まずいか」
そう思って、カイは掲げていた手を降ろした。
その瞬間、虎の体を包んでいた炎がふっと消える。苦しみから解放された虎たちは、逃げようと慌てて身を起こした。
だがそれを見てカイは再び両手を掲げ――すかさず、風の刃を三発放った。
「……!? ガガ……」
超高速で空を切ったその刃は、的確に対象の首元を貫いた。
逃げようとしていた三匹の虎は、何が起こったか理解する間もなく、喉から血を吹き出し地面に倒れ込む。周りにいた虎たちは驚いてさらに数歩後ろへと下がった。
「な、なんだ!? 何が起こってる!?」
「……動かないで。危ないから」
魔術師の男が狼狽えるのをリンカが諌めた。カイの意図を察して男の腕をつかみ、ビーゾンを背負いながらもその場でかがんでくれた。
カイはリンカに感謝し、続けて風の刃を連続で放った。
刃は弧を描くようにリンカ達を避けつつ、目にも止まらぬ速さで周りの虎たちの首に直撃していった。カイの正確無比な魔法発動技術によって、一発一発が虎の急所に確実に叩き込まれ、一体、また一体と虎の死体が地面に転がっていく。
「う、嘘だろ……? あの子供の仕業なのか?」
「そうよ」
「信じられねえ。俺の風魔法より遥かに格上だ……このレベルはAランクにもそういねえぞ」
そして十数秒も経たないうちに、虎の大群は壊滅した。
どの虎も例外なく喉笛を切り捌かれての即死であり、死体の下に血溜まりを作っている。
リーニャ達はといえば、カイの後ろでその一部始終をただ呆然と眺めていた。アレクとリーニャは口を半開きにして、そしてアレクに持ち上げられている男はその何倍も大きくあんぐりと口を開け、その場で固まっている。
ルナは虎たちがバタバタと倒されていく衝撃的な光景に息を呑んでいたが、その後はただカイの背中を惚けたようにじっと見つめていた。
アレクがリーニャに呟くように言う。
「いつも思うけどよ……カイ一人で全部事足りるよな。俺らの存在価値よ」
「……まったくです」
――――
虎たちが全滅した事を確認し、カイ達がリンカのもとへと駆け寄っていく。
「カイ……来てたのね。助かったわ、ありがと」
そう言って力なく微笑むリンカは、一言で言えばボロボロだった。
腕や足には引っ掻き傷が、革鎧には爪の食い込んだ跡が大量に刻まれている。ここへ来る前、激しい戦いに身を投じていたのは一目瞭然だ。
「最初は大丈夫だったんだけど。こいつがやられちゃってから、余裕が無くなってきて……仕方なく逃げてきたのよ」
リンカはそう言いながらビーゾンを地面に降ろし、木に寄りかけてやった。彼は完全に気を失っており、体はリンカよりも傷だらけ、頭からは血が流れ出ている。かなり危険な状態だ。
「「ビーゾンさん!!」」
仲間の男二人がはち切れそうな声を上げ、ビーゾンを介抱する。
「おい、回復魔法だ!」
「分かってる! 杖を貸せ!」
小柄な男はそう言って仲間から杖を借り、ビーゾンの頭に杖を掲げた。すぐに緑色の光が放たれて患部を覆っていく。
だが傷の治りはかなり遅く、血が止まる気配は無かった。
「おい、血が止まんねえぞ! もっと強くかけろって!」
「もうこれが全力なんだよ!! お前は黙ってろ!!」
回復魔法は基本的に応急処置程度の事しか出来ず、流血を伴う深い傷を治すには熟練の専門家でもなければ時間がかかってしまう。
男は支援専門の魔術師ではあるようだが、Bランク冒険者の回復魔法などたかが知れていた。血が止まるのは恐らく30秒後といったところか。
そんな男たちの様子を見かねたカイは、無言でビーゾンのもとへ歩いていき、静かに杖の上から手をかざしてやった。
「お、おい! 何すんだ! 余計なこと……っ!?」
それを見て男はとっさに怒鳴ったが、すぐに顔色を変えた。
カイが手をかざしたその瞬間に、緑の光が一気に強くなり、傷が凄まじい速度で癒え始めたからだ。
血はものの数秒で止まり、みるみる内に傷が塞がっていくのが見て取れる。
「う、嘘だろ!? お前、回復魔法も出来るのか! しかもこんな強力な……」
止めどなく血が溢れ出ていた箇所が大体塞がったのを見て、カイは手を離した。
「とりあえず、危ない所は超えたので。後はお願いします」
「あ、ああ……すまねえ」
ビーゾンは男に任せる事にして、カイは次にリンカへ回復魔法をかけてやった。
彼女はビーゾンに比べ軽症で、軽く魔法をかけるだけで十分だったのでカイは安心した。
緑の光が体を癒やし、リンカが恍惚とした表情を浮かべる。
「あー、生き返るわ……ありがとね、カイ」
「リンカ、ごめん。すぐに助けに行くべきだったんだけど」
リンカ達が危険な目に遭っていたにも関わらず、すぐ助けに行かなかった事にカイは責任を感じていた。罠だの何だのと考える暇があれば、さっさとリンカ達のもとへ向かうべきだったのだ。
後悔に顔を歪めるカイに、リンカは不思議そうに首を傾げる。
「あんたが気に病む事はないでしょ。別の場所にいたんだし」
それを聞いてリーニャが口を挟む。
「いえ。ちょっと色々ありましてね、助けに行こうと思えば行けたんですよ」
リーニャは、リンカがいない間に起こった出来事を話した。
アレクがいちごを盗まれそうになった事をきっかけに彼と合流し、そしてビーゾン達への疑念が生まれ、罠ではないのかと考え迂闊に動けなかったのだと。
話を理解したリンカはビーゾンたちを睨みつけた。
「なるほどね。ったく……じゃあ、全部が全部こいつらのせいって訳なのね?」
「まあそうなんですが。ただ、私達がモタモタしてたのも悪いといえば悪いです。すみませんでした、リンカ」
「ああ。俺もお前を一人で行かせるべきじゃなかったんだ。すまなかったな」
アレクが口惜しそうに言うと、リンカは首を横に振った。
「いいえ。私が力不足だった事が全部悪いのよ。虎の大群なんか一人で大丈夫だろうって思って、単独で行ったわけなんだから。こんな醜態を晒す事になったのは、全部私の責任。だからあんた達は悪くないわ」
そう言って肩を落とすリンカに、アレク達は返す言葉もなかった。
双方自分に非があると思っているがために、若干の沈黙が生まれる。
そんなとき。
気絶していたビーゾンが体をピクと動かし、ゆっくり目を開いた。
「……お、お前ら」
「「ビーゾンさん!!」」
仲間の男二人が喜びに声を上げる。
「うおおお!! よかった! よかったああ!!」
「うう……俺、てっきり死んじまったのかと……」
「ま、まて。一体何がどうなってんだ? 俺は一体……」
気を失っていたせいか、ビーゾンは直近の記憶が飛んでいるようだった。それを見かねて仲間の男が事情を説明してやると、今度は申し訳無さそうに肩をすくめた。
「そうか、俺はやられちまってたのか……リンカ、すまなかったな」
ビーゾンは意外にも、素直に謝罪を口にした。
リンカはフンと鼻を鳴らす。
「そんな事いいから。説明してくれるかしら? 虎の大群に襲われていた理由を」
リンカは冷たい口調でそう尋ねた。それを聞いて仲間の男が声を上げる。
「そ、そうだ! 何で勝手に虎の巣になんか突っ込んで行ったんすか!」
「…………」
「助けてもらえたからいいものの……大変な目にあったんすよ!!」
男の言う通り、事の発端は、ビーゾンが虎の巣に突っ込んで行って彼らの怒りを買ったという事にある。
その理由は全く謎であり、なぜそんな余計な事をしたのかが気になる所だ。
だが、ビーゾンは話すのを躊躇っているようだ。
「……お前らには関係ねえ」
「いいえ、関係ありますね」
リーニャが口を挟む。
「少なくとも、カイとリンカには知る権利がありますよ。ね? 二人共」
「そうよ。私とカイがいなかったらあんた死んでたわ。ちゃんと説明してもらわないと困るわよ」
「そうだね」
「…………」
ビーゾンはしばらく考えていたが、暫くすると観念したかのように項垂れた。
そして、なにやら懐に手を入れると――何かを取り出して見せた。
「これを取りに行ったんだよ。巣の中にな」
「……あーっ!」
ルナが歓声を上げる。
ビーゾンが取り出したのは、クマのぬいぐるみだった。




