28 虎の大群
叫び声の聞こえた方へと、カイ達は急ぎ走っていく。
声が聞こえる程度の距離なのでそう遠くはないだろうとカイは思っていたが、その予想通り、走り出して間もなく前方に二つの人影が見えてきた。
見えたのは――アレクともう一人。小柄な男だ。
確か、あのビーゾンの仲間の一人だった気がする。
どこに行ったのだろうか、リンカは見当たらなかった。
「アレク!」
リーニャが声を上げると、アレクは振り返り、カイ達を目に捉えて軽く笑った。
「おー、お前ら。ちょっと待ってろよ……すぐ終わるからな」
「や、やめてくれ!!」
二人は何やら揉めあっている様子だ。
よく見れば、アレクは男の胸ぐらを掴み片手で軽々と空中に持ち上げていた。男は必死に逃れようとジタバタしているが、鍛え上げられたアレクの巨躯はビクとも動かない。
そして次の瞬間。アレクは拳を振り上げ、男の顔を思い切り殴りつけようとした。
「ひいい!!」
「ちょ、ちょっと! やめなさい!」
リーニャが走りながら咄嗟にそれを制止する。事情は全く分からないが、彼女はアレクの行動を見て反射的にそう叫んでいた。
アレクは男の顔の寸前で拳を止め、不機嫌そうに腕を降ろした。
その間にカイ達は彼のもとへ辿り着く。
「な、何があったんです? 説明してくださいよ。それにリンカはどこに行ったんですか」
少しばかり息を整えた後でリーニャが尋ねる。
「……まあ聞いてくれ。こいつ、俺たちを嵌めようとしたんだ」
アレクが男を睨みつける。
カイ達の目線が集まると、宙ぶらりんのその男はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「俺とリンカの所によ、突然この男が一人で来たんだ。そんで、『仲間が虎の大群と戦ってて、やべえから助けてくれ』とか言い始めた」
「……虎の大群?」
「ああ。何か胡散臭えと思って俺は反対したんだが……リンカが助けに行くって言って聞かなくてよ。気乗りはしないが、まあ助太刀に行ってやるかって話になったんだ。でもそんとき、ちょうど俺らも虎と遭遇してな」
それを聞きカイは周囲を見渡す。
辺りには戦いの形跡が見受けられ、そして虎の死体が3体転がっていた。
そのうち一体にはアレクが扱う巨大な戦斧が深々と突き刺さっており、他の死体にも大きくえぐられたような傷がついている。
「リンカと一緒に戦おうと思ったんだけどよ、この男が、早くしないと仲間が死んじまうって急かすんだ。んで仕方ないから、リンカを先に向かわせて俺一人で戦う事にした――で、そんときだよ! こいつが、俺らの見つけたいちごを盗もうとしたのは!!」
真面目にアレクの話を聞いていたリーニャが眉をひそめる。
「……ん? どういう事です? いちごを見つけたんですか?」
「ああ。ほら、1個そこになってるだろ」
そう言ってアレクは近くの茂みを軽く顎で指す。
そこには握りこぶしサイズの真っ赤ないちごが一つ、なっていた。
紛れもない、あれがお目当てのものだ――そう直感的に分かるほど、緑一面の森の中で異質な存在感を放っている。思わず目が釘付けになってしまうくらいだ。
「おお。あれがカルミットベリー? ですか」
「多分な。で、俺が戦ってる隙に、こいつが奪おうとしたんだよ。俺らが先に見つけたから触るなよって言ったにも関わらずだ! この盗っ人が!」
アレクが声を荒げて凄み、怒りのまま男を一段と強く持ち上げる。
すると男は苦しそうにうめき声をあげ、言い訳を始めた。
「ち、違うんだ。俺は、いちごを預かっておいてやろうと思ったんだよ。放っておいたら、虎が食っちまってたかもしれなかっただろ? へへへ……」
「ああ? 嘘つくんじゃねえ! そんな戯言誰が信じるんだよ!」
「ひいぃ! や、やめてくれ!!」
聞き苦しい言い訳にアレクが拳を振りかざすと、男は空中で身を縮こませた。
少しずつ話が見えてきた。
要するに――まず、この男が「仲間の危険を助けて欲しい」という理由でアレクとリンカを引き離した。そしてアレクが虎と戦っていた隙に、いちごを奪おうとした、という事だ。
さっきカイ達が聞いた叫び声はこの男のもので、いちごを盗もうとした所をアレクに引っ捕らえられ、そのはずみに上げた悲鳴ということか。
やはり当初の予想通り、彼らは成果の横取りを狙っていたのだ。
カイは男に対する侮蔑の感情が湧き上がるのを感じた。リーニャも同じ気持ちを抱いたようで、ゴミを見るような目で男を睨んでいる。
そんな二人の視線に男はきまりが悪そうにしていたが、弁解しようと声を上げた。
「……け、けどよ! 仲間が虎の大群と戦ってるのは、本当なんだ! 頼む、ビーゾンさんを、仲間を助けてくれ!!」
足をバタつかせもがきながら男はそう訴える。
その口調はどこか真剣で必死さが感じられるものであり、カイは少し不思議に思った。
「お前よお。本当にそう思ってんなら、何でいちごを盗もうとしたんだよ。助けを求める相手に取る態度じゃねえだろうが!!」
「ひいっ!」
「アレク! やめなさい!」
再び拳を振り上げたアレクをリーニャが冷静に止めた。そして男に向き直る。
「虎の大群って、それは本当ですか? 見た限り、虎は複数で群れることはないように思えますが」
「ほ、本当だ! 森の奥の方に、虎の巣が密集してる場所を見つけたんだよ。そこにはわんさか虎がいて、そいつらが襲ってきたんだ! 少なくとも10匹以上はいた!」
「……なるほど? 怪しいですが……まあ仮にそれが本当だとして。あなた達が近づかなければ、虎は向こうからは襲って来なかったんじゃないですか? もしかして、ちょっかいを出したんですか?」
「あ、ああ。それがいけなかった。俺もよく分からねえが、いきなりビーゾンさんがその虎の巣の一つに突っ込んでいったんだよ。で、その瞬間、周りの巣にいた虎たちが一斉に襲いかかってきた」
「ええ……?」
「俺は見たんだ。巣の中に、子供の虎が何匹かいたのを。だから子供に危害が及ぶと思って、周りで様子を窺ってた奴らもブチ切れたんだ!」
カイは先程見逃した子虎を思い出す。
あの子虎の親も他と比べて気性が荒かったように思え、その点で言うとこの男の主張は少し納得できた。
温厚で戦いを好まない虎も、子供を守るためとあらば問答無用で襲いかかってくる、というのは十分ありえる話だ。
ただ、一つだけ理解できない点がある。
「なんで、そのビーゾンさんは虎の巣に突っ込んでいったの?」
「……それは俺が聞きてえよ! 俺だって迂闊に手を出すのは危険だって思ってたんだ。でも、あの人は俺らに何の相談もせずに、いきなり突っ込んでいったんだ!」
「…………」
「ほ、本当なんだ! 理由を聞く前に虎に囲われちまって、それどころじゃなかったんだ。頼む……あの人を、俺の仲間を助けてやってくれ! 今も戦ってるはずなんだ!」
それを聞き、カイは怪訝そうに男の表情を窺う。
だが、どうにも嘘をついているようには思えない。顔色もその口調も、人を陥れようとする者のそれではなかった。
いちごを盗もうとしたのは事実のようだし、ビーゾンの行動は不可解だが――仲間が危険な目に遭っているというのは、本当のことなのかもしれない。
事の顛末を理解したリーニャが、ため息混じりにカイに問う。
「どうします? 前科もありますし、罠かもしれません。のこのこ助けにいったら、どんな目に合うか分かったもんじゃありませんよ」
「うーん……でも、リンカが行っちゃったんだよね。どっちにしろ、リンカが危険だよ」
ビーゾン達も、かもだけど――とカイが付け加える。
「むう。まったく、何を考えているんだか……あのお人好しリンカ」
今すぐにでもリンカの後を追い、ビーゾン達のもとへ向かうのがベストだろう。カイはそう思っていた。
しかし、どうにも足が動かない。森に入る前から抱いていたビーゾン達に対する不信感から、男の主張に対する疑念が完全には消えなかったのだ。
それに、虎の大群といえど10匹ほどならば、リンカ一人が助けに入れば十分対処できているだろう――そうも思っていた。
リンカは一見普通の剣士のようだが、実の所かなりの手練で、戦闘力だけで言えば既にAランクでも通用するレベルなのだ。
そのため、カイは慌ててまで助けに行く必要性は感じていなかった。リーニャとアレクも同様に思っているのか、そこまで焦る様子は見受けられない。
どうしたものかとリーニャとカイが頭を悩ませる中、アレクが不思議そうに再び男に問いかけた。
「そもそもよお、なんでお前は仲間を置いてわざわざ俺たちの方まで来たんだ? 仲間が危険なら、なおさら一緒に戦わないといけねえだろ」
「ち、違う……俺は、戦力外になっちまったんだ。俺は支援型の魔術師をやってるんだが、さっき虎と戦った時に杖を壊されちまってよ」
そういえば森に入る前に会った時、彼ともう一人の仲間は杖を持っていた気がする。
杖。魔法の威力を強化したり、属性付与を行いやすくする効果を持つ補助器具だ。
強力な魔法を簡単に繰り出せるようになるので、多くの魔術師の標準装備といえるアイテムである。
「嘘言ってんじゃねえ。杖がなくても、魔法は使えるだろうが!」
「む、無理だよ! 確かに使えることは使えるが、威力も速度も何もかもが段違いに落ちる! 杖なしでも戦力になる魔術師なんか、Aランクの冒険者にもそうそういねえだろ!」
男が必死にまくしたてる。その言い訳にアレクはぽかんと口を半開きにした。
「……お? そうなのか、リーニャ」
「ええ、事実です。素手でも魔術師をやれるのは、ごく限られた人だけですよ」
リーニャはため息混じりにそう答え、カイの方をチラと見た。
彼女の言う通り、手ぶらで魔術師として役割を果たせる者は実は多くない。
中堅以下の魔術師は杖のような補助器具に頼らなければ、戦場で一線級の活躍をすることは難しいのが現状だ。カイはその点で言えば彼女の言う限られた人のうちに入っていた。
ただ、杖なしで活躍できる上級の魔術師でも、あえて杖を持つ者は多い。
杖を使えば魔法の威力も発動効率も格段に上がるので、わざわざ手ぶらでやる意味が無いのだ。
それは当然、カイにも当てはまる。
にも関わらずカイが杖を持たないのは、師匠の教えからだった。
「一流の魔術師たるもの杖など持たない」という考えのもと、幼い頃から杖なしで鍛錬を積まされてきた。
カイにとっては、手ぶらが標準装備なのだ。
「なんだ、じゃあカイが凄すぎるってだけなのかよ」
「そうです。あなたも冒険者歴長いんですから、それくらい知ってて当然だと思うんですけど?」
「はは、俺は魔法とかはまるでダメだからなあ。そんな魔術師の常識なんか知らねえよ」
アレクは軽く笑い、リーニャは呆れた表情を浮かべた。
「……カイ」
そんな中、ルナがカイの服を引っ張って心配そうに言う。
「早く、助けに行ってあげようよ。リンカさん達が危ないよ」
「う、うん。そうなんだけど……」
カイはその提案に快く頷くことは出来なかった。
確かにリンカを助けに行くのは簡単だ。もしビーゾンの罠だったとしても自分なら難なく対処できるだろうし、虎の大群も恐るるに足らず。
しかし、それはカイが単独で向かう場合の話だ。
カイが憂慮しているのは、ルナに危険が及ぶことだった。
いつ起こるか分からない発作のこともあるので、カイは安全のため彼女と行動を共にしなければいけない。リンカのもとへ向かうなら、虎の大群だろうがビーゾンの罠だろうが、一緒に居るルナが危険な目に遭うのは間違いないのだ。
(……どうしようか)
素直にリンカのもとへ行くべきかどうか――カイが頭を抱えていたそのとき。
辺りを警戒するようにそこらを歩き回っていたロルフが、何かに気づいたのか突然吠えだした。
「ワン! ワン!」
「……ん?」
次にリーニャも耳をピクと動かし、ロルフが吠える方を振り返る。
「どうしたの?」
「……カイ。どうやら、助けに行く必要は無くなったようですよ」
「え?」
意味ありげにそう言い、森の奥を指差すリーニャ。
何だと思って見ていると、二つの人影が近づいてきた。
――リンカと、ビーゾンだ。
後ろにはもう一人、ビーゾンの仲間と思わしき男もいる。
「おー、リンカとあいつらじゃねえか。なんだ、大丈夫だったんじゃねえかよ」
「ええ。全く、心配して損で…………」
リーニャが言葉を切り、眉をひそめた。
おかしな雰囲気を感じ取ったのか、注意深くリンカの方を窺うリーニャ。ロルフも、何かを訴えるようにずっと吠え続けている。
カイも目を凝らしリンカ達をよく見ると、その訳が理解できた。
ビーゾンは頭から血を流し、ぐったりとリンカにもたれかかっていた。そして彼女はそれを支えるようにして小走りで駆けている。
そしてそのすぐ後ろでは、ビーゾンの仲間の男が杖を振りかざし、後方に向けて何やら魔法を放っている。
ただ事では無い何かが起きている、というカイの直感は当たっていた。
10体以上はいるだろうか、虎の大群がリンカ達を追って来ているのが遠くに見えた。
魔術師の男は、隙あらば飛びかかってくる虎に魔法で風の刃を放って応戦し、リンカとビーゾンを庇うように何とか虎の猛攻を凌いでいた。
男の話は、まったく本当の事だったのだ。
「……カイ!! 助けて!!」
前方にカイの姿を目に捉えたリンカが、絞り出すような声でそう叫ぶ。
それを聞く前に、カイは既に走り出していた。
「くそっ! もう駄目だああ!!」
魔術師の男が悲痛な叫びをあげる。男の抵抗も虚しく、数匹の虎がついにリンカ達に飛びかかった。
食らえば無事では済まないような一撃が、四方八方から繰り出される。
だが、その攻撃がリンカ達に届く事はなかった。
飛びかかる虎たちの体が、空中でひとりでに燃え上がったのだ。
何事かとリンカが振り返ると、今にも爪を振り下ろそうとしていた虎たちが炎に包まれてそこらをのたうち回っていた。
周りにいた虎も、仲間が突然燃え上がるという異常事態に一旦距離を取る。
そしてリンカが再び振り返ると、遠方から腕をこちら側に掲げるカイの姿があった。
「カイ……」
「ごめん、リンカ。もう大丈夫だよ」
カイは自分の思慮の浅さを呪っていた。
虎の大群なぞリンカであれば大丈夫だと慢心して、こういった状況を想定していなかった。けが人を庇いながら戦うとなれば、それはいくらリンカでも対処しきれないのだ。
脳内に渦巻く後悔の念。
カイはそれをひとまず押し込めた。
まずは、虎達を片付ける事が先だ。
「後は俺がやる」
 




