27 間違いでいいから
「いちご、見つからないね」
「そうだね……」
森を探索しだしてから結構経つが、一向にいちごが見つかる気配がない。かなり注意深く周りを探しているのだが、未だに収穫はゼロだ。
一体どこにあるというのか、そもそも本当に存在するのかと焦燥感が募り始めていた、そんな時。
例によって、また虎に出くわした。
今までと同様に一匹だけ。
だが今回は、少し様子がおかしかった。
「ガウ! ガウ!!」
虎はカイ達に気づくとすぐ臨戦態勢に入り、荒々しく吠えだした。それに気圧されてカイ達は数歩後ろに下がる。
見ると、虎の周囲には毛布や木の板など、村から取ってきたと思われる人工物が集められていた。それらを木の枝や草などで囲い、ちょっとしたねぐらのような場所が出来ている。
「……なるほど。あの村長の言う通り、本当に鳥みたいに巣を作ってますね。妙な虎です」
リーニャが眉をひそめ、小声で呟く。どうやら、前情報にもあった通りここは虎の「巣」のようだ。
縄張りに近づくなというように、鋭くこちらを睨み咆哮する虎。
だがやはり根は非好戦的なのか、こちらが手出ししない以上、向こうから襲ってくる気配は無かった。
「……ほら、さっさとやっちゃって下さい。私は後ろから見てますので」
リーニャはそう言って、先程と同じくカイとルナの後方へと十分な距離を取った。
ルナが意を決したように一歩前に出る。
「ルナ……本当にいいの?」
「うん。逃げてたら、何も始まらないから」
心配そうに問いかけるカイに、拳をぐっと握りしめ答えるルナ。
「それに……あの巣の中に、ぬいぐるみがあるかもしれないの」
「……!」
そういえば、と思わず目を見開くカイ。
ぬいぐるみの事を完全に忘れていた。
確かに、あの巣の中にぬいぐるみがある可能性は高い。虎は村から持ってきた物は巣に持ち帰っているだろうから――もしぬいぐるみを盗んだのがこの虎であれば、きっとこの巣の中から見つかるはずだ。
だが、ここからでは遠くてよく見えないし、近寄ろうにも虎ががっちりと守っている。
ぬいぐるみがあるか確認するには、巣の主であろう目の前の虎を倒す必要があるだろう。
ぬいぐるみの事を口にしたルナの瞳には、闘志が宿っている。
カイは心配ではあったが、ルナの意思を尊重する事にした。
「……わかった。じゃあ、さっきみたいに手を掲げて」
カイの指示に従い、ルナは両腕を前に掲げた。
その上からカイは腕を重ね、魔力を周囲に展開する。
「いくよ?」
「うん……」
カイは雷魔法で静電気を起こす為、魔力を練っていく。
やることはさっきと変わらない。静電気でルナの電撃を誘発させ、それを虎の方へ誘導し倒す。先程は上手くいくか微妙だったが、今回は二回目なので不安要素は特に無かった。
それにカイは、さっきの一発で既にコツを掴んでいた。
魔力を操作し、「道」を作り電撃を誘導する技術――天賦の才能によって、たった一回の試行でその要領を完璧に物にしていたのだ。
先程と同じ事をするだけなのだ、とカイは100%成功を確信していた。
だが、一つだけ先程と違うことがあった。
ルナが目を瞑っていなかったのだ。
さっきは恐怖に目を閉じていたが、今回ルナはある程度の覚悟を持って虎の前に立っていた。
その紅い瞳は、真正面から虎を見据えている。
これから、自分が殺す獲物を。
「……!!」
先程殺した虎のあの死体が、フラッシュバックする。
そのときルナは、無意識に心のブレーキをかけていた。
胸の内に封じ込めていた、モンスターを殺すことへの躊躇いが、体の反応として出てしまった。
――パチッ
そんな事とはつゆ知らず、カイは雷魔法で静電気を起こした。
すぐにルナの腕が発光し始め、腕から電撃が放出される。
だがその威力は、段違いに弱かった。
(……?)
カイが電撃を誘導する際、違和感を抱いたのは言うまでもない。
容易く人を殺しうる威力であるのは間違いないのだが、電撃の太さは人の腕ほどしか無く先程と比べ半分以下。
炸裂音も微々たるものだった。
そしてカイの誘導によって、電撃は虎に直撃した。
バチバチと音を立て感電し、地面にドスンと倒れる。
――しかし、殺すには至らなかった。
「ガ……ガガ……」
倒したかと思いきや、虎は横たわったまま呻き声をあげ、体を小刻みに震わせ始めた。電撃を食らって大ダメージにはなったものの、命までは一歩届かなかったのだ。
それを見てリーニャが後方で叫ぶ。
「……まだ息があります! 早く、トドメを刺してください!!」
「えっ?」
その呼びかけに、ルナが虎の方を見やる。
目に入ってきたのは、体を痙攣させ苦しそうに身を捩る虎の姿。
ルナはたじろぎ、思わず一歩二歩と後ろへ下がった。
その瞳からは闘志などすっかり消え失せている。
「何してるんです! あなたの獲物でしょう!! 必要以上に苦しませてはなりませんっ!!」
「……え、え……」
「……ルナ、もう一度だ。トドメを刺そう」
カイはルナに再び腕を上げるよう促した。リーニャの言う通り、虎を半殺しのまま放っておくのはいけない。きっちりトドメを刺すのが筋というものだ。
別に、他の魔法で勝手にトドメを刺しても良かったのだが、ここで代わりに倒してしまえばルナが逃げたことになってしまう。彼女が頑張ると言った以上、その意思を尊重するべきだとカイは考えた。
それに、ルナに厳しい態度を取るリーニャの手前、最後までやり遂げさせてあげるのが一番だと、そうも思っていた。
だが、ルナは腕を上げられなかった。
リーニャの叱責とも取れる強い口調と、もがき苦しむ虎の姿に板挟みになり――ルナはその場に立ちすくんでしまった。
葛藤に顔を歪め、目を潤ませている。
(……やっぱり、無理してたんだ)
カイの悪い予感は的中した。そして急激にこみ上げる罪悪感に唇を噛んだ。
やはりこういう過激な仕事は、心優しいルナには早すぎたのだ。
もっとよく考えるべきだった。こんな所に連れてきていきなり虎を殺させようとするなど、正気の沙汰ではなかったのだ。
カイはルナの代わりにトドメをさそうと思い、虎に対して両手を掲げる。
だが、そのとき。
リーニャがカイの横を駆け抜け、前方に飛び出した。
そして、死にかけの虎の首元に短剣を突きつけ、一気に引き斬った。
「ガ……ガガ……」
一瞬のことだった。
疾すぎる一連の芸当に何が起きたか分からず、カイとルナは固まってしまう。
虎は喉元から血を吹き出し、やがて体の震えも止まり――そのまま絶命した。
短剣についた鮮血を振り払い、リーニャが振り返る。
「甘えるなっ!!!」
突然の一喝に、ルナがビクッと体を震わす。
「一度狩ると決めたなら、その信念を貫き通せっ!! 一寸の憐れみ、それ即ち標的への最大の侮辱と心得よ!!」
鋭い視線をこちらに向け、リーニャは激しい口調で言い放った。
普段の彼女からは想像出来ないような険しい表情でピシャリと叱りつけられ、ルナはその場に固まってしまう。カイも同様だ。
リーニャは固まるルナから目を背け、おもむろに虎の牙をもぎ取り始める。
「……今のは、私たち風狐族に代々伝わる『狩人心得』の一節です」
その口調は一転して穏やかで、声色もいつもの彼女に戻っていた。
虎の牙を抜き終えると、再びルナを振り返って言う。
「ルナさん……あなたはまだ子供です。今回が初めての冒険だという事も知っています。でも、だからこそ強く言わせてください。冒険者は辛いことも厳しいことも、目を背けずにやり遂げる覚悟が要るんです」
「…………」
「先程、覚悟を持って頑張ると言ってましたが……正直、あまり期待はしていませんでしたよ。こうなる結果は見えていました。そもそも覚悟なんて、一朝一夕で身につくものではないんですから」
「…………」
「まあ、その心意気は大事ですよ。そういう気概があるのと無いのとでは大違いですからね……但しそれは、ちゃんとした大人になってからの話ですが」
リーニャは、下を向き落胆する様子のルナを見てため息をついた。
「……やはり冒険者の道を志すのは、あなたには早すぎだと思いますよ」
そう言い残し、彼女はまた二人を置いて森を進んで行ってしまった。
カイは何も言い返せず、ただその場に立ち尽くす他なかった。加えて、ルナに対する強烈な罪悪感に心臓が締め付けられるような思いだった。
リーニャは悪くない。
年端も行かぬ子供が、忠告を聞いた上で自らの意思で狩りの世界に足を踏み入れ、そして中途半端に終わってしまったのだから、これは厳しく当たって当然だ。
悪いのは自分なのだ。
ルナは、ただ純粋に自分のお手伝いをしたいという事で虎討伐に参加してくれたのだ。ただ自分の為になりたいと、それだけの気持ちで。
そんな健気な彼女の意志を、厳しい現実によって上から叩き潰すような真似をするような、そんな状況を作ったのは自分だ。
ルナに酷なことを強いてしまった。
何も考えずに連れてきて、戦いに巻き込んでしまった。
秘策だとか言っていた自分が情けなく思えてくる。
「……ルナ、ごめん。俺が悪いんだ。いきなりこんな所に連れてきて、こんな辛い事に付き合わせるなんて……俺、どうかしてた」
カイはそう謝って項垂れた。
だが、ルナは静かに首を横に振った。
「……ううん。カイは悪くないの。冒険者になりたいって言い出したのは、ルナだから。カイは、なんとかしようとしてくれたんだよね」
「…………」
「ルナ、何にも分かってなかった。冒険者が厳しい世界だって事、分かってなかった」
ルナは悔しそうに拳を握りしめ、今にも泣きそうになりつつも必死にそれを堪えている。
それを見てカイはやるせない気持ちを抑えられなかった。
そう。問題なのは、ルナが本気で冒険者になりたがっていたことなのだ。
「……これから学んでいこう。覚悟でも何でも、これから学んでいけば良いんだよ」
冒険者になんかならなくていい、俺の傍にいるだけでいい――そんな事、今のルナには言えなかった。
カイはそれらの言葉をぐっと抑え込み、代わりにルナを励ました。
「全部、これからさ。これから頑張ってれば、きっと立派な冒険者になれる。そうしたらリーニャも認めてくれるよ。ね?」
「…………」
「ほ、ほら。虎も倒したことだし、巣の中にぬいぐるみがないか探そうよ」
カイは話題を変え、泣きそうになっているルナの関心をそらした。
ルナは無言でうなずき、カイと共に虎の巣に近づいていく。
そのとき。
巣の近くにある茂みが、ガサガサと動いた。
何かと思って見れば、
「みゃーん」
茂みから、小さな虎が出てきた。
ロルフよりも少し大きいくらいの、子供の虎だ。
その子虎はカイ達の方をチラと見た後、先程倒した虎の死体の所へと駆けていき、
大きく開かれた喉元の傷を、チロチロと舐め始めた。
「……!」
みゃあ、みゃあ、と鳴きながら――もう手遅れなその傷を癒そうと、必死に舐め続けている。
どうやら二匹は親子だったようだ。
「……あ……あ……」
その子虎の様子を見てルナは声にならない声をあげ、涙目で顔を歪めている。
カイも色々心にくるものがあり、胸がキュッと締め付けられる感触を味わった。
虎はいま繁殖期だ。巣に子供がいても何ら不思議ではない。
今思えば、先程倒した虎があれだけ吠えていたのはこの子を守るためだったのだろうか。
予想外の出来事にカイは面食らい、子虎の様子をただじっと見つめていた。
憐れみの気持ちが湧き上がってくる。
だが、カイはすぐにそれを抑え込んだ。
――この子供の虎は、殺さなければならない。
リーニャが言っていたことだ。
情けをかけてこの子虎を逃したらどうなる。人間に親を殺された事を生涯忘れず、大人に成長した後に人を襲うようになるのだ。
それに、親虎は勝手に殺しておきながら子は可哀想だからと情けをかけるなど――生命に対する侮辱以外の何物でもない。人間のエゴだ。
子虎はひとしきり親の傷を舐めた後、カイ達に向き直り、シャーと威嚇し始めた。
(…………仕方ない)
カイは非情に徹する事にした。
手を掲げ、子虎に狙いを定める。
「待って!!!」
それを見て、ルナが叫んだ。
カイは思わず手を降ろす。
「ルナ。気持ちは分かるけど……ここは、きっちりケリをつけないと」
「分かってる! 分かってるよ、そんなの!!」
ルナはおもむろに歩き出し、子虎の方へ近づいていく。
「でも……でも! どうしても嫌っ!!」
ルナが近寄っていくと、子虎は毛を逆立て、強く威嚇し始める。
そんな子虎を、ルナはひょいと両手で持ち上げ、抱きかかえた。
「ルナ!」
彼女の腕の中で身を捩り、暴れる子虎。危険すぎる行為にカイは思わず声を上げ、駆け寄っていく。
「いいの……!」
ルナは子虎をぎゅっと力強く、それでいて優しく抱きしめる。暴れに暴れる子虎は、何とか逃れようとルナの腕に爪を立て――そして、首元にガブと噛み付いた。
「……っ!」
「ルナ!!」
「いいのっ!!」
首筋を真っ赤な血が伝う。カイはとっさに子虎を引き離そうとしたが、ルナはそれを強く拒否した。
痛みをもろともせずに、ただずっと子虎を抱きしめている。
「分かってる。分かってるよ……この子は、殺さないとだめなんでしょ? さっき、リーニャさんが言ってたもん」
「……ああ。だから――」
「でも! でも……ルナ、どうしてもいや。この子は、見逃してあげて。間違いでいいから……ルナの、間違いでいいから。だから、見逃してあげて……」
グルルと唸り声を上げて首筋に牙を立てる子虎を、優しく抱きしめ続けるルナ。
その瞳からは、痛みに因るものではない涙が、ポロポロと溢れていた。
「カイ……ごめんなさい。ルナ、やっぱり冒険者できない。リーニャさんみたいに、強さも覚悟もないから。厳しいことも辛いことも頑張るだなんて、嘘ついてごめんなさい」
「…………」
「お願いします。この子は見逃してあげて。ルナが全部間違ってるのは、分かってるから……それでいいから。だから、お願いします……」
そう言って泣きじゃくるルナの姿に、カイはいたたまれなくなってその場に立ち尽くしてしまう。
(…………)
そして暫くした後。
カイはルナに優しく語りかけた。
「……ルナ。君は、何も間違ってないよ」
その華奢な体の上から腕を回し、虎ごとルナを抱きしめる。
「……!」
「君がそう望むなら、それが正解なんだ」
カイは、ルナの気持ちを汲んであげることにした。
本来はあってはならないことだ。
親の虎は殺すが子供はかわいそうだからと見逃すなど、身勝手が過ぎる。もしこの場にリーニャがいたら激怒していただろう、そんな案件だ。
これは、間違いなのだろうか。
恐らく正解ではないだろう。
だが正解ではないからと、ルナの目の前で子虎を殺す事など、カイに出来るはずもなかった。
――――
ひとしきりルナを抱きしめた後、カイはルナに噛み付いていた子虎を引き離した。
そしてすぐさま、ルナが負った傷に対し回復魔法を発動する。引っかき傷や噛み傷などそこまで深くはない傷であったが、念を入れて強めの魔法をかけてあげた。
「……あんまり、無茶したら駄目だよ」
「うん……ごめんなさい……」
ルナは目を腫らしたまま項垂れた。
カイはルナに色々言いたい事があった。
それは別にお説教などではなく、冒険者になるなれないの件で精神的に追い詰められたルナを慰める為の事だ。
だが、疲弊したルナの様子を見て今はやめておく事にした。日を改めた方がいいだろう。
先程までルナの首筋に牙を立てていた子虎だが――何が起こったのだろうか、なぜか急に大人しくなり、すんとした表情でルナの顔を見上げている。
まるで、一瞬で洗脳にかかったかのように。
だがその異常な現象にカイが気づくことはなかった。
回復魔法の発動に集中していたからだ。
「よし。これで大丈夫」
回復魔法を掛け終わり、カイは一つ息をつく。傷は完全に治癒し、傷跡も全くみられない。
「さて……」
カイが子虎を振り返る。
すると子虎はビクッと驚いたように体を震わせ、近くの茂みに走っていき身を隠した。そして顔だけ覗かせてこちらの様子を窺い出した。
「……まあいいや。とりあえず、巣を調べよう。ぬいぐるみがあるといいんだけど」
カイはルナを連れて虎の巣の中を調べた。
中には毛布や枕、食器や木の板に本、服、食器、手鏡、籠など――本当に様々な物が置いてあった。
だが、ぬいぐるみは見当たらなかった。
「……ぬいぐるみ、ない」
「みたいだね。他の虎の巣にあるのかも」
ルナはがっくりと肩を落とした。ぬいぐるみを取り返したい気持ちはかなり強かったようだ。
カイが彼女を慰めようと思った、そのとき。
「ぎゃあああ!!」
遠くの方から、誰かの悲鳴が聞こえてきた。
この方角は――リンカ達がいる方だ。
声の主は誰だろう。男のようだが、アレクの声じゃない。
もしかして、あのビーゾンとかいう奴のパーティのうちの誰かだろうか。カイが呆気にとられていると、森の奥の方からリーニャが戻ってきた。
「カイ! 今の叫び声、聞きましたか?」
「うん。リンカのいる方角からだよ」
「……何か嫌な予感がします。とりあえず行きましょう」
そう言ってリーニャは叫び声がした方へと走っていった。
幸運にも、子虎には気づかずに。
「ルナ、行こう」
「……うん」
ルナはじゃあね、と子虎に手を振って、カイと共にリーニャの後を追いかけていく。
その背中を、子虎は何か思うようにじっと見つめていた。




